第19話 混沌に沈む

 爆心地に辿り着いたとき、茜奈は目を疑った。倉庫街の真ん中にできた空間に驚いたのではなく、なぎ払われた倉庫の残骸の山を見たからでもない。


 そのほとんど中心の地点。


 そこで月宮湊が、茜夏にナイフを突き立てていたからだ。


 シグナルの言っていたことは本当だった。事務所とウィンクは繋がっており、シグナルや茜夏、そして茜奈を消そうとしていたのだ。依頼を引き受けてくれたのは、ただ信頼を勝ち取るための手段でしかなく、彼らは心中では嘲笑っていた。


 怒りよりも先に、喪失感が溢れていた。


 茜夏の危機を救ってくれる疑似的な仲間ではあったのだが、それでも、それだからこそ茜奈は彼らに信頼を置いていた。心が救われていた。誰よりも茜夏の安否を気にかけ、たった独りで彼を救いださなければならない状況になってしまった前に現れた月宮たちに、どれだけ救われただろうかなど考えるまでもない。


 差し伸ばした手が掴まれ、けれどそのあとに払い除けられたようである。


 絶望が希望に変容し、そしてそれは絶望に戻った。


 さらに深く心を蝕む絶望へと。


 また失った。


 これまでに両親を、祖父母を、住む場所を。


 そして今は信頼した仲間を。


 月宮は茜夏の横に屈み、彼の肩に左腕を回して、上半身を持ち上げていた。茜奈はぐったりとしている茜夏の様子を正面から捉えていた。だからこそ黒々と染まってしまった彼の衣服も、その身体に突き立つナイフも、よく見えてしまった。


 彼の傍に立っていた長月がこちらに気付いた。本来ならもっと早く気付きそうなものだったが、それだけ意識は茜夏に向けられていたのだろう。


 彼女の姿が段々と大きくなっていく。


 表情は変わらず、ただ月宮に茜奈の存在を教えていた。


 月宮の視線が向けられる。彼もまたほとんど表情を出さず、空いていた右手にまるで手品のようにナイフを出現させた。


 ナイフ。


 茜夏の身体にあるのも、それだ。


 彼らの姿が大きくなっていく。


 そして月宮が右手に持ったナイフを茜奈に振るった。磁石の同極どうしを向けたように二人は反発し合った。


 そこで茜奈はようやく彼らの姿が大きくなっていたのは、自分が近づいていたからだと気付いた。そして月宮がナイフを振るったのは、茜奈が右手を彼らに向けたからだということにもまた気付いた。


「なんのつもりだ」


 月宮は言った。


 茜奈はそれに答えず、ただもう一度右手を彼に向けた。また彼のナイフと反発し合う。


 初めて「掌の口」に抗うものが現れたというのに、茜奈は特に驚愕することもなかった。感情の激流がそれを呑みこみ、沈ませているからだ。湧き立つ感情は数あれども、そのすべてが相殺し合い、呑み込みあい、だからこそ表面に浮き上がることはなかった。


 無感情ではないが、言い表すことのできない感情が彼女を支配し、ただ目の前の少年を喰い殺すためだけにその手を振るう。


「待ってください!」


 そう言う長月に目だけを向ける。月宮の代わりに茜夏の身体を抱えている。無表情ながらもその声には感情が籠っており、なにか言いたげな様子ではあったが、しかし茜奈にはそれがどうでもよかった。


 こいつもまた茜夏を傷つけた一人に過ぎない。


 聞く言葉などない。


 そう。


 どうせ月宮を喰い殺すのには時間がかかるのだから、まずはこの女からにしよう。有無を言わさず、悲鳴を上げる暇もなく、この世から消してしまおう。


 その魂でさえも消滅させてしまおう。


 茜奈はそのための一歩を踏み出そうとした。しかしその決意を感じ取った月宮が行く手を阻んだ。ナイフと、それと同じように冷たく鋭い視線を向けていた。


「なんのつもりだ」


 なるほど、と茜奈は思った。この少年は自分の周囲の人間が傷つけられることを恐れるようだ。いや、自分の周囲というよりは“彼女”の周囲の人間が傷つけられたり、失ったりすることを拒んでいる。


 他の誰のためでもなく、彼女のために彼は動く。ここで行く手を阻んでいるのも、月宮自身が長月を守りたいと思っているのではなく、彼女が悲しむから守ろうとしているに過ぎない。


