第38話 それぞれの想い

 サイラス剣闘士大会、前夜祭はいろいろな事件を巻き起こして終了する。奴隷の少女が人間と白人狼ホワイトアニマのハーフであること。少女を救うためにカイがスターリンへ賭けを申し込んだこと。そして、その場にいた誰も知らなかったが、ある人物の怒りを買ってしまったこと。


 前夜祭終了後、カイ、ルーア、エル、フィッツ、アルベイン、アリア、スー、ムーの八人はアルベインの屋敷にある応接室にいた。その理由は、カイがスターリンへ申し込んだ賭けについて話し合うためだった。部屋に入るなり、フィッツとアルベインは感情のままに訴える。


「何を考えてんだ! カイ! お前は自分のやったことをわかってんのか!」

「その通りだ! カイ君! あの少女を助けるためとはいえやり過ぎだ! よりにもよって、スターリンの奴隷になるなんて!」

「ちょ、ちょっと、アルベイン。カイ君は別にあんな貴族の奴隷になる気なんてないわよ。ただ、あの子を助けようと――」

「そんなことはわかっている! だがな! 魔力契約を交わしてしまったのだぞ! 万が一だが、カイ君がスターリンに負けてしまえば、カイ君を救うことはできない!」


 アルベインの言葉に、アリア、スー、ムーは心配そうな表情でカイへ視線を送る。その視線に気がついたカイは三人を見て微笑みながら口を開く。


「……大丈夫です。俺は負けない」


 カイの言葉に三人は笑顔になるが、フィッツとアルベインの不安は全く解消されていなかった。


「カイ。お前の強さは知ってる。……悔しいが、お前は俺よりも強い。……でもな! 勝負に絶対なんかねぇ! お前の方が、あのクソ貴族よりも強いと思うが、それでも何が起こるか分からないのが戦いだ!」

「フィッツ君の言うとおりだ! 戦いは生き物だ。ミスもあれば偶然の勝利や敗北もある。……だから、カイ君。今から私とスターリンの元へ行こう」

「どうしてですか?」

「私があいつに頼んでみる。先程の契約を無効にするようにと。あいつのことだから、迷惑料だなんだと難癖をつけてくると思うが……。そこは、私に任せてくれ。だから――」


 アルベインの提案にカイは首を横に振りながら否定する。


「すみませんが……、それはできません。俺は、あの子を救いたいんです。そのチャンスを棒に振るつもりはありません」


 カイの言葉にフィッツは声を荒げる。


「いい加減にしろ! カイ! お前が助けたいって言ってるのは、白人狼ホワイトアニマだぞ! 『白い悪魔』なんて言われて、人間を殺してきた化け物なんだぞ!」


 フィッツの言葉に場が静まりかえる。しかし、カイはフィッツを見据えながら返答する。


「……違う。フィッツ。俺が助けたいのは、白人狼ホワイトアニマなんていう化け物じゃない。俺が助けたいのは、……あの子だ! 身体中を傷だらけにして、食事も満足に与えられていない、理不尽な扱いを受けて、それでも精一杯に生きている。あの子を助けたいんだ!」

「くっ! 甘いんだよ! カイ。お前が言っているのは理想だ! 現実はそんな簡単に割りきれるもんじゃねぇ! どう言い繕おうが、あの子は白人狼ホワイトアニマの血を引いている! 人間じゃないんだ!」

「落ち着けフィッツ」


 フィッツが感情を爆発させているところに、エルが静かに語りかける。


「お前の言っていることは理解できる部分もある。だが、理解できない部分もある」

「理解できない部分……?」

「お前は、あの少女を助けたかったのではないのか? 確かにあの少女は、純粋な人間ではないようだが……。それは、そこまで重要なのか? 人間であろうが、人間でなかろうが、あのように強者が一方的に弱者を嬲るようなことを私は許せない。それに白人狼ホワイトアニマが責められるのは、歴史的にもわかるが、あの少女に関係があるのか? あの少女はまだ幼い。当時の白人狼ホワイトアニマが行った行為には全く関係がない。血を引いているという理由で、あの少女に白人狼ホワイトアニマが犯した罪を全て押しつけるのは、ただの八つ当たりだろう」


