第32話 恋人同士の攻防戦

「ディタ! あんたジーク様と恋仲になったってのは本当かい?! 」


 新年を迎えてからすでに二十日、すでに正月ムードはなく、ごく普通の生活に戻りつつあった。この世界にきてからもうすぐ一年。あと一ヶ月もすれば、脳内年齢は三十一歳になる。


「恋仲って、まあ……そんなとこかな」


 工房に飛び込んできたミモザの勢いに、私は新作のエッセンシャルオイルを溢しそうになる。

 今は男性物のミント系のクールな物を作っていた。


「あんなに拒否してたのに、また何で?! 」


 まさかキスされてムラムラとその気になりました……なんて言えない。


「まあ……ジークの押しに負けて、付き合うくらいならいいかなって。もしかして、恋愛禁止だった? 」


 ここは娼館。私は知らなかったけど、そういう縛りがあってもおかしくない。買われた身だから、そんな自由はないのかもしれない。


「まあ、そうだね。表向きはそうなってるけど、彼氏が上流貴族なら話しは別。ほら、彼女の為にたんまり金貨を落としてくれるからさ」


 それでは、上流以上の王子であるジークも特別ってことかしら?


「あんた……まさか、愛妾に召し上げられるってことは……? 」

「ないない。恋愛と結婚は別よ。それに、私は自分で自由を勝ち取るんだから。ジークとは対等に接したいの。私を国庫のお金で買い取ったら、私はジークの奴隷と同じでしょ。そんなのごめんだわ」た


 ミモザは、ホッと息を吐き出した。

 自分の為に娼館の売上アップに貢献しているとはいえ、今まで横這いだった売上が、この一年で三倍を越えたのだから、ディタを手離すのは辛いのだろう。


「あんた、王子と対等って……」


 ミモザは心底呆れた様子で、壁際に置いてあった椅子に腰かけた。


「ところで、何でミモザが私達のこと知っているの? 」


 よっぽどのことがなければ館から出ることのできないから、デートはもっぱらこの部屋だ。たまに館の裏庭を散策することもあるが、人の目もあるから極力さけている。

 毎日、ほんの数分でもジークはやってきては、私をハグして甘いキスを落として帰っていく。

 それこそ一日とか一緒に過ごせることはなく、王子業は忙しいんだなと思う。

 どうせなら、詰めて詰めて仕事をして、会えた時はもう少し時間を取りたい……なんて、私もすっかりジークを好きだということを認めざるを得ない。

 まあ、残念エロロリコン王子という肩書きは変わるものではないけど。


「そう! それだよ!! 」

「どれよ? 」

「瓦版にあんたと王子の恋愛がのったんだよ」


 瓦版って、新聞のようなものだろうか?


「瓦版って? 」

「街のいたるところにある板だよ。時事ネタやおふれなんかが貼り出されるんだけど、今回は街中にばらまかれたんだ。こんなの、第二王子の結婚が決まった時以来だよ」


 ミモザは一枚の紙を差し出した。

 一定階級以下は字が読めない国民も多いから、日に三度瓦版のところで役人が読み上げられるらしいんだけど、それとは別に貴族階級や上流平民にはこの紙が回ってきたようだ。


「……何これ? 」


 個人情報とかは皆無だ。私の所属(娼館の名前まで! )や生い立ち、髪の色から目の色、見た目の描写(かなり盛られていると思うが)まで事細かに書いてあった。

 ジークがどれだけ私に思い入れているか、私の境遇から一緒になれない悲恋扱いで盛り上げて次号進展あるか……と〆ていた。


 イヤイヤイヤイヤ……。

 進展って何?

 しかも次号って連載決定なの?!


 読んでいると、リーク先は用意に想像できた。

 残念エロロリコン王子だ!


 自分の恋愛を大っぴらに公表するってどうなのよ?!


「ここに書いてあるのは……」

「八割盛ってあるわよ」

「八割……三いや二割は本当なんだね」


 はい、良くできました……って、暗算を誉めている場合じゃない!


「ジーク王子がきたらすぐに呼んで! ってか、どうすれば王子って呼び出せるの? 」

「あんた、大概に不敬だね」


 この日、珍しくジークは館に現れなかった。


 ★★★


 一日たって、私の怒りは……収まっていなかった。

 しかし瓦版効果か、ミモザの館は大盛況で、全ての部屋が朝まで客足が絶えなかった。姉様方はグッタリと朝を迎え、皆が私のことを聞かれたわよと、恨めしそうに言っては朝飯もそこそこに仮眠についた。


 貴族達は皆瓦版の真実を確かめ、毎日ジークが私の元を訪れていると聞くと、我先にミモザに私の身請けを願ったらしい。

 大金貨の詰まった袋を持参してきた貴族もいたようだが、ジークにした約束をかさに、全て断ったそうだ。ならばと、私の御披露目の時の入札に参加させてくれと、沢山の貴族が手を挙げた。

 半年私を保護することで、いまくいけば養女に、ダメでも王子に恩が売れると考えたのだろう。


 朝食を終えると、私はダンスのレッスン(社交ダンスみたいなものだが、これだけはどうしても可がとれなかった)に、カシスは私が提案した暗算教室に向かった。

 娼婦達も暗算ができた方がお代の取り忘れもないだろうと、公○式のような方法を取り入れたのだ。


 私のダンスの先生はミシャがかってでてくれた。多少スパルタな気があるが、教え方は抜群に上手い。


「足踏まない! 」

「ごめん」


 ミシャと組んで踊ること三十分。よろけてミシャの足を踏んだのは三回。最初に比べれば格段の進化だが、踏まれたミシャからしたら、三回に減ったねと喜んではくれない。


「いい、男性のエスコートに合わせるの。足運びは簡単なんたから、後は相手の呼吸を見て、身体で感じるの」


 そうは言われても、右右左とか決まった方向に動く訳でも、フォークダンスみたいに動き自体決まってる訳でもないから、腰に回された腕の力加減で回る方向を察しろとか無理過ぎる。


