第77話 ニギスの一夜干し(1)
収穫祭の最中というのは、いろんな街から様々な商品が持ち込まれて売られている。当然、遠い海からの商品が運ばれることもあり、普段は鱈が中心だが、タコなどの干物も露店に並ぶ。
すると暇になるのは元から街にある干物商である。
収穫祭の前になるとマルゲリット唯一の干物店、タリーファの街出身のエヴァン、パメラ夫妻が営むクォーレル商会でも季節に応じた商材が入っているが、南方にあるタリーファの街と、北方にあるダズールの街では獲れる魚に違いがある。普段、タリーファの漁師が鱈を捕るときは比較的大型の船で半島をぐるりと回ったところにまで進む。そのぶん、脂も乗った鱈が漁れるのだが、やはり小さな船での漁が主流な小さな漁港なので、普段はアジの干物やカレイの干物、塩漬けの魚などの扱いが多い。だが、これらの魚はマルゲリットに届くまでに傷んでしまうほど足が早く商材としては期待できないのだ。
そこでクォーレル商会としてもタコを扱いたいのだが、タリーファの街周辺にはこの時期に旬を迎えるタコがいない。つまり、収穫祭の時期になると目玉となる商品がないということだ。
干した鱈の身はいつものように売れるのだが、この鱈も元は冬に漁れる魚なので、そろそろ在庫が厳しくなる時期である。
「ちょっと屋台の様子を見てくるよ」
エヴァンはパメラに向かって声を掛けた。エヴァンとしては、この時期に売れる商品の情報が欲しいのだ。
「ええ、いってらっしゃい」
とても大きな胸をした赤髪の女性、パメラが返事をした。
パメラとしてはこの収穫祭を終えると、使用人に店を任せ、タリーファの街に帰ることが決まっているので特に機嫌がいい。
だが、この時期になると毎年、商品が品薄になるのはパメラも同じようにしんぱいしているので、屋台から何かを見つけてくることに期待もしていた。
クォーレル商会の店は、東通りと中央通りを結ぶ大きめの路地の中間あたりにある。当然、店の前は人と屋台でごった返しているが、さすがにこの近辺でクォーレル商会と商品が被る店を出す露店はない。
毎年、この手の干物を扱う店は西通りと中央通りの間くらいに店を出す。他の街の鍛治師が打った商品などが並ぶ店も多いのだが、酒の類を扱う店も多いのでつまみになるようなモノを売るのに都合がいいからだ。それにそんなつまみを出す店は酒も売っている。
エヴァンはぷらりぷらりと店を見ながら路地を西に進む。
例年通り東通り側は収穫祭の期間とはいえ、日々消費するパンや肉類、野菜などの店が多く、あまり参考にならない。
脇道の狭い路地に入ってみると、店を出すような場所はなく、ただ通り過ぎるだけになってしまったが、程なく近くに天馬亭のある通りにまで抜けてきた。
もう少し歩けば中央通りになる。
中央通りは華やかだ。出ている露店に酒を扱う店もあるが、多くは装飾品を扱う店で、中には貴族も馬車で買い付けに来ている姿を見かけることができる。ただ、エヴァンに興味があるのは干物や海産物である。
もちろん、海産物といっても食料品だけではなく、真珠や珊瑚などの宝飾品にも目を光らせる。南の海では真珠や珊瑚なども手に入ることがあるが、なかなかそれらは出回ることがない。
宝飾品を扱う商人たちが我先にとそれらを買い求めてしまうので、干物になる魚とは違ったルートで流通してしまうからである。ただ、このような宝飾品を扱うことができれば、エヴァンの店の売上げは一桁近く変わることだろう。だが、クォーレル商会は干物屋だ。干物屋としての信頼は得られていても、宝飾品については素人である。また、真珠や赤珊瑚を干し鱈の隣に並べて売れる姿を想像することもできない。
「やはり、鱈とタコが捕れない秋に売れる商品をなんとか見つけなければ……」
エヴァンはそう呟くと、西通りに向かう露路に足を踏み入れる。
途端にあたりは酒臭くなり、周囲には酒のつまみになる腸詰やチーズなどの保存食を主にした露店が増える。
