第11話 未知を知るもいまだ未知
「で、どうだった? 琴音くんの強さは」
咎波は煙を吐き出し、煙草を携帯灰皿に入れた。
「予想以上だった……」
月宮はなんとか声を絞り出すことができた。
「俺、ちゃんと生きてる?」
「生きているよ。僕が死んでいるのでなければね」
咎波は新しい煙草に火をつけた。
琴音との模擬戦は、月宮の人生においてベスト3に入るほどの地獄だった。一番はもちろん春のことだが、しかしそれを彷彿とさせる、それを記憶の底から引き摺りだしかねないほどのことだった。
結果としていえば、彼女に傷をつけることができた。傷をつけたといっても、ローブの金の刺繍をミリ単位以下で切っただけである。月宮がつけた傷と断定するのは難しいほどだ。
宣言どおり、琴音はナイフ一つで月宮を相手取った。そのナイフはただのナイフであり、特殊な力が込められているわけでもなく、市販されているものと比べても、なに一つ変わらないものだ。しかし月宮はそれを破壊することができなかった。触れられなかった。
月宮の能力の一つは「創造」、もう一つは「破壊」である。月宮の創り出した武器に触れたものを、問答無用に破壊できる。ただし、もちろん制限がかかっている。人間を破壊することができないし、それにその能力は、もともとは能力や魔術を破壊するためのものであり、それに物質が加わっているのである。要約すれば、月宮を傷つけかねない脅威を破壊できるということだ。
今の月宮では、そのレベルでしか扱えない。
そういう認識しかできない。
月宮自身、この能力の限度を把握できていない。可能だと思っていることが不可能であり、不可能であると思っていることが可能なのかもしれない。
わかっているのは、人間の許容量を超えていること。そのために長時間の使用はできない。内容物に耐えきれず、器が崩壊する。
剥き出しの鉄骨や支柱に、月宮の手から離れた長剣や長槍などの武器が突き刺さっていた。その数は百を超えているかもしれない。同様に、さながら伝説の剣のように床に垂直に刺さっている刀剣がいくつもあった。粉々になっているもの、二つに分裂させられたものなどは、床に四散している。
咎波と充垣は、自分たちの命の危険を感じ、一時的に部屋から出ていき、出入り口付近で様子を窺うことに徹していた。この惨状からして、それは英断だった。琴音は周囲の危険など気にしないだろうし、月宮はその暇などなかった。
咎波の言葉の意味を理解した。
化物と評されるわけを見せつけられた。
琴音にナイフを渡してから、月宮はナイフを構えた。
三秒の沈黙。
琴音は動かなかった。
月宮は動けなかった。
そして気付けば、否、そのときは気付けなかったが、琴音はすでに接近し終え、月宮の瞳には、碧色の瞳と向けられたナイフの刃先があった。瞬きなどしていない。たしかに見ていたはずなのに、琴音はすぐ目の前まで来ていた。
死ぬまで理解できない。
理解できたときには、命を落としている。
反応もできず、
抵抗もできず、
冷や汗も出ず、
瞬きもできず、
ただただ碧色の瞳を見つめるばかり。
吸い込まれそうだった。
見蕩れてしまっていた。
魅せられてしまった。
水無月ジュンの魅力は理解できる、視認できる美しさにあったが、琴音の魅力は理解できず、視認できない美しさにあった。理解できないからこそ、美しい。視認できないからこそ、素晴らしい。
結果が綺麗だった。
それが始まりである。
最初だからこそ、容赦がなかった。
それから始まる模擬戦は、言うまでもない。月宮は自分ができることをやり、それを真っ向から潰されていっただけだ。
しかしたしかに得るものはあった。そのときそのときで適した武器があり、それを瞬時に創り出せる便利さがあり、ないのは臨機応変に対処できる技術だった。知識としてはあったが、実際に使ってみるのとでは、まったく違う。経験を積む、それが今の月宮に必要なこと。琴音との一戦は、充分にそれを得られた。
「俺だって、まだ手合わせしたことねーぞ」
充垣が言った。
「頼めばいいんじゃない?」
咎波が答える。
「なんにしても、もうここは使えそうにないな」
月宮が呟いた。二人が静かに頷いた。歩けば床が抜けてしまいそうだし、風が吹けば壁が崩れ、ちょっとした揺れで天井が落ちてきそうだった。
三人がいるのは廊下で、琴音はどこかへ行ってしまっていた。「今日は終わり」と言って、それから姿を消したままだ。本当にマイペースである。しかし廊下が安全だからいるのではなく、廊下がもっとも被害少ないからだ。ビルから出ようにも、そのフロアに残留している空気が、三人の足を完全に止めていた。
