第50話 新たな日常 ……魔の誘い……

 サイラス剣闘士大会が終了して数日が過ぎた。今回の大会で一躍有名になったのは優勝者のリディアと準優勝者のカイ、二人の師弟だ。リディアに関しては圧倒的な強さが話題となり、大会終了後もあちこちで噂話がもちきりとなる。


 いわく、一人で魔物の群れを全滅させた……


 いわく、一人でドラゴンを討伐した……


 いわく、オーサの大森林に出現した謎の魔物を滅ぼした……


 噂は噂を呼び、話を大きくなっていった。普通に聞けば誇張された話と思われがちだが、リディアを実際に見た人間は全ての噂を信じていた。そうして、リディアの名はサイラスで知らぬ者がいないほどに広まっていた。

 

 また準優勝者であり、リディアの弟子でもあるカイに関しても皆が噂していた。あの若さで多くの魔物を討伐して、中には悪魔もいたという具体的な噂も流れている。ちなみに、その噂を流しているのは小さな身体で態度の大きい小悪魔インプだという……。しかし、カイに関しては強さよりも大会中に行った行動に関しての話題が多く聞かれる。大会でスターリンから奴隷の少女を解放したという行動が市民の中で好感を持たれ話題になっている。そのため、カイの名もリディアと同等かそれ以上にサイラスで広がっていた。


 そういった経緯があるため、カイ達が街を歩いているとあちこちから声をかけられるという状態が続いている。


「おっ! 剣闘士大会の英雄さん達じゃないか! 元気にしてるかー! 身体には気をつけなよー!」

「あ、ありがとうございます……」

「ねぇ、これを持っていきな。今日、採ったばっかりの野菜なんだよ!」

「えっ? あ、じゃ、じゃあ、お金を――」

「何を言ってるの! お金なんていいから持っていきな!」

「す、すみません……。ありがとうございます」


 多くの人に好意的に声をかけられるだけではなく。必要以上に物なども渡してくる人が増えていることにカイは困惑していた。ルーアに関しては、無料ただで食料が入手できている状況に笑いが止まらない。リディアはいつも通りだが、少々煩わしくも感じていた。もともと、リディアはそこまで人と関わっていなかったこともあり、このような状況に慣れていなった。そして、新しくカイ達と行動を共にするようになったパフは一人ではなく。カイ、リディア、ルーアと一緒に行動することにまだ新鮮さがあり、いつも楽しそうな笑顔でいる。そんなパフにカイは声をかける。


「パフ。楽しそうだけど、何かあったの?」

「はい! みなさんと一緒に歩いているのはとても楽しいです!」

「そっか……。なら、明日も一緒に出かけようか?」

「はい! 楽しみです!」

「けっ! 出かけるぐらいで楽しいって、ガキかっての!」

「いや……、ルーア。パフは子供だから……」

「ふん! 貴様のような羽虫よりも、パフの方がよほど役に立っている。パフは昨日も料理を作る手伝いをしていたが、貴様は何もせずにただ食べていただけだろう。パフの爪の垢でも煎じて飲むんだな!」

「んだと! このペチャパイ!」

「……殺す!」


 久しぶりのリディアとルーアの喧嘩を見たカイはため息をもらしながら二人を止める。そんな日常をパフはとても嬉しく感じていた。カイ達は新しい日常を謳歌していた。


 ◇◇◇◇◇◇


 サイラスの中心街にあるヴェルト家の屋敷でアルベインは横になって休んでいた。剣闘士大会でリディアに敗北した後、ハルルによる治療を受けたが……。そのときに『睡眠スリーピング治癒ヒール』を受けていたアルベインが目覚めたのは翌日の朝だった。


(そこまで、損傷ダメージを受けた気はしていなかったが……。まぁ、ハルルさんが言うには一回戦のモルザからの攻撃による損傷ダメージの方が深刻だったらしいが……)


 そう、アルベインの回復が遅かった原因はリディアに受けた攻撃ではなくモルザからの攻撃が影響していた。実際、リディアはアルベインに損傷ダメージを残さないように配慮して攻撃していた。しかし、モルザはアルベインの急所を的確に攻撃していたので、身体の中で損傷ダメージが蓄積させれすぐには回復できなかったのだ。その影響もあり、アルベインは未だに本調子ではなかった。兵士長のキーンからもしばらくは身体を休めるように言明されている。そのため、アルベインは大人しくベッドで休んでいた。その時、部屋の扉を叩く音が響く。


