太刀風の迷い子

序章

第0話 晩夏

 八月三十一日。


 学生たちの夏休みが終わり始めるころで、その前後三日間は、街は平和になる。夏休みの真っただ中に騒いでいた連中が、やらずに残っている課題に取り組むためだ。この時期の恒例のイベントといっていい。


 しかし平和になるといっても、問題が起きないわけじゃない。結局いつであろうと、どこであろうと、問題は起こる。事件は発生する。


 そしてその度、この炎天下の中に駆り出されることになる。


 音無舞桜(おとなしまお)はハンカチで額の汗を拭った。もう何度目かもわからない。日陰にいるが、日向よりは体感温度が低いだけで、纏わりつくような空気がなくなるわけじゃないため、汗が驚くほど流れ出る。


 犯人を乗せた護送車が走り去っていく。


 暑さと酒を飲んだ勢いで暴れた阿呆が今回の騒ぎを起こした。大した騒ぎではない。《欠片持ち》が暴れていれば、もっと大事(おおごと)になっていただろう。周辺の住民を避難させなければならない事態にも発展していたかもしれない。


 こんなもの可愛いものだ。


 こうして簡単に捕まっていることがいい例だった。


「お疲れさん」


 と、音無は背後から声をかけられるとともに、肩を叩かれた。振り返ると、無精ひげを生やし、見るからに寝不足そうな顔をした三十代前半の男がいた。この暑い中をスーツを着てきたのか、手に脱いだ上着を持っている。ワイシャツの袖を捲り、ネクタイをだらしなく緩めてもいた。


「お疲れ様です」


「わざわざ偉いね、舞桜ちゃんは」


「偉い?」


「偉いというか、頑張るねぇ。だってこの件には《欠片持ち》を専門とする舞桜ちゃんは関係ないじゃん」


 音無は都市警察に所属している。それもこの街に住む《欠片持ち》の相手を専門とする部署に籍を置いていた。彼女たちの部署は《欠片持ち》が問題を起こした場合にかぎり、出動要請が舞い込んでくる。普段は訓練か、街のパトロールくらいを自己判断で行うだけだ。


「いえ、そうともかぎらないので」


「どういうこと?」


「先日の人体消失事件――わたしはまだ諦めていません」


 衣服だけを残し、その持ち主だけが消えるという事件があった。《欠片持ち》の仕業であると思われた事件だったが、しかし雪柳研究所の装置では犯人の特定には繋がらなかった。なにせ《欠片持ち》が能力を行使したときに放たれる波動が一切なかったのだ。


 最後にその犯行があったのは二週間以上も前のことだ。音無の同僚であった白枝畔(しらえだほとり)が犠牲者だった。正義感が人一倍強かったために、一人で犯人と戦ってしまったのだ。彼女の長所でもあり、同時に短所であったことから、そこを狙われたのだろう。


 捜査は不自然に打ち切られていた。誰もがそれを疑問に感じていたが、度々起きていた犯行が二週間以上もなかったため、その疑問も霧消していった。


 音無はどうしても白枝の無念を晴らしたかった。犯人を捕まえ、然るべき処罰を与えることこそが、白枝の残した思いだ。


 無精ひげの男はぼさぼさの頭を掻いた。


「上から捜索を続けるなとは言われてないし、個人的にやるんなら構わないが、ただ畔ちゃんのことを考えるとなあ」


 白枝畔は都市警察の中でもかなり上位の実力者だった。冷静な判断と分析力を駆使し、その「物質変換」の能力を十二分にも発揮した。


 そんな彼女でも敵わなかった相手に、誰にも迷惑をかけずに勝つというのは、意気込みだけでは証明できない。彼女に倣って、冷静な判断をしなければならないのだ。たとえ同僚の無念を晴らすためでも、相手をどうしても許せなくても。


「爆破事件の方もうやむやになりましたよね」


「ああ。あれな。犯人は死んだんじゃなかったか?」


「彼は爆破を起こした犯人ではありません」


 倉庫街で起きた爆発と、都市警察の上層部とその家族を殺害した事件では、周辺で《欠片持ち》の波動が観測された。一つは倉庫街で死体が発見された上羽實光輝(うわはみこうき)のものだ。「減速」の能力を持っていた。しかし観測された波動は微量なものだった。おそらくはただ相手の動きを止める程度の役割しかなかったのだろう、と考えられていた。


 そしてもう一つの波動が異質だった。膨大な波動が観測され、それは上羽實のものを塗り潰してしまうほどであるが、しかし研究所の《欠片持ち》に関するデータにはないものだった。これは過去にない事例であり、都市警察内部でもかなり騒がれた。


 この街は住人の管理を厳重に行っている。《欠片持ち》という特別な存在を抱えているためであり、またその研究をするためである。どういう経緯でそうなるのか、どうして《欠片持ち》とそうでない者がいるのか。


 今のところ判明しているのは、先天性のものであり、産まれてから数日間はその瞳に欠片を浮かばせたままであるということ、能力の行使をせずとも、微量の波動を常に外側へと放っていること、などである。


 街に設置してある監視カメラに、波動を観測し、それをデータと照らし合わせ、どの《欠片持ち》を映し出したかわかるような機能があればいいのだが、その技術はまだ確立されていない。


