第四章 サイラス剣闘士大会 ~守りたいひと~

第31話 大会準備

 カイ、リディア、ルーア、フィッツの四人は、揃ってサイラスへ到着する。旅の道中での問題はなく。フィッツの明るい人柄と年齢も近いことからカイにとって楽しい道中となった。しかし、サイラスの入国審査である問題が発生する。カイ、リディア、ルーアの三人はサイラスに居住しているため問題はない。問題となったのは旅の拳法家であるフィッツだ。フィッツは自分の身分を証明する物を何一つ持っていなかった。


「だから! 何度も言ってんだろーが! 俺はいろんな街で魔物討伐をこなしてる。旅の拳法家だって!」


 苛立ちを隠さずに訴えるフィッツに対して審査をしている兵士の態度に変化はない。


「それは何度も聞いた。だから、それを証明しろ! 魔物討伐をしているのなら証明書が発行されているはずだ。少なくとも、一つは提示できるはずだろう!」


 そう、村から町へ、町から村へ、放浪の旅をしながら生活する戦士や魔術師も多くいる。そのため旅先での身分証明になるよう、各ギルドホームでは依頼完了時に簡単な依頼内容などを記載したカードのような証明書を発行している。カイやリディアも依頼終了の度に受け取り最新の物は常に携帯している。フィッツと兵士のやり取りを見ていたカイがフィッツへ助け船を出す。


「フィッツ。昨日の夜に言ってたじゃないか。ここへ来る前に依頼で爪熊ベアークローの群れを討伐したって、そのときに発行されたカードがあるだろう? それを出せばいいんだよ」


 何気ないカイの助言だが、内容を聞いたフィッツは目を閉じて天を見上げる。


「……それは無理だ……」

「えっ? 何で?」

「酔っぱらって無くしちまった……」

「……はぁー……」


 深いため息をつくとカイは考える。


(フィッツにも困ったなぁ……。そうなると……)


 仕方ないという感じにカイは兵士へ視線を移すと頭を下げてある提案をする。


「あのー、申し訳ないんですが……。フィッツの身分を俺が保証するということでは駄目でしょうか? 変なことをしないように監督するので……」


 唐突なカイの申し出を受けた兵士は困った表情を浮かべる。


「えー、カイ殿やリディア殿のことは存じております。オーサの大森林で謎の魔物討伐、アルベインさんとの模擬戦、白銀しろがねの館での魔物討伐率もトップクラス。あなた方が身分を保障されるのでしたら通常は問題なく入国を許可するのですが……」

「えーっと、何か問題が?」

「はい……。約一ヵ月後に開催される剣闘士大会に備えて入国に関しては普段以上に警戒をするよう通達が出ていまして……。ですので、申し訳ありませんが特別扱いはできないのです」


 兵士は心底申し訳ないという表情でカイへ謝罪する。頭を下げる兵士へカイは両手を横に振りながら『こちらこそ、無理を言ってすみません』と謝罪する。


(しかし、困ったな……。でも、こうなったら正攻法しかないか……)


 残された選択は一つだけとカイは自分の考えをフィッツへ伝える。


「フィッツ。もう、こうなったら仕方ない。まともに入ろう!」

「あっ? まともに入る? 何だそりゃ? さっきから、まともに入ろうとしてるつもりだぜ?」

「まぁ、そうなんだけど……。フィッツは身分を証明する物がないんだろう? だから、普通に入国審査を受ければいいんだよ。確か通常の審査なら一週間もすれば終わるから。……でしたよね?」


 カイはフィッツに説明しながら念を押すよう兵士に確認する。カイの問いに兵士は頷き肯定するが補足する。


「はい。通常でしたら一週間程です。ですが、剣闘士大会の影響で通常よりも時間がかかると思います。……ですので、二週間程は仮の入国扱いとなりますね」


 兵士の答えにカイは納得したように頷くが、当事者であるフィッツは納得いかない様子で吠える。


「何でだ! 街に入るだけだろーが! 俺は今まで捕まるような問題は少しぐらいしかしてねーぞ!」


 文句をぶつけるフィッツの言葉を聞いてカイは苦笑する。


(少しぐらいって……。つまり、少しは捕まったことがあるのか……。多分、おととい聞いた喧嘩の件かな? それとも頭にきて依頼主を殴ったって件かな?)