「うん? 誰だ?」

「はい。アルベイン様。クロードでございます」

「クロードか……。入って構わないぞ」

「はい。では、失礼いたします」


 扉が開いて入ってきたクロード――だけではなく……。クロードと一緒にアリア、スー、ムーの三人も入ってきた。突然の訪問に驚きながらもアルベインはクロードを軽く睨みつけて文句を言う。


「クロード……。どういうことだ?」

「はて? どういうことかと仰られましても……」


 クロードはわざとらしく首を傾げながら聞き返す。するとアリアがいつもの笑顔で説明をする。


「まぁまぁ、怒らないの。アルベイン。クロードさんに黙って欲しいってお願いしたのは私だからさ」

「そうか……。では、アリア。お前に尋ねる。なぜ、そんなことを頼んだ?」

「えっ? そんなの簡単よ。この方がサプライズ感があって面白いじゃない!」


 アリアの答えにアルベインは大きくため息をつく。アリアの後ろにいたスーとムーは苦笑いをする。クロードはアリア達を席へと誘導して、部屋をあとにする。その後、すぐにメイドが来てお茶を汲みアリア達をもてなす。一息つくとアルベインが再度アリアへ質問をする。


「……それで? 何の用だ?」

「うん? 何の用って、お見舞いに決まってるじゃない」

「お見舞い?」

「はい。アルベインさん。日頃から姉を始め、私達はアルベインさんにお世話になっています。ですから、三人でアルベインさんのお見舞いに来させて頂きました。突然の訪問でご迷惑でしたか?」


 スーの心配にムーも後ろで申し訳なさそうな表情になる。そんな二人にアルベインは優しい声で返答する。


「いいや。迷惑なんて思っていないよ。むしろ嬉しいよ。二人ともありがとう」


 アルベインの言葉にスーとムーは満面の笑みを浮かべる。そのまま持ってきた花を部屋に飾り、果物の皮をむき始める。しかし、一番年上の姉であるアリアは一人紅茶を飲みながらくつろいでいた。そんなアリアへアルベインは指摘をする。


「……おい。アリア。お前は何をしに来たんだ?」

「えっ? だから、お見舞いだって」

「だったら、少しは見舞いらしいこともしたらどうだ? スーちゃんやムーしか動いていないぞ」

「いいのよ。それがあの子たちの役目だから。私の役目はあんたがちゃんと休んでいるか見る係なのよ」

「なんだ、その係りは!」

「……ふーん。少しは元気になってきたじゃない」

「何……?」

「あんたは気がついていないみたいだけど、元気なかったわよ? 入ってきた時の顔も覇気が全然なかった。剣闘士大会が終わって気が抜けてるんじゃない?」


 アリアの指摘に言い返そうとしたが、アルベインは言葉に詰まる。それは事実だったからだ。確かに休めと言われたから休んでいるが、以前のアルベインであれば無理をしてでも動こうとした。しかし、剣闘士大会も終了してアルベインの中で何かが抜け落ちていたのだ。そのため、アリアの指摘にアルベインは返す言葉が浮かばなかった。


「……一応、幼馴染として忠告してあげる。あんたは、がむしゃらに動いている方が格好いいわよ?」

「……ふん。大きなお世話だ。……だが、感謝はする。……ありがとう」

「うんうん。素直でよろしい。じゃあ、アルベイン。行くわよ!」

「何? 行くとは、どこにだ?」


 アルベインが尋ねるときにはアリアは立ち上がり背伸びをして、いつもの笑顔でアリアは言い放つ。


「決まってるじゃない! 買い物よ! 買い物! 当然、あんたの奢りだからね! スー! ムー! これからアルベインが買い物に連れて行ってくれるって! 好きな物を買っていいからね!」