予想どおり、床が少し崩れた。階下でなにかと衝突した音が響く。
「でも、よかったよ」
咎波が新しい煙草に火をつける。いつの間にか二本目を吸い終えていたようだ。
「僕はね、琴音くんと手合わせをしたら、みんな殺されると思っていたから、これで安全性が確認されたわけだ。僕もお願いしてみようかな」それは咎波のジョークだろう、と月宮は思った。咎波がわざわざ危険を冒すとは思えない。
「少なくとも、琴音に評価されたことが、俺は嬉しいかな」
月宮は頬にある切り傷に触れた。浅いが、まだ血が出ている。
「まあ、あんなんでも本気じゃないんだろーな」
充垣が言う。
「月宮を指導するための動きだったし、誘導が上手いんだ。ということは、琴音はほとんどの武器を扱いこなせるはずだ。ハルバードなんかも、俺よりも上手く使うんだぜ、きっと」
「きみは、そんなにハルバードを上手く使えてないよ」
咎波が口もとを少しあげ、すぐに指摘した。
「我流だし、仕方ないってことさ」
「基本ができてないと、必ず隙ができてしまうから、勉強しておいて損はないと思うけどね」
「勉強か……、しばらくしてねーな」
「湊くんの勤勉さを見習うといい」
「いや、あそこまでいったら、もう勤勉というか、病気だな。医者に診てもらうべきだって、俺は常日頃思っていたんだ。なにが楽しくて勉強してんだよ」
本人が近くにいても自重などしない、それが充垣たちだった。
生きるためだ、とその横で月宮は思っていた。勉強をしないと殺すとまで言われているし、よく考えてみれば、ここの上司には脅されてばかりだった。
「月宮は、殺意のない殺意に弱い」
足音も気配もなく、琴音が現れた。手には缶コーヒーが握られている。こればかりには、男性陣は目を丸くした。完全な気配の遮断に思考が追いつかなかったのだ。
「聞いているの?」
きょとんとした瞳だが、月宮にはそれが怖かった。
「……殺意のない殺意っていうのは?」
ようやく月宮は口を開けたと思った。
「相手を殺そうとしない、つまりは呼吸をするように相手を殺す意思のこと。殺したいと思うんじゃなくて、そこにそれがあるから、そうするだけ。敵意もない。殺意もない。だから反応できない」
琴音は指をさしていく。
「咎波も、充垣も同じように、反応できない。普段から、その手の意思を感じ取ってないから。咎波は惜しい。いろんな意味で」
咎波は静かに煙を吐いた。周囲を気にしてなのか、天井に向けてだった。
充垣が腕を組んで、目を瞑っている。琴音の言葉の意味を租借しているのだろう。彼は理論より感覚を尊重し、信用するタイプなのだ。
「つまりね」と咎波。充垣に向けてだ。
「ライフルで狙われていることを想像すればいい。まず相手の居場所はわからないと仮定する。これは普通だけど、まあ、気付く人は気付くから、一応仮定」
咎波は煙草を指で弄んだ。
「そしてきみに向かって銃弾が放たれる。当然、きみは気付かない。相手が遠すぎて、殺意に気付けないんだ。これが琴音くんの言っていることだよ」
「でも、スナイパーには殺意があるわけだろ?」
充垣は目を瞑ったままだ。きちんと想像しているらしい。
「トリガーを引いたとき、あるいは標準を定めているときにはね。ただし、銃弾には殺意が込められていないんだ。込める必要もないし、銃弾はただただ、きみに向かっていくだけ」
「そのスナイパー、凄腕だな」
「仕事だからね。憎しみとかくだらない感情もない。うん、まあ、それくらいができないと、スナイパーとは呼べないね」
「感情を押し殺しているってことなのか?」
月宮は、琴音に訊ねた。
「違う。そもそもその感情がない」
「そんなこと、人間にできるのか?」
「人間は必要とあれば、なんだって会得できるよ。ただそれだけを得ようとしているのなら難しいけれど、それが必要とされる環境におかれれば、嫌でも憶える」
「俺には、必要だと思うか?」
琴音は首を横に振った。
「そっか……」
月宮は少し安心してしまった。必要ないということは、そのような環境にはいないということだ。琴音が『嫌でも憶える』とまで言ったのだ。それはきっと想像を絶する環境なのだろう。
想像を絶する環境はどんなものだろう……。
人間が本能的に思考を拒絶する世界。
それが実際に、この世界に存在した、あるいは存在する。
琴音が見てきた世界はどんなものか、月宮は少し考えてみた。
あの碧色の瞳が見てきたもの。
しかし、当然のように、思考は中断された。
そして、ある決断をする。
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