 思い当たる内容が複数あるためカイが捕まった件について考えていると兵士がフィッツへ忠告する。


「仕方がないでしょう。元を正せばあなたが身分を証明する物を何一つ携帯していないのが問題なんです。旅をしているなら知っているでしょう!」

「だから、それは不可抗力だ! 酔っ払っちまって何も覚えてねぇーんだよ!」

「そんなことが理由に――」


 言い争いを続けていた兵士はある疑問が頭に浮かび口を閉ざす。突然言葉を停止させた兵士にカイとフィッツは首を傾げる。


「――フィッツ殿」

「何だよ?」

「もう一度、あなたの年齢を教えて下さい」

「あっ? 十八だけど?」

「……なるほど。おい! お前達!」


 フィッツの返答を聞いた兵士はあることを確信したので詰め所にいる仲間へ声をかける。すると、出てきた数人の兵士へ何か説明を始める。説明を受けた兵士達は迷うことなくフィッツを取り囲み拘束する。突然のことにフィッツとカイだけでなく離れて様子を窺っていたリディアとルーアも驚く。


「な、何しやがる!」

「えっ? えっ? あ、あの? フィッツが何か?」

「はい。問題が発覚しました。先程、フィッツ殿は酔いつぶれて身分証を紛失したと言いました」

「はい。そう聞きましたけど?」

「私は確認のためフィッツ殿に年齢を尋ねました」

「はい。聞きましたけ――」


 話の途中でカイは兵士の言わんとしていることを理解する。単純な話だ。


『お酒は二十歳になってから!』


 フィッツは飲酒違反で拘束されたのだ。


「ま、待てー! 俺の死んだ師匠が生前によく言ってたんだ!? 酒なんて水みたいなものだって! だから――」


 拘束から逃れようと暴れながら言い訳をするが、兵士達は聞く耳を持たずフィッツを連行していく。


「言い訳は後で聞く」「いいから来い!」「暴れるな!」


 こうしてフィッツは連行される。連行されるフィッツの姿をカイ、リディア、ルーアは呆然と眺めていた。


 この後、フィッツは四週間の拘禁となるが捕まっている間で身分についても調べがつき無事に入国も完了し剣闘士大会への参加資格も得られた。しかし、自由になってから剣闘士大会まで残りは数日しかなくなってしまう。


 余談だが、フィッツは捕まっている間に運動と称して他の犯罪者を自慢の腕っ節で叩きのめしていた。そんな経緯があり他の犯罪者達から、『ボス』と崇められることになる。


(はぁ、フィッツにも困ったもんだ……。まぁ、飲酒違反ぐらいなら。すぐに出てこられるから剣闘士大会には間に合うかな? 折を見て様子を見に行ってやるか。……でも、俺も自分の修行をしないとな!)


 フィッツを心配しながらもカイは自分自身の修行について考え、改めて気合を入れる。気合いを入れる弟子の心情を理解したのか、リディアはカイを嬉しそうな表情で眺めていた。