「お姉ちゃん! アルベインさんに迷惑をかけない!」

「そ、そうだよ……。アルベインさんに迷惑だよ……」

「大丈夫、大丈夫。ねぇ? アルベイン」


 突然のことでアルベインは呆けていたが、気を取り直してベッドから起き上がり笑顔で宣言する。


「あぁ、かまわない。本来ならスーちゃんとムーだけに買ってやるところだが、今日は特別だ。お前にも買ってやるよ。アリア」

「何よ! その言い方! かわいくない奴!」

「ふん! かわいくなくて、結構だ!」


 そんなアルベインとアリアの掛け合いを見ていたスーとムーは顔を見合わせて笑い合った。そうして、四人仲良く買い物に出かける。すると意外な人物と鉢合わせる。


「あ、あのー……」

「うん?」


 屋敷を出てすぐに声をかけられたアルベインが振り返ると。そこには黒衣の衣装を纏った槍使いのモルザがいた。意外な人物との再会にアルベインは驚きながらも挨拶をする。


「モルザ? どうした? この辺りに何か用事でもあったのか?」

「……えーっと。……あ、アルベイン君のお見舞いに……来たんだけど……」

「えっ? 私の見舞いに?」

「……う、うん。……だ、だって、友達だから……」

「あ、あぁ……、そ、そうだったな。私達は友達だ……」


 アルベインは少し躊躇しながらもモルザへ友達だと告げる。その言葉を聞いたモルザは頬を赤らめ満面の笑みを浮かべる。しかし、その笑みはあまりにも不気味だった。いうなれば、悪人が一仕事を終えた後の邪悪な笑みのようだった。そんな状況にアルベイン、スー、ムーは苦笑いをする。しかし、アリアだけはいつもと変わらない笑顔で対応する。


「君がモルザ君ね。アルベインの新しい友達」

「え……、あ……、は、はい。えーっと……、あ、あなたは……?」

「私? 私はアルベインの幼馴染のアリアよ。よろしくね」


 笑顔で握手を求めるアリアにモルザは緊張する。モルザは口下手で恥ずかしがり屋のため、女性と触れ合うことなど全くなかったからだ。しかし、緊張しながらもゆっくりと差し出された手を握り握手を交わす。すると、アリアが笑顔で伝える。


「うん! じゃあ、これで私とも友達ね! よろしくね。モルザ君」

「は、はい……。……え……!?」


 アリアの宣言にモルザは目を見開いて驚愕した。そんなモルザを余所にアリアは話しを進める。


「紹介するね。この子はスー。私の妹よ。それから、こっちはムー。私の弟。よければ、二人とも友達になってあげてね」

「お姉ちゃん……。はぁ……。初めましてモルザさん。私はスーといいます。この街にある白銀しろがねの館、妖精の木漏れ日で働いています。お見知りおきを」

「え、えーっと。ぼ、ぼくはムーです。ぼくも妖精の木漏れ日で働いています。よ、よろしくお願いします」


 スーとムーに自己紹介されて、モルザは困惑しながらも自己紹介をする。


「あ、あの、ぼ、ぼ、ぼ、僕は、も、も、も、モルザっていいます……。た、た、た、旅の戦士です……。えーと、あの、その、よ、よろしく、お、お、お願いします!」


 モルザは緊張のあまり上手く言葉が出なかった。そんなモルザをアリアは面白そうに眺めている。アルベインはそんなアリアへ注意をする。


「おい、アリア。あんまりモルザをからかうな」

「からかうなんて、人聞きが悪いわね。別にからかってなんかないわよ。だって、彼って見た目が悪いのと口下手なだけでいい子そうじゃない」


 アリアの身も蓋のない物言いにアルベインは頭を抱える。未だに混乱しているモルザに向き直りアルベインは声をかける。


「モルザ。落ち着け。大丈夫か?」

「だ、だ、だ、だ、大丈夫! で、で、で、でも、と、友達が一度に三人も増えて……。ど、ど、ど、どうしよう。アルベイン君!」

「……お、落ち着け。まずは落ち着け」

「そ、そうだね……」


 モルザは深呼吸を始める。そこへアリアは追いうちをかける。


「ねぇ! モルザ君。この後、特に予定がなかったら買い物に一緒に行きましょうよ。今日はなんとアルベインの奢りよ!」

「アリア! お前は少し黙っていろ。すまない。モルザ。あいつは――」

「か、買い物! と、友達と一緒に買い物……。あぁ、夢のよう……。もう、死んでもいいかなぁ……」


 モルザは遠い目をしながらも恍惚の表情を浮かべていた。そんなモルザをアルベイン、スー、ムーは苦笑いをして眺めるがアリアはとても楽しそうな表情で見ていた。こうして、アルベイン、アリア、スー、ムー、そして、モルザの五人で買い物へと出かけた。


