14-3 あなたのせいでしょう?

 気がつけば十二月も半ばにさしかかろうとしている。

 ジュディは部屋の壁にかけたカレンダーを見て、ひとつ息をついた。


 最近リカルドから連絡がない。それどころか、先日、初めて誘いを断られてしまった。

 もちろんリカルドにも都合があるだろう。用事があるので、と言っていた彼の断りの言葉を疑いたくはない。


 それでも、ジュディはなんとなく嫌な予感にさいなまれていた。

 避けられているのかもしれない、と。


 ふと、照子に言われたアドバイスを思い出す。


『いっそジュディから誘っちゃえば?』


 クリスマスを一緒に過ごすための後押しだ。

 しかし今は誘っても断られそうな気しかしない。


 どうしよう、と部屋の中でぼんやりと考えていた時。

 インターフォンのベルが鳴った。


 もしかしてと期待するも、リカルドならたとえここを訪れるにしても事前に連絡をくれてからだろうと一瞬で否定する。


「はい」


 ドアに向けて声をかけると、若い男の声が返ってきた。


「こんばんは、香田です」


 隣室の青年だ。


 リカルドは彼と自分に遠慮しているのかもしれないと照子が言っていた。

 思い出してしまうと、香田に対して嫌な感情が湧いてしまった。


 まだ憶測の段階である上に、もしもその通りだとしても香田にあたるのは筋違いだ。ジュディは心を落ち着けてから立ち上がって部屋のドアに近づいた。


「何でしょうか?」

「ちょっと、お話ししたいことが……。いいですか?」


 ドアを開けてほしい、ということだろう。

 乗り気になれなかったが、断る理由もない。ジュディは扉をそっと開けた。

 目の前に、笑みを浮かべた香田が立っている。


「ジュディさんはクリスマスイブに、何かご予定はありますか?」


 ずきん、と胸が痛んだ。


「今のところはまだ何も」


 ジュディの答えに、香田はさらに嬉しそうに目じりを下げた。


「だったら、一緒に映画に行きませんか?」


 あぁ、どうしてこの人なんだろう。


 瞬間的に思ったのは、そんなことだった。この誘いがリカルドからならどんなにいいか、と。

 同時に、照子の憶測が的を射ていたのかもしれないと思うと、はっきりと嫌悪が胸に渦巻いた。


 香田の部屋を気にしていたかのようなそぶりを見せたリカルドは、きっと香田から何かを言われたのだ。自分がアプローチするから近づくな、と釘を刺されたのかもしれない。

 いや、それぐらいならあんなに警戒などしないだろう。

 もっとひどい言葉なのかもしれない。

 そう思うと、ざわつく心を抑える気力もなえてくる。


「ごめんなさい。行きません」


 できるだけ感情を殺したつもりだが、思っていたよりも冷たく鋭い口調になっていた。

 香田は、ゆっくりとジュディの言葉を理解したようで、先程までの笑顔がしぼんでいく。

 罪悪感を覚えたが、それもほんの少しだった。


「予定は、ないんですよね?」


 確認するように香田が聞いてくるのにも苛立ちを覚えた。


 あなたのせいでしょう?

 そう言ってしまいたくなる。


 荒ぶる心を落ち着けるために、そっと深呼吸をする。


 少し落ち着くと、自分が他人に対してここまで攻撃的な感情を抱き、言動に出たことに驚いていた。


 香田は、ジュディが日本にやってきて、まだ右も左も判らない時に支えになってくれた恩人だ。たとえそれが彼の下心故だったとしても、当時のジュディにはとてもありがたかった。

 だから邪険にはしたくないし、曖昧にするのも失礼だと思った。


「予定は今はありません。……ですが、好きな人がいるんです。他の男の人と二人で出かけるということは、できません」


 きっぱりと言うと、心の中を占めていた負の感情がふっと軽くなる気がして、ジュディは自然とほほ笑んでいた。


 香田は「あ……」とか細い声を漏らし、軽くうつむいた。

 さすがにそこまで露骨に落胆されると、ジュディも申し訳ない気持ちになる。


「ごめんなさい。……それでは、失礼します」


 ジュディはそっと玄関のドアを閉めかけた。


「ジュディさんの好きな人って――」


 ぱっと顔をあげて香田が口早にそこまで言うと、一旦言葉をきった。

 ジュディはドアを閉める手を止めて、続きがあるのかと見つめる。


「あの、以前部屋の前で紹介してくださった、あの人ですか?」


 香田がなぜ、何を思って尋ねてきたのか、彼の表情からは読み取れない。それを聞いてどうするのかも。

 少し戸惑ったが、ジュディはうなずいた。


「はい。とても素敵な方なんです」


 香田の表情が、一瞬、とてもこわばったように見えた。

 なぜ相手がリカルドだと知ってそんな顔をするのかジュディには判りかねたが、もう一度「失礼します」とことわって扉を閉めた。


 外から香田の気配が消えると、今さらのように顔が熱くなる。


 リカルドさんが好き。


 思うだけでもドキドキするのに言葉にすると心臓が口から飛び出そうだ。

 こういった、ちょっとしたことで自分の気持ちを改めて自覚して、その後にリカルドを思い浮かべて嬉しくなる。


 贅沢なのは判っているけど、これでリカルドから連絡があればなぁ、とジュディが思ったその時を見計らったかのように、携帯が着信音をたてた。


 相手は、リカルドだ。

 ジュディは天にも昇る気分で電話を手に取った。


「もしもし」

『こんばんは、リカルドです。今、お時間よろしいですか?』


 先日の、デートを断ったリカルドの声とは打って変わって、いい雰囲気が続いていた時のような響きだ。


 もしかして? と期待を込めて、ジュディはうなずいた。


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