第40話 理(1)

 昼二つの鐘が鳴ってから一時間ほどが過ぎた。

 異世界コアへ繋がった朝めし屋の前から大きな笑い声が響くと、ギャンギャンと笑い声の主に文句を言う声が聞こえてくる。


 そこにはシュウが呆然と立っていて、右手に小さな植木鉢を持っている。

 その隣にはシュウの左手をぎゅぅっと握った幼女が全裸で立っているのだが、その姿を見て大笑いしているクリスに幼女が文句を言っているのだ。


「こらっ! いいかげん、笑うでないと言うておるのじゃ」

「アハハッ……だっ……だって、まるっきり子どもに戻ってるじゃない」

「だから何度も言っておるじゃろうが。この植木鉢が小さいから、妾の分体も小さくなったのじゃ……」

「あれだけ格好良く姿を消したのにねー」


 ここぞとばかりにプテレアを弄るクリスは、幼い頃にグランパラガスの木の上で泣かされた時の仕返しでもしているつもりなのだろう。


「風邪引いちゃうの……」


 日本での営業時に自分が控えている奥の和室にタオルを取りにいっていたシャルが、今は八歳児くらいの大きさになったプテレアの身体に巻きつけている。


「こりゃまた住人が増えたってことか?」


 幼女化したプテレアを見て、クリスやシャルの国籍、シャルの学校のことなど色々とシュウは悩んでいたのだが、さらに悩みのタネが増えたことになる。

 いや、悩みの苗といったところか……。


「もっと大きな植木鉢を用意してくれれば、妾も先ほどくらいの大きさになることはできるのじゃ」

「植え替えるだけじゃダメなのかな?」

「それなりの苗の大きさでなければならぬのじゃ」

「そうなのっ!」


 シャルは大きな声で何かに気づいたように店を飛び出すと、どこからともなくブリキのバケツを持って帰ってきた。


「これ使うの!」

「おお! これなら大丈夫じゃ……」


 プテレアはまた大き目の苗木を手の中に作り出すと、ブリキのバケツに入れて、また姿を消した。


「分体って、いくつも作れるのかしら? もしそうなら便利だろうなぁ……」

「分体はいくつも作れるのじゃ。 ただ、意識の分割は難しいのじゃ……」


 プテレアの作業を見て、クリスが少し羨ましそうに呟くと、バケツの苗からクリスと同程度の身長サイズのプテレアがスルリと出てくる。

 今度は全裸ではなく、グランパラガスの下であった時と同じ服装をしている。


「街を守ると言う使命は契約じゃ。それをするための意識は残して、普段は意識の端に置いている雑念のようなものが、いま分体に入って話をしている妾なのじゃ」

「きちんとお仕事はしているってことね?」

「もちろんなのじゃ」


 えらいだろうと言わんばかりに薄い胸を張るプテレアだが、同身長ならクリスの方が圧倒的にスタイルがいい。


「ん? なにしてるの?」

「妾を褒めるのじゃ」

「お仕事をちゃんとする……褒めることではないですね……」

「もぅっ! クリスは意地悪なのじゃぁ」


 ぽかぽかと力を抜いてクリスの胸や肩を叩く姿をみると、千二百年以上の歳を重ねても外見に変わらぬ精神年齢のようでとても子どもっぽい。

 クリスにとっても、シャルにとてもいい遊び相手だ。






 わずかな時間とはいえ、シュウはプテレアが幼女の姿になったことでとても焦っていたが、元のサイズになったプテレアを見て安心したようだ。

 それでも最初は店に入れることを心配していたのだが、ブリキの植木鉢と一緒なら問題ないことを確認すると、おやつの準備を始めた。といっても近所で買ってきた洋菓子を冷蔵庫から出し、ふだんは客には出さないティーカップに紅茶を淹れているだけだ。


 そんなシュウとは別に、クリスとシャルは新居の条件を考えている。

 ただ二人にもそこまでの知識はないので、プテレアも一緒になってリンゴのマークのタブレットで賃貸情報のウェブサイトを見ては、こだわり条件の意味をシュウに尋ね、説明してもらっている感じだ。