 余談だが、この数日後にモルザはカイ、リディア、ルーア、パフ、フィッツ、オウカロウとも知り合い友達となる。もっとも、ルーアはうっとうしがり、パフは少し怯えていた。しかし、モルザは感激して涙を流して喜んだ。


 ◇◇◇◇◇◇


 白銀しろがねの館にある食堂でフィッツが昼食をとっている。食事をとった後も特にやることがないので、フィッツは食事をとりながら午後をどうしようかと悩んでいた。すると見知った顔を見つける。巨漢と呼ぶにふさわしい身体をした男。剣闘士大会に出場していたオウカロウだ。フィッツは何気なくオウカロウへ視線を向けているとオウカロウが視線に気がつきフィッツの席へと移動してくる。


「おんし。確かフィットじゃったか?」

「フィットじゃねー! フィッツだ! フィッツ! どういう間違いだ!」

「おぉ! そうじゃ、そうじゃ、フィッツじゃった。すまん、すまん」


 そういうとオウカロウはフィッツのテーブルに相席する。その行動にフィッツは訝しげな表情で質問する。


「何だよ? 何か用でもあるのかよ?」

「そりゃー、こっちのセリフじゃあ。おんし、さっきからわしを見とったろう?」

「あぁ、気付いてたのか」

「当然じゃあ。そんで、何ぞ用か?」

「いや、別に用はなかった。ただ、あんたを見かけて気になったから見てただけだよ。悪かったな」

「そうか。じゃが、わしはおんしに用がある」

「あん? 俺に? 何だよ?」

「おんしは確か旅の拳法家じゃったのう?」

「そうだけど?」

「おんしが良ければ、わしと旅をせんか?」


 オウカロウから突然の提案だった。フィッツは少し考えるが軽く笑い、その提案を断る。


「悪りぃ。俺はしばらくサイラスに残るつもりなんだ……。いや、もしかしたら、ここに住むかもしれない……」

「うん? そうなんか?」

「あぁ……、ここはいい街だし。友達ダチもできた。それに、リディアさんみたいな強い人もいる」

「なるほどのう」

「まぁ、そういうわけだ。悪いけど他を当たっ――」

「ほんじゃあ、わしと修行をせんか?」


 フィッツの言葉にオウカロウは更なる提案を被せてきた。フィッツはオウカロウを見つめて問いただす。


「……なぁ、何が狙いだ?」

「狙うとは人聞きが悪いのう。わしはただ強くなりたいだけじゃあ。おんしもそうじゃろう? おんしの気に興味があってのう。できれば、わしに教えて欲しいんじゃあ」

「あぁ、そういうことか……。でも、悪いなこれはそう簡単に――」

「おんしが気を教えてくれるのなら、わしは呼吸気法をおんしに教えるぞ?」


 断ろうとしたフィッツだったが、オウカロウの交換条件を聞き態度を変える。


「……詳しく聞こうか」

「そんな、難しい話じゃないわ。わしとおんしは似ておろう? お互いに素手で戦う者同士じゃ。じゃが、おんしには気という技がわしには呼吸気法という技がある。しかし、それだけじゃあ強さには限界があろう? じゃったら、互いの得意技を教え合い更なる強さを求めんか?」