 エルの言葉にカイ、ルーア、アルベイン、アリア、スー、ムーは大きく頷き理解を示す。しかし、フィッツは頭で理解しようとしても、感情が理解することを拒んでいた。


(……その通りだ……。そうだ、関係ねぇ。……あの子に何の罪がある? 俺の村を滅ぼしたのは、白人狼ホワイトアニマだけど……。それが、あの子を救わない理由になるのか? あの子は、かつての――)


 フィッツはおもむろに立ち上がる。そして、何も言わずに部屋から出て行った。そんなフィッツをカイは追おうとするが周囲の人間が止める。


「カイ。やめろ」

「あぁ、今はフィッツ君を一人にしてあげるべきだ」

「けっ! 単細胞のくせに難しく考えやがって」

「……わかりました」


 話し合いが決着したと感じて、アルベインが最後に確認をする。


「カイ君の気持ちに変わりがないのはわかった。……そして、謝罪をさせてくれ。私はあの少女を救いたかった。だが、白人狼ホワイトアニマということに目を奪われ大切なことを失念していた。……弱者を助けるという大切なことを……。だから、私も力を貸そう。私にできることがあればなんでも言って欲しい」


 アルベインの言葉に続き、アリア、スー、ムーも声を上げる。


「あー! 私も、私も! なんでも言ってね。カイ君。それと、絶対にあの子を助けましょうね!」

「及ばずながら私もお手伝いします。カイさん。私にできることでしたら、何でも頼って下さい」

「ぼ、ぼくも! 頑張ります!」

「みんな……、ありがとうございます!」


 カイは全員に感謝を伝えて頭を下げる。


 そのまま解散をしようとした時、突如としてエルが声を上げる。


「あっ! そうだ! カイ! ルーア! お前達に言っておくことがあった」

「えっ? 何ですか?」

「何だよ?」


 カイとルーアが疑問を口にして尋ねるとエルは二人に注意をした。


「お前達は、パーティー会場で私をリディアと間違えていたぞ? 間違えるな! 私の名はエル! 謎の戦士エルだ!」


 リディアの言葉にカイとルーアは目を点にする。そして思い返す。


『止めるんだ。カイ、ルーア。ここで、フィッツを攻めたところで何も解決しない』

『でも! !』

『そうだぞ! 。あのクソ野郎は、ともかく。なんで、他の奴らまで態度を変えるんだよ!』


 確かに、二人はのことをリディアと呼んでいた。それを思い出したカイは苦笑いを浮かべながら謝罪をする。一方のルーアはエルの――いや、リディアの馬鹿馬鹿しい芝居にうんざりしてきていた。そのため、感情のままに叫び出す。


「アホか! テメー! いい加減にしろ! このペチャパイが! いいか! もう、て――」


 ルーアの抗議は途中だったが、エルはルーアを思い切り殴り飛ばす。ルーアは窓を突き破り、そのまま空の彼方へと飛んで行き見えなくなった。そんな状況で平然とエルは言う。


「すまない。窓を壊してしまった。後日、弁償をしよう」

「い、いや、エル殿。結構です。こちらで、対処しますので……」

「そうか? すまない」

「……アルベインさん。ご迷惑をおかけしました」


 心底申し訳ないような表情で謝罪するカイの言葉にアルベインは苦笑いを浮かべる。


 そして、全員が帰路に着く。


 ◇


 スターリンの滞在している宿屋『優雅な薔薇園』


 その馬小屋の一角にある人物は寝泊まりしている。それは、奴隷五号と呼ばれる人間と白人狼ホワイトアニマのハーフである少女だ。人間が寝泊まりするような環境ではなかったが、少女はそんな状況に慣れていることもあり何も気にしていなかった。少女が気にしていたのは、先程の出来事だった。


(……あの人は……。何なんだろう……。私は何も頼んでいない……。望んでいない……。求めていない……。ただ、スターリン様の……ご主人様の命令を聞いていればいい……。そして、終わればいい……。そうすれば、お母さんのところに……行ける……)