 ◇◇◇◇◇◇


「あー! 疲れたー! おーい! テツ! レツ! どっちでもいいから酒を持ってこーい!」


 白銀しろがねの館、地下一階の戦士ナイトソウル


 そこの主人であるドランは荒れていた連日にわたる作業で疲労困憊なのだ。疲労の強い自分達の師であるドランへテツが酒を運んでくる。


「親方! お疲れ様です!」


 テツの元気一杯な声にドランは大声で怒鳴り返す。


「うっせーな! そんなに、でけー声を出さなくても聞こえてるっつーの!」

「す、すみません!? 親方!」


 謝罪するテツだが、謝罪する声量が前回を上回っている。そこへ、もう一人の弟子であるレツが気怠げに現れる。


「そうそう。テツは力が入り過ぎなんだよー。もっと力を抜いていこーぜー」


 気の抜けたような力のない声にドランは目くじらを立てる。


「レツ! いつも言ってんだろーが! ぼそぼそ言ってんじゃねぇーよ! 腹から声を出せ! 腹からー!」

「う、うーっす」


 二人の弟子を見ながら舌打ちするドランだが、何かを思い出したように顔を上げテツが口を開く。


「あっ!? そうだ。親方! 実は昼間にリディアさんとカイさんがお見えになったんです!」

「あん? あの姉ちゃんと兄ちゃんが? ……まさか! また鎖帷子チェインメイルが壊れたのか!」


 ドランから驚愕したような声が発せられるが、テツは首を全力で横に振り否定する。


「いえ! 違います。何でもカイさんが使っていた剣が壊れてしまったらしくて、新しい物が欲しいと……。本当は親方に作ってもらいたかったようなんですが……」

「あー、そういうことか……。そりゃー、悪りーことをしちまったなぁー……」


 ドランはきたる剣闘士大会へ向けて模擬剣や模擬槍など武器の管理を任されている。そのため連日やることが多く武具や防具の作成は現在請け負わないようにしていた。テツはそのことをリディアとカイへ説明する。すると、リディアとカイは納得して通常の剣を購入した。


「……はい。でも、親方の手が空いたら依頼するって言ってましたよ!」

「なるほど……。じゃあ、俺様もまた腕を振るわなねぇーといけねぇーかな! ……うん? 待てよ? おい! あの兄ちゃんは剣闘士大会に出るんだよな!」

「えっ? あ、はい! リディアさんは出場しないそうですけど、カイさんは出場するって聞いてます」


 テツの言葉を聞くとドランの口元が笑顔になり声を出して笑い出す。


「ははははは! そうか! そうか! じゃあ、俺様の出番は多分ねぇーだろうなー!」

「えっ!? どうしてですか?」

「そうっすよ! どうしてっすか?」


 テツとレツの疑問にドランは自信あり気に言い放つ。


「簡単だ。あの兄ちゃんなら、きっと剣闘士大会で優勝するからさ!」


 ドランはそれだけ言うと嬉しそうに酒をがぶ飲みし始める。ドランの言っていることが理解できないテツとレツは顔を見合わせていた。


 ◇◇◇◇◇◇


 サイラスの兵士詰め所でアルベインが模擬戦闘を繰り広げている。相手はアルベインにも引けをとらない体格の達人だ。


「くっ!」

「どうした! アルベイン! その程度か?」


 挑発するかのごとく相手は槍でアルベインを突いている。相手の突きによる攻撃をアルベインは紙一重で躱し続ける。何とか一定の距離まで相手と離れたアルベインは斧槍ハルバードを正面に構える。刃先はやや下を向き身体は前のめりの姿勢、相手は直感した。アルベインは飛び込んでくると。相手は正面から受けて立とうとアルベインの攻撃に備える。大きな音を立てアルベインと相手……互いの武器が激突する。


「……参った」

「はぁ、はぁ、ありがとうございました。キーン兵士長」


キーン:サイラス兵士長。屈強な身体で身長 百九十三センチメートルの大柄な男性。短髪の黒髪に白髪混じり、顔や身体にはいくつもの傷跡が残っている。歴戦の戦士。アルベインに戦い方の基本を教えた人物。


 キーンと呼ばれた男性は、ゆっくりと床から立ち上がる。


「ふん。やはり年には勝てんな……。お前如きにやられてしまうとはな」


 笑いながら軽口を叩くキーンの言葉にアルベインは苦笑しながら謙遜する。


「いえ。まだまだですよ。剣闘士大会で優勝するには、これだけでは……」

「そうか、前回の敗北を考えているな?」

「……はい。あいつは強かった……。でも、それだけの奴だった。そして、私も油断をしていました。……いえ、驕っていました……。自分に勝てる者などいるはずないと高を括り戦いを舐めていたんです……」


