第19話 中華な晩ごはん(1)

 エドガルドが抱く日本への想いはとても強く、シャルロットを連れて行くと本格的に決まった後は、かなり駄々をこねた。

 その気持ちは充分にシュウに伝わっているし、クリスも理解しているのだが、エドガルドを日本に連れていくというのはあくまでも観光であって、シャルロットを連れていく目的とは異なる。

 シャルロットは日本で風呂に入るために行くだけで、今後も日本と異世界コアを往復するとは限らない。シュウが背負って連れて行くので、変な行動をすることも制限できる。だが、エドガルドはシュウが背負うわけにもいかないし、そんな光景は誰も見たくない。

 クリスとシュウの二人がかりで小一時間宥めると、エドガルドはクリスが使った空間魔法を使い、ようやく自室に帰っていった。

 そして今は中途半端な時間だ。日本では既に十時を過ぎていて、異世界コアでは十三時。

 明らかに「朝めし屋」として店を開く時間帯ではない。クリスも着物から普段着に着替えている。


 少し問題なのは、日本での営業で「臨時休業」の札を出さなかったことにある。

 クリス目当ての客が非常にたくさん押し掛ける店なので、突然の休業となると店の前で暴れだしている者がいないか心配になるのだ。

 そこで、シュウはそっと裏なんば側の引き戸をそっと開き、取っ手の上にある釘に「臨時休業」の札をかかげると、すぐに引き戸を閉めてカギをかける。

 誰かが並んでいたかどうかは見ていない。それを確認したところで、並んでいる人たちに理由を聞かれても答えようがない。


 さて、今日は臨時休業としたので一度、日本……日本橋(にっぽんばし)にあるシュウの自宅へ移動したいのだが、困ったことが起こっている。シャルロットが着る服がないのだ。

 シャルロットがいま着ている服は汚れ、ツギハギだらけ。靴も皮を巻いただけのもので穴が開いてしまっている。上流階級に属する者や制服などの特殊用途のモノを除き、多くの人々は手作りの服を着ているので、この年頃の子どもが着る服が簡単に手に入らない。

 今からネット通販で購入しても、届くのは早くても明日なので、それでは間に合わない。


「とりあえず、日本でシャルロットに着せる服を買ってくるよ」

「え? わたしが行く方がいいんじゃない?」


 シュウとしては悩ましいところだ。クリスに買いに行かせると、ゴスロリファッションとかメイド服を買ってきそうな気がして怖い。だが、シュウには十歳くらいの女児が着る普段着となると全然ピンとこない。


「うーん、身長は十歳では平均的な百三十五センチくらい。足のサイズはクリスと比べればわかるかな?」

「そうね、同じくらいだから二十三センチかな?」


 シュウとクリスは他に気を付けることは何があるかと互いに向き合い、腕を組んで考える。

 すると、クリスはピコーンと閃いたという顔をして、人差し指を立てる。


「あとは下着ね! やっぱりわたしが行くね!」

「あ……ああ……、そこのムジクロでいいぞ。」


 子ども用とは言え、下着はどこまで買いそろえるべきかとか、シュウにはまったく想像もできない。ここはクリスに任せるのが正解だろう。


「上はカットソーかTシャツ、下は長さ調整が必要ないものにしてくれ。靴下、下着と靴は任せる」

「ムジクロなら、一万円あれば足りると思う!」


 シュウが財布から一万円札をとりだして渡すと、店のカギを開けるとクリスが店から出て行く。運よく臨時休業の札を見て、客も帰っていたようなので、クリスが一人で出ても問題ない程度に静かだった。


「買い物をクリスに任せるなら、オレはオレができることするか……」


 シュウは独りごちると、まだ早い時間帯だが夕食の準備をはじめる。


 朝食に出したのは、シンプルな白がゆだ。

 疲れを取るためにクエン酸を摂取できるように梅干しを、塩分とミネラルを摂るために塩昆布を出すという、食べやすい構成にした。

 今はしっかり寝て、失った体力を取り戻す時間だが、そろそろ破壊された筋肉が修復され始めているはずだ。まだ慣れていない胃腸のためにもお粥であることは前提になるが、たんぱく質を補うことができる料理が望ましい。

