第41話 理(2)
九月の半ばとはいえ、日差しはとても強く、アスファルトで固められた路上はまだまだ暑い。
そこを、エメラルドグリーンの髪にキラキラと輝く金色の瞳をさらに輝かせ、神官服のような装いの少女が軽やかな足取りで歩いている。
地球の理りの中なら、根がない場所でも動けるとプテレアが言い張り、ならば試しにと四人は街に出たのだ。
そのプテレアのそばに、白い髪に青い瞳のクリスと銀灰色の髪にピンクの瞳のシャルが一緒にいると、何かのコスプレなのかと勘違いする人たちもいるようで、少しずつ人が集まってくる。
ここが裏なんばと言われる街で、関西ではコスプレイヤーやオタクと呼ばれる人たちが多く集まる
「なんか、本当に大丈夫みたいだな……」
「そうみたいね……」
クリスの耳元でシュウが安心したように言うと、クリスは少し残念そうに呟く。
シャルが来たことで二人きりの時間が減っているのに、プテレアまで参加してクリスはストレスが溜まりそうなのだろう。
「でもまぁ……この暑い時期にあの服装は辛いだろうから、また服を買いに行かないとな……」
「そうね……夕飯の準備はシュウさんに任せるから、わたしとシャル、プテレアの三人で行ってくるね。下着も買わなきゃいけないだろうし……」
物件探しは候補をいくつか見繕ってあり、次の日曜日に現地確認することになったので時間はできたのだが、自分の買い物ができないのが不満なのか、クリスは少し不機嫌そうな顔をする。
「ああ、わるいな……明日の仕入れもあるしな……」
シュウは数枚の一万円札を取り出してクリスに預ける。
「まぁ、プテレアが明日も日本にいるなら手伝ってもらいましょう。働かざる者食うべからずっていうんでしょ?」
クリスはニヤリとわるい顔をして、シャルの手を取ると、少し前を行くプテレアの手も握って、シュウとは違う方向へと歩いて行く。
「む、シュウはどうしたのじゃ?」
「シュウさんは明日のための仕入れとかいろいろね……わたしたちはプテレアの服を買いに行くよ!」
「日本の服を買うのか? 楽しみなのじゃ」
「お買いものーっ」
そんな会話を残し、人混みの中に消えて行く三人を見送るとシュウも駅に向かって歩き始めた。
シュウは少し離れた市場まで地下鉄で行くと、荷物用のカートを曳いて裏なんばの店に戻る。
特に大きな発泡スチロールの容器の中は、三十センチ近くある大きな真アジがたくさん入っている。
シュウはアジの鱗を落として稜鱗を削ぎ取ると、頭を落とし、腹を割いて内臓を棄てる。
ここでラップをすると冷蔵庫に仕舞うのだが、今夜のおかずになる三匹分は別の調理法で出すのでまな板の上に残す。
すると、シャルが先頭に立って、扉を開き、店に入ってくる。
「ただいまなのっ」
「ただいまぁ」
「帰ったのじゃ」
三者三様の挨拶をすると、シュウもそれに返す。
「おかえりっ」
とりあえずといった感じで三人は買ってきたものを置くために和室に向かうのだが、クリスやシャルまでなにか嬉しそうに紙袋を持って歩いていく。
その間にもシュウはアジを腹開きにすると、背骨と中骨を取って塩胡椒を振る。ゾロゾロと三人が戻ってくると、カウンターの椅子を下ろして並んで座る。
「それでどうだった?」
シュウがクリスを見て尋ねると、シュウはトレイにアジの開きを並べて、冷蔵庫に仕舞う。
その姿を見て何をしているのかとプテレアは覗き込んでいたのだが、夕食の下拵えは終わたようで、そこには何も残っていなかった。
「セールが終わると長袖の服ばかりで、まだ暑いのに着る服に困るわね。でも、数着は買い込んできたから今夜からは日本の服装で過ごしてもらえると思うわ」
「そりゃよかった。で、クリスとシャルも服を買ったのか?」
これはチャンスと買い物をしたことがバレたクリスとシャルは俯いて誤魔化そうとするが、シュウは別に気にもしていない。
「もうすぐ寒くなるからな……長袖もまたまとめて買いに行くか?」
その一言にキラリと目を輝かせ、三人は嬉しそうに声を上げる。
「やったー!」
「またお買い物なのっ!」
「フフフ」
喜び方も三者三様だ。
クリスは店と家の間の往復では退屈しているので、近場であっても買い物に出るというのはとても嬉しいようだ。
そして、まだ慣れていないが、日本の街に出るのが嬉しいシャルは、買い物が楽しい。
それなりの年を重ねたプテレアは何を考えているのかわからないが、異世界には無いものを色々と楽しもうと画策しているようにも見える。
「それで、プテレアは何かわかったことでもあるのか?」
シュウがプテレアに尋ねると、少し機嫌が悪そうにプテレアが話し出す。