だが、エヴァンにとっての本命はこちらに並ぶ露店商たちである。
収穫祭も終盤になってきたので、露天商売り切ってしまいたい商品が残っていればまとめて買い上げることもできるという前提の下、普段は扱っていない干物を探す。
といってもすぐに見つかるものではない。北のダズールから入ってくるタコがあるのだが、種類が違うので南のタリーファ産と比べるとどうしても味が落ちる。鱈も北のものは痩せていて、水で戻したところで食べる部分が少ないことを街の者もよく知っている。
すると、珍しく干したキノコを扱う露店があった。
元々、マルゲリットの北に広がる森は黒トリュフの産地である。地中にできる黒トリュフは毒がない上、独特の香りからニセミノはすぐに判別できるので好んで取引されているが、とても高価である。もちろん、陰干しなどで乾燥させてしまうと香りが落ちて偽物扱いされるので日持ちもしない。
つまり、トリュフはエヴァンの求める干物にはならないのだが、他のキノコなら商品としての可能性があるということだ。
しかし、キノコに関する知識が相当ないと、毒キノコを見分けるのは難しい。
だから、この街でもキノコを嫌って食べない人が多く、この店でもほとんどのキノコが売れていない。
「やあ、おはよう。干しキノコか……売れ行きはどうだい?」
見てわかるほど売れていないのを知りつつ、エヴァンは声をかける。
店主もただの冷やかしだろうと思ったのか、不機嫌そうに肩肘をついて目を吊り上げるようにして言葉を返してくる。
「ああ、見ての通りさ。この街じゃ、キノコは売れないものなのかねぇ……」
「毒キノコの見分け方を知らない人が多いからね……かく言うわたしもその一人だよ」
エヴァンも少し残念そうに話す。毒の有無を簡単に見分けられるなら、同じ干物として売るにはいい商材になる。
「ここにあるのは全てオレが採ってきたキノコを干したものばかりなんだが、中には干すことで毒がなくなるキノコもある。それに味も濃くなって、戻し汁はとても美味しいんだ……」
エヴァンは干しキノコの屋台の主人を見て、昔の自分たちのことを思い出す。
まだマルゲリットの街に鱈を干したモノでさえ入荷することがほとんどなかった頃、エヴァンとパメラはこの街にやってきた。
当然、調理法も知られていない商品だから、地元で一般的なレシピで作った料理を試食に出し、その旨さを教えて広めた。
地味な活動をコツコツと続けることで、だんだん干し鱈も売れるようになったのだがキノコでそれをする者がいない。だから売れないのだ。ならば、売れるようにすれば良いだけだ。
エヴァンは干した貝柱を使った調理を食べた、あの店のことを思い出す。
ーーあの店の亭主……シュウなら何か知っているのではないか?
そう考えたとき、エヴァンは三種類の干しキノコを両手にいっぱい買って歩きだしていた。
「毎度ありぃ!」
後ろから声が聞こえてくるのだが、既に後ろを振り向く余裕はない。エヴァンはとにかく東通りの店へと急いだ。
結局エヴァンは西通りを殆ど見ることもなく、東通りに戻りシュウとクリスの店――朝めし屋の前で開店を待っていた。
「クォーンカーン……クォーンカーン……」
朝二つの鐘が鳴ると、引き戸を開きクリスが暖簾を店先に掛けると、並んで待つ客に向かって頭を下げる。
「おはようございます、開店しますね」
クリスは全員に向けてそう声を掛けると、今度は階段をあがってくる客一人ひとりに声を掛ける。馴染みの客には冗談の一つも交わし、はじめて来た客にはカウンターの奥から順に席に着くよう案内していく。
行列の最後になったのはエヴァンだ。両手に一杯の袋を持って、立っている。
「エヴァンさん、お久しぶりですね。どうぞ、カウンターの一番手前にお掛けください」
「ああ、ところでこのキノコの料理方法とか知っていたら、シュウさんから教えてもらえないかな?」
「キノコ……ですか?」
エヴァンが恐る恐る尋ねたところろ、クリスは少し怪訝そうな目でエヴァンを見る。
