第21話 中華な晩ごはん(3)

 もしあの時、店の前を掃除していなかったら、恐らくシャルロットは助からなかっただろう。

 異世界コアには点滴も、経口補水液もないんだから……。


 クリスは幸せそうに肉団子の中華粥を食べるシャルロットを見つめ、元気になって本当によかったと思う。


 でも、何かが足りない。

 そうだ、クリスとシャルロットで作った、アート作品だ。


「ねぇ、シュウさんさっきの……」


 そこまで言ったところで、クリスは動きを止める。

 知らない間に厨房に戻っていたシュウが、極薄のグラスに発泡性がある琥珀色の液体を注いでいる。


 一昨日、父エドガルドが来た時に飲みすぎて昨日は使い物にならなかったクリスである。

 少しは反省したのだが、今日はもうアルコールが抜けた健康体であるし、クリスは日本酒はしばらく封印することにしているつもりだ。


「ああっ! ずるいっ!! あっ……」


 自分の分もと言いそうになったのだが、よく見ると、既に生ビールが注がれた極薄のグラスが一つ置いてある。

 それを見て言葉を失い、クリスは俯いてしまう。


「ずるいって何が?」


 少し意地悪な顔をして、シュウがやってきた。

 丸盆の上には、極薄のグラスに琥珀色の生ビールが注がれており、シュワシュワと泡を立てている。

 共に置かれているのは、大皿に焦げた面を上にして乗せられた円盤状のものだ。いや、一つひとつは小麦粉で作られた生地で包まれているのだが、それを繋ぎ合わせるように薄く広がった羽根が、大きなひとつの円盤状の食べものに見えるように擬態している。

 その円盤状の食べ物はまだ焼きたてで、横から見える透き通った生地には、その中で肉汁がジュワジュワと沸き立っているのが見える。


 これは、ひとくちでいくとヤバいやつだ


 クリスの脳内にアラートが鳴り響く。だが、それを熱いまま口の中に入れてみたいと思う感情も、肉汁に負けないほど湧き出してくる。

 そのクリスの感情を読み取ったかのように、冷静な声が響く。


「いただきます」


 ふとその円盤状の物体から目を上げると、シュウが両手をあわせて食事の前の感謝の言葉を述べている。

 クリスは慌てて手を合わせると、同じく感謝の言葉を口にする。


「いただきますっ!」





 クリスが戸惑っていると、シュウは最初にビールを口に流し込む。


 ゴクッゴクッゴクッ


 シュウの前に座っているとは言え、その嚥下する音はクリスにまで聞こえるほどに大きい。

 だが、そこで別の声が店内に響く。


「おかわりっ!」


 非常に水分が多い中華粥だが、肉団子が入り、鶏がらスープで煮てある分、味は濃い目に仕上がっている。

 他におかずになるものも必要ないので、一杯を食べる分にはじゅうぶんな時間が経っていた。


「あいよっ」


 シュウは肉団子の中華粥をよそうべく、厨房に戻っていく。


 こうなるとクリスも円盤状の物体には手を出しにくい。どうやって食べればいいかわからないからだ。

 仕方がないので、深皿に入ったサラダに手を伸ばす。


 サラダといっても、入っているのは細い茎に左右対になって葉のついた草で、先端だけ葉が三枚ついている。

 それがざく切りにされて、ほぐした鶏のササミと揚げた落花生、カシューナッツと共に胡麻和えにされているだけのようだ。


 クリスはその葉っぱとササミ、カシューナッツを器用に箸で摘まむと、口元に運んで香りを嗅ぐ。

 先日、リックに出していた鶏のササミと隠元豆の胡麻和えよりも胡麻の香りが強いが、和えられている草の匂いも相当だ。


「シャクッカリッシャクッシャッ……」


 クリスは口に入れて咀嚼する


「くさっ」


 最初に広がる風味はその草の香りで、それが口の中いっぱいに広がると、つい声に出てしまった。


 だが、噛みすすめるに従い、ドレッシングに加えられたニンニクの香りと、胡麻和えよりも強い胡麻の風味が混ざり、様子が変わる。

 ニンニクの香りが、その草の香りと胡麻の香りを繋ぎとめ、単調な三つの香りを、重厚な風味へと押し上げている。

 舌の上では、解されたササミの繊維質にラー油が混ざったピリ辛の胡麻ドレッシングが絡みついているのだが、その食感は柔らかい。そこに揚げたカシューナッツのカリッとした食感とナッツ特有の油の甘みがじんわりと滲みだしてくる。臭い草は、シャクシャクとした食感で、噛めば噛むほど臭い。だが、それがいい。