「ぶらじゃというものを買ったのじゃが、妾の方が胸が小さかったのじゃ」
「いや、そういうことじゃなくてだな……」
想定外の感想が返ってきて、思わず言葉に困るシュウだが、クリスはそれに続けて話をする。
「わたしは小さい頃からファージンゲールやコルセットをしていたから、アンダーのサイズがなくて困ってるんだけどね」
「クリスはプロポーションがいいのお」
「いや、そういう話じゃなくて、
ようやく自分が尋ねていることについてプテレアに説明すると、少し考えたようにして、プテレアが話し始める。
「そうじゃな……まず、日本では普通の人間とほぼ変わらぬ。 魔法も使えんし、分体を作ることもできんのじゃ」
シュウが人数分の麦茶を入れて配ると、喉が渇いていたのかプテレアもすぐに口をつける。
「そして、こうして喉も乾くし、たぶん排泄も必要になるじゃろう……とはいえ、ずっと日本にいるわけではないなら、
シュウやクリスも素直には話を聞き、適度に相槌をうつ。
「あと、排泄ができるのじゃから、人と交わることもできるやもしれん。 今晩あたりどうじゃ? 試さぬか?」
さりげなく話が進んでいたので、シュウとクリスもあまり真剣には聞いていなかったのだが、今のはとんでもない発言なので、流石に二人で声を合わせる。
「お断りだ」
「ダメに決まってるでしょ!」
二人の力強い反対に一瞬たじろぐと、プテレアも少し寂しそうに呟く。
「長いこと生きておるのじゃが、親にもなってみたいのじゃ」
「絶対に子育てとかできないし、しないでしょ?」
「うーん……自信はないのじゃ……」
「じゃ、なしです」
完璧にクリスに却下されて少し項垂れるプテレアだが、魔法や魔術の類は日本では使えず、日本では外見などで似た種族に変換されるようだ。巨木の妖精であっても、日本に渡ってきた時は、人間と植木鉢の木として定着するのだろう。
「それで、気に入った服はあったのか?」
「うーん、それは家でファッションショーでもして確認してもらおっか?」
「はーいなのっ」
「恥ずかしいけど、それでいいのじゃ……」
シュウは最後にプテレアに尋ねると、クリスとシャルも家に帰ってからのお楽しみだと言い出す。
正直、晩御飯の準備もあるし、今ここで見せられるのも困ったのでちょうどよかったといえば、そのとおりだ。
「ところでプテレア、日本で過ごす気はあるか?」
「恐ろしく発展した街に妾もすごく興味があるのじゃ。 シュウが良いというなら、住んでみたいのじゃ」
「だったら、日本でも店をやってるから、その間は手伝ってくれ。 給料は払えないが、お手伝いということにして、お小遣いを渡すことにするから」
国籍と税金問題への対応だ。
「美味い飯と服が買える程度の小遣いがあるなら異存はないのじゃ」
「だったら、明日から働いてくれ。 服はクリスが着る制服で頼む」
「わかったのじゃ」
こうして、日本での営業にはプテレアが手伝いをすることになり、
寝る部屋についてはまだ苦労しそうだが、シュウとしては三人が仲良くしてくれればそれでいい。
「よろしくな、プテレア」
「よろしくね」
「よろしくなのっ!」
「う……うん、よろしくなのじゃ……」
少し恥ずかしそうに、そして嬉しそうにプテレアは頷く。
慣れるまでは苦労しそうだが、とても楽しく働けそうだとシュウとクリスは思うのだった。
それから数時間が経つと、クリスやシャル、プテレアも腹を空かせる。
「ねぇねぇ、お腹空いたの!」
「そうだな、そろそろ夕食にするか」
そういうと、シュウはご飯を炊く準備を始める。
明日の準備も兼ねて用意した洗い米を三合、土鍋に入れると、同量よりも少し多めの水を入れて火にかける。そして、冷蔵庫から背開きにしたアジを取り出して、再度塩をすると、常温に戻すようにラップしてカウンターの上に置いておく。
この後は手際よく料理が進んでいく。
野菜サラダができ、ポテサラができたと思うと、次はタルタルソースの準備ができる。
先程、背開きにしたアジは小麦粉、溶き卵、パン粉を付けるとフライヤーの中にダイブしていく。体長三十センチくらいのアジは身が厚く、その新鮮さは刺身でも食べられそうだ。
タイミングよくご飯も炊き上がると、巨大なアジフライがフライヤーから持ち上げられ、網の上にのせて油切りされている。
じゅぅじゅぅと表面のパン粉の熱で、空気中の水分が更に蒸発するかのような音を立てる中、網の下に油を落とす。
シュウは、最初に揚げたアジフライの半身を新鮮な葉野菜を中心としたサラダの上に乗せると、自家製のタルタルソースをこんもりと添える。ちょうど反対側にはポテトサラダをスプーンですくってのせると、先ずはシャルとプテレアに差し出す。