商品としてこの店で売るものではないので、押し付けられても困るという意味なのだが、エヴァンにもそんな気は毛頭無い。
「ああ、試しに買ってみたのだが、うちの主流商品って干鱈じゃないか。秋になると品薄になってくるので、この時期の商品に少し仕入れてみようかと思ったんだが、この街の人達はキノコの食べ方を知らないだろう?」
クリスもキノコについてはいつも客から「毒はないのか?」などと尋ねられるので、この街の人達がキノコをあまり好まないことを知っている。だが、日本の料理店ではキノコは一般的で、天然物などはとくに珍重される傾向があることも知っていて、興味が湧いてくる。
「ええ、じゃあシュウさんに聞いてみるとして、まずは中へどうぞ」
「うん、よろしく頼むよ」
シュウに使い方の相談ができるとなって、胸を撫で下ろしながら店の中へと進んだ。
エヴァンにしては初めてのカウンター席である。
いつも、マルコについて店に来ていたのだから仕方がない。
だが、始めてのカウンター席というのは何か臨場感のようなものがある。
これが劇場であればカウンターの向こう側はステージであり、その奥にある厨房はオーケストラのようなものなのかも知れないが、そのような劇場に行ったことがないエヴァンは少し興奮気味であった。
「本日もようこそお越しくださいました。メニューなのですが、この収穫祭の期間は『魚朝食』のみの取り扱いになっています。どうしても他の料理が良いというお客様はいらっしゃいますか?」
カウンターの向こう側に立ち、クリスが尋ねるが誰も手を上げることがない。
毎度のことであるが、朝一番から並ぶ客は魚朝食を目当てに来ている者が多いのだ。
「今日の『魚朝食』は『ニギス』の一夜干しです」
クリスの一言に一瞬、店の中がざわつく。
誰も知らない魚だからだ。
「そっ、それはどんな魚なんだ?」
体格の大きな男が尋ねると、クリスは何かを思い出すように宙を見る。
ニギスは漢字では「似鱚」と書く。見た目には「鱚」に似た魚だが、違う種類であるがそんな説明をしてもここの客は理解できないだろう。
「大きさはこれくらいね」
クリスは両手の親指の先をあわせ、人差し指を立ててその幅で大きさを示そうとする。
「目が大きくて、下顎が突き出しているのが特徴かな? 野趣あふれる味……地魚って感じのする美味しいお魚です」
そこでクリスにとっては運良くエヴァンと目があった。
タリーファの出身で干物店を開くエヴァンの意見を聞けば、皆も納得するだろう。
「干物の専門家として他になにかある?」
クリスがエヴァンに尋ねると、エヴァンも仕方ないとばかりに両手を上げて説明する。
干したキノコの使い方を教わるのだから、これくらいの情報はその代償として提供するべきだと彼も考えた。
「ニギスは身が柔らかく、普通なら一夜干しにしても二日程度で食べないといけないほど足が早い魚です。
干してから日が経つと匂いも強くなりますし、干しすぎると固くなりますが……この店なら大丈夫でしょう。目利きがしっかりしていますからね、うちでも仕入れたいくらいです」
エヴァンは最後に苦笑いを加え、このニギスがクォーレル商会が扱っていないことを示す。
さすがに二日しか日持ちしない商品を扱っていないと他の客も理解するだろうが、あとで買いに来られても困るので念押しの意味を込めていた。
「あと、今日の汁物は野菜たっぷりの『豚肉』と『鶏卵』入りのお味噌汁です。おたのしみに」
そこまで説明すると、厨房に向けて声を掛ける。
「カウンター席、全員『魚朝食』いただきました」
「あいよっ」
いつもの掛け合いが聞こえる。
クリスがお茶を配り始めると、あとからシャルがおしぼりを持って歩く。
最後におしぼりを受け取ったのは行列の最後尾にいたエヴァンである。
「なぁ、クリスさん。さっきの干したキノコなんだが……」
「ごめんなさい、今はシュウさんの手が離せないから、余裕ができたら話してみるわ」