 そして、子どもが好きな料理がいいはずだ。


 シュウはそのようなことを考えて、何を作るかを決める。


 冷蔵庫を開けると、鶏がらを取り出し、流水で残った血や色の悪い脂肪などを洗い流していく。

 そして寸胴鍋を用意し、洗った鶏がらと、白葱の葉の部分、生姜などを放り込むと火にかける。アクを丁寧に掬い取り、しばらくは付きっきりで煮込んでいく。アクが浮かなくなってきたら、そのまま弱火でスープを煮出す。

 このまま約三時間煮れば、しっかり濃厚な鶏ガラスープがとれる。


 とはいえ、お粥だけではシュウやクリスが物足りない。


 シュウは、また冷蔵庫を開けると豚ロース、豚バラなどを取り出し、包丁で叩きはじめる。


「トントントントン……」


 とてもよく切れる包丁で肉を叩いていくと、次はキャベツである。肉の半分程度の量をみじん切りにしていく。大葉やネギも同じようにみじん切りにすると、大きなボウルに入れる。

 塩と摺り下ろした生姜、醤油、ごま油、紹興酒を加えて練り上げ、ラップをして冷蔵庫に入れた。






「ただいまぁ」


 丁度いい頃合いでクリスが戻ってきた。

 クリスは少し疲れた表情をして荷物をテーブルに置くと、厨房から漂ってくるスープを煮込む匂いに反応する。

 そのまま厨房に入ってきて、鍋の蓋をとって中身を確認する。


「あれ?なんか匂うね! 何つくってるの?」

「ああ、鶏ガラスープだよ。鶏の骨でとる出汁ってところだな」


 クリスは『鶏』でとったスープのことを思い出す。似たような料理なのだろう。


「じゃ、そろそろ帰ってシャルロットをお風呂に入れようか。

 起こしてやって、着替えさせてくれないか?」

「うん」



 シャルロットは目覚めるとかなり元気になっていた。

 朝食後は何度か脚が痙攣を起こすこともあったが、二時間もすればそんなことも無くなっていた。

 脱水症状を起こしながらも走り続けたことで体温調節が難しくなっていたようだが、それも落ち着いている。


「わぁ、これは下着なの?」


 着替えを見ないように厨房に入っているシュウにまで驚きの声が聞こえてくる。

 異世界の農村で生まれ育ったシャルロットにはこれからの道中は驚くことしかないだろう。

 はじめて見る日本の服に驚き、その肌触りに驚く。

 着心地の良さに驚き、精度の高い真っ平らな鏡で自分の姿を見せられて更に驚く。

 その声はクリスの嬉しそうな声と共に、キャッキャッと店内に響いている。


「おまたせっ」


 クリスの声がするので、シュウが振り向くと恥ずかしそうにモジモジとしているシャルロットが立っている。

 仄かにピンク色を帯びた金灰色の髪に斜めにした黒い帽子を被り、文字とキャラクターが描かれた白の大きめTシャツを着て、ハイカットの黒いスニーカーを履いている。ピンクスピネルのようなきれいな瞳をしたとてもかわいい少女だ。