「いまの家は、寝室が一つに食事室兼キッチンがある。これは、1DK。

 これに居間がつくと、1LDKになる。寝室が二つなら2LDKだ。

 まあ、オレとしては、風呂場やトイレの設備は今と同等がいいな」


 シュウが部屋数の説明をしたところで、風呂場の条件を言いながらおやつを並べていく。

 店の奥にある和室が現在の会議室だ。


「脱衣スペースはしっかり欲しいわ」

「お風呂は大きいのがいいの!」

「シャルはいつもクリスと一緒に入るからなぁ……」


 このような会話を始めると、今日この場で初めて朝めし屋の中に入ったプテレアは完全に蚊帳の外だ。

 ぶすっとした表情になって、だんだんと機嫌が悪くなる。


「みんなずるいのじゃ! 妾にも話がわかるようにするのじゃ!」

「まあまあ、プテレアもうちに行ければいいんだけどね……」

「どうしたのじゃ? 植木鉢があれば大丈夫じゃ」


 そういうと、プテレアは皿に盛られた洋菓子を手に取って齧り付く。

 バターの香りがする柔らかい生地は、ぐにゅりと下顎の力で変形する。上面に塗って固められた焦げ茶色のペーストがパキッと割れると、口の中にはカカオの香りが一気に広がる。表面で固まっていたチョコレートとは別に、口どけの良い柔らかなチョコレート、香りの強いチョコレートが重ねられていて、上顎にあたる部分だけでも十分に楽しめる。

 だが本命はバターの香りがする生地から溢れ出るチョコレートの風味のカスタードクリームだ。張ちきれた生地からチョコカスタードクリームがネットリと舌全体を覆ってしまうと、甘みとほのかな苦味が身体を突き抜ける。

 噛んで咀嚼すると、いくつものチョコの風味と、砂糖の甘味、カカオの苦味に加え脂肪の甘味や生地の塩気などが混ざり合い、一体となって攻め寄せてくる。


 プテレアは一瞬にしてとろけるような表情になり、ずっと咀嚼を続けていたが、少しずつ飲み込んでいくと、ほうとため息をつく。

 そのまま宙を見上げるように余韻に浸り、ふと我に帰る。


「はっ! なんじゃこれは?!  うまいと言う言葉だけでは表現し切れるものではないのじゃ! いったいなんなのじゃぁあ!」


 初めて食べるエクレアが本場パリのパティシエがプロデュースした逸品だったせいか、プテレアのテンションは最大級にあがる。


「えっと、エクレアなの……」

「妾はプテレアじゃ! プチレアとかエクレアとか、名前くらい一度で覚えるのじゃ!」


 プテレアが食べた洋菓子の名をシャルが教えようとしたのに、プテレアは勘違いしたようだ。


「違うの、これはエクレアなのっ」

「このお菓子の名前がエクレアなのよ」

「そっ……そうなのじゃな? 怒ってすまなかったのじゃ……」


 木の妖精であるプテレアは、火属性の力を持つシャルに声を荒げてしまったせいもあって、少し焦ったようだ。妙に腰が低い。

 そして、残ったエクレアにまた齧り付くと、至福のひと時を楽しむ。そしてムフッとかいう声を漏らしながらまたひとくち噛りついた。


 プテレアの手からエクレアがなくなり、ふと目を開いて視線を上げると、クリスはピンク色、シャルは白いエクレアに噛り付いていている。

 一目でその色の違いが味の違いであることを感じたプテレアは、また興味を惹かれ、声を出す。


「なんじゃ! 其方等のエクレアはまた違う味なのかっ?」

「そうよ? わたしはフランボワーズ」

「シャルはイチゴとマスカルポーネチーズなのっ」

「なんじゃと? そんなに種類があるというのか?」


 千二百年以上の齢を重ねたプテレアでも、異世界コアではこれほどの味は食べたことがない。だが、先ほどのような深い味わいを他にも楽しめるというのはとても興味を惹かれる。