 月宮の行動はすべて彼女に繋がる。


 本当に大切な存在のようだ。


 だが、それは茜奈にとっての茜夏だ。月宮が彼女を思い、行動するように、茜奈もまた茜夏を思い、行動する。


「なに、ただ喰ってしまおうと思っただけだ」


「俺たちの言葉に聞く耳はないか?」


「ないな。見たままが現実だろう。それともなにか? あのナイフがきみのものではなく、別の誰かが刺したものだとでも言うのか?」


 茜夏の身体を傷つけているそのナイフは、月宮が使っていたものだ。爆発を切断したとき、そして今、同じようにその手に握られている。見間違うはずもない。


「あれは、たぶん俺のものだ」


 そう告げた月宮の目には後悔や謝罪の気持ちはない。清々しいほど、冷たいものだ。当然だろう。この場面で心を揺らすことなどしない。


 聞く耳を持たない、と言ったのは嘘ではない。月宮の話を聞いて、それで茜夏が助かるのならばいくらでも聞くつもりでいる。それで茜夏の傷がなかったことになるのなら、鎮座してでも聞いていた。


 けれど、それは不可能だ。起きたことはなかったことにはならない。


 それでも受け答えに応じてしまうのは、目前にいる月宮に隙がないからだ。これまでの相手とは違い、彼には「掌の口」が通用しない。おそらくはあのナイフになんらかの力が宿っているせいだろう。


 故に、茜奈のすべきことは、あのナイフを弾くことだ。あれさえなければ月宮を喰うことができる。ただ彼の見せた力は、爆発を切断した力だけではなく、ナイフを出現させる力もある。弾いただけではまた出現させるだけだ。


 この会話の中で組み立てる必要があった。彼を喰うための、最短かつ最善の方法を。


「さっきの爆発に巻き込まれたときに俺の手から放れたものだ。刺さってしまったのは偶然だが、俺の不注意が招いたことだ。俺がやったのと同じこと」


「わかっているじゃないか。なんのつもりか問う必要なんてなかっただろう」


「いや、それは必要だ」


「なに」


 茜奈は眉をひそめた。


「それがなければ、お前が本能のままに動くかどうかの判断ができなかった。こうして言葉を交わせるかどうか、それを確かめる必要があった」


「この状況が予定どおりだと?」


「一番好ましいのは、お前が敵意を向けていないことだが。まあ、予定どおりではある」


 この対面が、この会話が予定どおりというのならば、彼の目的地はどこにあるというのか。茜奈の心は穏やかになりつつあった。激情に身を任せて行動していたが、理性が働いてきている。常軌を逸した月宮の先読みに、面喰ったせいだろう。


 月宮は爆発に巻き込まれたと言った。たしかに月宮も、そして長月、茜夏も衣服や肌に傷が見られる。あれだけの爆発の中でそれだけで済むのだろうか。


 そもそも彼らが爆発に巻き込まれる理由はなんだ。シグナルの話では月宮たちとウィンクは手を組んでいる。この場にウィンクをいないことを考えると、事務所まで切り捨てたということだろうか。


 シグナルの話を信じれば。


 シグナルの死を信じれば。


「いくつか訊きたいことがある」


「なんだ」


「きみたちは、なにを思って行動している」


「今は依頼の達成だけだ。お前からの依頼を完遂することが、俺たちの目的であり、行動理由だ」


「爆発に巻き込まれたというのは真実か?」


「巻き込まれた、というよりは、もともと俺たちを狙ったものだ。直撃したが正しいな」


「それではウィンクと事務所が共謀しているというのは」


「それは知らない」


 月宮は即答した。


「少なくとも、俺たちは無関係だ。最初はただお前が起こした人体消失事件を解決しようとしていただけで、今ここにいるのはその延長戦上に過ぎない」


 月宮が茜奈を事務所に引き入れようとしている理由がわかった。この「掌の口」が欲しいわけではなく、それを監視していたいのだ。今のまま街に放ったままではあまりにも危険すぎると判断し、だからこそ依頼の報酬というかたちで茜奈を得られるのは都合がよかったのだ。


 しかしそれも街の安全を思ってのことではないだろう。


 個人を思っての行動にすぎない。


「そう、か……。すまない。私は勘違いをしていたのかもしれない。茜夏を守りたいばかりに、なにも考えていなかった」


「いや、大丈夫だ。考えたところで、ウィンクの思惑はわかりやしない。間違いなく、この件を引っ掻き回しているのはあいつだ。だが、なんのためにそうするのかがわからない。殺す気があるのかも、戦う気があるのかも」


 茜奈は月宮の横を通り過ぎ、茜夏の横で屈んだ。顔色は悪い。怪我の多さに比べて、流血は少ないようだった。微かだが、呼吸をしている。


「まだ助かるか?」


 茜奈は献身的に茜夏を診ている長月に訊いた。


「生きているのだから助かります。ただ問題なのは、いつ事切れてもおかしくはありません」


 長月は溜息をついた。


「あなたは不安定にも程があります。揺らぎ過ぎです」


 返す言葉もなかった。今のところ、茜奈は利用するだけ利用されているに過ぎない。ウィンクや、おそらくシグナルの掌の上で滑稽に踊っているのだろう。茜夏を助けたいと自分の意志で動いているようで、誰かに操られているだけだった。


