第22話 枯れない涙

 校舎の中は薄暗く、不気味で、そして気持ち悪いほど静かだった。


 空気を震わせているのは、自分の呼吸音だ。


 粗い息遣いが、校舎の奥まで響いているだろう。足音は隠せるが、息遣いばかりはどうにもならなかった。少し歩くだけで、息切れを起こしてしまう。そのたびに身を潜めるが、大した効果は発揮していない。むしろ時間の無駄だった。


 如月は、外で大きな音がするたびに窓から様子を窺った。場所が離れているため、見えるのは舞い上がる土埃ばかりである。何度もその様子を見ることができた。そのときはまだなにが起きているのかわからなかった。


 なにが起きているのかわかったのは、何度目かの大きな音がしたときである。如月に伝わったのは、音だけでない。地面が微かに揺れ、地響きが起きていた。外を確認すると、一際背の高い建物が、見るも無残に倒壊している様子が目に映った。


 一度だけではない。


 それは二、三度連続して起きた。


 まるで、誰かに連絡をとっているかのように、自分を見つけて欲しいかのように、建物が崩れていく。


 おそらく――いや、間違いなく月宮の仕業だ。


 姫ノ宮学園の人間がそんなことをする意味はない。今は魔術のために躍起になっているはずだ。学園内を作り変えるために建物を壊す、なんてことはしない。


 月宮は姫ノ宮学園の人間を集めようとしている。月宮に注目が集まれば、如月が動きやすくなるからだろう。校舎内にいる、ここの生徒である如月よりも、部外者である月宮を排除しようとするのは当たり前だ。


 しかし、彼一人で全員を対処できるとは思えない。この学園にどのくらいの数の戦闘員がいるのかは把握してないが、如月たちが来る前にはすでに、《終焉の厄災》を復活させる魔術を研究していたはずだ。魔術師相当の知識と技術を持った人間が複数いても、不思議ではない。


 それに、それだけではないはずだ。魔術以外で戦える人間も、魔術師相当の力を持った人間より多くいると考えるべきである。銃を一つ持てば、生命を脅かす脅威となれるのだから。


 如月は、拙い足取りで先へ進む。あの黒い魔術師を、絶対的な存在を目にしてしまったせいか、体力も、気力も、魔力も底を尽きている。如月は今、自分がなにを媒介にして、体を動かしているのかわからない。不思議でしょうがない。


 どうして足が動いているのだろう。


 どうして先へ進めるのだろう。


 なにが如月をそうさせているのか、本当はわかっている。わかっているが現実的ではないし、如月は根性論というものが大嫌いだった。


 校舎内に響いているのは、変わらず如月の呼吸音だけ――いや、足音も聞こえている。そのことすら気遣えないような状態なのだ。


 こんな状態になったのは、いつ以来だろうか。


 少なくともこの学園に来てから、こんな姿になったことはなかった。


 日神ハルという「あらゆる器になる素質を持った少女」を守る役目になってからは、彼女の情報をどこかから聞き付けた者たちと戦ったりしたが、ここまでになるほどではなかった。考えてみれば、あれは姫ノ宮学園が、彼らにわざとリークしたのだろう。十二人の力を底上げするために、日神ハルを守るのが唯一の生きがいだと、それが生き残るための方法だと、刷り込まされていたのだ。


 そんな人類で、ただ一人であろう類稀なる素質を持った日神は、その点を除けば、普通の女の子だった。その点を除かなくても、この特殊な学園にさえいなければ、普通の女の子として過ごせたのだ。


 残念だったのは、姫ノ宮学園に拾われたこと。


 たったそれだけのことで、彼女の人生は決まってしまったのだ。


 どんなに勉強をしても、どんなに友達と交友を深めても、どんなに笑っても、どんなに泣いても、どんなに怒っても、どんなに寂しがっても、日神ハルは今日この日に、神の器として、人間としての生を終えることになる。


