第95話 野菜づくし(1)
四人掛けのテーブル席に独り座っているパメラの目の前に、いろんな料理が乗った丸盆が置かれている。
具だくさんの味噌汁に、千切りになった野菜が混ぜ込まれ、白い湯気をたてるごはん。
赤や緑、茶色など色んな野菜が練り込まれたような薄く黄みがかったパテのようなもの。
味噌汁にも入っている狐色のヒラヒラしたものに、茎が細長い緑の野菜の煮物。
粉状の唐辛子と一緒になった、ゴロゴロと丸い、黒くてプルプルとしたもの。
隣には輪切りになった唐辛子と穴がいくつも空いた丸い茎のようなもの。
炒った胡麻を絞った油の香ばしい匂いが食欲を掻き立てる。
一汁一菜を謳うこの店でこんなにもたくさんのおかずが並んでいる理由……それは、一時間ほど前に遡る。
クォーレル商会の店は朝三つの鐘で営業を始める。
本来なら、この時間帯は営業に向けた試食品を作り置くための大事な時間だ。実際、朝一つの鐘が鳴って店に入ってから彼女は夫が仕入れた乾燥キノコを使った料理を始めていた。
「――ん?」
「なによ?」
今日の開店時間に向けて、エヴァンとパメラは準備作業をしていた。
エヴァンと使用人は奥にある商品を取り出して陳列する。その中心は干鱈なのだが、壺に入ったイワシのオイル漬けやニシンの塩漬け、エヴァンが仕入れた乾燥キノコなども籠に入れて並べている。
その作業の途中で、ふとエヴァンがパメラの顔の異常に気がついたのだ。
「パメラ、おまえ……最近肌が荒れてるんじゃないか?」
エヴァンは心配そうに声をかける。
一方、パメラはというとその乾燥キノコを使った試食品を作っていた。
いまは、水で戻した乾燥ポルチーニ茸を包丁で刻んでいるところだ。出汁だけではなく、キノコ自身の食感を楽しんでもらえるようにと、ひと手間かけて作っている。
「ええ、そうなのよ。吹き出物もできているし、ああもう……どうしたらいいのかしら」
よく見れば額や顎、頬だけでなく豊満な胸の谷間近くや、首筋などにも吹き出物がポツポツとできているのがわかる。
だが、彼女がいま困っていることは、それらの症状だけではない。
しばらくお通じがないのである。
パメラは夫であるエヴァンにそのことを話していない。いくら夫婦であっても、下の話を切り出すというのはなかなかにタイミングが難しい。
「薬師にでも診てもらうかい?」
貴族相手であれば医者という専門の職業を持つ者がいるが、一般市民が診てもらえるのは薬師と理容外科医ぐらいのものであった。
薬師とは症状に応じて効能が認められる草や樹皮に加え、動物の希少部位などを乾燥させて作る薬を処方する職業に就いた者を指す。怪我の止血や化膿止めなど、基本的な怪我に効く薬草などは一般的な知識として住民も心得ているが、頭痛や腹痛など身体の内部で症状がでるものについては薬師が対応するのだ。いわば、漢方医のようなものである。
なお、骨折や虫歯、瀉血などの外科的治療は主に理髪師の仕事だ。
「ええ、そうね……」
薬師と聞いて、パメラは浮かない顔で返事をする。
パメラの症状であれば、薬師ならセンナ茶などを処方する。現代日本でも下剤や便秘に効く薬草として知られているが、味はやはり苦く、クセのある味わいが口の中に残るのが特徴だ。
マルゲリットにも良薬口に苦しという言葉があるかは不明だが、苦くて不味い薬を飲まされると思っただけで不快感が声音と表情に出てしまう。
パメラはふとクリスのことを思い出し、相談することを思いつく。
苦くて不味い薬を飲まされるくらいなら、美容に関しても詳しそうな知り合いに頼りたくなるのも仕方がない。
それに、異国の料理人であるシュウも何か知っているかも知れないし、領主家のクリスであれば専属の内科医を紹介してもらえるであろうなどと考えたのだ。
もし、苦手な薬を飲むよりも、美味しい料理で改善されるのであればパメラにとってそれほど嬉しいものはないし、その料理が自分の店でも扱っている食材を使っていれば真似をして販促にも使える。
パメラにとっては一石二鳥ともいえる案。
