第8話 鶏ササミの胡麻和え
「らっしゃい」
「いらっしゃいませぇ、おはようございます」
シュウとクリスが店の入り口を見ると、そこにいるのはリックである。
全身を清めてきたのか、今日は髪をオールバックにして、汚れのない服を着ている。
クリスもあまりにもキレイなので、一瞬誰なのかわからなかった。
お風呂にでも入ったかのようなサッパリ感が漂っており、「リック清潔バージョン」という感じだ。
「よお、おはよう」
リックは少し考えるように立ち止まり、そして昨日と同じ、カウンターの中央に座る。
昨日までとは違い、知らない客がカウンターの端やテーブル席に座っているのを見て、リックもすこし安心するのだが、クリスは知らない人を見るかのように、リックに接している。
「思ったより遅かったですね」
そういうと、クリスは熱々のおしぼりを渡す。
嬉しそうに受け取るリックは、まずは手を拭き始める。そして、昨日と同様に顔を拭くのだ。せっかく清潔にしてきたリックが顔を拭くのは、気持ちよさを求めてのことなのだろう。
「ああ、やはり疲れていたからか、寝過ごしたよ……」
とても残念そうな顔をしてリックは言うのだが、早朝から気合をいれて身体を清め、服もきれいにしてやってきたことがよくわかる。リックとしては、クリスとお近づきになるために、できる限りのおしゃれをしてきたつもりなのだ。
だが、クリスから見ると水浴びをしてきて時間がかかったという風にしか見えていない。
これが現実だ。
「門兵として頑張ったんですものね、しかたないですよね。
で、今日は何にします?」
「ああ、昨日の『豚肉』が美味かったので、今日も同じにしようと思うのだが……」
クリスが注文を尋ねてくると、リックは顎をなでながら考えるフリをする。ここに来るまでに考えていたが、結局は昨日と同様におすすめ料理にするつもりだ。
「今日は『鶏肉』とかどうですか? ササミを使っていて美味しいですよ」
クリスは、この街の男たちが鶏肉が硬いというイメージを持っていることに対し、少し不満をもっている。
日本でも親鳥と呼ばれる鶏肉は硬いものだが、とても美味しいスープがとれるし、旨味が濃い。一方、若鶏であれはとても柔らかくて食べやすいし、短期間で育って食材に変わる……お金になる。だから、ほとんどの店が若鶏を使い、柔らかくて淡白な肉をより美味しく食べられるよう、工夫を凝らしている。
だが、
クリスとしては、若鶏を美味しく食べられるようにシュウが工夫しているのを知ってほしいと思っていて、先入観を払拭するためにも、なんとか口にしてもらえる機会をつくりたいのだ。
「クリスのオススメならそれにしようか」
リックは下心満載の笑顔でクリスに注文する。
クリスは営業用の笑顔で頷くと、シュウに注文を伝える。正直、下心の壮大さではクリスの勝利である。日本の営業で鍛えられており、そのあたりの扱いはクリスが何枚も上なのだ。
「鶏朝食、承りました!」
「あいよっ」
クリスは注文を通すと、厨房に入ってお茶と漬物の用意をし、リックに差し出す。
するとようやく落ち着いたのか、マルコ達が立ち上がる。タイミングを見計らってくれるところは大人な対応だ。
「ごちそうさまでした」
「いえいえ、お代はおひとり五十ルダールずつお願いします」
クリスが代金を言うと、マルコが銅貨を2枚だしてクリスに渡す。
「また明日くるよ」
「あ……明日は七日に一回の休みの日なんです。明後日お待ちしておりますね」
その言葉にマルコは凍り付いたような顔をし、がっくりと肩を落とす。
「そんなぁ……明日はどこで朝食をとればいいんだ……」
そう呟くマルコだが、後ろからやってきたウォーレスがバンバンとマルコの背中を叩くと
「だったら、宿でとればいいよ」
と元も子もないことを言うと、お腹の肉でマルコを店の外へと追い立てる。
あははとアランやデヴィットの笑い声が響くと、クリスは慌てて店の前に進み、改めて一人ずつお礼を言っていく。