 アルベインは以前の自分を恥じる。今でこそアルベインは謙虚で相手に礼を尽くすが以前は違っていた。以前のアルベインは自分の強さに慢心をして、相手に対して礼を失していた。見かねたキーンはアルベインに剣闘士大会を勧めた。己がいかに小さな世界の住人であるかを認識させるために……。結果それは大成功となる。予選こそ余裕で通過したアルベインだが本戦では一回戦負けとなる。しかも、完膚なきまの敗北を喫する。だが、そんなかつての敗北がアルベインを大きく成長させ今日に至る。


「……キーン兵士長には感謝しています。生意気だった若造の私――いえ、俺に戦いのなんたるかを……本当の強さたるを教えてくれた。おかげで俺は最低な男にならずにすみました」


 アルベインの言葉を受けたキーンは目を細め言葉を送る。


「そこまで言えるようになったのなら、もう私から言うことはない。……いや、一つあったな。アルベイン。お前に教えてやる。お前はもう以前のお前ではない。今のお前は、以前のお前では到達できない強さへ昇りつめている。自信を持て! そして、優勝しろ!」

「……はい! ありがとうございます!」


 二人は笑顔で笑い合うが、キーンは最後に一言だけ付け加える。


「ただし! こんな老いぼれに苦戦するようではまだ優勝は難しいぞ? さてと、もう一本やるか?」

「よ、よろしいのですか?」

「構わん! かかって来い!」

「では……、遠慮なく。行きます!」


 アルベインは剣闘士大会へ向けて訓練に励んでいた。


 ◇◇◇◇◇◇


 カイ達が剣闘士大会へ向けて修行を続けている時、他にも多くの者が剣闘士大会へ出場するためにサイラスへ向かっていた。その一人……レインベルク王国の王都レインにいる貴族家の一人もサイラスへ旅立とうと準備をしていた。


レインベルク王国:カイのいたリック村、サイラスなどが属している国こそレインベルク王国。王都となるレインの街並みはとても綺麗で壮観だ。美しい街並みや優雅な市民が行き交う平和な王都。しかし、それは表向きで実際は貧富の差が拡大して国としては下り坂となっている。表通りは前述の通りに美しく煌びやかだが、裏通りに入ると孤児や犯罪者などが多くたむろしていた。大きな要因は貴族の横暴さだ。多くの貴族が守るべき平民を道具のように扱うため平民から不満が噴出してしまい働き手の効率が低下した。しかし、貴族は効率の低下を自分達のせいではなく平民の傲慢さと力で抑えつけてしまう。そのため多くの平民から支持を低下させるという悪循環に陥る。傲慢な貴族の暴走を王族は止めることができず。レインベルク王国は大きな問題を抱えている。


 王都レインの一等地にある大きな屋敷。大きな庭には薔薇が咲き乱れ周囲には緑が生い茂る庭で白いテーブル、白い椅子に腰をかけ紅茶を飲む一人の若者がいる。傍らには若く美しいメイドが数人控えている。若者は誰に言うでもなく独り言のように呟く。


「いい天気だな。こんな日は、一日中ゆったり過ごしたいものだ」


 若者の言葉に答える者はいないが、全てのメイド達は頷き言葉を肯定する。従順なメイドの姿に若者は満足したように笑みを浮かべる。そこへ年配の男女がゆったりとした足取りで近づいてくる。身に纏う物は見るからに高価な品で、男女共に両手の指にはダイヤ、エメラルドなどの宝石をはめている。女性の服は真っ赤なドレスで顔は化粧で塗りたくられている。女性は細身で美しい姿が目つきは鋭く若いメイドに睨むような視線を向けている。一方の男性は、緑を基調としたスーツのような服を着ている。体型は少し小太りだが品というものを感じさせる。しかし、若いメイドを見る目つきは好色でいやらしくもある。二人は若者へ近づき笑顔を浮かべる。


「スターリン。そろそろかな?」

「あなたがいなくなると考えると胸が張り裂けそうよ……」


 二人からの言葉にスターリンと呼ばれた若者は笑顔を浮かべ視線を向ける。


「えぇ、父上。母上。準備ができ次第サイラスへ出発するつもりです」


スターリン・デイン:レインベルク王国の貴族デイン家の長男。家督を継いではいないが、すでに貴族として社交界デビューは果たしている。身長百八十センチメートル。端正な顔立ち、金色の長髪は腰まで届くほど長い、青い瞳も美しく。多くの女性を虜にしている。また、剣の腕も立ちレイピアの攻撃は目にも止まらぬ高速の剣と謳われている。前回の剣闘士大会で準優勝を勝ち取る。しかし、本人は準優勝を不服として辞退している。


「期待してお待ち下さい。今回こそは僕の優勝で終わらせてきますので……」

「あぁ、期待しているとも。……それと前回はすまなかったな。本来ならお前の優勝だったものを私の力が至らずに……」

「本当ですよ! あなた! 前回もスターリンの優勝だったのよ! それを大会委員会のよくわからないルールがどうのと――」


 スターリンの母親が興奮しているところにスターリンが制止をかける。


「いいのですよ。母上。所詮は平民が主催している大会ですから面倒なこともあります。ですから、今回は文句を言わせないように勝って見せますよ」

「まぁ! さすがわ、私のスターリンだわ!」

「うむ、私も期待しているぞ!」

「はい。お任せ下さい。父上。母上」


 殊勝な言葉を口にしたスターリンだが本心は全く違うことを考えていた。


(全くだ! 前回も本来なら僕の優勝だったんだ! なのにルール違反だと? 僕はただ生意気な平民を躾てやっただけだ! その途中で平民が死んだだけで、何で反則負けなんだ! しかも優勝者は死んだ平民だと? 馬鹿げている! しかも、抗議をしたにも関わらずヴェルト家がしゃしゃり出て来やがって! サイラス随一の貴族で王国の貴族や王家に深いパイプがあるかなんだか知らないが、たかが地方都市の貴族如きが王国でも指折りであるデイン家の長男たるこの僕に逆らいやがって! 大方、ヴェルト家の長男であるアルベインとかいったか? ……奴を負かした僕への嫌がらせだったんだろうよ。全く忌々しい!)


 そう、前回アルベインを破ったのは、この男スターリンだ。アルベインを降した後も順当に勝ち進み決勝まで駒を進め優勝に王手をかける。いや、実際優勝はスターリンになるはずだった。だが、決勝戦で対戦相手から顔を攻撃され、かすり傷を負ってしまう。それだけの理由でスターリンは我を忘れ決勝の相手を故意に殺めしまう。そのため、本来なら優勝したはずの権利を自ら棒に振っていた。身から出た錆にも関わらず悪いのは自分ではなく相手や大会側だと主張して自分の行動を全くかえりみていなかった。美しい容姿とは裏腹に、スターリンの性格はとても醜く破綻している。


「では、父上。母上。僕はそろそろ出立します。失礼します」

「うむ、頑張って来い!」

「あぁ、スターリン。お前がいなくなると思うと母は悲しいわ。……でも、お前の優勝を信じて待っているわ」


 両親の言葉に笑顔で応え一礼したスターリンはその場を後にする。少し移動すると屋敷の入り口へ到着する。入口にはすでに大きな馬車が七台も用意されていた。その中のひと際大きな馬車がスターリンを運ぶ馬車だ。他の馬車はスターリンの身の回りを世話をするメイドや護衛をする戦士や魔術師が乗り込む馬車だ。ほとんどの準備はすでに終了して後はスターリンを待つために待機していた。到着したスターリンの元へいかにも魔術師という格好のローブを身に付けた男性が近づき状況を説明し始める。


「スターリン様。準備はほぼ完了しています。あとは、スターリン様と……だけですが……。本当にも連れて行くのですか?」


 ローブの男性は丁寧な言葉だが遠回しに連れていくべきではないと匂わせるようスターリンへ忠告する。しかし、部下の意図に全く気がつかないスターリンは平然と言いのける。


「当り前だ。あれは僕の所有物だぞ? どう扱おうが自由だろう? ウェルド」 


 ウェルドと呼ばれた魔術師に表面的な変化はないが、内情的には大きなため息をつきたい気分となる。


ウェルド:魔術師。スターリンの部下で護衛隊長兼務の参謀。肩まで伸びる茶髪。紺色の瞳で目つきは鋭い。スターリンからの信頼は厚く命令には従順に従うが、あくまでも仕事として従っている。本来の性格は優しく常識人。