 オウカロウの提案を聞いたフィッツは、口元の端を吊り上げるように笑う。そして、オウカロウへ右手を出して告げる。


「乗った! 俺は気を! あんたは呼吸気法とやらを互いに教え合う! 互いにメリットがある!」

「おー! ほんじゃあ、メシを食べ終わったら早速修行じゃあ!」

「おう!」


 二人は昼食を食べ終えるとサイラス周囲の草原へ移動して修行を開始する。更なる強さを手に入れるために……。


 余談だが、この後にちょっとした問題が起きた。オウカロウはフィッツへ懇切丁寧に呼吸気法を教える。その甲斐もあり、フィッツは二週間ほどで多少の身体強化ができるようになる。しかし、問題はフィッツだった。フィッツは教えることが苦手なようで、気の使い方を教える際も自分自身の感覚で教えてくるため、オウカロウはさっぱりわからなかった。仕方なくオウカロウはフィッツが気を使う姿を観察しながら独自に気の使用方法を学んでいった。苦労はしたが、オウカロウは三週間ほどで拳のみだが気を扱えるようになる。


 ◇◇◇◇◇◇


 サイラスから離れること約二十キロメートルの道を何台もの屋根付きの豪華な馬車が走っている。日は陰り始めてきたので、本来なら立ち止まり野営のために準備をする必要があった。しかし、馬車は止まらずに主人の命令により走り続けていた。その主人は連なって走る馬車の中央にいる。その主人とはスターリン・デイン。サイラス剣闘士大会でカイに敗れた貴族の男だ。


「……くそ! くそ! くそぉー!」


 もう何度目かのスターリンの癇癪が始まる。最初は同乗しているメイドや護衛の戦士は驚いていたが、何度も続いていたので慣れてしまう。怒りの感情を露わにしているスターリンへ同乗している黒いローブを身にまとった魔術師のウェルドが忠告をする。


「スターリン様。落ち着いて下さい。ここで叫んだところで何も解決は――」

「わかっている! だが、許せるか! この僕が! デイン家の貴族たる僕がこんな仕打ちを受けるなんて!」


 スターリンは怒っていた。その怒りは剣闘士大会でカイに負けたこと――ではなく、また別の案件だった。


「……確かにサイラスからの強制退去は予想外でしたが、特に大きな問題はありません」


 ウェルドの言葉にスターリンは鋭くウェルドを睨みつける。そのため、同乗しているメイドと護衛の戦士は緊張して息を呑む。しかし、睨まれているウェルドは気にも止めずに話を続ける。


「幸いなことにスターリン様の傷もほとんど治っています。確かに鼻の傷は完治していませんが……。それは外見のみで、内部の骨折に関しては完治していると神官からのお墨付きをもらえています」


 現在のスターリンの鼻には包帯が巻き付けてあった。ウェルドの言う通り骨折は完治しているので痛みはない。外見上には傷が残っているがそれだけだった。しかし、スターリンにとっては自分の傷ついた顔など認めたくなかった。そのため、包帯を巻き顔の傷を隠している。


「そういう問題じゃない! この僕を強制退去なんて許せるわけがないだろう!」


 サイラスからの強制退去。それには当然だが理由があった。


 時間を少し遡る。


 ◇◇◇◇◇◇


 剣闘士大会でカイに敗れたスターリンは顔面に手痛い傷を負ってしまい、サイラスの神殿で治療を受ける。治療自体に大きな問題はなかった。サイラスは白銀はくぎんの塔が有名だが神殿に所属している神官も王都に負けないほどの優秀な神官が揃っている。そのおかげでスターリンの怪我はみるみると完治していく。しかし、別の問題があった。それは、神殿側ではなくスターリン個人の問題だ。当初は意識を失い神殿へ担ぎ込まれたスターリンも治療を受けたことで意識はすぐに回復する。意識を取り戻したスターリンは治療に対しての感謝をするわけでもなく、カイに敗北したことを理解した途端に突然所構わず暴れ出したのだ。すぐにウェルドを始め周囲にいたスターリンの護衛が止めようとするが、スターリンは止まらなかった。そういった問題行動があり、神殿からの退去を求められる。ウェルドは神殿幹部へ謝罪と金銭を渡して場を収めようとしたが、神殿側は謝罪には応じたが「金銭は賄賂となる」と拒んだ。妥協案として、神殿への立ち入りは許可されたが問題行動を起こさないことを条件とされる。また、本来はしばらく神殿へ留まり治療をする予定であったが、暴れた経緯から宿屋から通うことになる。