 少女が考えていたのは、自分の望みとカイの行動だった。そんなとき、馬小屋に誰かが入ってくる。もう真夜中だったが、入ってきた人物は馬には目もくれずに奴隷五号へと近づくと質問をする。


「……なぜ、あんなことを言った?」

「……ウェルド様……」


 その人物はウェルドだった。そして、質問しているのは少女がカイに言った言葉についてだ。あの時の言葉はカイだけでなくウェルドにも聞こえていた。


「……あんなこと……? ……何の話ですか……?」

「とぼけるな。あの青年……。カイと言ったか、あの青年はお前を助けようと動いている。しかし、当のお前が助けを望まないのか?」


 ウェルドの言葉を聞いた少女は、無気力で何も瞳に映っていないような眼差しでウェルドを見つめる。


「……私は……スターリン様の……ご主人様の奴隷です……。……それだけです……」

「そうか……。だが、一つだけ言っておくぞ? このままだと、お前は一年以内に死を迎える。いくら白人狼ホワイトアニマの血を引いて、通常の人間よりも丈夫とはいえ限界だ。現状のままでは一年以内に死ぬことになるぞ」

 

 『死』という衝撃的な言葉にも少女の表情に変化はない。いや、少しだけあった。それは、満足そうな笑顔だ。その表情を見たウェルドは確信をする。


「……そうか、やはりお前は死を望んでいるのか……。まぁ、奴隷には珍しくないが……。その若さで、幼さで、死を望むとは不憫なものだ。まぁ、私が言えた義理ではないか……。だがな、あの青年は――」

「ウェルド様!」


 会話の途中で、馬小屋の入り口から声をかけられる。ウェルドが振り向くと、そこにはウェルドと同じくスターリンに仕えているメイドの姿があった。薄紫色の長い髪、まだ若く美しい顔の娘だ。多くの男性が目を惹かれる美しさだったが、ウェルドは会話を邪魔されたことが気に入らないのか別の理由か険しい表情でメイドを睨みつける。


「なんだ?」


 睨まれたメイドは、恐怖で少し怯むが主人からの命令に従いウェルドへスターリンからの伝言を伝える。


「……お話の邪魔をしてしまい申し訳ありません。ですが、スターリン様から急いで部屋まで来て欲しいと言伝が……」

「……そうか、わかった。では、奴隷五号。おやすみ。せめて良い夢をみるのだな」

「……はい。……ありがとうございます……。……ウェルド様……」


 そうして、ウェルドはメイドと共に馬小屋を後にする。そして、スターリンの部屋までメイドに付き添われることになる。しかし、二人の間に会話らしい会話はなかった。それというのもウェルドは無駄口をほとんど話さない。そのため、多くのメイドはウェルドとはほとんど口を聞いたことはなかった。しかし、付き添いをしているメイドは、ウェルドへの言伝をよくスターリンから命令されるため、何度か世間話をしたことはあった。それでも、メイドとしては付き合いづらい相手ではあった。


 そんなとき、ウェルドが口を開く。


「……あの場所がよくわかったな」

「えっ? あ、はい。ウェルド様は、奴隷五号を気にかけていらっしゃいますから、もしかしてと……」

「気にかける? 私が……? 奴隷五号を?」

「はい。今回サイラスへ行く際にも同行に反対されていました。それに、臭いの件や移動に関してもスターリン様へ進言されていましたから」

「気にかけるか……。とはいえ、私もスターリン様の行いを止めてはいない。所詮は他人事だ。……お前に聞きたい」

「はい。お答えできることでしたら」

「……なぜ、お前はスターリン様に仕える?」


 ウェルドの言葉にメイドは表情を歪ませる。メイドは躊躇ちゅうちょしながらも答える。


「……私は奴隷になりたくはありません……」


 メイドの言葉を聞いたウェルドは、メイドの表情と瞳を見る。その表情と瞳に映る恐怖を理解した。


「……私は多くのメイドのように、王都の者ではありません。母と父が死に……、孤児となった私はたまたまデイン家に拾われた身です。メイドとして雇い、住居を保証すると……。ただ、逆らえばどのような目にあうのかは見ていれば……、想像できます……」