 日神は初めて、自分のことを「家族」だと言ってくれた人だ。初めての友達だった。初めての姉妹だった。今も変わらず、これからもずっと大切な人だ。


 そんな日神を死なせたくはない。


 如月は歩みを止めなかった。月宮の努力を無駄にしてはいけない。学園の人間が月宮に注目しているこの絶好の機会を見逃すわけにはいかないのだ。


 しかし、この静けさは本当に不気味だった。


 姫ノ宮学園には千人を超える信仰者がいるはずだ。夜とはいえ、静かすぎる。まるで住人がいないゴーストタウンのようだ。


 気付けば、外からも音がしない。


 月宮が建物を破壊することを止めたということは、誰かに出会ったということだ。


 姫ノ宮学園の誰か。


 水無月ジュン。


 彼女の持つ白い剣は壊れることも、その色が褪せることもない。いつまでも、どこでも、同じ形状を保ち続ける。ただ、それだけならば、大した脅威にならない。壊れないだけで、相手に与える影響はなに一つないのだから。


 問題はその使い手である水無月が、あまりに優秀すぎることだ。白い剣の特性を生かしつつ、相手を始末するだろう。身体能力も高ければ、頭も回る。もし、彼女が魔術を使えたのなら、そんなことは考えるだけで悪寒がする。あの黒い魔術師と同様に、相手にしたくない。


 こんな情報を伝えてくる、読めない相手とは、もう……。


 そして、壊れないということは、月宮の能力も効かないということだ。学園の前には、いくつか山のように積まれた鉄屑があった。それは長月の愛用しているハンマーの残骸だった。一つ一つの断面が綺麗であったところを見るに、月宮の能力は「切断」である可能性が高い。もちろん、彼がわざとそう見せようとしているのなら、話はまったく別だ。


 ナイフを出現させる能力と、切断の能力。


 二つの能力を持っていれば、情報を隠蔽するのは当然だ。一人に能力は一つと決め付けている者たちが多いこの世界で、誰が二つの能力を持っていると気付けるだろうか。誰かは持っているだろうと考えるが、その例が現れない。《表》で魔術が信じられていないのと同じだ。


 正直に言って、月宮が水無月に勝てるとは思っていない。たぶん、負ける。できても精々、「善戦」くらいだ。そこまでで終わり。


 月宮の力を過小評価しているわけではない。むしろ過大評価と言われるくらい評価している。しかし、それでも水無月の評価の方が上だ。


 だから、如月はなんとしても日神を見つけなければならない。如月が日神を見つければ、それで終わりなのだ。月宮の敗戦もない。勝ち負けの問題ではなく、勝負をする意味がなくなる。


 ふと、足音が聞こえてきた。駆けている足音。この足音には聞き覚えがあった。姫ノ宮学園の生徒が使用している中履きが響かせる音である。


 そんな些細なことを憶えていたのは、この学園でも楽しいことがあったからだ。


 普通の子供のように、みんなと遊んだ。長月や皐月はもちろん、他の十人と校内を駆け回った。如月たちの在学理由は、「日神の護衛のため」、であるが、学園生活を行いながらであったため、ある程度、普通の子供のように遊んだこともある。


 かくれんぼ、鬼ごっこ、お絵かき……。


 いろんなことをした。日神も混じっているため、手加減はしていたが、それでも楽しかった。それだから、楽しかったのだろう。


 姫ノ宮学園での生活は嫌いではなかった。


 できることなら、この日常が永遠に続けばいいと思った。


 しかしそれは姫ノ宮学園に所属する限り不可能だ。


 まずはこの窮地を脱しなければならない。


 如月は辺りを見渡したが、隠れられるような場所はない。この時間となれば、どの教室も鍵を閉められているはずだ。扉を壊せればいいのだが、体力も、魔力も底を尽きている如月には、その手段を選ぶことはできない。


 足音はますます大きくなる。こちらに向かって来ている証拠だ。


 如月がいる場所は廊下の中腹付近であり、曲がり角もなければ、階段もない。確実に鉢合わせとなる。とりあえず、影に隠れる。光を浴びたままの姿を晒すわけにはいかない。如月が裏切りを働いていることは、すでに学園内に知れ渡っているだろう。見つかれば、その場で生贄とされる。


 廊下の先に、人影が現れた。こちらにはまだ気付いていない。


 念のために、長月を刺していたナイフを持ってきていたが、如月は魔術専門であるため、そっちの技術はからっきしだった。月宮のようにナイフを扱うことはできない。


 近づいてくる人影を見ていて、ようやく気付く。視界がぼやけている。普段の如月ならば、十数メートルほど距離が離れていても、この暗さであれば相手の顔を見ることができるのだが、今は人影も、そして心なしか校舎自体も霞んでいる。


