第27話 能力の代償
「お前に言われた通り、秋雨を監視してやったよ」
家に帰った秋雨と入れ替わるように、愛栖愛子は病室に入ってきた。見計らっていたのか、偶然だったのかは不明である。
愛栖はスーツを着ていたが、相変わらず胸元が少し開いていた。身だしなみを整えていると思っているらしいが、誰から見てもそう思えない格好である。今は秋雨の座っていたパイプ椅子に脚を組んで座っている。
「何度かお前のところへ行こうとしたけど、なんとかなったわ。行ってもどうにもならないのに、それがわかっているのに、お前のもとへ行こうとするなんて、本当に危なっかしいったらありゃしない」
「如月たちのことも悪かったな。他に頼めそうな奴がいなかったから、お前に頼っちまった」
月宮が姫ノ宮学園でメールした相手は愛栖だった。如月たちはどう考えても、街まで辿り着くことができない。日神を除いた二人は負傷し、そして疲労をしていた。日神一人でどうにかなるとは思えない。彼女たちが街に無事に辿り着くためには、足が必要だった。
それで白羽の矢が立ったのは愛栖だった。
というか、免許を持っていて、月宮が連絡先を知っている人物が愛栖だけだった、というだけだ。
「美少女三人を運ぶ用事ならいつでも言ってくれ! 私はそのためなら減給になろうとも駆けつけてみせる」
「……そのときは頼む」
「あ、美少女と男の組み合わせはダメだ。美少女のみ受け付ける」
「わかったって」
「まあ、男は金を出せば運んでやらないこともない」
「その話はもういいから」
日はすっかり暮れていて、時間的には二十時くらいだろうか。街の明かりがあるせいか、姫ノ宮学園ほど星は見えない。入り込む風も、涼しいというよりは少し冷たかった。
愛栖がここに来た理由はわかっている。彼女は、表向きは教師だが、その裏の顔は魔術師である。春の事件で、月宮を手助けしたのも愛栖だ。そのときはたまたま通りかかっただけだったのだが、それでも月宮たちの命を救ったことには変わりない。
そんな愛栖は、月宮の勤めている事務所の手伝いをしている。所長と仲がいいらしく、よく頼みごとをされていた。
今回もそうなのだろう。
姫ノ宮学園のこと。
その報告を任されているはずだ。
愛栖は面倒そうに頭を掻いた。
「真面目な話な。姫ノ宮学園は閉鎖。以上」
「簡潔すぎるだろ!」
「説明が必要か?」
「少しはしてくれ」
「姫ノ宮学園は実質的には閉鎖。お前が知っているかどうかは知らないが、あの学園の関係者があの三人以外消失した。都市警察が動いているが、これに意味はない。動いているのも特殊部隊みたいなものだけだ。魔術のことを知っている一部の人間だけが動員されている」
「『実質的』ってことは、表向きは閉鎖してないってことか?」
「いきなり閉鎖ってのは無理だ」
愛栖は答える。
「大規模な組織だったからな。いきなり閉鎖ともなると、そこにいた人間がどこへ行ったのか気になる奴も出てくるだろ? そのために時間をかけて、閉鎖することになっている」
「フェードアウトってことか」
「そんなところだ」
「日神たちはどうなるんだ?」
「そっちの心配はいらない。うちの高校で引き取ることになった。住む場所とかは追々決まっていくだろうから、そのときはお前に指示が行くと思う」
「そうか……、よかった」
月宮は胸を撫で下した。
「姫ノ宮学園そのものが潰れちまったから、手続きとか簡単だったわ。というかお前のときと少し似てたな」
話がまとめられているためか、姫ノ宮学園の一件が小さなことのように聞こえた。世界から、国から見れば、些細なことかもしれないが、月宮からすればかなりの大事だ。住人が千人単位で消えてしまったのだから、かなり騒がれそうでもある。姫ノ宮学園が周りとの関係を完全に断ち切っていたことも騒がれずに済んでいる要因だろう。
