08.紅来の盾

洞窟犬ケイブドッグ……ランクはほし3。一匹ずつなら相手にできるけど……」


 最後は言葉をにごす。

 しかし、紅来くくるが言いたいことは俺にも分かった。


 魔物の数が、多過ぎるんだ!


 薄暗がりの中、時を移さず川を飛び越えてくる新たな魔影。

 今度は二匹。

 一匹は紅来へ、そしてもう一匹は――。


 俺かっ!?


 犬に全速力で突進されるなんて、生まれて初めての経験だ。

 通常の犬なら、速い犬種でも時速四、五十キロ程度だと思うけど、こいつらは一体どれくらいのスピードなんだ?


 一瞬、そんな疑問も頭をぎったが、それを知って最適解を導き出せるほど戦い慣れてはいないし、選択肢も多くない。

 突進してくるケイブドッグに対して思いっきり六尺棍を振り下ろす。

 ほぼ、脊髄反射。


 ――外れた?


 目の前にいたはずの魔犬が消え、地面を叩いた六尺棍が乾いた音を響かせた。

 次の瞬間、左足首に走る鋭い痛み。


いたっ!」


 ――噛み付かれた!


つむぎくん!」


 声の方へ視線を向ければ、レイピアを振り回して猛アピール中のリリス。


 ――分かってる。

 あのキルパンサーを歯牙にもかけなかったこいつなら、こんな中型犬くらい造作もなく蹴散らしてくれるだろう。


 しかし。


 ★3が群れを成して出てくるということは、オアラ洞穴の危険度Fという判定も、もはや当てにならない。

 ケイブドッグ以上に厄介な魔物が出てきたらどうする?

 場当たり的に戦闘メイドを出していたら、すぐジリ貧になるんじゃないか?


 リリスに指示を出す踏ん切りがつけられないまま、六尺棍で俺の足首に噛み付いているケイブドッグを殴打する。


 二発! 三発!


 だが、足首に食い込んだ牙は容易に離れそうにない。 

 今度は、思いっきり六尺棍を突き降ろす。


 ギャインッ!と苦しそうな叫びを上げて、ケイブドッグが俺の足首から顎を外す。

 無我夢中の攻撃だったが、六尺棍の先端が魔犬を地面に押さえ付けるように、その浮き出た肋骨あばらにめり込んでいる。


 それでもなお、ガチガチと牙を打ち鳴らしながら、激しくもがく黒い影。


 ――ここで離したらまた噛まれる!


 恐怖心から、夢中で六尺棍に全体重を乗せると、ブシュリ、と果物を潰すような耳障りな音。そして――。

 鈍い手応え。

 魔犬の脇腹にめり込んだ六尺棍の先端から、いちごジャムのような、どろりとした鮮血が飛び散った。


 ――貫通した!?


 鋭利な刃物でもあるまいし、まさか皮膚を突き破るとは思わなかったが……。


 ――とりあえず結果オーライ!


 すかさず、ケイブドッグを先端に引っ掛けたまま六尺棍を振り回す。

 スッと手応えが軽くなり、黒い塊が弧を描いて向こう岸に飛んで行くのが見えた。

 落下する肉塊を避けるようにパッと散開する、無数の光る眼。


「紅来――っ!!」


 すぐに振り返った視線の先で――。


 最初の一匹とは別に倒したものだろう。

 紅来の足元に転がる二匹分の屍骸。


 俺が一匹を相手にしている間に、群れに近い位置で立ち回っていた彼女は、より多くの敵対心ヘイトを集めていたのだ。


「なぁに――? 呼んだぁ――?」


 あまり緊張感を感じさせない、いつも通りの紅来の声。

 編み下ろしの赤毛を躍らせて、さらにもう一匹を斬り伏せる。


 だが、しかし――。


 同時に飛びかかっていた一匹が、ついに紅来の左肩に鋭い牙を突き立てた。

 気を取られた紅来の隙を突いて、さらに両足首に喰らいつく二匹の魔犬。

 魔犬たちの波状攻撃に、しもの紅来もついに転倒する。


「こんのやろぉ――っ!」


 俺も急いで駆け寄り、彼女の右足首に噛み付いていたケイブドッグを思いっきり六尺棍でっ叩いた。


 今度は動かない標的だ。

 先端が魔犬の顔面にめり込んで――。


 堪らず口を離したケイブドッグが、潰れた片目から血を流しながらギャイインッ!と呪わしげにえる。

 後退するそいつへ向かって大きく踏み込み、さらに一閃。


 ――また、空振り!


 力が入って大振りになってしまった。


 流れる視界のはじで、さらにもう一匹。

 紅来の左足に喰らい付いていたケイブドッグが、ターゲットを俺に切り替えて飛び掛ってくるのが見えた。

 しかし、体軸が流れているためまともに構えることができない。


 くっそ! 当たれぇっ!


 体勢を崩しながら一回転。

 背後にいるはずのケイブドッグを少しでも威嚇しようと、闇雲に六尺棍をフルスイングしただけだったが――。


 直後、グシャッ、と肋骨あばらを砕いたような音と共に、俺の両腕を震わせる今日一番の手応え。

 奇跡のクリーンヒットに弾き返されたケイブドッグが、水飛沫みずしぶきを上げて落水するのを確認してから振り返る。


「紅来っ!」


 見れば紅来も、肩に噛み付いていた魔犬の首を掻き切ったところだった。


「大丈夫か?」と手を差し伸べながら、絶句する。


 全身に、返り血をまだらまとった紅来が、俺の手を掴んで立ち上がる。

 いや、両足首と左肩に滲んだ赤は、返り血ではなく咬創から滲み出た彼女の血だ。


「うん、ありがと」

「……お礼なんて」


 そう、お礼なんて言われる道理はない。

 最前線フロントラインで多くのヘイトを集めていたのは紅来の方だ。


 ――俺だって。


 俺だって、自分なりに精一杯やっていた?


 ――違う。


 紅来の盾の後ろにいながら、俺は決断を躊躇した。

 先の見えない遭難生活で力の温存を考えることは、サバイバルのセオリーからすれば確かに重要かもしれない。


 でもそれは、今そこにある危機のために傷を負う女の子と天秤にかけてまで優先するべきことじゃない。


 ――俺がもっと早く、決断していれば。


 痛々しい紅来の姿を見ながらほぞを噛む。


「紬の方こそ、大丈夫? 足」

「……!」


 俺なんかよりはるかに深手の自分をさて置き、俺の足首を心配そうに見つめる紅来。俺も返事をしようとしたが、言葉が喉に詰まって上手く出てこない。


 彼女の肩越しに、新手のケイブドッグが川を飛び越えてくるのが見えた。

 二、三……四匹。


 ――いや、五匹か!?


 迎え撃つためにダガーを構え直した紅来の肩を掴み、入れ替わるように前へ出た俺を、驚いた表情で見上げる紅来。


「つ、紬?」


 迫り来る魔犬に向かって六尺棍を構えながら、俺はれいを下す。


「行け! リリス!」

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