「おっ! パクチー食べられたか?」


 シュウが戻り、シャルロットに中華粥のおかわりを渡すと、クリスがパクチーサラダを食べているのを見て嬉しそうに尋ねる。


「ええ、臭いけどね……

 香りも味も重層的で、シュウさんの料理じゃないみたいだけど……これはこれで美味しいよ!」


 確かに、素材の味を引き出すことが多いシュウの料理には和食が多い。

 だが、いつも和食ばかり食べていると、違う香りや味付けを受け入れづらくなる。

 シュウは、どちらかというと中華よりは東南アジアな味付けにしたつもりだが、パクチーは中華では香菜シャンツァイとも呼ばれ、いろんな料理にも使われるので、慣れてほしいと思っていた。


「まぁ、いつもだと飽きるが、たまに食べると美味いよな。

 そしてこれもそろそろ……」


 シュウはバリバリと円盤状の物体の薄い羽根の部分を箸で割り、そこからクリスとシャルロットが包んだアート作品を取り出して口に放り込むと、ムシャムシャと咀嚼したあとにビールを流し込む。


 ゴクッゴクッ……


「プヮァァ!! やっぱ餃子にはビールだよな!」


 シュウはその餃子の羽根をバリバリと音を立てて割ると、きれいに三等分に分ける。


「こっ……これが餃子なのねっ!」


 クリスはテレビ番組などで餃子というものを数回見ていたが、いつも赤地にオレンジと緑色の縁取りがあって、真ん中に二つの漢字が入ったロゴがある楕円形の皿の上に、焼き目を上にして一列に並んだものばかり見てきており、羽根も全体が円盤状になるほどの大きさでついたものはなかった。


「ゴクリッ」


 クリスの細い首から涎を飲み込む音がすると、その白い指が箸を持って餃子へ延びる。

 シュウはクリスがエドガルドの娘であり、たまに何も考えずに行動することを思い出す。


「それ、肉汁注意な」


 だが、シュウの予想通り、クリスはその小さな口に餃子を入れると、半分くらいのところで噛み切ってしまう。


「パリパリッ」


 羽根が砕けるとても乾いた音と共に、熱い肉汁が溢れ出し、白いブラウスにドバドバと零れる。


「んんんっ!」

「なっ!すぐ脱げっ!火傷するぞっ!」


 クリスも少し熱を感じたのか、シュウに言われるままブラウスとキャミソールを重ねたまま脱ぐのだが、口はムシャムシャと動いている。

 心配そうにシュウがクリスの胸元を見る。


「だいじょうぶか?」


 白い糸で刺繍が入った真っ赤なブラジャーと谷間が出現するが、ブラジャーにまではまだ肉汁は染み込んおらず、クリスの美しく白い肌にまでも熱は伝わっていないようだ。クリスは口の中にあった餃子をゴクリと飲み込むと、やっと恥ずかしそうな顔をして、その胸を隠す。