「そうか……。まぁ、そうだな……。貴重な意見だ。感謝しよう」


 ウェルドの言葉にメイドは驚く。今まで何度か会話した中で、一番優しい言葉だったからだ。しかし、スターリンの部屋に到着して、別れるときにウェルドはメイドへと忠告をする。


「……お前に忠告をする。奴隷になりたくないというならば立場をわきまえろよ? お前は少し甘い。優しいというのかも知れんが、そんな気持ちは捨てろ。そうしなければ、いつまでも状況は変わらんぞ? 時には他を捨てることも考えるべきだ」

「……はい。肝に銘じます」


 忠告をしたウェルドは、それ以上は何も言わずにスターリンの部屋へと入る。


「失礼します。スターリン様。何のご用でしょうか?」

「あぁ、来たか。ウェルド」


 部屋に入って見たのは、ソファーに座る笑顔のスターリンと床に横たわり動かないメイド服を着た女性だ。女性には殴られた跡や首を絞められたような跡が見える。ウェルドには横たわる女性に見覚えがあった。


「……メイドを殺したのですか?」

「うん? 別に殺すつもりはなかった。でも抱こうとしたら、拒否をして僕に平手を入れようとした。メイドの分際でだぞ? それで頭にきて、痛めつけたらこうなった」


 ウェルドは心の中で嘆息する。


(はぁ、一体何度目だ? 本当に懲りない人だ……。メイドは奴隷と違い人権も保障されている。殺したことが公になれば、罪になるというのに……)


「……では、そのメイドの処理をすればよいのですか?」


 ウェルドはスターリンに呼ばれた理由を推測する。しかし、意外にもスターリンは否定してきた。


「いや、それもあるが、お前を呼んだ本題は別のことだ」

「別のこと……ですか?」

「あぁ、田舎者との賭けの契約があっただろう? あの魔力契約を僕の契約だけは破棄しておいてくれ」

「……それは不可能です」


 スターリンの突拍子もない言葉に驚きながらも、ウェルドはスターリンからの命令を実行できないことを伝える。すると、スターリンが怒り出す。


「なぜだ! お前が契約を交わしたのだから、お前なら破棄することも可能なはずだろう!」

「……契約自体を破棄することは確かに可能です。ただ、その場合はスターリン様とあの青年――カイという者と交わした全ての契約を破棄することになります」

「なんだと? なぜそうなる!」

「魔力による契約は絶対です。強力な強制力を有しているのです。そのため、一方的なルール違反などはできません。契約を破棄するのであれば契約自体を破棄しなければいけません。スターリン様が望んでいる部分的な改変などということはできないのです」


 ウェルドの説明を聞いてもスターリンは不服そうな表情でいる。そんなスターリンにウェルドは理由を尋ねる。


「しかし、今になって契約の破棄を望まれる理由はなんですか?」

「……簡単だ。僕があんな田舎者に負けることはありえないが、前回の件がある。運営の奴らの策略で失格扱いにされて、敗北になったらたまったものじゃない。……あと、僕がついあの田舎者を殺した時にも失格にされる危険があるからな」


 スターリンの頭の中には、カイに実力で敗れるという心配は微塵もなかった。心配していたのは、ルール上の敗北だった。それを理解したウェルドはスターリンへ説明をする。


「そういったご心配でしたら、ご安心して下さい」

「うん? どういうことだ?」

「先程の魔力契約は、大会のルールではなく。戦いの勝利なのか敗北かということです。つまり、大会のルール上でスターリン様が敗北した扱いになっても実際の戦いでスターリン様が勝利をしていれば、賭けはスターリン様の勝ちとなります。魔力契約と大会ルールに因果関係はありません。ただ純粋に勝負をして勝者が賭けに勝つのです」