不幸中の幸い、か。
「姫ノ宮学園の話はこれくらいか。本当はいろいろとあるんだが、世間に出せないことの方が多いから簡単に聞こえちまうんだな。次はお前の話だ」
「俺の話? なんかあるのか?」
「お前、自分がどうして入院してるのかわかってないだろ?」
「そういや、そうだな。疲労かなんかだと勝手に解釈してた」
呆れた、と言わんばかりに愛栖は深い溜息を吐いた。
「お前、なにをした」
愛栖の目つきが鋭くなる。
「お前は血だまりの中に倒れてたよ。あらゆる個所に切り傷があった。医者の話では、内臓もズタズタだったらしい。外部からというよりは内部から、だ」
「魔法を破壊した」
月宮は流れるように答えた。
「正確に言うのなら、魔法に限りなく近い魔術だ。人間の魂を、姫ノ宮学園にいた関係者すべてを使って発動した魔術だった」
「――無茶しやがって……」
愛栖は再び溜息を吐いた。
「お前、人間の魂を使った魔術の威力を知らないわけじゃないだろ。姫ノ宮学園の関係者すべての魂だって? んなもん、国一つ潰すのには充分な量だ」
愛栖は言っていて気付く。
「……そうか、知っていたからこそか。だが、やっぱり、お前の能力で魔法を消せるとは思えない」
「うん、まあ、全部話してないからな」
「ふざけんな」
月宮の能力について知っている者がいないわけではない。同じ事務所で働いている所員たちは当然知っている。だが、彼らが教えられているのは、月宮には能力が二つあることだけで、それ以外のことは知らされていない。能力が二つあるというだけで異質であるため、それ以上追及しようとする者がいないというのも一つの理由である。
つまり、月宮の異質は、能力が二つあるということではない。
その先、あるいはその根源が異質なのだ。
「俺の能力は借りものだって言ったろ?」
「ああ。神から借りてるんだったな。並大抵の人間じゃ信じられない話だ。しかも魔術師だったら尚更信じることはできない。私だって、あの事件に関わってなければ信じられなかった」
神から能力を借りていることを知っている者は、月宮を含め四人だけである。このことは、たとえ所員であろうと教えることはできない。月宮のしたことは、してしまったことは世界を揺るがしかねないことだからだ。
神の力とされる魔法を持たずに、神界に辿り着いたということが広まれば、現在までに存在した魔術師たち、または人類すべての存在を否定したことになる。
神界に到達すること――それが人間の目指す、進化の終着点なのだから。
科学も魔術も、そのための手段にしか過ぎない。
月宮が神と出会ったのは、ほんの偶然、奇跡だった。死んで、気が付いたら目の前に神がいた――そんな御伽話のような、作り話のような出来事が起きたのだ。
今の月宮があるのは、そういった説明のつかないことが、不安定に積み上がっているからだ。いつ崩れてもおかしくない。
「制約のことは本当だけど、使用するのには条件があるんだ」
「条件だと?」
「条件というか対価だな。俺が能力を使うには、魂を対価として差し出さないといけない。魂を削って、それを補うようにして能力を得られるんだ。アストラル投射だっけ? あれみたいなのができるようになってるんだ、俺の体は。神界とのパイプが繋がっている。だから、好きなときに向こうに魂の一部を送れる」
「ちょっと待ってくれ」
愛栖は月宮を制した。
「さすがの私でも処理しきれないぞ、今のは。対価の話はいい。それくらいあるだろうとは思ってたからな」
「さすがだな」
「魂の一部を神界に送る? つまりお前は能力を使うたびに、魂が減っていくのか?」
愛栖が気にかかっているのも当然だ。魂とは、その個体の存在そのものである。月宮が能力を使うたびに、借りるたびに魂が減るというのなら、月宮は自分の存在を失っていくということだ。