確かにカウンター越しに見える厨房の中では、大量のニギスの干物を焼くシュウの姿が見えるとともに、その焦げる匂いがふわりと漂ってきて胃袋を刺激する。
「ああ、そうだな。あの量を焼くのはさすがに大変そうだ……」
クリスが厨房に入っていく背中を見ながら、エヴァンは独り呟いた。
業務用のロースターというのは、大きく背の高いオーブントースターに蓋がなく、何段も網を入れて約ことができるように作られている。
もちろん、下火もつけることができるのだが、上火だけで焼けば遠赤外線効果が期待できるが、下火を使うとガスの力で焼くことになる。天然ガスは燃焼すると水蒸気を発生するので、表面がパリッと焼き上がらないというデメリットがある。
だから、シュウはまとまった注文が入っても上火だけで調理する。自分が食べて美味いと思える一番の状態で出したいというのがシュウの基本的な考え方なのだ。
ただ、業務用のロースターも結構大きいので、ニギスであれば同時に十六匹ずつくらいなら焼き上げることができる。
注文が入る前から一人あたり四匹の予定で焼いていたニギスは、カウンター席の半分までは一度目で料理を提供できることになる。
「とりあえず、四人前あがったよ」
「はーい」
クリスは事前に準備したスダチをニギスが乗った皿の上に並べていく。
それが終わればすぐに、味噌汁椀を用意して丁寧に味噌汁を装う。一人にひとつ、卵が入るように装う必要があるし、レードルが当たると黄身に傷つけてしまうかねないからだ。
――これはまだシャルには任せられないわ。
などと考えながら、四つの味噌汁椀を丸盆の上に載せると、シャルが白いごはんを装った飯茶碗を丁寧に丸盆に載せていく。
箸、木匙、フォークとナイフを並べたら、カウンター内との間に落とさないよう丁寧に並べる。
カウンター席では今か今かと待ちわびる子どものような顔をした男たちが配膳を待っていた。
残念ながら、今回は奥に座っている四人分だけなので、店の入口側に座っている男たちは残念そうに配られていく丸盆を見つめていた。
「頭や骨は少し硬いですけど食べられます。苦手な方は残してくださいね」
クリスが最後に注意事項を説明すると、また厨房へ入っていく。
次の四人分の丸盆を広げると、またせっせと準備を始めていくのがエヴァンから見える。
まとめて注文が入る形式になってしまっているぶん、どうしても仕事が集中するタイミングが重なってしまっていることがエヴァンにも見てわかった。
「おまたせなの。今日のお漬物なの」
カウンターに肘をついて厨房の中を見ていたエヴァンに、突然シャルが声をかける。
「ああ、ありがとう」
ニコリと天使のような笑顔を見せたシャルが去ると、目の前には小鉢が置かれている。中に盛られているのはべったら漬けと胡瓜のぬか漬け、白菜の浅漬である。
一巡目で料理が出てこなかったエヴァンは暇つぶしにまずべったら漬を摘み、口に入れる。
ふわりと広がる大根の香りと麹臭が鼻に抜けると、舌には甘味が広がる。ポリポリという音はするものの、そこまで硬い漬物ではない。
パメラが家で漬けるピクルスのように酸味が効いているわけでもないし、スパイスやハーブの香りがするわけでもない。だが、とても優しい味だ。
次に、胡瓜のぬか漬けを摘んで齧る。
パリパリとした食感とちょうどいい塩加減と酸味、そして乳酸発酵したぬか漬け特有の香りが鼻をくすぐる。
最後に試すのは白菜の浅漬だ。
同じように指で摘んで口に入れると、仄かな白菜の香りが広がり、塩味と旨味が口いっぱいに広がる。シャクシャクと音を立てて噛んでいると、その野菜の繊維からじゅわりじゅわりと汁が溢れ出してくる。
白菜の浅漬を口の中で繊維カスになるまで噛んだエヴァンはお茶を手に取り、ごくりと飲み込んだ。
「あがったよ」
「はーい」
厨房の中の声が聞こえ、しばらくするとエヴァンの『魚朝食』が運ばれてきた。
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