第2話 求めた平穏な日常

 如月トモは夏休みに入ったにも関わらず、登校日でもないのに学校にいた。


 二日前に終業式が行われ、多くのクラスメイトが待ちに待った夏に思いを馳せているのを見て、普通の高校に通っていることを改めて感じていた矢先のことである。


 廃校になるまで所属していた姫ノ宮学園では一応は学生という身分であったものの、それには然程の意味もなく、実際には学年や年齢など関係のない場所にいた。夏休みの到来に浮かれることもない。そもそも如月たちには夏休みなどなかったのだ。だから今回の夏休みは、如月にとって、学生として初めてのものである。その日の気持ちの昂りようは今でもハッキリと思い出せるくらいだ。昂り過ぎた様子を見た長月イチジクや日神ハルに苦笑いをされ、恥ずかしい思いをしたからだ。


 長月や日神は夏休みの到来が嬉しくなかったわけではない。彼女たちも彼女たちなりにある程度の夢を抱き、口にはしないだけで計画を立てていることだろう。姫ノ宮学園の外にいるというだけで気持ちが踊るものだ。


 初めてがあちらこちらに散らばっている。この夏だけですべて回収できるかが心配になるほどだ。やりたいこと、見たいものが山ほどある。


 姫ノ宮学園のことから、三週間ほどの時間が過ぎた。如月たち姫ノ宮学園の関係者からすれば、それは歴史に刻みこまれてもおかしくはない出来事で、今でもときおり、今が夢なのではないかと錯覚してしまうほどだ。数千人を超える関係者がいて、生き残ったのはたったの三人。甚大な数の犠牲者が出ているのにも関わらずこの街が混沌の渦に呑み込まれなかったのは、この街の自治を担当している都市警察の情報隠蔽の賜物なのか、それとも事件に大きく関わった月宮湊が所属する事務所の見えない力なのか。どちらにせよたいしたものである。


 この街には大きく分けて二つの勢力が存在している。


 事務所と都市警察。


 都市警察は月宮に街を案内されたときにいくつか支部を目にすることがあった。彼の説明によると一つの支部に配属されている能力者の数は二人。サポート係は一人につき三人から四人ほどいるそうだ。街で見かける支部にいる都市警察は、その存在意義の通りに街の治安を守る役割をしている。それとは打って変わって本部の人間は、どちらかといえば事務所の人間に近い存在とのことだった。その違いというのは、《裏の世界》を知っているかどうか――つまり魔術の存在を認識しているかどうかだ。要約すれば、支部の人間は能力者と一般人を相手にし、本部の人間は能力者と魔術師を相手にしているということだ。


 では、本部の人間と事務所の人間の違いはなにか。それは簡単で、都市警察は危険を察知すれば行動を起こし、事務所の人間は依頼または命令がなければ街がどんな状態に陥ろうとも動かないことだ。


 如月は事務所の人間と顔を合わせたが、誰もが一筋縄でいかない掴みどころのない人物ばかりだった。その色に染まったしまったせいなのか、もとからそうなのかはわからない。だが、月宮がここにいる理由がわかったような気がした。


 ふと、机の上に目一杯に広げられたノートから視線を外し、反対側に座って頭を抱えている少女を見た。如月と変わらないほど小柄で、ぱっちりとした大きな目はノートに釘付けだった。その肌は(ありえないが)一度も傷がついたことがないようなほど綺麗である。日焼けもない。同じ女性として見ても、お世辞などではなく可愛いと言える。むしろ彼女の前でお世辞など言えないだろう。それほどまでに、彼女には引き付けられるなにかがあった。


 これから彼女が成長していき、大人の姿になっていくと思うと、それはまるで禁忌を犯すような危うさを感じられた。なぜなら、想像ができないからだ。この容姿を持って辿り着くその先が見えない。不思議な感覚を抱かされた。