「……なるほど、それなら問題はないな。……うん? ちなみに、あの田舎者が僕と戦う前に負けた場合はどうなるのだ?」

「その場合は、勝負自体をしていませんので契約は無効となります。つまり、両者とも何も得ませんし何も失いません。賭け自体の契約が不成立なのですから」

「そうなのか? まぁ、無理かもしれないが、あの田舎者には僕と当たるまでは負けて欲しくはないね」


 スターリンは嬉しそうに話す。そんなスターリンへウェルドはある疑問を口にする。


「……スターリン様。お尋ねしてもいいですか?」

「なんだ?」

「あの青年を奴隷にして、どうされるのですか? 護衛として雇うということですか?」

「フフフフ。それもあるが、それよりも面白いことを考えている」

「面白いこと……ですか?」


 スターリンの笑顔を見たウェルドは嫌な予感しかしなかった。そしてスターリンが口にした言葉で、その予感が正しかったことが証明される。


「あの田舎者が奴隷になったら奴隷五号を奴に犯させる。フフフ。見物じゃないか? 助けたがっていた少女を自ら犯すことになるなんて! ……いや、感謝するかもな? あんなに助けたがっていたのだ。あの田舎者も奴隷五号に気があるのだろうよ。なんて優しいのだろう僕は!」


 そう言いながらスターリンは立ち上がり、床に横たわっていたメイドを蹴り上げる。すると――


「……がぁ!」


 蹴り上げられた瞬間、床に横たわっていたメイドが呻き声を上げる。そう、メイドは死んでいない。死にかけてはいたが、途中で意識を取り戻していた。しかし、生きていることが判明すれば、本当に殺されると考えて死んだふりを続けていた。 


「うん? なんだ、生きていたのか?」


 そういうと、スターリンは止めをさそうと倒れているメイドに近づく。そこにウェルドが声をかける。


「スターリン様! お止め下さい! わざわざ殺す必要はありません。私が魔法で、その者が余計なことをしゃべらないようにしておきます。それでよろしいのではないでしょうか?」


 ウェルドの進言を受けたスターリンは少し考える。すると、倒れているメイドから離れて、ゆっくりと寝室へと向かう。


「それもそうだ。僕は疲れたし、もう休むよ。じゃあ、ウェルド。あとは任せたよ」


 寝室の扉は閉まり、スターリンはその場から姿を消す。部屋に残ったのはウェルドと死にかけのメイドだけになった。ウェルドはメイドに近づき声をかける。


「安心しろ。もう終わった。今、傷を治してやる。応急処置だが……」


 ウェルドの言葉にメイドは安心したのか、すぐに気を失う。応急処置を終えたウェルドは、メイドを神殿へと連れて行き神官へと診せる。治療後、メイドはスターリンのもとへは戻らず。サイラスで一人暮らす道を選んだ。その際の費用はウェルドが全て出していたが、メイドはそのことをすぐに忘れることになる。理由はウェルドの魔法によって、スターリンに関する全ての記憶を封じたからだ。ウェルドのことを残すとスターリンに関することも思い出し、辛い思いをするとウェルドが考えて配慮したのだ。結果として、メイドは命の恩人であるウェルドのことを完全に忘れて暮らすことになる。しかし、ウェルドは全く気にしていなかった。全ては仕事と自分のためと割り切っていた。これで雇い主であるスターリンに被害が出ないであろうことも計算していた。


(ふん、全く。……馬鹿な主を持つと苦労する。……しかし、辞めるわけにもいかないからな……)


 ウェルドが考えていたのは、たった一人の小さな少女のことだった。


 ◇


 魔王城、『魔導ウィザード支配者マスター』レイブンの自室。


 レイブンが就寝しようとしている時、部屋を訪ねる人物がいた。


「……誰?」


 ノックの音と気配で誰かが来たことは理解したが、レイブンは不機嫌だった。就寝しようとしていたにも関わらず邪魔をされたからだ。そして、扉の向こうから声が聞こえてくる。


「……レイブン様。僕です。リコルです。……少し、よろしいでしょうか?」

「リコル?」


 レイブンは一瞬だけ訝しげな表情を浮かべるが、リコルとわかり扉を開ける。


「どうしたの? リコル。珍しいわね。こんな時間に、何か問題でも――」

「……レイブン様……」


 レイブンは会話の途中にリコルの表情を見て全てを察する。その表情には、見覚えがあった。それは、リコルを拾って間もないころの表情だった。リコルは捨てられた子犬のような目をしている。そんなリコルを見たレイブンは、それ以上は何も聞かずにリコルを部屋へと招く。そして、子供をあやすように抱きしめて優しく頭を撫でる。