 後悔はあとで、と茜奈の表情から察して、長月が言った。それにも返す言葉は見つからなかった。


 突然、月宮が大声を出した。


「射干玉! いるんだろ、出てきてくれ!」


 周囲を見回しながら、月宮は何度も射干玉という人物を呼んだ。


 しばらくして、音もなくヌバタマらしき人物が現れた。この季節に似合わない黒いコートを着ているだけでなく、フードを目深に被っていた。コートのサイズが大きいため、その顔を見ることはできなかった。


「やっぱりいたのか」


 射干玉はこくりと頷いた。その仕草で、茜奈は射干玉が少女だと思った。実に可愛らしい動きだった。


「頼みがある。そこにいる奴を治してくれないか」


 彼女も《欠片持ち》なのか、と茜奈は理解した。たしかにこの状況で呼べるのは《欠片持ち》くらいだろう。茜奈はほっと胸を撫で下ろすが、しかし射干玉はかぶりを振った。緊張を解いてだけに、その衝撃は大きかった。


 思わず憎しみが芽生えてしまうほど。


「ただし条件次第」


 と、フードの中から籠った声が聞こえた。


「わかった。それを呑む。だから頼む」


 月宮はその条件を訊くことなく、そう答えた。同じ事務所の仲間だからそう言えるのだろうか。仲間というだけで、はたしてそう答えることができるものなのだろうか。


 射干玉は頷くと、長月の横に移動して、茜夏の胸に手を置いた。可愛らしい手が出てくるものだと思っていたが、黒い手袋が現れて、茜奈は少し残念に思った。


「これでまあ大丈夫だろ」


「すまない」


「これで俺たちの仕事は終わりだ」


「ああ、助かった。ところでウィンクは?」


「そのことですが」


 と、長月が言う。


「私は少しの間、彼女と交戦をしました。相変わらず相手は避けてばかりでしたが」


「それでどうしたんだ」


「倉庫の屋根が脆くなっていて、彼女は倉庫内に落ちていったんです」


 難色を示したのは月宮だった。


「待ってくれ。誰かが落下するような音は聞いてないぞ」


「私も目を疑いました。落下したと思われた彼女の姿がなかったんですから」


「消えた、ということか」と茜奈。


 茜奈の中でなにかが引っかかった。ウィンクの姿が消えた。これまでになかったことだが、しかし体験したようでもあった。そんな憶えはないはずなのに、同じような瞬間を目の当たりにしたような。


 おそらくは「消えた」ことに引っかかったわけでないのだろう。それに繋がる、あるいは准ずるなにかがあったのだ。


 月宮も口に手を当てて考えている。それは別のことかもしれないが。


「消えたのなら、まだ生きていることも考えられるな。それだけわかれば充分だ。あとは私がやる」


 自分たちを拘束する柵(しがらみ)は自分たちで対処しなくてはならない。最後くらいは自分の手で辿りかなければならない場所がある。


 茜夏がなにも言わず勝手に初めてしまったことだが、やりたかったことはわかる。


 初めから彼には相応しくない場所だったのだ。こんな人殺しばかりをさせる組織など、優しい彼には程遠い場所だ。それなのに茜奈のために、「掌の口」のために、共に所属することになった。


 おそらくは後悔。茜奈をあの孤児院から連れ出してしまったことに対する後悔が、これまでの彼の行動を縛っていたのだ。


 ずっと知っていた。


 それでも一緒にいたいからと、彼の優しさに甘えていた。


 たとえ後悔の念で横にいるとしても、それは茜奈にとっては人並みに得られた幸せだったから、手放すことが怖かったのだ。


 茜奈は立ち上がって、茜夏を見下ろした。ほんの少しだが、もしかしたら目の錯覚かもしれないが、心なしか顔色がよくなっているように見えた。


「行くのか?」


「ああ。まだやり残したことがある」


 真夏の夜はまだ終わらない。



     ※



「行かせてよかったのですか?」


「ああ。俺たちは部外者だ。あいつにしてやれることは全部やった。あとはあいつ次第だろ。死ぬのも、生きるのも」


「部外者、ですか。そうかもしれません」


「ただ気にかかるのは、俺たちは部外者だったはずなのに、今や渦中にいるということだ。誰かがここまで連れ込んでいる」


「最初に彼女の話をしたのは所長代理でした」


「アリスは白だな」


「では、やはりウィンクですか? しかし彼女と私たちが出会ったのは、それこそ人体消失事件の調査に乗り出したからです。順番が異なります」


「だから、その人体消失事件がおかしい」


「おかしい?」


「急に大事(おおごと)になっている。それまでも何件かあったが、それでも都市警察を狙うなんて大きなことはしてこなかった」


「つまりそれを嗾(けしか)けた人物が黒幕」


「ああ。なにがしたいのかは知らないが、街一つを消すような事態にならないことを願うばかりだな」

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