第3話 火花
絵に描いたような太陽が荒廃した街の一部を照らしていた。活気のある場所でも、そうでない場所でも、平等に日光を振らせる様は尊敬に値するが、しかしいくらなんでも平等過ぎやしないか、と如月トモは思う。
たしかに誰もが日光を欲している。これを浴びて生活するのとそうでないとではまるで体調の具合が違うのが人間というものだ。もちろん病によって日光を避けなくてはならない者もいる。しかしそんな彼らでも日光によって育った作物を食べなければ生活はできない。それは誰もが平等だ。
だからこそ太陽という存在は偉大だ。
けれどさすがに張り切りすぎている。ここ何日か雨は降っておらず、他の望みであるところの綿飴のような雲も、彼を隠すことをしない。
毎日地上は照らされ、そして熱せられていた。上からも下からも熱を感じ、ついには風までも涼しくなどなかった。ドライヤーほどではないが、そろそろそれに匹敵してもおかしくないと思えるほどではある。
「んあっ? もう終わり?」
食べていたアイスがなくなり、いつの間にか棒を舐めていたことに気付く。これで三本目だったが身体から熱さが取り除かれることはない。
次のアイスを取り出すためにビニール袋の中を漁る。しかし終わりなのは、持ってきたアイス自体であった。どうやら夏の暑さを軽んじていたようだ。そんな気はしていなかったが、三本あれば充分だろうとどこかで思っていたのだ。
そして消費速度の原因は、外で食べていたことに他ならない。冷たいアイスを暑い外で食べるという充実感とともに食べていたのが裏目に出たようだ。
ただただ暑い。
残ったのはアイスの包装紙とビニール袋くらいだった。
「トモ!」と階下から呼び声が聞こえてきた。ぐうたらとだらしなく過ごしたい如月の生活をきっちりかっちりと管理する親友のものだ。
「なに」と如月は大きな声を出した。体力が一気に消費されたのがわかる。
「休憩は終わりですよ。早く戻ってきてください」
「わかってるよ」
如月は太陽にぎらぎらと熱せられている下界を見下ろした。屋上から見る景色というのは格別だ。普段見上げなければならないものを見下ろすことができる。それだけで“いつもとは違う”瞬間を得られた。
事務所のある建物の屋上の床面積はほとんどないに等しい。そもそも本来ならばそこは屋上ではない。もう一つか二つほどフロアができるはずだったのだろう。それを示す鉄筋が空に伸びている。要は作りかけであり、壊れかけでもあるのだ。
残り少ない床を歩いていき、途切れた場所から階下に飛び降りる。一階や二階程度ならば飛び降りるくらいどうとでもない。そういうふうに訓練を受けていた。
飛び降りたフロアは酷く荒れている。床に敷き詰められていたタイルは砕かれ、剥がされている。壁には穴が空き、そこからは風や雨が入りたい放題だ。使わない場所であるため、誰も掃除や修繕をしようとは思わない。そうするくらいなら別の建物に移ることを選択するはずだ。六番街には同じような建物がいくつでもある。
アルミ製の簡易的な扉を開いて廊下に出る。さっきとは打って変わり、まともな建物である。少しだけワープをした気分を味わえた。
「長すぎます」
廊下で待っていた長月イチジクが呆れるように言った。長い黒髪が暑そうだが、彼女は汗一つかいていない。いつもの凛とした涼しげな表情だ。
「私がどれだけの休憩時間をとろうとも自由じゃん」
「そうですね。けれどそれはトモ一人のときのことであって、こうして付き合っている私などがいる場合は自由では困ります」
「まあ、そうなんだけど」
「戻りますよ」
「うん」
二人は廊下を歩いていく。暗く閉じた空間であるため、外よりはずっと涼しい。
階段を下りていつもの部屋に入る。そこは応接室でもあり、普段事務所員が集まっている部屋でもあった。部屋の中央には足の短いテーブルとそれを挟むようにソファが置かれている。テーブルの上は散らかっていた。
「あら、まだいたの」
部屋の奥にある豪勢なデスクで優雅に紅茶を飲んでいるアリスが言う。彼女はこの事務所の所長代理を務めており、二番目に偉い人物である。個性の強い事務所員をまとめるだけの技量は末恐ろしくもあった。
彼女の背後にある窓から差し込む光を遮るために、今は白く薄いカーテンが閉じている。窓を背にして座るなど如月の考えではありえないことだが、それだけ余裕があることなのだろう。たとえ不徳の事態が起きようとしても、それが発生する前に勘付けられる。
別にアリスが危機に敏感でなくとも、その他の所員が瞬時に対応すれば問題はない。そういった意味では所員を信頼しているのかもしれない。