「お嬢さん、今度は僕がお相手しましょう」


 大広間で練習していたのだが、知らない間にジークが見学していたようで、立ち止まったタイミングで手を差し出してきた。


「王子様?! 」


 ミシャは驚く程の身のこなしで飛び退ると、淑女の礼をとった。


「代わってもらってもかまわないかな? 」

「勿論でござーます。いくらでもお好きに! 」


 ミシャ……言葉がおかしくなってる。


 ジークは笑って私の手を取ると、もう片方の手で私の肩に手を回した。身長差があり過ぎて、腰に手が回らなかったようだ。


「昨日は何でこなかったのよ」

「待っててくれたの? 」

「待ってたわよ! お説教しようと思ってね」

「アハハハ、だからこれなかったんだよ。でも、会えなくてディタロスになったから、怒られる覚悟できたよ」


 私はわざと足を踏みつけた。


「じゃあ、やっぱりあなたなのね」

「ああ……もう一度言ってくれないか? 」

「何をよ? 」

「あ・な・た」


 ジークは私を足に乗せたまま、クルリと器用にターンを決めた。よろけた私の背中を支え、倒れそうな私を引き寄せる。


「バッカじゃないの! 」

「つれないなぁ。でも、そんなディタが好きだよ。可愛い。凄く魅力的だ」


 わざとか、私の耳元で囁き、抱き上げて踊り出した。落とされないようにジークにしがみつく。


「もっと抱きしめて」


 抱きしめてんのと違うから!


 いつの間にかミシャはいなくなり、広い大広間には私とジークだけになる。


 ジークは踊るのを止めて、私を見上げるようにして微笑むと、スルリと腕の力を弛めて、顔が同じ高さにくる位置まで下ろした。

 一瞬の自由落下に、私はジークの首にしがみつく。


「落とす訳ないでしょ。可愛いディタ」


 ギュッと瞑った瞼に、頬に、鼻先に、ジークは甘いキスを落としていく。唇に音をたててキスすると、ジークは最高の笑顔を浮かべた。


 ああ、もう!

 こんな甘いキスと笑顔は反則だ。怒ってなんかいられなくなるじゃないの。


 私は自分からジークに唇を寄せると、甘噛みよりもちょい強めに唇に噛みついた。


「あ、ディタに食べられた。僕も食べていい? 」

「ダメ」


 ジークはクスリと笑うと、身体を密着させたまま優しく私の唇を吸った。私もダメと言いつつ、ジークの唇の動きに合わせてハムハムとジークの唇を味わう。

 舌をからめ、唾液が混ざる音をさせながらしばらくキスを楽しんだ。


 これって、超私の理想なんだよね。Hすることなく、イチャイチャするの。勿論、男性的にはかなり残酷な行為であることは理解している。

 でも私は自分が子供であることを盾に、それには気がつかないフリをしていた。

 すでに行為は子供の域を飛び出し、三十路女のテクニックを駆使していたのだが。


「可愛いディタ、気持ちは鎮まった? 」

「ジークが私のことバラしたんでしょ」

「だって、周りの貴族達が結婚しろってうるさいだもの。だから、恋人がいるから無理って言ったら、根掘り葉掘り聞かれてさ」

「なんか、悲恋っぽくなってるんですけど」

「うーん。それは僕のせいじゃないよ。僕は幸せいっぱいで話したんだから」


 幸せいっぱい……ね。

 この残念エロロリコン王子は、が取れそうなくらい私に甘い言葉を沢山くれる。言葉も態度も本当に甘々だ。


「もうこれ以上話さないでね! 次号期待とかないから」

「うーん、でも僕は王子だからな。私生活ってのは存在しないんだけど。恋愛・結婚もね」

「私は一般市民なの! もう昨日からミモザの館は貴族で溢れかえってるのよ。私のことの問い合わせだったり、養女に欲しいだとか。私の御披露目に参加したいってのもウジャウジャ出てきたらしいわよ」

「えっ? 本当に?! 」

「もし、ジーク以外に高値で買われたらどうするつもりよ」


 さすがにジークは青くなる。


「わかったら、これ以上私のネタを売らないように」

「わかった……。可愛いディタ、僕はもう帰るよ」

「もう? 」


 ジークは名残惜しそうに私の唇に数回キスを落とし、私を床に下ろした。


「ああ、頑張って稼がないと! 」


 稼ぐって、王子のジークがどうやってお金を増やしているんだろう? まさか、自分の私有領地の税を上げたりしてないでしょうね?


 私がそれを指摘すると、ジークはとんでもないと首を横に振った。ジークの領地は、この国でも税が軽いのて有名なんだと言う。


 じゃあ、何をして?


 私の疑問に答えることなく、ジークはまた明日くると約束のキスを残して帰っていった。


 そういえば、ワグナーに師事してるって言ってなかったっけ?

 ワグナーって、貿易……してるんだっけ?

 つまりは、ジークもそういう関係の仕事をしているんだろうか?

 王子なのに?


 ひとえに私の為であるということを失念し、「頑張るなぁ」などと呑気なことを考えていた。

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