「ありがとうございました」
丁寧に頭を下げるクリスに、四人はまた来ると告げると街の雑踏へと姿を隠していった。
「なあ、クリス」
カウンターに戻ると、リックがクリスに声をかけてくる。
「どうしました?」
「箸ってどう持つんだっけ?」
わざとらしい男である。
「昨日は上手に使ってたじゃないですか」
「すまない、なんかしっくりこないんだ」
リックの隣席は誰もいないが、その隣に別のお客さんがいて「たまご朝食」を食べているので邪魔するわけにもいかない。しかたがないので、クリスはカウンターの正面に移動すると、箸を持って見せる。
「こうやって右手の人差し指と親指、中指で一本を持ってから、もう一本を中指と薬指の間に掛けるようにして持つんですよ」
「んー」
わからないフリをして、クリスにまた右横に来てもらおうという魂胆だ。
真面目で純真なクリスにはそんなリックの思惑は伝わらず、ただ箸の使い方を教えようとしてしまうのだが、昨日のように後ろに回り込むと他のお客さんに迷惑がかかる。
「あがったよ」
「はーい」
タイミングよくシュウがリックの料理ができたと声をかける。
クリスが後ろを向くと、丸盆に炊き立てのごはん、なめこと豆腐の味噌汁、鶏料理が乗っている。そっと丸盆を持ち上げて、リックの前に配膳すると、お代わり用のお櫃の準備に入る。
「ん? これは……」
非常にヌメヌメとした汁を浮かべるキノコがスープに浮かんでいる。
リックは小さな頃はマルゲリットから離れた山村に住んでいて、いろんなキノコを食べて育った。
たまにキノコが原因で命を失う者もいたので、毒があるキノコ、毒のないキノコについては十分な知識があるつもりだ。だが、この店が扱うキノコは、リックの知らないキノコだった。
「クリス、このキノコは?」
「それは『なめこ』っていう名前のキノコですよぉ」
顔をあげると、そこには黄色いキノコを一株もったシュウがニコニコと笑っている。
「あのなめこを煮ると、茶色くなって、透明なトロトロの汁がでてくるんです」
「はじめて見るキノコだけど、だいじょうぶなのか?」
心配そうに見上げるリックだが、クリスはニコニコと笑顔で答える。
「だいじょうぶですよ。もう何人も食べていただいてますし、わたしも大好きなキノコですから」
女性にとって、なめこは水溶性植物繊維が多く含まれており、とてもありがたい食べ物である。
また、パントテン酸やコンドロイチンを含んでおり、身体にとてもいい。
「でも、安全なキノコに似た毒キノコもあるからなぁ」
「そこもだいじょうぶですよ。森から取ってきたキノコじゃありませんから」
軽く説明すると、フイッと自分の仕事に戻るクリスだが、リックは、自分が森で取ってきたキノコじゃないなら、どこで取ってきたのか、どういうキノコなのかが非常に気になってしまう。
「木くずを入れた壺の中で作るんですよ。そうすれば、偽モノができることもないし、安心でしょう?」
シュウはそう説明すると、なめこの一株全体を見せ、底の部分がギュウギュウに詰まっていることを見せる。
確かに壺の口から生えていたような形がついている。リックは壺から生えていたような形をしていることに驚き、本当に壺で作られたのかと少し信じそうになる。
だが、二十四年も生きてきた中で、壺のなかでキノコを作るなど聞いたこともなく、やはり簡単に信じられるものではない。ただ、他の客も食べていると聞いたので安心できるものだと思い込むことにした。
恐る恐るという感じではあるが、スープに木匙を入れ、昨日教わった豆腐というものと共に、キノコとスープを掬って口に入れる。
昨日のスープと同様、魚の香りがするが、木椀の中には魚の姿はない。豆腐という、大豆をすり潰して作った食べ物が柔らかく、仄かに大豆の風味が口の中に広がる。また、なめこというキノコの繊維質がジャクジャクと歯に触る分、食感の対比のようなものを楽しめる。そして、肝心のぬめりは、チュルンといった独特の触感を感じることができて楽しい。