 名前は秋雨美空(あきさめみく)。彼女とは病院で初対面した。


 疲労のために昏睡していた如月が病院のベッドで目を覚ますと、見慣れた二人の姿と共に、見慣れない姿が一つあった。最初は看護師がいるのだと思った。しかしそれは一瞬にして振り払われる。それは、彼女の姿が制服姿だったからだ。月宮の周辺を調査したときに見た天野川高校の黒を基調とした制服。記憶に間違いがなければ同じものだった。彼女は如月を心配そうに見つめ、「大丈夫? 無理しないほうがいいよ」と声をかけてきた。その声が本当に自分を心配している調子で、それだけで彼女の性格を察することができた。


 それからお互いに自己紹介をし、いくつかの会話を交わしたが、彼女が姫ノ宮学園に関係することを訊くことはなかった。そもそも月宮の名前ですら口にしなかったのだ。日神とは知り合いで、なにがあったのかが気になるところであるはずなのに、彼女はそのことについての言及を、なに一つしなかった。


 このとき如月は秋雨美空に対して、頭のいい、気のきく優しい人だと印象を持ったのだが、その印象はすぐに改められることになった。その結果として、今があるのである。彼女は勉強面がまるでダメだった。


 本来ならば期末試験など余裕で乗り越えられるはずだったらしいのだ。月宮に教えてもらうことで、赤点を免れていた。今回も月宮に勉強を見てもらい、その後期末試験に挑んだ彼女だったが、月宮とは違う選択科目においてテスト範囲を間違えたことにより、赤点を免れることはできなかった。その事情を聞いて如月が思ったのは、秋雨のドジさ加減が思っていた以上なことと、どうして月宮が自分の選択科目以外のものを教えられるのかということだった。


 そして、如月は秋雨と同じ選択科目のために、現状に至っているところだ。科目の選択は編入時に決めており、今からでは出席日数が不足しているのではないかと疑問に感じたが、試験で結果を示せば問題ないと、担任教師の愛栖愛子に告げられた。如月はどれでもよかったために長月と同じ科目を選び、日神は如月たちとは違うことがしたいと月宮と同じ科目を選んだ。


 如月は正面にいる秋雨から左手にいる長月イチジクに視線を移した。長月は秋雨が苦悩している姿をただ静かに見守っていた。彼女は「ヒントを与えず、まずは一人でやらせる」タイプなのだ。悩むことに、考えることに意味を見出させるタイプだ。如月もどちらかといえばそうなのだが、長月ほど極端ではない。何度か解答のヒントを与えようとした。如月の場合、「ある程度考えさせてダメなようなら、回りくどくヒントを与える」タイプなのだ。簡単に解答には辿り着かせず、かといって手助けをしないわけではない。


 月宮は彼女にどうやって勉強を教えているのか疑問だった。実際、彼女の試験の成績はこの選択科目以外は高く、その順位は上から数えてすぐの位置であろう。秋雨曰く、得意な科目はなく、勉強自体が不得手であるため、この成績であるのは月宮の成果である、とのことだ。彼はもしかしたら教師の才能があるのかもしれない。


 長月がちらりと腕時計を見た。最初の街案内のときに、月宮がないと不便だろうからと言って三人に買ってくれたものだ。


 姫ノ宮学園には、三人の私物が残されていなかった。それは姫ノ宮学園の計画――「神格の儀」のための生贄である彼女たちの情報を、生きた形跡を残さないためだろう。そう考えるしかないくらいに、なにも残されていなかった。


「そろそろお昼ですね」


 長月が告げる。


「どうしますか? 今日はこの辺で切り上げますか? 追試の日までは数日ありますので、そこまで切羽を詰めることはないでしょう」


「といってもあと三日だけどね」


 如月は明るい調子で言う。


「まあ、朝からずっと勉強しっぱなしだから、一旦切り上げるのが無難だね。午前は、だけど」


「ごめんね……」


 秋雨がノートから目を離す。


「せっかくの夏休みなのに付き合ってもらっちゃって。私が変なミスしちゃったから……」


「誰にだってミスはあるから仕方ないよ。それに――」


 言いかけて如月は言い淀んだ。秋雨には姫ノ宮学園の事情が伝わっていないため、もし仮にここで「初めての夏休み」などと言えば、秋雨が勘づくかもしれない。勘だけは鋭いから注意するようにと月宮に言われていたことを思い出す。