何よりも薬師が処方する薬を飲みたくないパメラは、とにかくこの状況を改善するためにクリスを頼ることにした。
「これができたら少し出かけてくるわ」
それまで浮かない表情をしていたパメラは、パッと明るい笑顔に変えてエヴァンに話しかける。
「急にどうした?」
「あの店で相談しようと思ってね。ちょっと行ってこようと思うの」
あの店……そう言われてもエヴァンはピンとこない。この街には店の数は数え切れないほど存在するのだ。
「あの店って?」
「あの店といえば、あの店じゃない」
一方のパメラはというと、クリスの店は店名がないので他にいい言葉が思いつかないのだ。何も知らない店員も準備で働いている場所でクリスティーヌ様のお店などと口にしづらいのもあって、「あの店」と言わざるを得ない。
エヴァンはこの時点でパメラしか知らない店と言う意味なのだろうと勝手に判断する。
問いただすような必要は感じないし、妻であるパメラの肌荒れの原因が自分にはわからない以上、それが薬師のところで何か処方してもらうべきものなのか、理髪師のところで瀉血してもらうのが正解なのかもわからない以上、エヴァンにどうこう言えることではない。
「ああ、あの店か……。
その試食品ができたら行ってくるといいよ。試食の方はエルミナに任せておくから」
その「あの店」がどこの店なのか全然わからず、少しモヤッとした感情が残るものの、エヴァンはわかった風な返事をして、店員のエルミナにパメラの仕事を任せると伝え、また倉庫の奥へと戻っていった。
パメラはとりあえずエヴァンの許可が下りたことだし、肌荒れや吹き出物のことは少し気になるものの、試食用の料理づくりに取り掛かった。
パメラには、夫のエヴァンと共に懸命に働いて店を大きくしてきたという自負がある。内陸で海の魚の入手が難しいこの地域に干鱈という形で商品を持ち込むことから始めたのだ。当時は庶民では見慣れない干鱈という魚を売るために実演販売という斬新な手段を用い、干鱈の扱い方、調理方法などを親切丁寧に説明したのである。
〝肉ばかり食べてちゃだめ。いろんなものを食べると世界が広がる。すると、人生が豊かになりますよ〟
彼女が毎日のように客に掛けていた声だ。
干した海の魚を食べてもらうために考えた彼女なりのセールストークである。
鳥や獣肉を食べてはいけない日が定められた宗教の信者も多く住んでいるので、そんな日は飛ぶように干鱈が売れるようになっていった。
おかげで比較的裕福な暮らしができるようになってきたが、マルゲリットにやってきた当初は貧しくて苦労した。
だが、試食品を口にした客が述べる、「美味しい」という言葉を聞くと嬉しかった。
干鱈を使った料理がこの街に浸透していくとともに、試食品を作って食べてもらう機会も減っていた。
そんなところに、エヴァンが収穫祭の間に干したキノコをたくさん仕入れてきたのだ。
パメラの脳裏に真っ先に浮かんだのは「試食品」である。
エヴァンは最初からそのつもりだったようで、
パメラはそのレシピを元に、毎日のように試食品をつくっては干しキノコを売っている。
今日の試食は「手羽元と乾燥ポルチーニのクリーム煮」。
バターを敷いたところに手羽元と刻んだ玉ねぎ、戻して刻んだポルチーニ茸を入れ、塩をして焦がさないように炒める。
手羽元の表面に火が通ったら、そこに白葡萄酒、キノコの戻し汁、ミルクを入れて煮るだけだ。
薪を使って炒めるにはなかなかテクニックが必要だが、それしか方法がないパメラにすれば造作もないことだ。
レードルで少し掬って、小さな皿に装って口に入れる。
親鳥の手羽元の骨から出る旨味と、ポルチーニの戻し汁に白葡萄酒の旨味とバターや生クリームの乳脂のコクがたまらない。
肉はホロリホロリと崩れるのだが、焼いたりするよりも柔らかくなっていてとても食べやすい。
「いい出来ね。これならいけるでしょ!」
パメラは調理を終えた鍋を火から下ろすと、店員のエルミナを呼んだ。
「試食販売、頼んだわよ」
こうして、エルミナに仕事を任せると店を出た。