そしてクリスとシュウの皿には一匹ずつ盛りつけて運んでくる。
それを見ていたクリスははやくはやくとシュウを急かせていたが、我慢できずに自分でビアサーバーから琥珀色の生ビールを注いで、テーブルへ運ぶ。
今日のシャルには緑の瓶に入ったサイダーが用意され、グラスに注がれている。
「クリスよ、なんじゃそれは?」
「ビールっていうお酒よ。とっても美味しいの」
「わっ……妾の分も頼むのじゃ、淹れてくれぬか?」
クリスが立ち上がるよりも早く、シュウは琥珀色のビールを注ぐと、プテレアの前に差し出す。
それを受け取ったプテレアは、キラキラとした瞳でグラスの底から立ち上がる泡を見つめ、どんな飲み物かとワクワクと好奇心に溢れる表情をする。すると、もう口をつけてもいいかと尋ねるような表情をしてシュウの目を見つめ、両手を上げて指をコキュコキュと動かし、今にもグラスを持って飲みだしそうな雰囲気を見せる。
それを見たシュウは、呆れた顔をするがせっかくだからとグラスを持って声をあげる。
「プテレアの仲間入りに乾杯」
「カンパーイ」
「カンパイなのっ」
プテレアが持つグラスに三人がチンチンとグラスをあてて飲み始める。
一瞬何が始まったのかと焦るような顔をするプテレアだが、自分を歓迎してくれていることに気がつくと、まだ飲む前から顔を赤くして俯く。
「あっ……ありがとう……」
長い間生きてきた中で、初めて「仲間」として受け入れられたことにジワジワと喜びを感じつつ、プテレアも初めてのビールに口をつけた。
「サクッ」
クリスが大きなアジフライを箸で挟み、豪快に齧り付く。
小気味いいほど軽い音をたてるアジフライは、その音とともにアジの身から出る肉汁が舌の上に広がっていく。
塩と胡椒で下味がついているせいもあるが、揚げたてのアジフライにはウスターソースもタルタルソースも必要ないほど美味いものだ。だが、頭と尻尾を取っても二十センチ以上の大きさがあると、その美味さは更に跳ね上がる。
「ほふっはふっ……」
息をすることで舌の上の肉汁と身の熱を冷まそうと口に空気を含むように軽く吸い込む。新鮮なアジからは不快な臭いは一切せず、揚げ油と背の青い魚の香り、胡椒の香りがふんわりと鼻に抜ける。
でも熱いのですぐに息を吐き出すとまた吸い込む。
少し身に歯を立てるとまた熱い肉汁が飛び出してきて、息で冷ますというのをクリスは繰り返している。
ただ、噛み切ったところから肉汁をこぼすことがないよう、しっかりと噛んだところを上に向けて、動かさないようにしている。
「ふぁかなふぁらあっふいふぃっくひる……」
魚から熱い肉汁が……とでも言いたいのだろうが、父親に似ているのか、貴族らしくない食べ方をする。
「ああ、ガツガツと噛んでビールで流し込むと最高だな」
「舌をやけどしちゃうの……」
クリスが話す内容を理解したシュウは左手にビールグラスを持ったまま、右手でアジフライを持ち上げると、クリスのように噛り付いてみせる。
サクッ
シュウの口の中にもクリスと同じように、アジの肉汁が溢れ出すのだが、少し熱そうな表情をしつつも、アジフライを咀嚼してビールを流し込む。
シャルは心配そうにシュウを見て、まだ熱そうだと思ったのか、ポテトサラダに箸を伸ばしている。
「くはぁあ、うまいっ」
「本当にビールが美味しくなるわ」
シュウがつい大きな声をだすと、クリスもそれを追いかける。
それを聞いたシャルも早く食べたいのか、アジフライをじっと見つめ、悩んでいる。
「プテレアとシャルの分は最初に揚げたから、もう熱くないと思うぞ」
「ほんと? じゃ、食べてみるのっ」
そういうと、小さな口でかぷりとアジフライに齧り付く。
ほどよい温度まで冷めてはいても、アジの肉汁はしっかりと溢れ出すようで、びっくりしたように目を見開くと、その身の美味しさに声にならない音を出す。
「もぉぃふぃぃっ」
「うまいのじゃあ」
「ウスターソースやタルタルソースも使ってくれよ」
プテレアも同じように齧り付き、ビールを流し込むと、そのタルタルソースをつけてアジフライを齧る。
またビールで流し込むと、今度は黒い液体が入った瓶をシュウから受け取り、アジフライにかけて食べる。
「たるちゃるソースも、このうっちゅたーソースもうまいのじゃあ」
「ん? できあがってないか?」
「もう五杯目だからね……」
「おいおい、いつの間にそんなに飲んだんだ?」
シュウは慌ててビールグラスを取り上げると、中身を飲み干した。
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