ただ換言すればそれは、所員たちをただの自動護衛システム程度にしか思っていないとも言うことができる。
とはいえ、上に立つ者は冷酷で冷徹であるべきだと思っている如月にすれば、実にふさわしい人物だと思えた。
「帰ってるわけありませんよ。テーブルの上片付いてないじゃないですか」
広げられた教科者やノートを指さすが、アリスは一瞥もしなかった。
「捨ててくれって意味だと思っていたわ」
「やめてください」
「だいたい、ここは学習塾じゃないのよ? 仕事場なの。誰が仕事場に学校の宿題を持ってきて、友達とやる馬鹿がいるっていうのよ」
何度も頷く親友の姿が目の端に見えた。彼女もここで宿題をすることに反対していたのだが、如月がそれを押し切ったのだ。
日神(ひかみ)ハルや長月に日頃から少しずつでも宿題をやるように言われていたが、如月はその言葉を無視し、結局この夏休みの間に宿題には一切手をつけていなかった。「トモならやればすぐに終わるのに……」という二人の言葉も、姫ノ宮学園から解放された初めての夏を迎えた如月には無意味だった。
ここまで言う二人だが、しかしだからこそ自分たちの終わらせた宿題を写させてはくれない。「やればできる」という言葉が呪いのように如月に纏わりつき、「やってもできない」人よりも酷い仕打ちを受けるはめになった。
まあこの状況を招いたのは、言うまでもなく如月の責任だが。
「ここにいますよ? 目に焼き付けてください」
「たしか今日、琴音(ことね)いたわよね」
アリスはとんとんと指でこめかみを叩いて、記憶を引き出していた。そうして誰が事務所に来ていて、誰が休暇なのかを思い出し、その中で最も迅速に如月をこの世から消し飛ばせる所員を見つけたのである。
琴音と呼ばれる所員は、如月が知るかぎりでは誰よりも強い。強さを測ることを許さない強さを姫ノ宮学園で垣間見ていた。彼女ならば瞬く間も与えずに、如月を消すことができるだろう。
「やだなあ、冗談ですよ」
如月は自分の身を案じる。アリスがどこまで本気なのかは理解していた。もしこの部屋に琴音がいれば、如月はこうして思考することもできなかったはずだ。すでに光を失い、命を失っていた。
「冗談っていうのは受け取る側次第なのよ。あなたがなんと言おうとも、私がそうじゃないと判断すればそれは冗談じゃなくなる。わかってる?」
「もちろん、わかってますよ。つっきーからそう教わってます」
「あの馬鹿はなにを教えてるのよ……」
アリスは額に手を当てて呆れていた。冷徹な彼女でも、事務所員の何人かには気を許している。それが月宮湊であり、射干玉(ぬばたま)いのりである。
特に月宮のことになると、彼女は感情をよく表に出していた。相当に深入りをしている証拠であり、いわゆる“お気に入り”なのだろう。
月宮には人を惹きつける才能があると如月は思っていた。それは好意的なものであり、敵意的でもある。如月たちは前者だ。敵意を持ったことはたしかにあったが、それも勘違い、すれ違いによるものだった。あれからは一度もない。
そしてまだ如月は会っていないが、どうやら彼はまた誰かを事務所に引き入れたらしい。もはやスカウトマンとして働いているようでもある。
一人は「偽神の魔手」という魔術を扱う者だと思っていた者だ。茜奈(せんな)という女性で、年齢は二十歳。街の住人として登録をされているが、行方不明となっていた。都市警察が彼女のことを追わなかったのは《欠片持ち》でもなく、そして彼女がいた施設で起きた事件の被害者の一人だと思われていたからだ。
つまり死人として扱われていた。
生きながらにして死んでいる。
裏組織に所属するにはこれほどの人材はない。
月宮が脅威だと感じた「暴食」の力を持ち、どうやらかなりの数を消失させてきたようだ。生きるために仕方ない、というのは如月もよくわかる感情だった。
境遇は姫ノ宮学園にいた生贄十二人とよく似ている。住む家も、家族もなく、生きるために命を奪い、そしてそのうちに綺麗な格好をした奴らが現れ、組織に属することになる。家を手に入れても、生活は変わらない。
如月たちは日神を守る生活をしていた。
しかしそれは綺麗事であり、言葉が足りない。
日神を守るために、多くの命を奪ってきた。
茜奈という人物もまた奪うばかりの人生だったようだ。ただ月宮と長月の話ではそう悲観しているわけでもないらしい。本人は実に人生を謳歌していると聞いた。馬鹿なのか、それとも奪うだけの人生がどうでもよくなるほどの良い出会いがあったのか。おそらくはそのどちらかであり、月宮から言わせれば両方であるみたいだ。