「いや、能力を返却すれば、魂も返却される。普通の状態では戻ってこないんだが。お前も見たことがあると思うけど、俺の瞳が赤く染まるのは警告なんだ。それ以上魂を神界に送れば、俺の体が能力自体に食い潰されるか、あるいは神界の色に染まった魂に耐えきれなくなって体が崩壊し始めるか。そんな感じのことが起こる」
「神界の気に当てられるってことか。高次元のものが体内に戻ってくれば、当然、拒絶反応が起こるからな。長い間、能力を使えない理由もそれか」
「そんなところだ」
月宮は説明を続ける。
「半分。それが、体に大きな拒絶反応が起きない上限だ。半分でも、長い時間借り続けていれば、拒絶反応が出るんだけどな」
「なんでそんな大事なことを話さないんだ……」
愛栖は呆れた。
「まあいい。お前がちゃんとしていれば問題ないんだからな。それで? ちゃんと管理ができなかった今回はどのくらい対価に支払ったんだ?」
「八割くらい」
「は?」
「八割くらいだって。そのくらい送らないと、俺が魔法に勝つことはできない。神の力を八割ほど持っていれば、充分魔法にも対抗できるレベルだ」
「つまりなんだ? お前は人間を捨てかけていたのか?」
「人間を捨てかけたんじゃなくて、人間としての俺を残しておいたんだ」
「自分の存在よりも、神の力としての存在で、その魔法に近い魔術を消したわけか。自分の存在を能力そのものに近づけるとかどんな発想だよ」
「後先考えないバカな発想だと思う。今生きているのも、神に会ったときと同じくらいの奇跡だと思うし」
愛栖はスーツの内ポケットから煙草を取り出すが、ここが病院であることを思い出したのか、肩を落とした。煙草をしまうと、胸ポケットに入っている三色ボールペンを取り出し、指で器用に回した。愛栖は考えごとをするときは、煙草を吸うか、こうしてボールペンを回すのだ。
「『神に会った』って口にするだけでバカらしいな……」
月宮は独り言を呟いた。本当は愛栖に話しているのだが、どうせ聞いてもらえないだろう。
「感謝はしてるのに、なんとも言えない気持ちだ」
自身のことを神と名乗った者の存在を疑っているわけではない。その力を存分に味わっている上に、今でも力のほんの一部分を借りているのだから、実際に対面した月宮には、あの存在が「神」であると言い切れるものだった。
寸分狂うことなく、同じ姿をしていた。
だが、威圧感、存在感は人間のそれを超えていた。月宮の脳が、本能が、第六感が、目の前にいた絶対的な存在を認めていた。
今でも思い出すことができる。それだけで冷や汗が流れ出す。
「よし、わかったわ」
愛栖がペンを回すのを止め、言った。
「とりあえず、お前の能力のことはアイリスに話しておくからな。たぶん、お前には、さらに行動制限がかけられることになる」
「いいさ、それくらい」
「だろうな」
愛栖は立ち上がり、軽く体を伸ばした。
「さて、そろそろ帰るわ。実を言うと、職員会議から逃走してきたんだ」
「そんなんでいいのか、社会人」
「まあ、大丈夫だろ。それと、もうすぐ期末試験だからな。秋雨のことは頼んだぞ」
「あいつの勉強嫌いは筋金入りだしなぁ……」
「お前の夏休みが減らないように頑張りな」
「どういうことだよ、それ」
月宮は訊いた。
「秋雨が追試になるってことは、最終的に頼られるのはお前だろう」
月宮は肩を落とした。秋雨に勉強を教えるのは、もしかしたら魔法を消すことよりも大変かもしれない。嫌いではないが、辛い日々が続きそうだ。
「お前が守った日常だ。大切にしろよ」
愛栖はそんな台詞を告げて、病室をあとにした。
静寂の戻った病室。
外を見れば、空が茜色に染まり上げている。
白を基調とした室内も、その色に染まりつつあった。
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