「季節にもよるけど、七種類はあるみたいね」

「妾が食べた他に、六つの味があるというのじゃな?」

「そうなの」


 返事が終わる前に、シャルはエクレアに齧り付くと、ニッコリと笑顔を見せる。


「プテレアが食べたのは元々はシュウさんの分なんだからね……ちゃんとシュウさんにお礼を言わないとダメよ?」

「なにっ? 妾に貢物をするとは、惚れておるのか?」

「いや、それは絶対にないから」


 シュウが返事するよりも早くクリスが完全否定する。

 もちろん、木の妖精で少なくとも千二百年を超える齢を重ねているのだから、アラサーのシュウが相手にしようと考えることなどない。


「ああ、ないな……」


 恐らく冗談で言ったことにもかかわらず、クリスとシュウ本人にまで全否定されたプテレアはまた拗ねたような表情に戻り、プイと顔を背ける。

 ぷうと膨らんだ頰は、自分で言った言葉に照れているのか、クリスに対する嫉妬なのかはわからないが、ほんの少しだけ赤みをさしている。


「ところで、部屋の方なんだが、条件はどうする?」

「ここにメモしといたわ」


 シュウの質問に返すように、メモを取り出してクリスはシュウに渡す。

 文字はちゃんと日本語で書かれているのだが、いろいろと条件が並んでいる。


 ・ 間取りは1LDK以上

 ・ お風呂は自動給湯、追い焚きあり

 ・ 脱衣場があること

 ・ バス・トイレ別

 ・ 温水シャワートイレ付

 ・ フローリング

 ・ キッチン広め


 などと書かれている。

 この条件なら少し高そうな気もするのだが、二人の少女と暮らすのだから、最低限の設備でもあるのだろう。

 それを見てシュウは少し考えると、クリスに向かって話す。


「床暖房とかインターネットとかも条件として加えるのも悪くないぞ?」

「ああ、インターネットを忘れてたね……じゃ、それも追加で」

「じゃ、これで検索してみるか……」


 シュウは賃貸住宅の情報サイトで条件を入力し、送信する。

 家賃の上限も一応決めて、黙って検索条件に加えたので、クリスやシャルも気がついていない。


 数秒もしないうちにタブレット端末には間取り図のついた賃貸マンションの情報がパラパラと並んで表示される。

 実は今の家がある場所はそんなに治安が良い場所とは言えず、本当なら人気のある本町・北浜エリアなどが良いのだが、店が遠くなる。


 数件の部屋情報を見ると、シュウの手が止まった。


 シュウが見るリンゴのマークを使ったタブレット端末には、2LDKで月額が二十万円を軽く超えてしまうが、屋上テラスがついた部屋が表示されている。八十平米もあってとても広く、床暖房まで設置されていているが、立地場所を考えると安い部類に入るだろう。

 それでも予算オーバーだと言わんばかりにため息をつくと、同じ建物で屋上テラスのない部屋があるのを見つける。

 1LDKに四畳半程度の小部屋とウォークインクローゼットがついて、家賃は十四万程度だ。もちろん、風呂やトイレの設備、床暖房なども先ほどと同じなので、設備面については申し分ない。

 三人が暮らすことを考えると、ワンルームマンションを三部屋借りるよりは安くおさまるので、シュウとしてはこの物件までなら許容範囲といえる。


「なぁクリス、この部屋とかどうかな?」


 クリスは持っていたタブレットをシャルに渡してシュウに近づくと、シュウの持つタブレットの画面を覗き込む。

 外観はモダンな感じで、少し店から遠くなるが自転車や徒歩でも通えない距離ではない。

 バス、トイレ、キッチンなどの条件をクリアしているし、宅配ボックスもついているのがクリスには嬉しかった。


「いいじゃない! この部屋とか、同じマンションで他の部屋を見せてもらう?」

「いいお部屋なのっ! シャルも賛成なの!」


 クリスのタブレットを大事に抱えたシャルもシュウの開いている画面を覗き込むと、三人の意見が一致した。


「今週の日曜日はこの物件の現地確認に行くか?」

「もちろんオッケーよ」

「賛成なの」

「うむ、妾も行くのじゃ」


 さり気なく一緒に賛成したプテレアを、同じくらいのさり気なさでシュウとクリス、シャルがスルーする。


「まだ新しいマンションのようね」

「とってもきれいなの……」

「ああ、事故物件かと思わず心配になったが、これは昔の公団住宅ってやつみたいだな」


 今は独立行政法人になっているが、築五十年近い団地のリノベーションや、有名な建築家に新しい建物をデザインさせたものもあるそうで、あまりテレビを見ることがない人でもそCMで流れるフレーズは耳に残る。


「反対意見はないのじゃ……妾も行くのじゃ」


 シュウやクリスは華麗にスルーしたつもりでいたが、逆効果だったようだ。

 だが、常に植木鉢を持ち歩くというのも不便な話なので、クリスがここは牽制する。


「残念だけど、植木鉢を持ち歩くとか無理があるわ。プテレアを連れて行くというのは難しいの……」


 とても残念そうな口ぶりではあるのだが、少し離れた場所で座布団に座るプテレアの方を振り返って話すクリスの目元は心なしか笑っているようにも見える。

 その表情には全く現れていない感情も、プテレアは読み取ることができるはずだが、ツカツカとクリスの目の前に進むと、ニヤリと笑う。


「ここは其方……クリスが繋いだ地球とか日本とかいう場所なのであろう?」

「ええ、そうよ?」


 突然近くにやってきたプテレアに対して、心の準備ができていなかったクリスは少し驚き、プテレアの言葉を待つ。


「多少はコア異世界の街の理りも残っておるようじゃが、ここはその地球とかいう世界の理りでできておる。そして、この地球という世界の理りの中であれば、妾には根に繋がれている必要は無いようじゃ」

「ん? どういうことだ?」

「なんか、難しいお話なの……」

「ふむ、シュウやシャルにもわかるように話してやるから、もう少し甘いものを用意するのじゃ」


 エクレアの味を思い出したのか、ニヤニヤとした笑みを浮かべた少女は、ドッカと和室のテーブルを前に座り込んだ。

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