05.胸を借りてあげますよ

「メアリーのパパとママはグールに食べられました」


 ――え?


「た、食べられた?」


 一瞬、聞き間違いかとも思ったのだが、オウム返しした俺に黙って頷くとメアリーは話を続けた。


「メアリーのうちは代々、異能の洗礼を受けてノーム族の守護を仰せつかる家系の一つでした。なので、皆が移住を開始する時も、パパとママは最後まで残って皆の護衛に当たっていたのです」

「う、ん……」

「ですが、最後のグループの移動中、ついにグールの襲撃を受け、二人は皆を守るために残って戦いました。メアリーも一緒に残り、治癒の力で援護をしました」

「……お前も、一緒にいたのか?」

「はい。でも結局、力及ばず、パパもママもグールに捕まって食べられました。食べられながら、二人はメアリーに早く逃げろと言いました。なので、メアリーは急いでここに戻って、強化結界を張りました」


 ――と言うことは、メアリーの両親は、メアリーの目の前で殺されたってことか!?


 まるで他人事のように淡々と語るメアリーに、声を掛けるタイミングを失う。

 メアリーの見た光景を必死で想像しようとしたが、あまりにも常軌を逸していて上手くいかない。

 年端も行かぬ少女にとって、あまりにも苛烈な体験だ。


「わ、悪い。辛いことを思い出させちまって」

「気にする必要はありません。ノームにとって生の終わりは再生の始まり。パパとママの魂も少しの間だけ天国でお休みをして、いずれまた、何処いずこかの赤子の魂として地上に復活するのです。だから、メアリーも――」


 悲しくはないのです、と言って俺を見上げ、にっこりと微笑むメアリー。


 ――そうは言っても……。


 そうは言っても、天寿を全うするのと、非業の最期を遂げるのとでは全然意味合いも違うだろう。

 それに、現代日本にも輪廻転生のような考え方はあったが、だからと言って死別が悲しいことに変わりはない。


 その証拠に――。


 メアリーの、大きな瞳の藍が、微かに潤んでいる。

 やっぱり、あたりまえだけど、メアリーだって辛くないはずがない。

 無意識のうちに、小さな金色の蝉髪せんぱつを抱き寄せようと手を伸ばすと、メアリーが驚いたように仰け反り、


「な、何をするんですかっ! 急に髪なんか触って!」

「いや、何ってわけじゃないけど……泣きたい時は泣いてもいいんだぞ?」

「全然悲しくないって言ってるじゃないですか! 余計な気遣いは無用ですよ!」

「だっておまえ……ちょっと泣いてるじゃん」

「泣いてませんよ! これは目汁めじるです。涙ではありません」

「あのさ……子供がそんな、無理するもんじゃないって。泣きたい時に泣いておかないと、後できっと後悔するぞ? 俺の胸でよければ貸すから」

「子ども扱いしないでください! 無理なんてしてないって何度も言ってるじゃないですか! みんなの身代わりとなったパパとママの事を誇りに思いこそすれ、悲しむことなどないのです」

「そう? 本当にそうなら、何も言わないけど……」


 束の間の沈黙――。


 その間、俺はふと、祖母が亡くなった時のことを思い出していた。

 俺が小さい頃は、遊びに行くたびに『つむぎは良い子だ良い子だ』と言って、頭を撫でてくれるような優しい祖母だった。


 さすがに、中学生にもなるとそれも照れ臭くなり、そんな祖母の手を払いのけてあまり傍にも近寄らなくなって……。

 そんな時の、『紬も大きくなったねぇ』なんて言いながら、少し寂しそうに笑う祖母の顔が、今でも頭にこびりついている。


 風邪から肺炎を併発させて亡くなったと聞いた時はしばらく呆然とした。

 でも、人前で泣くのは格好悪いような気がして、葬式ではずっと涙をこらえていた。


 そして今、俺はとても後悔している。

 大好きだった祖母のために、なぜちゃんと悲しんであげられなかったのか、と。

 祖母を送り出した自分のためにも、気持ちの整理をつける涙があの時必要だったのだと、今さらながらに思う。



「せっかくですので……」


 ――ん?


 不意に聞こえたメアリーの声に、祖母の笑顔が掻き消される。


「せっかくですので、胸を借りてあげますよ」

「……へ?」

「へ、じゃないですよ! 今、貸してくれるって言ったじゃないですか! もう忘れたんですか? アホですか? ツムリはカタツムリの生まれ変わりですか!?」

「い、いや、覚えてる覚えてる! 貸すよ」


 どうぞ!と両手を広げると、安座した膝の上に移動して、俺の胸に顔をうずめるメアリー。


 だんだんと、上下に動く肩の動きが激しくなっていく。

 それと共に、少しずつ大きくなってゆく嗚咽。


「エッ……エッ……」


 胸元が、メアリーの涙と鼻水で冷んやりとしていくのが分かる。

 でも、そんなことはまったく気にならなかった。


 そう、今は泣いておけ。

 一日でも早く心から笑えるように、今はきちんと気持ちの整理をつけておくんだ。


 メアリーが泣いている間ずっと、俺は彼女の頭を撫で続けた。


               ◇


 かれこれ一時間くらいは経っただろうか。

 足がしびれ……を通り越して、なんだか感覚がない。

 ここまで長くなるとは思ってなかった。


 リリスも、途中で待ちくたびれて可憐かれんの膝の上で寝てしまった。

 その可憐もまた、ウトウトと船を漕いでいる。


 嗚咽が止んでからさらに五分後、ようやく、メアリーが俺の胸から顔を離す。

 ポケットから取り出したハンカチで、涙を拭いて鼻をかむ彼女を見ながら、


 ――やっと、終わったか。


 安堵の吐息を漏らすと、ハンカチをしまい、再び俺の胸に顔をうずめるメアリー。


 ――ええっ! まだ続くのぉ!?


 しかし、今度は数分で顔を上げ……俺の膝から下りると、低位置――俺と可憐の間に戻って座り直す。

 気のせいか、憑き物が落ちたような柔らかな表情に変わった気がする。


「ちょっとはスッキリしたか?」

「はい? メアリーはもともとスッキリメアリーでしたよ」

「そう? 泣いて、ちょっとは気持ちも軽くなったかと思ってさ」

「泣いてはいませんよ。ちょっと目汁が出ただけです」

「そっか……目汁か……」


 俺たちの話し声に気付いたのか、ウトウトしていた可憐も目を開ける。

 こんな状況でも話を急がず、メアリーが落ち着くまで黙って待つ可憐も、肝が据わっているというか落ち着いているというか……やっぱり凄いな、こいつ。


「狭いな。荷物をどかせば、そっちも座れるだろう」


 そう言って腰を浮かせた可憐の腕を、メアリーが慌てて掴むと、


「カリンの場所はそこでいいんです! 座ってて下さい!」

「ん? そう? メアリーがいいなら、別に構わないが……」


 再び腰を下ろす可憐。


「メアリーも、泣いてる間にいろいろ考えたんですよ」

「やっぱ泣いてたんじゃん」

「…………」


 ゆっくりと両手を伸ばしてテーブルの上のカップを持ち上げると、冷たくなったお茶を一口啜るメアリー。カップを戻し、再び口を開く。


「メアリーも、目汁を拭いている間、いろいろ考えたんですよ」


 ――言い直した!?


「数えてみたら、パパとママが死んでから今日でちょうど四十九日目でした」

「ちょうど?」

「はい。ノームの間では、死後四十九日目に、死者の魂はこの世から天国へ旅立つとされているのです」


 ――四十九日? この世界にも中陰の概念が!?

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