過去の代償 9


「ぇ…と…なんで?」 


「…わかるよ。みんな、机の方気にしてたから」



え…それだけで…?



「ほら」



そう言って、差し出してくれた右手は、痛々しいくらいに包帯が巻かれていて、

見ている方が、ズキッとしてしまうほど、血が滲んでいた。



「でも…」



そんな手…掴めないよ…



「事務所のお姉さんが、大袈裟に巻いただけだから。それに、愛を引っ張るのに、そんな力必要ねぇよ」



オレは、そっと右手に触れた…瞬間、グイッと力強く、藍の手に引き寄せられて外に出ると、そのまま藍の胸の中に収まる形になった。


…安心する。


まるでここが、オレの指定席みたい。

やっぱり…離れたくない。


それに…この匂いも大好き…



「…愛?どした?」



大好きな藍の匂いに混ざって、微かに知らない匂いが混ざってる…


フローラル系の香水?



「…女性の匂いがする」


「…っ!…話…聞いてた?」


「聞いてました!」



ていうか、聞こえちゃったんだけど。



「妬いてんの?」

  

 

なっ…!これだからイケメンは!



「や…妬いてなんかないし…」



その時、頭に浮かんだひとつの疑問をぶつけてみた。



「もしオレが、藍のためだって言って、誰かに身体を売ったら、どうする?」


「オレのためだって言うなら、愛の事は

責められねぇよ。ただ…」



一旦、言葉を切ると、包帯が巻かれた右手を上に突き上げ、



「これで、そいつの記憶を消してやる」



声のトーンが違うし、もしもの話だから。



「そんな手で?」


「ちょうど良いハンデじゃね?」


 

プックックッ



可笑しくなって、思わず笑ってしまった。


藍は強いな…。

精神的にも…


オレ…良いのかな。一緒に居ても。



「やっと笑った」


 

え…っ?



「オレと別れるとか…もう考えるな」



そう囁いて、オレを抱きしめてくれた。

耳に藍の熱い吐息がかかって、意識が飛びそうになる…。



「おーい。オレ達の事、忘れてませんか?」


「あっ…あぁぁぁぁっ!!ごめんなさい!」



オレは、慌てて藍の胸を押して正面を向いた。

しかも、父さんの存在も忘れるなんて!

もう少しで、意識がお花畑に行くところだった。


ナイスタイミングです。葵さん…!

   


「ちょっといいかな?」

 


ひえぇっ!父さん、ごめんなさい!



父さんは立ち上がると、オレ達の前まで来て、藍を見上げた。


藍を見ると、前髪で表情まではわからない。

睨んでないよね?

 


「君に、社会人の先輩として、ひとつ忠告しておきたい」


「…はい」



父さん?何か怒ってる?


父さんから、叱られた記憶が無いオレは、胸がざわついた。



「恋人と別れたぐらいで、仕事が出来なくなるようでは、社会人失格だ。 プライベートの事は、おくびにも出さずに、与えられた仕事を遂行しなければ、誰も、君に任せてはくれなくなるぞ」


「…わかりました。心に刻んでおきます」



えぇぇぇ?


何か落ち着かなくて、父さんと藍を交互に見た。

なんだろ?この感じ…。ざわざわする。



「それと…ひとりの息子を持つ父親としても言っておきたいことがある」



まだ何か…?



「…愛を…選んでくれて、ありがとう。

これからも、よろしく頼みたい」



ぇ…?


と…父さん?



「…頼まれてくれるかな?」


「…はい!ありがとうございます!」



勢い良く頭を下げた藍。


ぇ…ぇ…っ? ぅ…嘘…?!

ホントに?ホント?!



「…父さん…」


「…これじゃまるで、娘を嫁に出す父親みたいだな」


と、柔らかい笑顔をオレにくれた。



「それから…紫津_、藍君…て、呼んでいいかな?」


「…っ!…はい!」



えっ?


葵さんを見ると、かなり驚いている。

そりゃそうだよね。

当の本人の父さんは、その有り難みも分からず、当然のような顔をしている。

オレも分からなかったけど…ヘヘッ


れ?父さん?


その父さんが、藍に向かって手を伸ばしている。



「少し、長くないか?」



父さんの指が、藍の前髪をかき上げ、露わになった藍の瞳。


ぇ…っ?藍…?


藍の頬は、薄っすら紅くなって、その瞳は、潤んでいるようにも見える。


ぁ…っ…やばい…

何か分からないけど、とにかく、やばい!



「だ…ダメだよ!藍は、モデルさんなんだから、やたらと切れないの!それに」


藍の腕に絡みつくと、父さんを見据えた。



「藍の前髪をかき上げる仕草が、大好きなんだから」



そう言い放って藍を見上げると、

あれ?

薄っすらだったのが、完全に赤くなってる。


…なんで?…どうした?


しかも、片方の手で口許を隠してしまった。


父さんは、そんな、自分より高い藍の頭をポンポンとして、葵さんの方に振り返ると


「時間を取らせて悪かったね。今後の事を話さなくてはいけないだろ?」


「そうですね。紫津木の顔が爆発する前に始めますか?」


と、笑いを押し殺してる。


どういう事?


一条さんを見ると、穏やかに笑顔を浮かべて、やり取りを眺めていた。


分かってないのオレだけ?

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