クォーレル商会は街の西側にある。
西側というと、商業ギルドがある場所ではあるが娼館などもあるので、街の中では治安もあまりよろしくないとされている。
だが、クォーレル商会はマルゲリットでは新参者であり、店を構えるようになってまだ五年と少し。予算の問題もあるが、治安が良くて客層がいい東側の店に空きがなかったのである。
それでも、中央通りに近い路地にあって、近くに如何わしい店がない場所である。
屋台時代からついていた客もあり、東側の客もわざわざ足を運んでくれていた。
「それでも、店を移すなら東側かしら……」
パメラは店から出て路地を歩きながら、小さな声で呟いた。
干鱈といえばクォーレル商会と言われるほどの知名度があり、とても匂いの強い商品を扱っているせいもあって、店子として借りるにも東側では難しいという制限も最近ではできてしまっている。
やがて、パメラは中央通りに出て、そこから東通りに向かう路地に入る。
天馬亭がある角ではなく、最も大門に近い東側の路地だ。
野菜を売る店では近隣の農家から仕入れた野菜を運び込み、商売の準備を始めている。活気あふれる時間までまだまだといったところだ。
暫く歩くと、東通りに抜ける。
そこから居住区の方に向いて歩き、居住区手前の丁字路を右に曲がればパメラが目指すクリスの店――朝めし屋である。
数分歩いて、その丁字路に到着して右折すると、扉を開いた状態で暖簾を軒先に下げた店が見える。
既に朝二つの鐘が鳴ってから久しく、店の前には誰も並んでいない。
パメラは他に出入りする客がいないことを確認して、店の石段を上がって暖簾を潜った。
「こんにちは」
「パメラさん、いらっしゃい」
「いらっしゃいなの」
パメラが挨拶をすると、クリスとシャルから歓迎の声があがる。
とはいえ、パメラが数歩店内へと進むと、カウンター席はむさ苦しい男たちでいっぱいだ。
その様子をみて、パメラは少し顔を顰める。
ここのカウンター席は女性がひとりでやってきて腰を掛けるにはハードルが恐ろしく高い。
「あ、奥の席でもいいかしら?」
「ええ、もちろんですよ」
パメラが遠慮気味に奥の席を希望することを伝えると、クリスもそのあたりは承知しているようで奥にある四人席へと案内する。
「あ、おひとりですよね?」
見てのとおり、ひとりでの来店だが、エヴァンも一緒ではないのかとクリスは心配になったようだ。
逆に尋ねられたパメラはというと、カウンター席を利用するように言われるかも知れないと少し目を細めるが、考えてみると以前ひとりで来たときも四人席に座っていたのだ。
「ええ、エヴァンは店番よ」
パメラは扇子を広げ、口元を隠すようにし、ホホホと小さく声を出して笑ってみせた。
これは貴族と接する際のマナーで、他人の前で大口を開けて笑うなどということがないよう、パメラは普段から気をつけているのだ。
それに、クォーレル商会の規模からしてエヴァンに留守番をさせなくても、店員でも店がまわることくらいはクリスも知っているだろうと思ったパメラなりのジョークである。
「収穫祭のときに干しキノコをたくさん仕入れたみたいですもんね……」
「そうね、頑張ってもらわないといけないわ。
それよりも、少し相談があるの。注文の前に、話をきいてくれる?」
「えっと、注文を先にいただけると嬉しいんだけど……」
パメラとしては料理の注文にも関係することなので仕方がない。
だが、クリスとしては閉店後の日本での営業が待っているのでそうも言ってられない。少し困惑気味に返事をした。
そこに、シャルがお茶とおしぼりを持ってきた。
「あ、わたしがやるわ――」
シャルがコクリと頷いた。
クリスはお茶とおしぼりが乗った丸盆をシャルから受け取ると、自分の持っていた丸盆をシャルに手渡す。
そして、パメラの前にお茶とおしぼりを出しながら話しかける。
「お茶と、おしぼりです」
「ありがとう……」
パメラはクリスが広げたおしぼりを受け取り、両手を温めるようにして拭きながら話を続ける。