 その後、スターリンの怒りをウェルドがなんとか押さえて治療を受けさせていた。数日でほとんどの治療は完了して、残るは顔に残っていた傷のみとなる。そんな時に事件が起きた。神殿へ通うということはサイラスの街中を移動するということ。クリエとナーブの行動により剣闘士大会での一部始終やスターリンが行った悪行の映像はサイラス中に流れている。そのため、サイラスでスターリンの顔を知らない者などほとんどいなかった。


 当然だがサイラスでスターリンの評判は最悪であり、スターリンを見かけた者は口々に陰口を叩いていた。いざこざが起きないよう、常にスターリンの周囲にはウェルドを始め護衛が付き従っていたのだが問題は生じてしまう。原因はやはりスターリンだった。蔭口に関して無視をしていれば良かったのだが、たまたま大声でスターリンを罵る者がいた。それにスターリンは即座に反応してしまう。当初は言い合いだけであったが、互いに譲ることはなかった。いや、周囲はスターリンを罵る者の味方だ。そういった状況がスターリンをさらに逆上させてしまう。


 そして、スターリンはあろうことか罵った者を斬りつけてしまった。ただの喧嘩であればそこまで大事にはならなかったが、街中での斬りつけ行為というありえない行動をとってしまう。幸いなことに斬りつけられた者は一命を取り留めたが、問題は大きくなりサイラスの兵士が動き出す事態となった。


 その結果……


「スターリン・デイン。貴殿を即刻サイラスから強制退去とする! 速やかにサイラスから出て行くように!」


 その言葉を告げたのは、サイラスの兵士長である。キーンだった。キーンの言葉を聞いたスターリンは何を言われているのか一瞬理解ができずに呆けていた。しかし、言葉の意味を理解するにつれて顔面を紅潮させ怒りを露わにする。


「ふざけるな! 僕が誰だかわかっていて言っているのか!」

「わかっていますよ。王都でも有数の貴族家であるデイン家のスターリン・デイン様です」

「それを承知で、そんなふざけたことを言っているのか! いいか! 貴様なんてどうとでもできるんだぞ! サイラスの貴族だって多くは僕の――」


 スターリンが怒鳴り散らしている途中だったが、キーンがあることを告げる。その言葉にスターリンは絶句することになる。


「残念ですが。これは、そのサイラスの貴族家からの指示です」

「……は?」

「聞こえませんでしたか? あなたの強制退去を命じたのは、サイラス貴族家の大多数からの指示なのですよ」

「……ば、馬鹿な! そ、そんなはずはない! 僕はデイン家の――」

「一応、あなたの身を心配したいくつかの貴族の方々からあなたへ渡すようにと書状を受け取っています。どうぞ、お納め下さい」


 キーンが差し出した書状をスターリンは乱暴に受け取ると、即座に封を切り中身を確認する。それを読み進めるとスターリンの手は痙攣したように震え出す。そして、そのまま手紙を破り捨て悪態をつき始める。


「ふざけるな! 誰のおかげでここまで地位が上がったと思っている!」


 書状の内容はどれも似たようなもので、前半にスターリンが無事であったことの労いや日頃の感謝。後半にサイラスでのデイン家の評判は最悪となってしまい。これ以上の協力はできない。それは、デイン家と距離を置くという内容だった。


 怒りに震えどうにかなってしまうのではないかと思うほど、スターリンは激怒していた。しかし、そんなことにはお構いなしにキーンは職務を果たそうと動く。


「では、スターリン殿にもご理解を頂けたでしょうか? それでは、速やかに退去して下さい! 退去するまでに問題がないか私を含めたサイラスの兵士が同行しますので――」

「きさ――」

「わかりました。よろしくお願いします」

「なっ! ウェルド!」

「ご理解に感謝します。では、我々も少し準備がありますので失礼します」


 キーンは一礼してスターリン達の前から退席する。一方のスターリンは怒りが収まらない様子で、勝手に強制退去に同意したウェルドを問いただす。


「ウェルド! どういうつもりだ! 僕の許可なしに、勝手に物事を進めるなんて!」

「それは、大変失礼しました。……ですが、ごねたところで何も変わりません。残念ですが、この状況ではサイラスに留まることにメリットはありません。……いえ、デイン家のことを考えればサイラスに留まれば更なる悪評を立てる恐れが高いかと……」

