第73話 湯川さんとロッジ。

「中、結構広いですね!」

「……………。」

「湯川さん、湯川さん?」

呼びかけても呼びかけても、返事がない。

「……おーい!」

「わひゃい!?」

「湯川さん、さっきからずっとボーッとしてますけど、大丈夫ですか?」

俺は湯川さんが気になって覗き込む。


「なな、何でもありませんよ?広い部屋ですねー!」

湯川さんは部屋中を見回していく。

「こっちがキッチンで、ここはリビング、こっちがお風呂……………で、こっちが……………ベッド……ルーム……。」

バタンッと勢い良く扉を閉めると、湯川さんは背中を壁にピッタリくっつけて、壁伝いに歩く。

「あの………何もしませんから。」

俺は湯川さんに対する想いは全くないんだが……。 変に意識されると困るんだよなぁ……。


「取り敢えず、お茶でも入れますから、座ってて下さい!」

落ち着かない湯川さんを取り敢えず座らせて、お茶を入れる準備をする。

「お、お茶くらいなら私がやりますから!」

湯川さんは手伝おうとするが、俺はそれを止める。

「湯川さん。」

「は、はい!」

お互いに顔が見えない状態の会話。


「記憶喪失になる前の俺は、どうしてましたか?」

「え?」

「分からないんです。湯川さん姉妹にどう接したらいいのか……。天ヶ瀬さんにどう接したら正解なのか……。今までの事、二度も忘れてて、もう記憶が戻らないんじゃないかって……不安で不安で……。」

俺はずっと不安だった。

もう二度と記憶が戻らないんじゃないかって……。 徐に目を閉じると広がるのはただの暗闇。

先の見えない不安と恐怖に駆られ、毎日過ごしていた。


「実は安心してたんです、俺と部屋が一緒なのが湯川さんで。」 

「彊兵君……。」

俺はお茶を運び、リビングへ持って行く。

「結構しっかりした造りなんですね、このロッジ。」

俺はソファーに座ると誤魔化すかのようにロッジを見渡した。

でも、落ち着くんだよな、こういう場所。


「無理しなくていいんじゃないかしら。」

「え?」

「彊兵君は今まで、凄まじい経験をしてきたわ。でも、何かある度に必ず貴方は駆けつけて助けてくれた。 だから、今度は私が貴方を助けるわ。必ず思い出せる方法を探し出すから。」

湯川さんは俺が出したお茶をすすると

「何か髪の毛がギシギシになっちゃったわね。」

と髪の毛を触る。海に浸かったり、潮風に当たればなるからな。

「お風呂沸かしますので、ちょっと待ってて………………なんか、こんな事以前もありましたか?」

俺の頭の片隅にこびりついていた「それ」が剥がれ落ちるように、少しづつ思い出していく。

「どうかしましたか?」

湯川さんがおずおずと聞いてくる。


「刈谷は………?あの後会っていない……。刈谷は大丈夫か?! 刈谷ーーー!」

「しっかりして下さい、彊兵君!彊兵君!」

ーーーーーー。

ーーー。


「………よくある…………時間軸が…………大丈夫です……………。」

男の声がぼんやりと頭の中に響いてくる。

目を覚ますと、見た事のない部屋。

天井や壁が木で出来ていて、とても良い香りがする。


「あぁ…………ロッジの寝室か……。」

俺はどうやら倒れたらしい。情けない。こんな事ばかりだ。

「彊兵君?!目が覚めたのね、良かった!」

不意に誰かに抱きつかれる。あぁ、そうか。

「湯川さんですか……。」

「心配しましたよ!いきなり何かに取り憑かれたかのように錯乱して……。大丈夫ですか?」

取り憑かれた………錯乱………?俺が?

何かを忘れてる気がする………。


「俺は錯乱する前、何してましたか?」

「えと、お風呂のお湯を張りに行ってましたよ?」

お風呂………何だよ、何か忘れてる。思い出せない………。

「刈谷さんの名前を叫んでいましたよ。」

「刈谷?刈谷は今、家族と旅行中で海に行けないって……。」

「田崎さんは今、脳が記憶喪失中ですので、時間軸がズレたものを思い出してしまうことがあります。それがあたかも、今起こっているかのような状況に陥り、錯乱してしまったのでしょう。」

いきなり、脇から話し掛けてくる白衣を着た若い男性がそこにいた。


「……………誰?」

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