「それに、私たち、することなかったもんね」


「そうですね。暇を持て余していました」


「今度、お礼するから」


 心なしか小さくなっていく秋雨を見て、如月は笑みを浮かべた。秋雨の純粋で真っ直ぐなところが好きだった。日神も同じなのだが、彼女は秋雨よりも大人っぽい印象だ。逆に言えば、秋雨はまだ子供っぽい――成長期のようだ。


「でもさ、本当に私たちでよかったの?」


 秋雨はきょとんとして、如月の顔を見た。


「だっていつもはつっきーの役目なんでしょ? 私たちなんかよりつっきーの方がよかったんじゃないの?」


「そんなことないよっ!」


 秋雨は顔の前で手を思いっきり振った。


「たしかにいつもは月宮くんに教えてもらってるけど、今回は私のミスで月宮くんの苦労を無駄にしちゃって……」


 しどろもどろに言葉を紡ぐ秋雨を見るのは楽しかった。如月たちに対する申し訳ないという気持ちと同時に、月宮への好意が見え隠れするからだ。微笑ましい光景とはまさにこのことだろう。


「でもね、私、如月ちゃんたちと仲良くなりたかったの。こういう機会でもないと、すぐに月宮くんとどこかに行っちゃうでしょ?」


「うんと……嫉妬?」


「ち、違うよっ!」


 秋雨の顔が真っ赤に染まる。これでも、彼女は月宮への好意を気付かれないようにしているのだ。とてもわかりやすい反応だというのに。


「違うの?」


 如月は感情を堪えて言う。


「……ちょっと寂しかっただけだよ」


 秋雨は手を遊ばせながら言った。顔はさらに赤くなり、頭から湯気が出ていてもおかしくはない雰囲気である。


 如月は一度でいいからこんな会話をしてみたかった。同年代の男性とは無縁の女子校であったためか、色恋沙汰の話などほぼなかった。近い話だと、「終焉の厄災」に恋焦がれるものだろう。あれを恋愛対象として見てもいいのか、そしてそれが恋愛の話なのかは不明である。少なくとも如月が小説などで得た感性だと、答えは否だ。現象との恋愛など認められたものではない。まだ同性愛の方が受け入れられる。


 次はなんと言って秋雨をからかおうかと思っている矢先、「いい加減にしませんか」とノートを片付けていた長月が横やりを入れてきた。


「トモ、やりすぎです。秋雨が困っているでしょう」


「でも楽しいじゃん? 女子の会話って」


「傍から見ればそういう風には見えませんけど。一方的に秋雨が遊ばれているだけのようですが」


「間違いではないよ」


「秋雨の月宮湊に対する好意に気付いているのなら、茶化すのではなく応援すべきなのではないですか?」


「……え?」


 秋雨は一瞬なにを言われたのか理解できなかったのか、目をきょとんとさせた。


「まあ、そうなんだけどね……」


「どうしたのですか? トモらしくもないハッキリしない態度ですね――もしかして、トモ、あなたも月宮湊のことが?」


「わかんないんだよねー」


 如月はおどけた調子で言う。


「人をさ――まあ、男の子を好きになったことなんてないから、よくわかんないんだよ」


「え? え?」


 秋雨は二人の会話についていけずに、おどおどとし始めた。


「正確に言えば、恋愛ってものが理解できないのかもしれないよ。根本的な理由、つまり『どうしてそう思い始めたのか』って原因を明確にしないと、それ自体の存在を否定しちゃう性分みたいなんだよね」


「心のまま、とはいかないのですか?」


「わかんない。でも、それを見つけられる時間はあると思うから、いつかハッキリできたらなって思ってる」


 時間があるということ、それ自体は誰もが普通だと思うことだが、如月たちは置かれていた状況が状況であるため、この長く残された時間がなにより尊いものだった。学園の計画が成功していれば、生贄だった如月たちに「今」は訪れなかったし、この世界が今のままであった可能性もない。誰かの時間が必ず奪われていたはずなのだ。


