05-4 それだけで済まないような、済ませたくないような
リカルドのことを気にしつつも、核心に触れられずに過ごすジュディ。いつの間にか、照子を家に招いた日からひと月が経っていた。
日本には梅雨という期間があり雨が多い。一日中雨に降られると、からっとした気候のロサンゼルスが懐かしくなる。
しかし富川探偵事務所でお茶の時間を楽しむ間は、憂鬱になりがちな気分も晴れる。
リカルドは相変わらず穏やかで優しい。彼といるとジュディの口元にも自然と笑みが浮かんだ。
亮をはじめ探偵事務所の人達はジュディの心の変化に敏感に気づいているが、リカルドは皆が茶化すのを相手にしていない。はなから信じるつもりもないといった態度だ。
リカルドに惹かれつつも彼に思いを寄せる自分に複雑な感情を抱くジュディは、今はリカルドに気づかれないほうがいい、と思っている。
今日も曇天の下、探偵事務所を訪れる。勤め先の病院の休診日のうち、木曜日と土曜日の午後はお菓子を持ってここに来ることがジュディの中で慣習化している。
「こんにちは」
挨拶をして事務所に入りながら、目は長身痩躯の男性を探している。今日はあの鮮やかな金髪が目に入ってこない。ということは亮の用事で所長室にいるか、薬品の研究で少し離れた建物――場所は教えてもらっていないのだが――にいるのだろう。
「あ、こんにちはジュディさん。すっきりしない天気だね」
信司が声をかけてくる。
「はい。でもひどい降りにならなくてよかったです」
ジュディは応接室のテーブルに手作りのクッキーを置いた。ちらりと周りを見るがやはりリカルドはいない。
「リカルド、今日休みなんだよ」
レッシュだ。このタイミングでリカルドの名前と留守を告げるあたりが鋭い。ちょっとおせっかいとも言えるが。
それにしてもリカルドが休みとは珍しい。というよりジュディがここに通うようになって初めてだ。
「リカルドさん、どうかされたのですか?」
「ああ、風邪ひいたらしい。大したことはないって言ってたけど電話の声からしてちょっとつらそうだったな。仕事終わってから覗いてみようかと思うけど」
いつもより少しだけ神妙な顔のレッシュだったが、ジュディの顔を見て、はっとなった。
「そうだ。ジュディ、この後時間があったらリカルドんとこ寄ってみてくれないかな。おれが行くより看護師のあんたが行った方が役に立ちそうだ。リカルドだって野郎が来るより美女が来た方が喜ぶだろう」
最後は茶化している。ジュディは恥ずかしさに軽くうつむいた。
「そんな……。わたしは今は看護師ではありませんし……」
「あぁ、そうだっけ。でもやめたからって知識や経験が使えなくなるわけもないし。……あー、用事があるなら無理にとは言わないよ」
レッシュが、仕方がないな、という顔をしたのでジュディは慌ててかぶりを振った。
「いえ、大丈夫です。行きます」
「それじゃ、頼むよ。寝てるかもしれないし勝手にあがっていいからさ。ちょっと顔色見てきてくれよ」
レッシュはほっと息をついて机に向かって何やら書いている。しばらくして戻ってくると、リカルドの部屋の住所と簡単な地図、最後に合鍵を渡してきた。
元看護師としての慈愛と責任感から請け負ったが、鍵を受け取ってジュディは急に戸惑いを覚えた。
「勝手にあがっていいんですか?」
「あぁ、……あいつ、結構無理しぃなんだよ。強がってたけど実は重篤で、放っておかれて孤独死、なんてことになったら後味悪いしさ」
なんて物騒なことを、と思ったが、レッシュはレッシュなりにリカルドのことを心配してのことだと、ジュディはうなずいた。
いつもと違って少し落ち着かないお茶の時間が終わり、ジュディはメモ書きを手にリカルドのマンションへ向かう。
電車を乗り継いで京都市を離れ、府の南部に向かう。ジュディが住む奈良とは近いが、用事でもない限りあまり訪れないところだ。
周囲は住宅街、ちょっと歩けば畑などもあるようだ。その中に建つこぎれいなマンションがリカルドの住むところだ。
事件の只中で訪れた「隠れ家」は周りに人の気配がないような場所だったが、ここは景色としては少々浮いているが生活の空気にはなじんでいる。ジュディはなんだかほっとした。
マンションのエントランスをくぐってから、一人暮らしの男性の部屋に訪れようとしていることを強く意識してしまっている。
お見舞いを手短に済ませてさっさと辞すればいいだけの話だが、それだけで済まないような、済ませたくないような気分だ。
リカルドの部屋は五階のようだ。エレベータを使って目的の階へと向かう。いよいよリカルドの部屋が近づいてくると、ジュディは鼓動が早まるのを感じていた。歩調も早まりそうになるが、圧しとどめる恥じらいもある。すぐそこのはずのリカルドの部屋がとても遠くに思えた。
やがて彼の部屋の前につく。表札には英語とカタカナで名前が書いてある。元マフィアなのに本名を明かしていて平気なのかしらと、ふと疑問に思ったが、そのあたりはうまく解決したのだろう。
インターホンのベルにそっと手を伸ばして、少しだけ見つめた後、意を決してぐいと押す。
チャイムが鳴る。その後に訪れる沈黙に高まる緊張。
だがドアの向こうに物音はない。
レッシュが言っていたように眠っているのかもしれない。そう思うと少し気が楽になった。劇薬の副作用で彼が意識を失った時に感じた、これで気まずい思いをしなくてもいい、という安堵と似ている。
さて、とジュディは考えた。鍵を開けて入ってリカルドの姿を確認するべきなのか、それとも反応がないから帰るべきなのか。
本当にレッシュが心配するように人の助けがいる状況になっていては困るのでリカルドに会っておいた方がいいとも思うし、勝手に上がってしまって嫌われないかという心配もある。
「……レッシュさんに頼まれて、引き受けたんだから」
たっぷり迷った挙句に、誰に聞かせるわけでもない言いわけをつぶやいてから、ジュディは鍵穴に鍵を差し込んだ。
解錠し、そっとドアを開ける。
雨と気温のせいで、思っていたよりもむっとする空気が部屋の中からあふれてきた。
夕方近くで暗くなってきているのに廊下には明かり気がない。昼間から眠っているのだとすると、そこまで眠りこむような容体なのかと少し心配が増した。
「おじゃまします」
一応一言声をかけてから、ジュディは靴を脱いで部屋へと上がった。
一人暮らしの男性の部屋にしては広い。玄関から廊下を通って突き当たりにダイニングキッチンがある。そこまでに廊下の左右にドアがあった。2DKのようだ。
きっちりと片付けられたキッチンには誰もいない。ジュディはもう一度廊下に出て、他の部屋を見てみることにした。
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