「もうっ、エッチっ!」


 ひと言、そう言うとクリスは壁に掛けてあった業務用の簡易着物を持って、奥の和室へ走っていった。





 シュウはクリスが着ていたブラウスとキャミソールを拾うと、厨房で食器用洗剤をつける。


「まぁ、こうすればだいじょうぶだろう……」


 シュウはそう独りごちると、クリスの服を近くにあったムジシロの袋に入れる。

 すると、クリスが着替えてお手洗いから出てきた。


「ごめんなさい」


 クリスはまず最初に頭を下げた。

 着替えながらいろんなことを考えたのだろう。服をダメにしたかもしれないし、シュウに心配をかけた。

 シャルロットも驚かせたことだろう。

 ただ、餃子の汁を零しただけのことだが、何よりも父に似ている自分に気が付いたことで、出た言葉が謝罪になった。


 そのクリスに対し、あれこれ飾らず、シュウは気にしてないと返事をする。


「まあ、気にすんな。それもまたクリスなんだから」


 クリスはコクリと頷くと、またシャルロットの隣に座って、箸と共に置かれた食べかけの餃子を口に運ぶ。


「シャルもたべていいの?」


 シャルロットは目の前にある餃子にフォークを突き立てて、クリスとシュウに確認する。

 元々、シャルロットにも食べさせる気で作った餃子なので、シュウはコクリと頷くと、シャルロットに話しかける。


「もちろんだよ。

 シャルロットが作ってくれたんだから、シャルロットにも食べてほしい。

 ただ、一口で食べないとたいへんなことになるぞ」


 シャルロットは、パァッと花が開くかのように笑顔になると餃子をひとくちで頬張る。


「パリッシャクッシャクッ……」


 羽根の部分はパリパリと、肉だねに含まれたキャベツは火が通ってはいるもののまだ歯触りが残っており、シャクシャクと音をたてる。

 最初に噛んだ時に、肉だねに仕込んだ紹興酒と醤油、鶏がらスープと豚肉の肉汁、キャベツから出てきた水分が半透明の皮からあふれ出てきて、舌を包む。

 すると、口の中にはふんわりと大葉の風味が広がり、噛み続けると豚肉の脂の香りと胡麻油、紹興酒の風味が後から追いかけてくる。

 そして舌は豚肉の赤身と鶏がらスープからくるイノシン酸の旨味、豚の脂からくる甘み、キャベツの甘み、醤油からくるグルタミン酸の旨味を肉汁から感じ取り、脳に伝える。

 シャルロットの脳は、そのアミノ酸の相乗効果に加え、鼻から届く大葉の爽やかな香りの情報が加わると、それを「快楽」と感じ、もっと食べるようにと指示を発する。


「これもすっごく美味しいのっ!」


 シャルロットは次の餃子に手を伸ばし、フォークを突き立てる。


「うん、美味しいねっ!

 ビールにもよく合うしっ」


 クリスは先ほどのダメージから餃子の旨さによって解放されており、既にビールとの組み合わせを楽しんでいる。


「ジーッ」


 シャルロットはクリスの前にある琥珀色で泡を立てている飲み物にも興味をもつ。

 まだ十歳なら、初めて見るものに興味を抱くのは自然なことだ。


「これはお酒なの。シャルロットはまだ子どもだから、あと五年経つまで我慢してね」

「シャルには飲み物はないの?」


 シュウは無言で立ち上がると、冷蔵庫から黒い液体が入った壺のような形の瓶を取り出し、先端についていた金具のようなものを道具を使って取り外す。


「シュポッ……シュー……」


 空気が弾けるとても乾いた音がする瓶と、星印に文字が書かれた透明なグラスを持ってきて、シャルロットの前に置く。

 グラスには四角い氷が入っている。


「トットットットトトトト……」


 瓶からは空気と入れ替えに中身が注がれる音がすると、グラスからは違う音がする。


「シュワァァァアアアーッ」


 コーラを注いだグラスをシャルロットに渡し、シュウが尋ねる。


「シャルロットは自分のことを、シャルっていうんだね」

「うん、シュウお兄さんも、クリスお姉ちゃんも、シャルでいいの!」


 シャルは目の前に注がれたコーラが入ったコップを両手で持ち、そのピンクスピネルのようなきれいな瞳をキラキラと輝かせると、「飲んでいいの?」と尋ねるようにシュウを見つめる。

 特に言葉にだすわけでもなくシュウはただ軽く頷くのだが、シャルはコーラを喉に流し込む。


「コクッコクッコクッ……」


 初めて飲む炭酸飲料は、最初の二口まではとても舌にも刺激的で美味しいのだが、三口目くらいになると喉を焼くような刺激に変わる。

 シャルはそこでグラスを口から離すのだが、その喉の感覚が薄れると、またコーラを飲む。


「プハッ……甘くてシュワシュワして美味しいのっ!」


 シャルはコーラが気に入ったようで、餃子を食べてはコーラを飲むというルーティンを確立したようだ。

 ただ、相性はそこまで良くないのか、それぞれを楽しむように時間をかけて食べている。


 一方のクリスは、ビールを片手に餃子を楽しんでいたが、そろそろ別の料理にも意識が向いている。平皿に盛られた一皿だ。

 黒い調味液を纏い、油によって表面をテラテラと光らせている緑の野菜は茎の部分が空洞になっている。クリスも初めて見る野菜だ。

 二本ほど箸で摘まむと、いつものように少し観察する。

 輪切りにされた鷹の爪と、叩いて潰したニンニクが皿に残っており、目の前の野菜からもそのニンニクの香りが漂ってくる。他にも複雑な香りが含まれていて、正直食べてみないとわからない。


「シャクッシャキッシャクッシャクッ……」


 とても心地いい歯ごたえと音が楽しめる野菜だ。

 口の中にはニンニクの風味に加え、発酵した魚介類と落花生などの風味が広がり、舌の上ではまるで肉が入っているかのような旨味が広がる。刻んだ鷹の爪がピリリとしたアクセントを加えており、とてもビールに合う味だ。


「これも美味しっ!」


 クリスとシャル、ふたりが美味しそうに食べる姿を見て嬉しそうな笑顔を見せると、シュウも空心菜のXO醤炒めでビールを楽しむ。

 こうして、シュウとクリスの暮らしには一名加わり、とても明るく賑やかな生活に変わるのだった。


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