「――大きな声で言えないんだけど……最近、お通じが無くて。肌は荒れるし、吹き出物はできるし……。
なんか、いい方法はないかしら?」
「薬師のところには行かないの?」
「たぶん、『センナ茶』が出てきておしまいでしょう? あれ、すごく苦いから嫌いなのよ……」
パメラはその苦さを思い出したのか、目をギュッと瞑り、口角を横に広げて頭を左右に振った。
見るからに嫌がってることが伝わってくる。
一方、クリスはまだ若く、食生活もシュウが作る料理を食べることが多いので、便秘とは無縁に近い。センナ茶など飲んだこともないし、その苦さを知らない。
ただ、パメラが顔を歪めてまで嫌がるのなら、相当苦いものなのだろうと想像した。
「そ、そんなに……では、運動はしてます?」
「店で働いてれば、それなりの運動はしてるけど?」
クリスは自分自身も店で料理を出したり、お茶やおしぼりを配る仕事をしているが、それなの歩数は動いている。だから、パメラも普通に働いているだけでかなり歩きまわっているだろうことはクリスにも想像できるのだが、尋ねたいことはそこではない。
「でも、お通じがよくなる運動というのもあるの。そういう運動はしています?」
「いいえ、していないわ。ねぇ、それ教えて?」
マルゲリットだけでなく、
丁度いま便秘に苦しんでいるパメラにすれば、そういう運動があるのなら是非教えて欲しいと考えるのも仕方がない。
だが、狭い店内でできることなど限られている。
「えっと、ここは狭いのでちょっと説明するのも難しいです。
お通じにたいせつなのは食生活の改善、睡眠、運動の三つなんだけど……パメラさん、お野菜とか食べています?」
マルゲリットでは、まずはパンが基本である。
男性なら、バケットサイズのパンを一日に五本くらい食べるのである。
その際、にんにく、玉ねぎ、にんじんとキャベツなどを煮たスープを食べるのだ。肉は入っていても少ししか無く、味付けは塩だけなのでメリハリも欠けた味だ。
「そうね……普通に食べてるわね」
「えっと、『にんにく』と『玉ねぎ』、『にんじん』、『キャベツ』です?」
「それに、最近は試食用で作る料理を味見するから、『干しキノコ』が少しかしらね」
パメラは人並みには野菜を摂取しているようなつもりでいるようだが、それが本当に人並なのかはここでは確認できない。
にんにくや玉ねぎ、にんじん、キャベツでは食物繊維は足りていない可能性が高い。
「じゃあ、今日は『野菜朝食』にしてみたらどうです? 便秘に効くというわけじゃないけど、お腹のためになりますよ」
「じゃ、それでお願いしようかしら……お願いするわ」
「はい、ありがとうございます。シュウさんと話してきますね」
「ええ……」
ようやくパメラの注文が決まり、クリスは急いでシュウがいる厨房に移動し、シュウに話しかける。
「パメラさんがお通じが無くて困っていて、野菜朝食にしてもらったんだけど……何か工夫できる?」
「そういうことなら……汁物は豚汁にして、おかずは少しずつ小鉢に盛って何品か出そうか。その方がいいだろう」
「ありがとう、そうしてもらえると助かるわ」
通常の野菜朝食だと、今日は納豆巾着を出す予定だったのだが、それではパメラに満足してもらえる結果になりそうもないとクリスは思っていた。だが、品数が増えるのであれば問題ないと判断したのだ。
ただ、特別に料理を追加するとなると、少量だけ作って出すというのも難しい。
シュウは背を向けて客席の方に向かおうとするクリスに声を掛ける。
「余った分はこのあとの賄いに出すからな」
シュウはそれなりの量を作って、このあとの賄いに出すことで余計なコストを減らすつもりだ。
「わかった!」
クリスは返事をすると、いまシュウと話した内容をパメラに伝えるために客席へと向かった。
シュウは日本での営業に向けて焼いていた出汁巻きを作る手を止め、業務用の冷蔵庫の扉を開いて中を確認した。
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