「くっ! ……くそ……。くそぉーーーーーーーーーーー!」


 ◇◇◇◇◇◇


 そうして、現在の状況に至る。


 スターリンの怒りは未だに収まることはなく。馬車の中でも癇癪を繰り返していた。そんなスターリンへメイドの一人が落ちつかせるために水を差し出す。しかし、感情のコントロールが出来ていないスターリンは、そのメイドの行為に苛ついてしまいメイドの手をはじき殴ろうとする。そのとき怒声が飛ぶ。


「スターリン様!」


 突然のウェルドから発せられた怒声にスターリンは驚く。しかし、何かを思い出したかのように舌打ちをしてそっぽを向く。殴られそうになったメイド、周囲の護衛や他のメイドは意味がわからず少し困惑していたがスターリンもウェルドも説明はせずに黙ってしまう。そのため、理由は全く見当がつかなかった。殴られそうになったメイド。それは、ウェルドが怪我をした際にハンカチを差し出したアイウェルンという若いメイドだった。


(なんで、スターリン様は殴るのを止めたのかしら? ウェルド様が止めたから? ……でも、ウェルド様が止めても関係なく人を殴ったり、問題行動を起こすなんて日常茶飯事だったわ……。じゃあ、なんで……? ウェルド様に聞けば、教えてくれるかしら……)


 そんな事件もあったが、これからそんな小さな出来事など比べ物にならない恐ろしい出来事が彼らを襲う……。


 それは、突然だった。


 馬車はスターリンの命令で夜道を休みなく走っている。本来なら夜に移動することは滅多にない。急いでいる時や何かから逃げている時ぐらいだろう。理由は単純に二つ。夜道を馬車で移動することは事故や野盗または魔物に襲われるリスクが昼間よりも上がるからだ。そのため、普通の人間は夜の移動はせずに野営か街や村で夜を明かす。しかし、スターリンは怒りの感情で正常な判断など出来なかった。とにかく少しでもサイラスから離れ、王都へと帰還したい気持ちで一杯だった。


 そんな夜の移動中、それは起きた。


 馬車で移動している時にウェルドが異常にいち早く気がつく。


「――ッ! 待て! 止まれ!」


 しかし、馬車の中で叫んだところでその声は御者ぎょしゃや周囲の馬車には届かない。スターリンとウェルドの乗っている馬車――いや、走っている全ての馬車が光に包まれる。光が止んだ後、走っていた馬車は乗っている人間も含め全てが消えていた。では、どこにいったのか……。


「……なんだ、ここ……?」


 光に包まれた後、スターリン達は馬車ごと移動していた。馬車を運転していた御者は意味がわからず呟いた。しかし、ウェルドはなんとなくだが状況を理解していた。


(ちっ! 気付くのが遅れた。さきほどの空間の乱れはおそらく空間転移だな……。しかし、あれほど広範囲の空間転移だと……? 前もって罠をしかけていたのだろうな……。しかも、かなり大がかりな罠のはずだ。出なければ、あそこまで広範囲に転移をさせることなど不可能だ。狙われた……? ……いや、それはないな……。我々がサイラスを強制退去したのは予定外だ。例え、サイラスの何者かが影から糸を引いていたとしても、あの場所を通ることやこんな夜間に通ることなど予想できるはずがない。となれば、大規模な野盗か周辺諸国の妨害工作か?)


 ウェルドがいろいろと考えているとスターリンが悪態をつく。


「……くそ! なんなんだ! 今の光は! おい! 御者! 何をしている!」

「スターリン様! お待ちを! 恐らく何者かの妨害工作と思われます。私と護衛がまず降りますので、スターリン様はメイドと共に待機をして下さい。おい! 出るぞ!」

『は、はっ!』


 ウェルドの指示に従い護衛の戦士を伴い馬車から出る。するとそこは闘技場だった。


(闘技場……? サイラスの闘技場に戻された? なぜ? ということは、野盗や他国の妨害ではない?)


 困惑しながらウェルドはさらに周囲を見ると他の馬車からも護衛の戦士や魔術師が降りていた。しかし、一部の馬車からは他のメイドが降りてきていた。その光景を見たウェルドは心の中で愚痴をこぼす。


(馬鹿が……。なぜ、メイドを馬車から降ろす。この異常事態がわからんのか! 戦うことのできないメイドを外へ出せば狙われて人質にされるのがおちだぞ!)