「そのためにも、あっきーを観察しようと思うんだよね。そしたらなにか掴めるかもしれないし」


「なるほど。『嫉妬』とはそういうことですか」


「ちょっと待って!」


 秋雨が満を持して会話に参加する。


「あの、いつから? いつから私の気持ちに気がついてたの?」


 その言葉に如月と長月は顔を見合わせる。このときようやく二人は、秋雨が自分の気持ちが周りに気付かれていないと本当に信じていることに気付かされた。


「いつからって言われても」


 如月が眼鏡の位置を調整しながら言う。


「ここに来て二日目くらいには断定できて、怪しいなと思ったのは病院に来ていた頃かな」


「初対面のときじゃん!」


「ええ。というか」


 長月はノートを鞄にしまいつつ、興味のない調子で言う。


「見ればわかります」


「そうだねー。少なくとも隠し通しているようには見えないよね」


「え? え? じゃあ、このクラスの人たちにも気付かれてるの?」


「それはわかりません。私は別にそうは思いませんけれど、もしかしたら気付いていてそれを知らぬふりをしているのかもしれないですね」


「ああ、でも誰だったか、『月宮はいつも秋雨といるよなー。羨ましい』みたいなこと言ってたよ。あの調子だと、まだ仲のいいクラスメイト程度なんじゃないかな?」


 よかった、と秋雨は肩を撫で下ろした。強張った身体の緊張が解けたのだろう。本当に「見ればわかる」。ただそれは見る人によりけりなのかもしれない。そういう見方をすればそう見えるだけ。


「こ、このことは内緒にして欲しいの」


 秋雨は真剣な眼差しで二人を交互に見た。


 もとより吹聴する気など毛頭もなかった二人は、それに了承した。それにより緊張を取り戻した秋雨は、再び脱力した。心から安堵しているのだろう。しかし赤面は戻っていない。


「でも条件があるよ」


 如月が告げる。


「条件?」


「うん。私たちに応援をさせて欲しいな。乙女の恋路を見守りたいし、それで私の気持ちに決着がつけばいいなって」


「如月ちゃんの気持ち?」


 首を傾げる秋雨を見て、如月たちの会話を聞いていなかったことがわかった。おそらく月宮への好意を気付かれていると聞いたときに、思考がそこで停止していたのだろう。その他の言葉など脳に届かず、揺さぶられた気持ちを整理していたに違いない。きっと頭の中では「どうしよう」とかその類語がぐるぐると駆け巡っていたことだ。本当に微笑ましい少女である。


 だからこそ、からかいがいのあるというものだ。


「うんにゃ」


 如月は含みのある笑みを浮かべる。


「なんでもないよ」


 三人は片づけを済ませ、教室をあとにする。鍵はかけなくてもいいと愛栖に言われていた。防犯面を気にしたが、あとで愛栖が教室を使用するのだろうと思い追及はしなかった。窓の閉め忘れはないか確認し、扉を閉じる。そして鍵を返しに職員室に向かった。


 校内には如月たちしか生徒はいないらしい。ただそう判断したのは校内があまりにも静かだったからで、もしかしたらどこかの教室では部活動が行われている可能性だってある。グラウンドからは運動部の掛け声が聞こえるため、一概にはそう断言できるものではない。


 月宮と愛栖には、普通の学生として過ごすのなら、部活動に入ってみてはどうかと提案をされたが、如月たちはそれを断った。たしかに部活で交友関係を広めるのも悪くはなかった。しかし、如月たちの生活というのは、月宮の出資の上に成り立っており、それに甘えてしまうのはどうしても気が引けた。どうせ他に使い道はないからと話す月宮を見るたびに、胸の奥でなにかが締め付けられる。


 なにかをしなければと思うが、なにをすればいいのかわからない。今までしてきた生活ではどうしていたか。そう考え、導かれる答えは人を殺すことだけだった。姫ノ宮学園での生活はそうやって成り立っていた。そうすることしか生きる道はなかった。