気が付くと、キノコのぬめりを楽しんでいる自分がいて、リックは、最初は毒があるのではないかと心配していた自分が恥ずかしくなった。
さて、主菜である鶏肉は土を焼いて作った鉢に盛り付けられている。
その身はとても柔らかそうに解されていて、緑の鞘に入った豆と共に胡麻入りのタレで混ぜ込まれている。普通の胡麻では置いてあるだけでは香りが届くことはないが、お盆の上に置かれた状態でも十分にその香りが届いてくるのは驚きだ。胡麻というのはこんなにも香りがよいものだったのだろうかとリックは思う。
その香りに誘われるようにリックは箸を伸ばし、胡麻まみれの鶏の肉と緑の鞘を摘まむ。
鼻先まで持ってくると、その緑のものが隠元豆であることがわかる。両端を落として塩茹でしてあるので、間違いなく中まで火がとおった状態だ。
鶏の身は、指で解すときに身が潰れたあとがあり、そこまで柔らかく仕上げられているのかと期待感があがる。
そして、この胡麻の香りである。どうすればここまで香り良く作ることができるのかと思う和え汁には、赤い油も混ぜ込まれており、ところどころで溜まった状態になっているのが見える。
ゴクッ
胡麻の香りに刺激され、口の中によだれが溜まる。
それをごくりと飲み込むと、リックは鶏肉と隠元豆を口に入れて咀嚼をはじめた。
豆類の香りがプンと通り抜けると、そのあとから香ばしい胡麻の香りが一気に広がる。軽くアルコールの香りもするが、それよりも胡麻の香りが強い。
頬張った肉を咀嚼すると、鶏の身はホロホロと崩れる。
胡麻のタレは香りがすばらしく強いのだが、そこにはスープとは違う魚の旨味と醤油の風味、酒精を失ったアルコールが混ざった味がする。そして、砂糖など入っていないにも関わらず、仄かに甘い。胡麻がもつすべての生命力を集めたような甘さと香りが広がると、突然ピリリッと辛さが襲ってきて、胡麻がもつ甘みの世界から、自分を引き戻してくれる。
だが、驚きはその胡麻のタレを受け止める鶏肉にもある。
鶏肉だけを箸で取り分けて食べる。昆布の出汁と酒、塩を入れた煮汁で茹で上げられたと思われるその身はふんわりと解されており、胡麻のタレをその繊維質な肉の中に取り込んでしまう。鶏のササミという淡白な食材の旨味は、煮汁でじゅうぶんに引き出されているのだが、残った臭みやもの足りない香りを加え、食欲につなぐのが胡麻ダレの役割なのだろう。そして、そのままの味であれば飽きてしまうものを、唐辛子の辛みを吸った油が入ることで、引き締められている。
「う……うまいっ!」
思わず、ごはんを木匙で掬い、口に放りこむ。
ごはんのもつ香りが、口の中に残った胡麻の香りをふんわりと立ち上げると、咀嚼とともに甘みになってすっと消えていく。
一息つくべく、味噌の入ったスープを掬って口に入れると、今度はちゅるんとしたキノコのぬめりと、ジャクジャクとした噛み応え、味噌の塩気で甘さが強調された豆腐が柔らかく、やさしく舌を包み、休ませてくれる。
そうすると、リックは鶏肉の入った皿に箸を向け、今度は隠元豆をつまんで口に入れる。
隠元豆は鞘に入ったままの状態なのだが、鞘も豆も柔らかい。柔らかすぎないよう、食感を残した絶妙なタイミングで取り出され、冷水で冷やされたのだろう。これ以上柔らかいとグニャグニャになるという茹で加減である。
この胡麻ダレは隠元豆にも非常によく合うようで、隠元豆が本来もつ味を何倍にも膨らませている。だが、鶏の身とは性質が異なるので、違う形で素材の良さを引き出していることがわかる。
「こりゃ、魔法のタレだな……」
そう一人ごちると、リックはクリスのことをいったん忘れ、本気で朝食を楽しむことにした。
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