 限界なのかもしれない。如月はそう悟った。


 人影が十メートルもない距離のところで立ち止まった。


「そこに誰かいるの?」


 声が校舎内に響いた。


 さすがに影に入っているだけでは、隠れたことにはならない。距離が縮まれば、どこにいようと姿を晒すことになってしまう。浅知恵にも程があった。


 だが、如月はそんなことを考えていない。


 ただ自分の聞いた声が、幻聴ではないかと耳を疑っていた。


「答えてよ。そこにいるんでしょ」


 幻聴ではない。はっきりと聞こえている。二、三日会ってないだけで、こんなにも懐かしく感じられるのかと如月は驚愕した。


 聞き間違えるはずがない。


 大事な家族の声を、聞き間違えるはずがないのだ。


「私だよ。はーちゃん」


 如月は答えた。


「トモだよ」


「トモ? 本当にトモなの?」


 如月は、壁に手をかけながら、彼女に近づく。声を聞いて安心してしまったのか、体に力が入らない。壁に手をかけていなければ、その場に倒れ込んでいるに違いなかった。


 二人の距離が縮まり、五メートルもない。


 如月は、霞んだその視界に、少女の姿を映した。


 大事な家族を。


 日神ハルをその目に間違いなく捉えた。


「トモ!」


 日神が駆け寄ってくる。


「大丈夫? 凄い汗だよ」


 如月は空いている左手で、自らの頬に触れた。指に水滴が当たる。その瞬間まで、自分が汗をかいていることに気付かなかった。体は熱くない。体温を下げるための汗でないのか、それとも汗と同様に熱さも感じられなくなっているのか。


「大丈夫だよ」


 如月は精一杯の笑みを作った。


「さあ、ここから逃げよ? はーちゃんがどうやってここまで来られたのかはわからないけど、それは、このあと、いつだって訊けるからね」


 口を動かすのが辛かった。なにもする気にならない。いや、達成したいことはあるが、そのための原動力がなにもなかった。気力も底を尽きかけているのだ。


「トモは――トモは、私の味方なの?」


 日神は言う。


「ここに戻されてから見た、みんなの様子はいつもと違っていた。私がいくら説明しても、聞く耳を持ってくれないし……。仲の良かった子だってそう。もう誰も信じられないの」


「……つっきーも?」


 如月は声を捻り出した。


「月宮湊も信じられない?」


「トモ!」


 如月の手が限界を迎え、廊下にのめり込むように倒れそうになったが、日神が如月を抱きかかえるようにして支えたことにより、それは防がれた。


「月宮さんが学園に来てるの?」


「うん。はーちゃんを助けるために、つっきーはここまで来たんだ。そして、今も頑張ってるんだよ。そんなつっきーも信じられない?」


「そんなことないよ! 月宮さんに頼んだのは私だし……。信じられないのは」


「姫ノ宮学園だよね」


 如月は言った。


「それでいいんだよ。はーちゃんはつっきーだけを信じてくれればいい。今は、それだけで充分だよ」


 如月は、腰に差していたナイフを取り出した。そのまま持ち歩くのは危険だと、長月が自分に巻かれていた包帯を解いた。そしてその包帯がナイフの刃に巻かれている。


「これに見覚えは?」


 如月は日神に見えるようにナイフを持ち上げた。


「これは……」


「そうだよ。つっきーのだよ」


 如月は腕を下ろした。


「つっきーは姫ノ宮学園と戦ってる。私たちの代わりに、戦ってるんだ。私はつっきーにやるべきことをやれって言われた。だからこうして、はーちゃんを助けに来たんだ」


「……トモ」


「私を信じてなんて言わない。だけど、はーちゃんを助けるために頑張ってる人、頑張った人を信じて欲しい」


 如月は涙を流していた。もう枯れてしまっていると思っていたが、皐月のことを思うと自然と涙が溢れ出てきた。彼女が信じてもらえないなんてことはいけない。なんのために命を落としたのかわからなくなる。彼女の存在を否定したことになる。


 それだけは許せない。


「トモ、行こう」


 日神は如月を抱きしめる。


「私が間違ってた。大事な家族のことを疑うなんて、私、どうかしてたんだと思う。私は、トモを信じるよ」


「……ありがとう。本当に、ありがとう」


「それは私の言葉だよ」


 月明かりに照らされ、日神に肩を借りながら、如月は校舎をあとにした。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます