第79話 トビウオのお刺身(1)

 マルゲリットで行われる秋の収穫祭は、今日で最後となる。

 もちろん、昼からの式典があるのだが今回はクリスは出席しない。行事はエドガルドが参加することはあっても、クリスは旧王家の一人として参加しているにすぎない。よって、最終日は店の営業に集中することになっている。


 なお、昨日はさすがにシュウの料理が恋しくなったプテレアが店に現れるというトラブルもあったが、いつものように皆で賄いを食べるとおとなしく戻っていった。

 そして、その賄いに出されたのが「鶏肉とモリーユのクリーム煮」である。

 シュウが最高の組み合わせだと言い切ったのもあって、クリスが強く要望したのもあるが、クリスとしては銀兎亭のようにパンシチューとして朝食に出すことも考えたのである。

 だが、それらの案はすべてシュウに却下された。

 理由は、この店は「ごはん」を食べさせる店であるということ。パンはお試しでやってみたけれど一度も売れなかったこと。モリーユを用いた料理になると原価が高くなりすぎる恐れがあること。銀兎亭の名物料理にするという方法があることなどである。

 ただ、ホットドッグのように昼食や軽食としてあとで気軽に食べられるものを売ること自体は悪くないとシュウも考えていた。ただし、それには地球側――日本での営業に支障を与えることが想定されるし、マルゲリットで売るにしても日本で営業している時間帯に販売することができない。そこさえ解決できれば、ホットドッグのような軽食を販売することには賛成なのである。


「まぁ、いいか……」


 クリスは店の前を清掃しながら考えて呟いたのだが、どう考えても店の規模が小さいし時間もないのだからホットドッグやサンドウィッチのような軽食さえも作って販売するだけの余裕がない。そして、何よりもマルゲリットでの営業はシュウの道楽であって、金儲けを目指していないのだ。


 階段周りの清掃を終えると、クリスはいつものようにぶつぶつと何かを唱えると路地を水で満たすと、空間魔法で消してしまう。

 魔法が使える者からすると非常に簡単な方法で合理的とは言えるのだが、正直なところ見た印象は荒っぽい。


「清掃終了っと」


 クリスは店の引き戸を開き、中に入る。

 その頃から少しずつ人が店の前に集まり、列を作り始める。

 そして朝二つの鐘が鳴って、いつものように「朝めし屋―異世界支店―」の開店である。


 今日の朝は珍しくクリスの見知った客が並んでいない。それどころか、普段はマルゲリットで見かけない服装をした男たちが行列を作っているのである。


「い、いらっしゃいませ?」


 その珍しい光景にクリスも声を一瞬つまらせ、更に裏返らせて挨拶の言葉をかけた。

 暖簾をかけた時点では、なにかの間違いでマルゲリット以外の街に引き戸が繋がったのかと心配になったほどである。


「やあ、おはようございます。今日は収穫祭の最終日なのですが、商品がほとんど売り切れてしまいましてね……だったら噂に聞く店にちょっとお邪魔しようってことになりまして、露店仲間に声をかけてやってきたんでさぁ。何か、驚いておられるようですいやせん」


 先頭に並んでいた男がクリスに向かって話しかけた。独特の語尾使いをするが、これは隣のパブロス王国やその近くに住む人たちの訛りのようなものだ。

 たまに同じ単語を使って違う意味になることもあるが、概ね通じると言っても差し支えはない。


 その話を聞いて安心したのか、クリスは店の中に並んでいる男たちを招き入れた。

 第一陣となる人たちが入り終わった頃、一番うしろにオセフが並んでいるのが見えたので、引き戸を一度閉めた間にまとめてやってきたのだろう。


「ウーゴさん、今日まで『魚朝食』しかやってないので、オセフさんの分もあります。安心して待っててくださいね」


 少し離れたオセフにクリスが声を掛けると、少し心配そうな表情をしていたオセフの顔に笑顔が戻り、頷くのが見えた。






 基本、貴族様の扱いや予約でもない限り四人席を使用することはない。

 最初に入店してきたパブロス地方訛りの男たちでカウンター席は埋め尽くされた。そこに、クリスとシャルによってお茶とおしぼりが配布されていく。


「いらっしゃいませ、こちら熱い緑茶です」

「こっちはおしぼりなの。手とか顔を拭くものなの」

「ありがとう。それにしてもお美しいお方ですね。こちらのお嬢ちゃんもとても愛らしい……」


 このような場に慣れているのか、先頭にいた男はなかなかのおしゃべり好きのようだ。


「ありがとうございます。お世辞がお上手なんですね」

「お上手なの……」


 一方、日本での営業で慣れているクリスは男の言葉に軽く返し、シャルは少し照れるように両手を頬に当てて返事をする。

 次々と並んで座る男たちにお茶とおしぼりを配布し終えると、クリスはカウンターに入って料理の説明をする。


「あらためましていらっしゃいませ。この店の女将をしているクリスです。

 当店は『白いごはん』に『汁もの』、主菜の三品を朝食として提供させていただいているのですが、この収穫祭の期間のみ『主菜』は魚料理になります。どうしても魚料理以外のものが食べたいという方がいらっしゃいましたら、ご相談ください」


 カウンターの男たちは黙って聞いていたのだが、やはり口を開くのは先頭に並んでいた男だ。


「うん、オレたちは『魚朝食』というものを食べに来たんだ。それでいいよ。なっ?」


 カウンター席に並ぶ仲間全員を覗き込むようにして男は最終確認をする。

 残った男たちも首を縦に振って、異論がないことを示した。


「ということで、全員『魚朝食』ということで頼むよ」

「はい、承知しました。なお、今日の『魚朝食』は『トビウオ』の『お刺身』です」


 そこでカウンター席の男たちはざわつく。トビウオは判るのだが、「お刺身」の意味がわからないのだ。


「すまない、『お刺身』とは何のことで?」

「身の部分を生で食べる料理です。鮮度は保証しますから、一度味わってみてください」


 また、カウンター席の男たちがざわつく。魚を生で食べる習慣があるところはパブロス王国にもなく、全員が興味深そうに「うーん」と言葉を漏らしている。


「どうしても生で食べることに抵抗があるようでしたら、塩焼きにすることもできますが……」


 遠慮気味にクリスが違う食べ方を提案する。ただ、これから焼くことになると時間がかかるのだ。

 すると、また一番最初に並んでいた男が決をとる。


「おいおい、生の『トビウオ』なんて食べらるようなものじゃない。これを逃すとまた来年までお預けになるんだから食べなきゃ損ってもんだ。よし、生で食べる者は右手を上げろ」


 上がった右手は八本。つまり、全員が生で食べる決意をしたらしい。


「ひいふうみい……なんだ、全員が生でいいなら騒ぐなよな……ということで、全員その『刺し身』で頼む」

「はい、ありがとうございます。カウンター全員『魚朝食』でお願いします」

「あいよっ」


 クリスが注文を入れると、厨房からシュウの返事が聞こえた。








「それにしても、本当にこの内陸のマルゲリットで海の魚、特に『トビウオ』なんて食べられるとか信じられねえよな。しかも生でだぞ?」

「ああ、本当でさぁ」


 カウンター席の一番奥に座る男が話すと、隣の男も首を縦に振りながら相槌を打つ。

 トビウオは普通に漁をしていれば、船の中に飛び込んでくることがある魚である。隣国であるパブロス王国は海に面している面積が広いので、比較的漁業や海運業が盛んである。

 そのパブロス王国でも陸上では生で食べられるほどの新鮮なトビウオを手に入れるのは難しい。

 理由は保冷技術が発達していないからである。


 かちんこちんに冷凍する必要はなく、海水から作った氷水につけておくだけでも鮮度を維持するのが可能なのだが、海水を凍らせる科学技術がなく、魔法に頼らざるを得ないのでそのあたりの技術が発展しないのだ。


「おまたせしました、『漬物盛り合わせ』です」


 クリスが持ってきたのはいつもの漬物三種盛り合わせである。

 今日の漬物は、白菜の浅漬、胡瓜のぬか漬け、沢庵である。沢庵は扇形に切り、繊維を断つように薄めに切られている。


 ことり、ことりとカウンターに並ぶ男たちの前に利休箸と四つ爪のフォークと共に並べていく。


「これは?」

「この店の料理人の国でよく食べられるピクルスのようなものです。お茶請けにもなりますし、あとで出る『白いごはん』のおかずにもなります。

 こちらは『白菜の浅漬』というもので、『白菜』を塩で漬け込んだものです。こちらは『胡瓜のぬか漬け』……『胡瓜』を『米糠』に漬け込んだもの。最後の『沢庵』は一度干して乾かした『大根』を『米糠』に漬けたものです」


 男たちは不思議そうにその漬物盛り合わせを見つめている。

 そして最初に沢庵をフォークで突き刺したのは、さっき相槌を打っていた男である。とても鮮やかな黄色なので、目の前にまで黄色い沢庵を持ってきて匂いを嗅ぐ。


「漬け込んだっていう『米糠』の匂いなのか……独特の香りがしまさぁ」


 そう言うなり、前歯で沢庵を齧る。


「ポリッ!ポリッポリッ……」


 扇形に切られているので繊維が短く、それを噛み潰すような音が続く。

 糠床の匂いがふわりと漂うと、大根らしい土の香りと甘い香りが口の中を埋め尽くしていく。噛めば噛むほど唾液が舌の裏側から溢れ出てくると、干すことで濃密になった大根の繊維質には甘味も凝縮されており、わずかに残る大根の辛味や糠床の塩辛さと共に舌の上に広がる。


「甘じょっぱくて、変わった食べ物でさぁ……クネールさんもどれか試してみたらどうで?」


 男が感想を述べると、一番先頭に立っていた男に話しかける。

 初めて食べるものを見たときのちょっとした度胸試しみたいなものだが、先頭に並んでいた男は特に何も言わずに白菜の浅漬に手をのばす。フォークは使わず手で葉を一枚だけ剥ぎ取ると、そのまま口に運んだ。

 白菜は漬け込む際に塩や昆布、少量の鷹の爪を加えて重しをかけただけの漬物だ。浸透圧で白菜の内部から出てきた水分に一緒に入れた昆布からの旨味や鷹の爪の辛味などが溶け込み、それがまた白菜の葉に吸い込まれることで味を含んでいく。

 クネールと呼ばれた男が口に入れたのは白菜の白い部分で、最初に一口噛むととても歯ざわりの良い音を立てる。


「ジャクッシャクッシャクッ……」


 口の中に葉の香りと僅かな発酵臭が広がると、漬け汁の塩味と旨味、鷹の爪のピリリとした辛味が舌を包み、噛んだ白菜の葉から旨味と甘味が広がってくる。


「ああ、これも美味いものだ。塩気があるから、このお茶にぴったりだ。あとは、この『胡瓜』だな?」


 クネールは同じように右手で胡瓜を摘むと、口の中に放り込んだ。

 発酵した米糠の香りが鼻の奥に抜けていくと、胡瓜を噛んだあとで瓜特有の青臭い香りが鼻の奥に抜けていく。だが、それは胡瓜が薄く切られていることで嫌味なほどではなく、米糠の発酵臭の方がまだ強く鼻に残る。

 表面はしっかりと固くパリッとしているが、中心部分は種を含むせいか水分も多くて比較的柔らかい。そのため、一切れ噛んだだけでも「パリポリ」と音を立てるのだが、不快な歯ざわりがすることがない。そして、均衡の捕れた米糠の乳酸発酵した旨味と酸味が胡瓜からじわりじわりと溢れ出てくる。


「これも塩気があってお茶に合うな。『瓜』の匂いが苦手な人には少し厳しいかも知れないが、それでも香りは柔らかくなっているからオレは美味しいと思う。皆も出されたものは全部食うんだぞ?」


 クネールはそう言うと、またお茶を一口啜る。

 やはりこの商団のリーダーらしく、他のメンバーに対する口調はクリスに話しかける時と違う厳しさのようなものが感じられる。


 するとクネールの言葉に従ったのか、クネール以外の客もフォークを使ったり、指で摘んだりしながら漬物を食べ始めた。

 全員が毎年のように収穫祭や春の祭りに来ているメンバーであるが、普段食べ慣れないもの……特に、発酵させた食品を食べるというのはなかなか勇気が必要で、誰かが食べるまで手をつけないということも多い。

 そこでここはクネールが率先して手を出す必要があったわけだ。




 同じ商団のメンバーが揃っているというのもあって、なかなかにカウンター席は賑やかである。


「ちょっとまてギレルモ、まさかそれはないだろう……」


 カウンター席と厨房との出入り口に一番近い端の席に座った男が隣りにいる商人に何かを確認する。

 ギレルモと呼ばれた男は、その端の席の男に耳打ちをしたところこのような反応が返ってきたのだ。


「いやニコラ、あの髪と瞳の色、そしてあの美しさは間違いない。このマルゲリットの領主の娘に違いないよ」

「そんな身分の方が料理屋で自ら働くとか、考えられんわ」


 一番端に座る男はニコラという名だ。見た目はまだ若く一八歳程度の彼は日に焼けた顔に濃い茶系の髪色をしていて、鳶色の瞳をキラキラと輝かせる。


「でもさ、オレは収穫祭のときに見てきたんだよ? 遠かったけど……」


 ニコラもなかなか諦めようとしない。収穫祭で今までで見てきた中で一番美しい女性だ強烈に印象付けられたのだから、間違うはずがないと思っている。

 だが、実際にこの街の領主の娘というのを見かけたことが無いギレルモにすれば、想像できない話だ。


「じゃあ、今度出てきたときに聞いてみればどうだ?」

「そ、そんなことできるわけがないじゃないか。相手は貴族様なんだ……」


 ギレルモとニコラが騒がしいので、クネールが間に入る。


「何騒いでるんだ?」


 カウンター席の一番奥と、一番手前で今度はやりとりすることになる。

 もし本当にこの店の女性がマルゲリットの領主の娘であれば、全員朝食どころではなくなるかも知れない。ニコラはニコラなりにそういう心配をして返事をする。


「いえ、なんでもありません……」

「何いってんだ、あのねクネールさん。こいつぁ、さっきからこの店の女の子がこの街の領主様の娘さんだって言ってるんでさぁ。で、オレがそんな最高に高貴な方がこんな店で働いてるなんて考えられねぇって何度も言ってるんですがね……」


 そこにクリスが料理を乗せた丸盆を配るべく、カウンター内に戻ってくる。

 これはタイミングがいいというのか、悪いのか……。


「あら、こんな店で悪かったわね? 一応、わたしはこの店の女将をしています。クリスと呼んでくださいね」


 一瞬不機嫌な顔になっていたが、それでも店の看板とも言える女将を自称している以上、不快感を顕にするべきではないと思い、クリスは笑顔で声を掛けた。


「ほら、違っただろう?」


 ギレルモが胸を張って満足そうにニコラに話しかけた。

 ニコラはニコラでクリスの顔をじいと見つめているので、まだ疑っているようだ。


「でも公式な場では、エドガルド・R・アスカの次女ということになっていますね……」


 人差し指を顎に当て、視線を宙に浮かせてクリスは思案し始める。

 目の前にいる人達はパブロス王国の商人であり、対外的にもまだ結婚していないことになっている以上はシュウとの関係を話すわけにもいかない。どう説明するべきか、答えは簡単には出せるものではない。


「ということはやはりクリスティーヌ様なんですね?」

「ええ、そうよ」


 何のためらいもなく、クリスはニコラの問いに返事をする。

 領主の娘という立場はとても悪意ある者たちから狙われやすい立場であり、守られるべき存在である。パブロス王国の商人たちからすると、そんなクリスがとても異質に感じられた。


「まっ、まさか……」

「そんな……」


 ギレルモやクネール、他の男たちも驚いて続けるべき言葉が出てこない。


 それを横目にクリスはカウンター内と厨房を隔てる台に並んだ丸盆をシャルと手分けして配っていく。


「ことり……」


 小さな音を立ててニコラの前にも丸盆が現れた。

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