 ウェルドは馬車の外へ出てきたメイドに馬車へと戻る様に指示を出そうとした――その時、場違いな声が周囲に響いた。


「はいはーい! 団体様のご到着でーす!」


 突如として響いた子供の声に周囲は警戒する。護衛の戦士は各々が武器を手に取り周囲を見渡すが、それらしき人物が見当たらない。しかし、ウェルドは見つけていた。ウェルドは視線を周囲ではなく上空へと向けている。そう、上空に浮かんでいた大きな帽子とカラフルなローブを身に纏った屈託のない笑顔の魔術師リコルを見ていた。リコルを見たウェルドの表情は険しかった。


(……なんだ……。あの子供は……。人間ではないな……。亜人種か……? しかし、なんてでたらめな魔力量だ……。確実に私以上の魔力を有しているぞ。しかし、見たところだが隙もあるな……。わざとか? それとも、油断しているか戦闘経験が少ないかのどちらかだろう。とにかく、戦うよりも話し合いに持っていく方が賢明か……)


 そんなことをウェルドが考えていると、ウェルド以外の者もリコルの存在に気がつき始める。


「なんだ? 子供?」「あの恰好は魔術師か?」

「ガキのくせになめた真似をしやがって!」

「ウェルド様! 指示を下さい!」

「そうですぜ! ウェルド様! 攻撃の許可を!」


 口々に騒ぐ周囲の声に、ウェルドは少々煩わしさを感じながらも余計なことをしないように釘をさす。


「落ち着け。戦闘はまだ行うな、とりあえずは話し合いが先だ。それから、忠告しておいてやる。あの者は見た目は子供のようだが、有している魔力は私に匹敵する。油断はするな」


 実際はリコルの魔力はウェルドを遥かに凌いでいた。しかし、そういったところで信じない者や必要以上に警戒してしまうことを危惧したウェルドは自分と互角ぐらいだと周囲に認識させるに止めた。


「なっ! あの子供が、ウェルド様に匹敵……!」

「マジかよ……? 油断できねぇな」


 周囲を押さえることに成功したウェルドは、リコルを見据えて話しかける。


「聞いてもいいか?」

「うん? いいよ?」

「我々を転移させたのは君か?」

「そうだよ」

「なぜ、我々があの場所を通ることがわかった? それとも偶然に我々が君の罠にかかってしまったのか?」


 ウェルドの問いにリコルは首を捻る。


「あの場所を通るなんて知るわけないじゃん。ただ、監視はしてたけど。それと、罠ってなんのこと? 罠なんて張ってないよ?」


 リコルの答えに今度はウェルドが頭を軽く横に振りながら言い返す。


「馬鹿な……。監視魔法を受けていれば気付いていた。それに、罠もなしにどうやってこれだけの広範囲転移を――」

「簡単よ。あんなこと。まぁ、あなた達のような人間には到底できない芸当でしょうけど」


 突如として乱入した第三者の声にウェルドと護衛の戦士は驚く。声のした方、リコルと向かい合う様に空中に浮いている人物がいる。漆黒のローブを纏い顔にはピエロのような仮面をつけた『魔導ウィザード支配者マスター』レイブンがいた。レイブンを見た護衛の戦士は口々に騒ぎ始める。


「また、変なのが……」「面倒だ! やっちまいましょう! ウェルド様!」

「そうですぜ! ガキとしゃべり方から女です! すぐに終わりますよ!」


 周囲の護衛からの問いにウェルドは返答できなかった。その様子に周囲は怪訝な表情になる。ウェルドは覚悟をしていた。


(……多くの経験をしてきた……。私以上の強者も嫌というほど見てきた……。死ぬ危険のある仕事もこなしてきた……。そんな経験を経て今の私があり、ここまで強くなった。……だが、それは今日までだ……。今日……私は……死ぬ……。……あの化け物に殺される……)


 レイブンを見たウェルドは死を覚悟した。圧倒的な実力差を目の当たりにされて、ウェルドは絶望する。そして、更なる絶望が姿を見せる……

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