 正確にいえば、観測はできても正確な数値を計測できないのだ。能力を行使している最中ならまだしも、普段の様子を遠巻きから撮影しただけでは、どの《欠片持ち》なのかは区別できなかった。


 早くそうなって欲しいと思うものの、その技術が確立したとき、そこにプライバシーはあるのか、という問題が浮かび上がる。


 普通とは違うが、普通として過ごせるのがこの街だ。その特色を潰すようなことは、おそらくされないだろう。少なくとも公表はされない。


 もしかすれば、音無程度の地位にいる都市警察にも伝わらない可能性はある。今回の爆発事件のように、勝手にうやむやにされてしまうのだ。


「あー、そうだっけ?」


 男はとぼけた様子でそう言った。酔っているのか、と疑ったが、彼から酒類の臭いはしなかった。もとからこういう男なのだろう。


 音無はこの話をするだけ無駄だと悟り、話を切り替えることにした。


「ところで」


「ん?」


「失礼ですけど、お名前はなんというんでしたか?」


 男は大袈裟なリアクションをとった。音無にはそれが不愉快だった。名前を憶えていない自分が悪いことはわかっていても、目の前の男とは会った記憶すらないため、言葉ほどには失礼だとは思っていなかった。


「おいおいおい。今まで誰かもわからずに話してたのか?」


「ええ、まあ。とりあえず周りの人が警戒しないので、身内だということはわかっていました。だけどそれだけです」


「金雀枝(えにしだ)だよ。金雀枝。金色の金、鳥の雀、枝豆の枝で、金雀枝だ」


「ああ……」


「思い出したか?」


「いえ、聞いたことありません。どこかでお会いしましたか?」


「挨拶くらいなら交わしたぞ」


「それくらいなら誰にでもしますね」


 金雀枝は肩をがっくりと落とした。


 そんなに憶えてもらえないことがショックだったのだろうか。しかしもしそうなら挨拶だけではなく今みたいに会話の一つをすればよかったのに。と、音無は金雀枝の振る舞いに疑問を感じていた。


「まあいいわ」と金雀枝は復活した。立ち直りが早い。「ところで、というのなら、俺にもあるんだが」


「なんですか?」


「爆破事件、んでもって人体消失事件に、舞桜ちゃんのお気に入りが関わっているって話があるんだ」


 お気に入り、と聞いて、すぐにはなにかを察することはできなかった。ただ彼の性格と言い回しから考えて、お気に入りとは客観的判断によって選ばれた言葉であることはわかった。つまり音無自身はそうであると認識していない。もっといえば、その言葉の逆である。


 そう推測したとき、思い当たるのは二つの名前だった。


 都市警察と並び称される、街の二大組織である「事務所」。


 そして――。


「月宮湊(つきみやみなと)……ですか」


「あれだけの騒ぎの中にいたというのに、目撃証言はほんの一人か二人からしかとれなかった。だが、無視するには惜しい情報だろ?」


 あの事件に事務所が関わっているとなると、余計に身動きはとれなくなる。事務所には手を出すな――それは都市警察内で密かに言われていることだ。手を出せば痛い目を見るのは自分たちだ、と。


 しかしだからといって、無視していい存在ではない。


 彼らは便利屋と称して、犯罪まがいのことを平気で行っている。


 それは許されないことだ。


 音無は事務所を潰したいと思っている。あんな組織が平然と名を残していられるなど言語道断だ。


 その第一歩として、月宮湊を捕まえる。


 事務所のメンバーで彼ほど遭遇率の高い者は他にはいない。


「舞桜ちゃん、あまり無茶はしちゃいけないよ」


 表情に出てしまっていたか、と音無は平静を繕った。


「大丈夫ですよ」


「事務所に所属している以上、普通じゃない。一般人に紛れられるのなら、より厄介だ。そうだな――俺は一度だけ事務所の奴と対面したことがあるんだが」


 金雀枝の顔が真剣なものになった。ぴりっとした空気が肌で感じることができた。飄々としていても、彼もまた都市警察に選ばれた一人だ。そこは見誤ってはいけない。


「いいか、よく憶えておけ」


 音無は息を呑み、続く言葉を待った。


「もし現場で、白いローブを着た奴に出会ったなら――いや、見かけただけでもいいから、もしそんな状況になったら、有無を言わず、まずは逃げろ。俺は今までいろんな人間を見てきたが、あれは化物と呼ぶにふさわしい奴だ」


「白いローブ……ですか」


「ああ。金色の刺繍が入った奴だ。まあ詳しい説明はしなくとも見ればわかる。本能が逃げろと訴えかけてきたら、そいつがそうだ」


「よく無事でしたね」


「相手の気まぐれに命拾いしただけだ。もう二度と会いたくねえ」


 その白いローブの人物はともかく、月宮湊にそこまで脅威を感じたことはない。たしかに事務所に所属しているという異常性は見受けられるが、しかしそれまでだ。


 つまりは、その域ではないということ。


 あとは足りない要素を補うだけだ。


 次こそは失敗しないために。


 それだけに集中できるように、できれば今日くらいは穏やかな日々でありたいものだ、と音無は思う。先日の爆破事件のようなことだけは起きて欲しくなかった。

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