 それ以前の生活については考えたくもない。過去に触れると、今の自分が壊れてしまいそうだったからだ。姫ノ宮学園に所属する以前の如月は壊れていた。人間として終わっていた。


 その話を聞いたからこそ、月宮が如月や日神たちに普通の生活を送らせようとしたことを思い出す。壊れていたのは姫ノ宮学園のことばかりではないと知ってしまったから。


 異常な生活を幼少時から送っていた如月と長月は、環境に適応できなかった。どうすればいいのかわからず、手探りで先へ進もうとしても、結果的に辿り着くのが昔の経験だった。人を殺め、金品を得る――そうやって生きてきた彼女たちだから、それが禁止された生活でなにをすればいいのかわからなかった。


 それに対して日神は環境の変化に動じることなく適応していった。二人の知らぬ間にアルバイトを見つけ、今日も働きに出ている。


 故に、二人は焦ってしまう。日神が働き、自分たちはなにもしていないことに非を感じる。ときどき月宮の用意してくれる仕事を手伝うが、それで貰える賃金では出費を賄うことはできない。せめてでも与えられた環境の分くらいは返金しておきたかった。


 職員室の扉をノックし、「失礼します」と中へ入る。室内は冷房が効いていて、少し肌寒さを感じた。全体を見渡し、愛栖の姿を探す。別に愛栖である必要ではなかったが、如月は愛栖以外の教師と面識が少なく、どう接していいのかわからなかった。教員は三人ほどいて、談笑している二人、ペンで頭を掻いている者が一人で、そこに愛栖の姿はなかった。


「いませんね」


「煙草でも吸いに行ってるのかも」


「えー」


 如月が不満をもらす。


「私、愛子先生以外の人と話すの無理だよ。なんか奇異な目で見られるし」


 事情を知らない教員たちからすれば、姫ノ宮学園の生徒の編入は異質のものだったのだろう。生徒たちは珍しがっているだけだったが、大人はそうではなかった。余程の問題を抱えているのではないかと訝しい目をする。姫ノ宮学園出身と知れば不思議な反応ではないが、如月にはその視線が酷だった。


 扉の前で困ったように立っていると、愛栖が憂鬱そうな顔をして戻ってきた。酷くやつれているような、不機嫌なオーラを纏っているのが目に見えるようだった。


「なにやってんだ、お前ら」


「鍵を返しに来たんです」


 秋雨が説明する。


「だけど先生がいなくて、どうしようか話してたところだったんです」


「机の上に投げ捨てておけばよかっただろ」


「それはさすがにできませんよ」


 長月が言った。


「まあいいか」と言いながら、如月の手から鍵を受け取る。その際にぽんぽんと頭を叩かれたが、不快な気分にはならなかった。


「勉強の方はどうだ? 捗ったのか?」


「ぼちぼちですよ」


 如月が言う。


「つっきーじゃないから進行は遅いですけれど、それでも追試に間に合わないわけじゃありません」


「如月ちゃん……やめてよぉ」


「そっか。ま、追試にさえ間に合って、合格してくれればなんでもいいさ。如月たちが教えるのでも、月宮が教えるのでも構わない。最近、月宮と会ったか?」


「私は会ってないですよ」如月が答え、「私もです」と長月も続けた。


「私も会ってないですけど、この間連絡はとりました」


 秋雨は思い出すように言う。


「えっと……、たしか追試まで頑張れとか、如月ちゃんたちに教えてもらえとか。あとは月宮くんも頑張るとか言ってました」


「頑張る、ね」


 愛栖はその言葉を復唱し、何度か頷いた。


「よし、わかった。ありがとな」


「なにか用があるんですか?」


「ちょっとした野暮用だよ。ほら、あいつ割と器用だろ? だから少しやってもら

いたいことがあるんだ」


 その後、三人は職員室から昇降口に向かい、校舎の外へ出た。正午付近ということもあって日は高く昇っており、気温は早朝時よりも高い。太陽の光でタイル状の地面が熱を持ち、足元からも暑さを感じさせられる。数分そこにいただけで、額には汗が滲み出た。