きっとポジティブな人なのだろう、と如月は想像していた。
「というか、あなた。私に敬語なんて使ってたかしら」
「おっ、鋭いですねえ」如月は不敵な笑みを浮かべる。
「夏の暑さでおかしくなったんだと思います」
まあもとからおかしいですけど、と長月は流暢に罵倒した。
はっとした如月だったが、「そうだったわね」とアリスがすかさず肯定してしまったため、反論をする暇を与えられなかった。
そんなふうに宿題をやらずに過ごしていると、
「おはようございます」
と、誰かが入ってきた。
如月は初めて聞く声に振り向いた。それは長月も同じだ。好奇心よりも警戒心の方が強かったのは、まだ“普通の生活”に馴染めていないからなのだろう。
その男を見て如月が思ったのは「月宮湊にどことなく似ている」だった。瓜二つというほどではないが、その顔立ちは彼の二、三年後を想像させるに易い。
「誰?」と如月は疑問をそのまま口にした。男も同じことを思っているようで、如月たちを値踏みするような目をしている。脅威なのかどうかを探っているのだ。
「こいつら誰ですか?」
所長代理、と男は如月たちの背後にいるアリスに訊ねた。どうやら顔見知りらしい。
「あなたの先輩よ、茜夏(せんか)。ほんの数週間だけれど」
「茜夏!」
如月はその名前で彼を誰だか理解した。月宮が茜奈を引き入れたときに“付属”してきたものだ。茜奈のように特赦な力を持っているわけでもないただの《欠片持ち》であり、こうして相対しても脅威には感じられなかった。
この街でいう一般人だ。
常識の範囲内の存在。
「いきなり呼び捨てかよ」
「私は先輩だからね、当然だよ」
「年齢は茜夏の方が上よ」とアリス。
「年功序列とか知らないよ。私たちはいつでも実力主義なんだから」
姫ノ宮学園も、事務所もそれだけは変わらない。この世界だってそうだ。強い者が生き残り、弱い者が死ぬ。実力がすべてだ。
「でも、俺があんたよりも弱いとはかぎらないよな?」
「自信あるんだ」
「さあ、どうだろうな」
「どうして火花が散っているんですか……」
長月の的確な指摘により、その場は静まった。「それはたしかに」と如月がいとも簡単に感情を抑えたからである。
もとよりそれほど戦って優劣を着けようなど思っていなかった。たとえ付属品であろうともそれは月宮が引き入れた茜奈の一部分なのだから、傷つけてはいけないし、壊すことなどもっての他だ。
茜夏がテーブルの上の教科書類に気付き、それを手にとって眺めた。
「へえ、これが高校の教科書か」
その口ぶりから彼が高校に通っていないことを悟った。高校教育など裏組織に身を置くのならまるで必要なく、勉学に励む時間があるのなら、一人でも多くの仕事をこなした方がいい。茜夏はそうやって生きてきたのだろう、と如月は想像する。
高校生活が必要なのは、日の当たる場所で生活をしている者か、それに憧れている者だけだ。如月は後者である。
「しかも進学校のだ!」
なんとなく気に入らない茜夏に対して、如月は自慢げに言った。両手を腰に当てて、ふんぞり返っている。
「なんで、あんたが胸張ってんだ」
「それ私のだからに決まってるじゃん」
「は?」
「ん?」
茜夏が如月の身体を上から下まで観察したあと、まず長月に、そして次にアリスに目で確認をとった。如月としては非常に不愉快極まりない行為を目の前でされているわけだが、しかし怒るのは今ではない。
このあと確実に彼が開戦の合図を出す。
「あんた、高校生だったのか」
小学生かと思った、と茜夏はあえてそう言った。ただ場を荒らすだけの一言だとわかっていて言葉にしたのだから、そういう覚悟があってのことだろう。
如月は月宮から貰った護身用のナイフを手に持つ。笑顔を浮かべてしまっているのがわかる。どこかの殺人鬼の言葉を思い出す。
「死に際に笑顔が見られるなんて最高だろ? だから俺は笑って人を殺すんだ」
つまりそういうことだ。どうせ茜奈の一部分に過ぎず、ただの《欠片持ち》でしかないのならここで痛めつけても大丈夫だろう。どちらが上かやはり決着をつけないとならないようだ。
前言撤回。
半殺しにして、ほっといてそのまま命を落としたとしても、そこで自分で救急車も医者も呼べない奴が悪いのだ。
「どうしてこう馬鹿ばかりが集まるようになったのかしら」
とアリスが嘆き、
「私を含めないでください」
と長月が訂正を求める。
そんなやり取りを背に、如月は茜夏に向かっていた。
夏休みの課題はまだ終わりそうにない。
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