第24話 理想と現実と未来
姫ノ宮学園にいたせいで時間感覚が狂ってしまっていたが、そこを抜けるとまだ午後二時ごろだった。この感覚の狂いは、あるいは本当に空間が歪んでいて、時間経過がまともではなかったのかもしれない。しかし確かめる術はもうない。術者はいなくなり、発動していた魔術も琴音によって消滅させられた。
今日は月宮にとって気になる一日である。一つはもちろんペナルティのこと、もう一つは秋雨美空の追試のことだ。
それは如月たちも同じだった。早く天野川高校に向かおう、と急かされる月宮だったが、しかし身体の方は言うことが聞かない。神界に送られていた魂も戻り、身体への負担は重なるばかりだった。
二人を先に行かせて、月宮は事務所のソファで横になっていた。ここまでは長月に運んでもらった。充垣が拒絶したためだ。
その帰り際の会話を思い出す。
「つっきーは、一人で全部やろうとしすぎなんだよ」
「俺は……」
「わかってる。つっきーがやろうとしていることも、成し遂げたいと思っていることもわかってるつもり。だけど、私たちってそんなに頼りないかな? 一人よりも二人、二人よりも三人の方がずっと楽にできるよ」
「あなたが望まないのならば、私たちはなにもしません」
と長月。
「ですが、月宮湊、これだけは憶えておいてください。あなたが『彼女』や『彼女の日常』を失いたくないように、私たちもあなたを失いたくないのです」
「つっきー、こうも考えられないかな。私たちが今みたいにつっきーの知らないところで勝手に動き出すよりも、つっきーの把握しているところで勝手に動き出された方がいいって」
「……むちゃくちゃだろ」
「そうです。私たちは理不尽なのです」
「そしてお金になる仕事を欲しています」
月宮が彼女たちのことを考えているように、彼女たちもまた月宮のことを考えていた。それはわかっていたことだ。だからこそ今回のことは黙っていたのだから。
どこから情報が漏れたのか――それはわかっている。
どうせ愛栖の仕業だ。
怒ってやろうか、感謝しようか迷った結果、両方を選択した。どっちを選んでも正しいのだからどっちも選ぶべきなのだ。
ただそれでも、感謝の割合の方が大きいかもしれない。彼女の行動が、月宮の命を救うことになったのだから。
しばらくすると、意識が途切れた。眠りにしては急激な切り替えで、気を失ったことに気付いたのは目が覚めてからだった。
「起きた?」
その声の主は、アリスだった。優雅にティーカップで紅茶を飲んでいる。その香りが月宮の鼻腔をくすぐった。
「ああ――」
身体を起こすと、背もたれのところに誰かがいた。袖の長い黒いコートを着ていて、フードを深く被っている。魔術師だろうか、と月宮は思った。月宮の中で魔術師=黒いコートという図式ができあがっている証拠だった。
「もういいわよ」
アリスがそう言うと、その人物は黙って部屋から出ていった。足音もなく、布の擦れる音もなかったことが気になった。
「今のは?」
「所員の一人よ。湊にはさっさと報告を済ませて欲しかったから呼んだの。今回は特別。あまり頼りにされても困るわ。身体の具合、悪くないでしょう?」
たしかに目覚めたとき、寝起きがよかった。気怠さも痛みもない。身体の方は気持ち悪いくらいに全快していた。
ただ器としては、時間がかかりそうだ。
月宮はそう思った。
「あの子がやってくれたの。感謝は私にしなさい。あの子は命令は絶対に守るけど、命令しないとなにもしないんだから。湊を助けたのは私。いい?」
どこか腑に落ちないが、月宮は頷いた。
それから姫ノ宮学園であったことを話した。主にミゼットのこと、精霊についてのことだ。アリスは頷きもせず、黙ってそれを聞いていた。
十分ほどで報告は終わった。
「まあ、だいたいわかったわ。お疲れ様」
「やっぱり相手のことは知っていたのか?」
「当然でしょ。まあ――」
結果は知らなかったけれど、とアリスは言った。
月宮はその意味を尋ねようとしたが思い留まった。おそらくまともな答は返ってこないだろう、と察することができたからだ。
アリスに帰ってもいいと言われ、月宮は壁にかかっている時計を確認しながら軽く身体を伸ばしたあと部屋から退出した。まだ午後三時前。意識を失っていた時間が短いのは、その間にあの所員が“なにかしら”の方法で月宮の身体を完治させ、完治の状態を保っていたからだろう。