 如月たちと秋雨は途中まで帰り道が同じであり、その道中にあったファミリーレストランで昼食を共にした。夏休みとあってか店内には、数多くの人が訪れていた。如月はこの賑やかな雰囲気が好きだった。


 店員のあとに続き、席に着く。如月と長月が並んで座り、その正面に秋雨。メニュー表がテーブルに置いた店員が一礼をして立ち去った。しばらくして、その店員は水の入ったグラスとおしぼりを運び、事務的に一言を残して、再び立ち去る。如月は横目で見る程度、長月は完全に無視、秋雨は律儀にも軽くお辞儀をした。


「そういえばさぁ」


 メニューを選びながら、如月が言う。


「どうしてつっきーのことが好きになったの?」


 水を飲んでいた秋雨は突然の質問に驚き、軽くむせてしまった。如月もメニュー表を見ていて、秋雨が水を飲んでいることを知らなかったため、驚いた。


「ごめん! 大丈夫?」


 如月は息を整えている秋雨に言った。彼女は少し涙目になっていた。


「うん、大丈夫。ちょっと驚いただけ」


 秋雨はハンカチで口元を拭った。


「本当にごめん。最悪のタイミングだったね」


「最高のタイミングなんて場合はありえません」


 長月が至って冷静に言って、呼び出しボタンに手を伸ばす。


「待った!」


 如月が、長月の伸ばされた腕をつかむ。


「まだ選び終わってないし、そのボタンを押すのは私の役目だよ」


 長月は首を横に振った。


「これを押すのは私です。私が一番に選び終わったのだから、その権利は私にあると思います」


 秋雨に視線を向けて言う。


「秋雨もそう思うでしょう?」


「え?」


 蚊帳の外にいた秋雨は目を丸くした。まさか自分に話が回ってくるとは思わなかったのだろう。二人の視線に戸惑いながらも、彼女は言う。


「二人で押せばいいんじゃない?」


 その後、秋雨の意見は却下し、如月と長月はジャンケンで決着をつけた。勝ったのは長月だった。如月は長月がボタンを押す瞬間を恨めしそうに見ていた。


 運ばれた料理を食べ終えると、自然と話は再び月宮の話になったのだが、秋雨は口を重く閉ざしていて、ほとんどなにも話さなかった。しかたなく如月は話題を変え、それから二時間ほどそこで過ごした。


 秋雨とレストランの前で別れたあと、如月の話を聞いてそれに答えるだけに徹底していた長月が口を開いた。なんの脈絡もなく唐突に。


「月宮湊といえば――彼は秋雨の気持ちに気付いているのでしょうか?」


「どうだろうね。つっきーは鈍感ではないと思うけど」


「そうです。むしろ、そういった人の感情の動きには敏感に反応する方です。私と戦ったときもそうでした」


「事務所なんていう滅茶苦茶なところで働いているんだから、それは至極当然とも言えるよね。姫ノ宮のことにもはーちゃんに会った時点で、やばい雰囲気は感じ取ってたと思うよ」


「では好意に気付いていると仮定して話を進めましょう。なぜそれに応えないのか。考えられるのは三つ。月宮湊には思い人がいるから」


「そうだとしたら、あっきーと仲良くするのはおかしいよね」


「もう一つは、単純に秋雨のことを嫌っている」


「それもさっきと同じ」


「最後は、気持ちに応えられないなんらかの事情が秋雨自身にある」


 強い風が吹き、街路樹からけたたましい葉鳴りがする。どこかで空き缶が転がる音が聞こえてきた。如月たちはスカートと髪を押さえた。数秒後に風は止み、二人は身なりを整えた。


「なんらかの事情――可能性はあるね」


「しかし、それがなにかはわかりません。もしかしたら『そこ』に月宮湊を動かすものがあるのかもしれません」


「興味あるの?」


「ええ」


 長月は肯定する。


「私は彼が彼である理由を知りたいです」


「それって恋じゃない?」


「どの口がそんな言葉を出すんですか」


 長月は表情を崩すことなく言う。


「そうだったね」


 如月は陽気に笑った。

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