「……また思い出したのね? もう大丈夫なのよ? あなたを苦しめる者は、もういない」

「……レイブン様……。僕は……僕は……。人間は嫌いです……。僕は……」

「わかっている。あなたの気持ちはわかってるから……」


 そういって、リコルをあやしているとリコルは理由を語りだす。


「……剣闘士大会の……、前夜祭っていうものに興味があって、覗いていたんです。そうしたら、ある獣人の少女が奴隷にされていて……理不尽です……。人間はいつも……いつも……」


 そういったあと、いつの間にかリコルは眠りについていた。リコルの目には涙が溜まっている。そんなリコルをレイブンは優しい眼差しで見つめる。レイブンはリコルを自分のベッドへと寝かしつける。すると、おもむろに仮面を外して空中を見つめて決心をする。


(リコル……。あなたの気持ちは、私が全部わかっているから……。……それにしても、どこの誰かは知らないけれど馬鹿な人間ね。私の大切なリコルを傷つけるなんて……。罰を与える必要があるわね! 死ぬなんていうことが、どれだけ幸せかを思い知るほどの罰をね!)


 そう決心したレイブンの瞳はとても冷たく、激しい怒りの炎に燃えていた。


 レイブンの怒りはもはや誰にも止めることはできない……。


 ◇◇◇◇◇◇


 同じく魔王城。


 だが、そこに訪れることのできる者は限られる神聖な場所。


 魔王城の最高幹部である五大将軍ですら、許可がなければ入ることも近づくことも許されない場所。


 下手に近づけば、この世から消滅させられるような場所。


 そこは魔王が鎮座する玉座の間だった。


 そこに威風堂々と存在する魔王。


 そんな魔王に見降ろされる男が一人。


 『魔人王デーモンキング』ユダが跪いていた。


「報告します。現状勇者は見つかっておりません。他には特に目立ったことはありません。……微細なことですが、私の部下がハーピーツーリーへ若干の被害を与えてしまいました。その後、協力者である鳥人間ハーピー女王クイーンとは話をつけています。協力関係に問題はないと解答を得ています」


 ユダの報告を聞いても、魔王は何も語らず微動だにもしない。しかし、最後にユダが大事なことを伝える。


「それから、あと一ヵ月程で戦争を開始させます。詳細はのちほど報告します」


『……何?』


 初めて魔王が声を出した。周囲に響く様な重い声だった。


『……どういうことだ? 当初の予定よりも数年は早いのではないか?』


 魔王の疑問にユダは自信を持って答える。


「はい。その通りです。……ですが、何か問題がありますか? 準備はほとんど終わりました。戦力も整いました。情報に関しても問題はありません」


 しかし、魔王は唯一の問題を上げる。


『……勇者はどうした?』


 魔王の疑問にユダは、いつも通りに返答する。


「依然、判明してはおりません……。ですが、戦争開始によってあぶり出すことも可能です。それに、勇者だけを待つために数年を無駄にするのはどうかと……」


『……無駄だと?』


 ユダの言葉に魔王は訝しげな声を上げる。そのため、ユダは謝罪をするが口元は少し笑っていた。


「……失礼しました。ですが、勇者に関しては先程も進言しましたように、戦争により見つけ出しやすくなると考えています」


 ユダの言葉に魔王はしばらく沈黙する。そして、おもむろに口を開く。


『……いいだろう。その件は、お前に一任している。任せた……』


 魔王の許可を受けたユダは、静かに玉座の間から立ち去る。


 ユダがいなくなり、魔王以外は誰もいない玉座で話し声が聞こえる。


『……うん?』


『何がだ?』


『裏切り?』


『ありえんな、ユダは私の――』


 魔王以外は誰もいないが、魔王は確実に誰かと会話をしていた。それが何者かはわからなかった。

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