「かわいいぞ!」

「あっ……ありがとなの……」


 さて、シュウには店を出る前にシャルロットに話しておくことがある。

 今から行く、日本のことだ。


「シャルロット、だいじなお話をするから、ちゃんと聞くんだぞ」


 シャルロットはシュウの瞳を見つめて真剣に聞き、コクリと頷く。


「今から行くところは、オレの家だ。コア《異世界》ではなくて、地球という星の日本という場所にある。

 はじめて見るものばかりで驚くと思うけど、コア《異世界》の人たちには絶対に話しちゃダメだぞ」


 シュウはできるだけ簡潔に説明したのだが、シャルロットは実感もわかないままコクリとうなずく。


「とりあえず、背負っていくから、乗ってくれるかい?」


 シャルロットはコクリと頷くと、素直にシュウの背中に乗りかかる。

 まだ歩き回れるほどには、シャルロットの体力が戻っておらず、何かに驚いて逃げ出してしまうということも避けられるので、シャルロットをシュウが背負って歩いて帰るのだ。






 店を出たのは十五時。人通りの多い観光地になってきた裏なんばから、日本橋(にっぽんばし)駅方面に進み、黒門市場を横切った先にシュウの家がある。

 1DKの小さな部屋だが、バスとトイレは別になっていて意外に広い。


「ユハリシマス」


 テキパキと浴槽を洗うと、シュウは風呂を入れるためのスイッチを押す。

 ボタンを押すと女の人の声がして、シャルロットはそこに誰かいるのだろうと不思議そうに辺りを見回す。

 その姿を見て、クリスは自分が初めてこの部屋でお風呂に入った時のことを思い出してクスリと笑うと、シュウに話す。


「じゃ、湯張りが終ればお風呂に入るね」

「ああ、オレはその間に少し買い物してくるよ」


 そう言うと、シュウは部屋を出てカギをかける。

 二人が裸になって風呂に入るのだから、気をつかったのだろう。


「オフロガワキマシタ」


 しばらく経って軽快な音楽が鳴ると、湯張りが終ったことを伝える女性の声がする。

 少しウトウトしていたシャルロットは慌てて辺りを見回すが、そこには自分とクリスしかいない。


「さあ、お風呂が沸いたから入るよぉ!」


 クリスは楽しそうに声をあげ、シャルロットの服を剥ぎ取ると、洗濯機にポイッと投げ込み、自分も裸になる。

 シュウより身長が二十センチ程度低いクリスだが、シャルロットはそのクリスよりまた二十センチほど低い。

 クリスは小柄な方だが、コア《異世界》の年齢で十七歳だ。といっても一日は二十四時間、一年は三百六十日なので、生まれてから経過している日数からみると日本の十七歳と変わりがない。決して太っているわけではなく、とても綺麗な身体のラインをしている。まだ若くてプリッとした胸は、クリス自身の手のひらでは隠し切れないほどの大きさがあり、ウエストラインにはギュッと絞るようについた筋肉が薄い脂肪の中に隠れ、丸いヒップへとつながっていく。

 一方、シャルロットはご想像のとおりツルペタである。明らかに痩せすぎで肋骨は少し浮いているし、服で見えなかった二の腕、大腿のあたりは少ない筋肉がはっきりと形を表すほどに脂肪がない。当然、腹筋やお尻にもほとんど脂肪がない。クワシオルコル病(栄養失調によりたんぱく質が不足して体液が胃袋に逆流することでお腹がぽっこりと出る病気)になっていても不思議ではないレベルだ。また、脚の筋力は外側を多用してきたようで、少しO脚気味に見えるが、根本的に肉がついていないのでどの程度かを確認することができない。


 クリスはシャルロットの髪を二度洗いして、コンディショナーを使う。

 シャルロットは初めて髪と頭皮を洗われることに最初は怖がっていたが、頭皮を優しくマッサージされると気持ちよくなり、クリスにすべてを任せるように力が抜けていく。

 コンディショナーが終ると、自分がクリスの匂いに包まれていることに気が付いて、フガフガと自分の髪を匂いを嗅ぎ、ご機嫌だ。

 クリスも髪を洗い、コンディショナーを済ませると、次は身体を洗っていく。

 クリスはスポンジにボディシャンプーをとると、フカフカに泡立てる。その泡を優しく身体に乗せていくように洗っていく。身体を洗いながらシャルロットに傷や火傷の痕がないことを確認するが、どこにもなかったことで少し安心した。


「ふーっ」


 最初はシャルロットも恐る恐るという感じなのだが、一度浴槽で肩まで浸かると、とても気持ち良さそうに声を出す。


「気持ちいいねー

 でも、シャルロットは無口だね……緊張してるの?」

「ちっ……違うの……「の」のクセがとれないの……」


 クリスは侯爵家の娘なので、身分差を考えて緊張してしまったのかと心配していたが、なんともかわいい理由を聞くと、なぁんだという感じで言葉を返す。


「あはは、かわいいからいいじゃない!」

「そう……なの?」

「うん、お顔もすごくかわいいし、うちの看板娘にぴったりよ」


 楽しい入浴時間を終えて、身体を拭くと服を着てくつろぐ。

 なぜかそのタイミングを待っていたかのように、シュウが戻ってきた。


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