「……わかりました。おい! も連れてこい!」


 ウェルドの命を受けて使用人が小さな小屋へ向かう。馬車を引く馬のためにある馬小屋だ。一般的な馬小屋よりは広く作られている。人が住むような造りにはなっていない。しかし、小屋の中には寝泊りしている人物がいる。使用人と共に出てきた人物は普通の人間と少しだけ異なっている。本来は耳があるべき場所に耳はなく。犬のような耳が頭の上から生えている。また、臀部から猫のような長い尻尾も生えている。見た目はまだ少女のようにも見えるがボディーラインは整い。大人の女性にも負けないほどだ。特に胸部は豊かに育っている。黒い髪、黒い尻尾、紅い瞳、浅黒い肌、顔立ちは少女に近くまだ幼い。だが、身体的な特徴よりも周囲の者が注目する部分がある。着ている物は薄汚れ、泥や干し草のような汚れがこびりついている。何よりも周囲の人間が顔を背けたくなる大きな要因がある。


 臭いだ。


 何日も風呂はおろか水浴びや身体を洗っていない異臭と呼ぶにふさわしい臭いが少女からは漂っている。そのため、使用人やメイドなど多くの者が顔をしかめている。しかし、ウェルドは異臭が漂う状況でも表情一つ変えることなく少女を見据えて命令を下す。


「……奴隷五号。スターリン様からのご命令だ。お前もサイラスまで同行しろ」


 奴隷五号と言われた少女の表情からは感情というものが読み取れない。しかし、ウェルドの言葉に対しては機械的に答える。


「……はい。わかりました。ご命令に従います……」


 端的に返答した少女は口を閉じると黙って立ちつくす。準備のためにウェルドは近くにいた使用人へ奴隷五号の身なりを整えるよう指示を出す。しかし、それに待ったをかける人物がいた。スターリンだ。


「待て! ウェルド。その必要はない」

「……しかし、スターリン様! これから、サイラスへ向かうのですよ? あの身なりでは周囲の者にも迷惑がかかるばかりか、デイン家の名にも傷を残す事態になりかねません」

「ふふ、心配するな。そのことについては僕も考えていた。だから、こうすればいいのさ。おい! 奴隷五号!」

「……はい、ご主人様……」

「お前は僕達が出発した後で馬車の後を歩いてついてこい! 何か問題が起こってもデイン家の名を出すんじゃないぞ?」

「……はい、わかりました。ご主人様……」


 従順な返事をする奴隷五号の態度にスターリンは満足げに笑みを浮かべるしかし、ウェルドは逆に焦った様子で反論する。


「いや、スターリン様! 王都からサイラスまでの距離を歩いてというのは……。それに奴隷とはいえまだ少女です。何か問題があっては命の危険も――」

「構わない。殺す気はないが死んだらそれまでのことだ。それに、お前の魔法で位置は常に把握できるのだろう?」

「……それは可能ですが……」

「なら問題はない。安心しろ。僕だってあいつのことは気に入っている。まだ、ガキだが。出るところは出てきたし。そのうちに夜伽でもさせようかと考えているぐらいだ。……といっても、あの獣臭さは勘弁だがな」


 自分の意見だけを伝えるとスターリンはウェルドの返事も待たず早々に場所へ乗り込んでしまう。少しだけ躊躇するが奴隷五号を一瞥するするとウェルドも馬車へ乗りこむ。奴隷五号は何も言わずに佇んでいる。準備が整うと馬車は次々とサイラスへ向けて出発する。


 馬車が通った後を追うように一人歩きだす少女がいる。奴隷五号だ。その表情には、悔しさも、悲しさも、怒りも、何の感情も浮かんでいない。ただ命令通りに行動している。


 遥か先のサイラスを目指して……。



※本話で十八歳の飲酒に触れるような表現をしましたが、物語の進行に関して行ったことです。決して十八歳の飲酒等を推奨することではありません。その旨をご理解下さい。

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