心や魂の方は無事ではない。これは感覚的なもので、視覚化することも、他人に説明することも困難なことだ。どのあたりが痛いかと訊かれても曖昧な返答しかできない。だけど心だと、魂だと断言はできる。
そういうものだ、と言い聞かせるしかない。
器としての月宮についても、また月宮自身にしか理解できない。これもまた感覚的なことであるからだ。
月宮は気持ちを切り替え、天野川高校に向かった。如月たちによれば、秋雨の追試の結果がどうであれ、教室でささやかな会を開くらしい。
向かっている途中、携帯電話が鳴った。
確認してみると、メールのようだ。
開いてみる。
「おめでとう。お疲れ」
そこには満点を取って泣いて喜ぶ秋雨と、それを見守る長月、秋雨に抱きつく如月、そして撮影している日神の姿があった。
なに気ない日常の一部を切り取ったその写真は、月宮がその身をかけても守りたかったものだった。
※
とんだ骨折り損のくたびれ儲けだ、と彷徨はソファに横になっていた。姫ノ宮学園から戻ってきてからずっとその体勢でいた。疲労感はない。少しばかりの散歩程度のことをしただけだ。なくて当然だ。
仰向けになって、天井を見た。いつもの景色だ。
未知の世界と繋がった実感はなかった。体調に変化もなければ、能力に変化があったわけでもない。試しに心歌に能力を使ってみたが、相変わらず無反応だった。まだ初段階のさらに初段階なのだろう。
変化するのはこれから。
もう導かれてはいる。
「まだ横になってるの?」
突然、視界が心歌の顔で埋められた。幼いながらも整った顔立ち。彼女の垂れた髪が彷徨の頬に触れていた。
「今日のことは本当になにか意味があったのか?」
「あったよ。ありすぎたくらい」
「お前、ちょっと幼くなってないか?」
初めて対面したときよりも、受ける印象が柔らかくなっている。彷徨はそれが気になっていた。今の心歌になら勝てると思えるほど、はっきり言って彼女に力を感じなかった。別人がそこにいるような感覚だ。
「双子なの」
「嘘つけ。お前見みたいなのが二人もいてたまるか」
「どうしてそう思うの?」
「口調が違う」
「それはきっと私が私だからだね」
「どういうことだよ……」
彷徨は呆れ調子で言った。この時点でまともな答が返ってくるとは思っていない。諦めていた。
心歌は顔を上げて、彷徨が寝ているソファに座った。ほとんど座っていない状態だ。彷徨は動こうとしない。
「彷徨は今日、一人の少年を助けた」
「そんなこと言ってたな」
「その少年をもう一度救わないと、この世界は滅んでしまうの」
「あ?」
彷徨は上半身を起こした。
「そいつが世界を救う鍵なのか?」
「その逆。その少年が世界を滅ぼす」
その一年は一年じゃない。
ふとその言葉が脳裏を過ぎった。
「おいおい、だったら助けなくてよかっただろ。そいつがいなくなれば、世界を滅ぼそうとする奴がいなくなる」
心歌は静かに首を振った。
「そう上手くいかないの。わかって欲しいのは、その少年がこの世界の鍵だということ。この世界の命運を握っているのは彼なの」
「俺はそいつになにができるんだ。救ってやるといっても、その方法は? なにから救ってやるんだ?」
「それは……」
「それは?」
「そのうちわかる」
彷徨は呆れてものを言えず、再び横になった。心歌がすべてを語らないのはわかっていたことだ。導くと言ったからには、今日一日で終わるようなことでもない。世界の命運がどうのと言っているように、そう簡単には物事は進まない。
自分が選ばれたことにはきっと意味がある。それが運のいいことなのか、悪いことなのかは判断が難しい。今のところは運が悪い。変な女子につきまとわれてしまい、静かだった家も騒がしくなった。
いつまで続くのか。
少なくとも一年は続かない――のかもしれない。
それは変化次第だろう、と彷徨は思った。
このままでは世界が滅ぶ。そのときまでに彷徨自身に変化があれば、その鍵を握る少年を救え、崩壊を阻止することできる。
なんという御伽話。
なんという夢物語。
しかし面白くない話ではない。
「ねえ、どうしたの?」
「寝る」
そのときが来るまでは、もうしばらく彼女に従っていよう。
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