第23話 山頂の修行

 フウからの長い話が終わると話を聞き終えた者、皆が思い思いの反応をみせる。フォルネは当時を思い出し涙を流す。プリムは伝え聞く話を当事者から聞いて目を輝かせる。ルーアはドラゴンを倒したという話が真実と理解して呆れる。最後にカイは自分の師が成した偉業を言葉にならない感激と衝撃に身を震わせる。


「――と。まぁ、妾から話すことができるのはここまでじゃ。どうじゃ? リディア殿? 何か付け加えねばならぬことがあるかのう?」


 問われたリディアは軽く頭を横に振る。


「いや、特にない。しかし、お前達の中で少し大げさに伝わっているのではないか? 鳥人間ハーピー達は私を崇め過ぎのような気がしてならない」


 リディアの訴えにフウではなくフォルネが興奮した様子で異論を唱える。


「そのようなことはございません! リディア様! あなた様は我ら鳥人間ハーピーを救って下さった大恩人なのです! 我らからすればリディア様への大恩をまだ少しも返すことはできておりません! ですから、リディア様は何もお気になさらないで下さい!」


 フォルネの言葉にプリムは大きく首を縦に何度も振り同意する。呆れ気味にリディアは大きくため息をつく。一方でフウが微笑みながら付け加える。


「まぁ、そういうことじゃ。リディア殿。お主は我ら鳥人間ハーピーを救った英雄なのじゃ。それに妾はリディア殿へ、どのように応対するか命令はしていない。つまり、リディア殿への感謝は皆の総意じゃ。フォルネの言うように気兼ねなく受け入れて欲しい」

「わかった。……だが、私に対して不備があったという理由などで罰を与えることはしないで欲しい」

「うむ。リディア殿の願いを聞き入れよう。聞こえたの? フォルネ! 女王としての命令じゃ。リディア殿へ無礼があった場合は即座に罰を与えるのではなく妾のところにその者を連れてくるのじゃ。妾が話を聞いてから判断する」

「はっ! 仰せの通りに!」


 フウの指示を聞いたリディアは少し安心したように息を吐く。話が一段落したところで部屋の外から声が掛けられる。


「失礼します! 女王様!」

「うん? 何じゃ?」

「ご報告があります。リディア様達を歓迎する準備が整いました!」

「そうか! 準備ができたか! では、お前達! お客人を宴の席へ御案内するのじゃ!」

『はっ!』


 フウの指示に従いフォルネ、プリムの二人はカイ、リディア、ルーアの三人を最初にゴンドラで降りた広場へ案内する。そこは最初に降り立った広場だが、現在はまるで違う場所のように変化していた。多くの料理が置かれ、周囲の木々には明かりが灯され、幻想的な光景を映し出す。また、カイ達はフウが座している間近……つまり、鳥人間ハーピーの中で一番位の高い女王が座しているすぐ隣の場所へ通される。これは、カイ達が鳥人間ハーピー達から最上級の歓迎を受けている証だ。過剰な歓迎に困惑するカイ、平然としているリディア、多くの料理を見てテンションの上がっているルーアと三人は三者三様の反応をしていた。


「皆の者! 静粛にするのじゃ!」


 フウの可愛いが威厳のある発言に先程までざわついていた空気が一瞬で静寂に包まれる。


「今宵、我らが大恩人であるリディア殿がハーピーツーリーへ来て下さった! リディア殿が成した偉業については妾が改めて説明する必要はあるまい。然るに我らはリディア殿! そして、リディア殿の愛弟子であるカイ殿! 友であるルーア殿! 三人の来訪をあらん限りの感謝を持って祝おうではないか!」


『わぁぁぁぁーーーーーーー!』


 ハーピーツーリーの象徴である神樹シーラが揺れるような大歓声が起きると同時に鳥人間ハーピーの空飛ぶ舞、美しい歌声などに魅せられ宴が開始される。


(すごいなー。こんなに大勢の鳥人間ハーピーが師匠に感謝してる……。やっぱり師匠は俺の想像を遥かに超えているんだなぁ……)


 カイがリディアへの憧れをより強めていると多くの鳥人間ハーピーがカイの元へ集まり食事を勧める。


「カイ様! カイ様! どうぞ! これも召し上がって下さい!」

「あ、ありがとう。……ん! これ美味しい! この果物は?」

「はい! カイ様! こちらの果物は神樹シーラに生えるマナピーチです」

「マナピーチ?」

「はい! マナピーチは魔力の塊であるマナが含まれているのです。ですから美味しいだけじゃなくて、魔力も回復する特別な果物なんです!」

「へー! 初めて聞いた。あれ……? でも魔力が回復するってことは、魔力全快の状態で食べるとやばいのかな?」

「いえいえ、その心配はありません。マナピーチは確かに魔力を回復させますが、その効果は副産物にすぎません。魔力全快の方が食べても身体から自然と排出され大地へ還り、またマナが生まれるんです」

「マナが生まれる?」

「はい! そうやってマナが循環して神樹シーラへ吸収され新しい実をつけるのです」


 鳥人間ハーピーの説明を聞いたカイは何か感慨深いものを感じる。魔力の塊といわれるマナだが真実ではない。マナには意思があることを魔法の修行でカイは理解していた。意思を持つマナが神樹シーラを通して果実として存在する。


(何か、マナってすごいんだなぁ……。知らないところで多くの生きている者を支える存在なんだ……)


 感慨に耽けそうになるカイだが、周囲に集まった多くの鳥人間ハーピーが許さないかの如く押し寄せてくる。


「カイ様ー! これも食べて下さい!」

「えっ? あ、ありがとう。うん! これも美味しいね。これは?」

「えへへー! その魚はライネス山の川で獲れるライ魚っていうんです! 身がぷりぷりで美味しいでしょう? それにー、私も身がぷりぷりでおいしいですよー」


 鳥人間ハーピーの魚と自分を掛けた誘惑をカイは何とも言えない表情で受け流す。


「……そ、そうなんだ」

「ちょっとー、カイ様を誘惑しないでよー!」


 プリムがカイに色目を使っている鳥人間ハーピーへ注意をするが、周囲の鳥人間ハーピーは一斉に反論する。


「何よ! プリム! あなたこそカイ様に色目を使ってるんじゃないの!」

「そうよ! まんまとカイ様のお付きになって! あれは汚いわ!」

「何を言ってるのよ! フォルネ様が推薦して下さったのよ! それにカイ様だって承諾して下さったんだから! ねー! カイ様ー!」

「あー! また、プリムが抜け駆けしてるー!」

「カイ様。ピーピーうるさい。娘達は放って置いて下さい。どうぞ、これも食べて下さい。はい。あーん」

「あなた汚いわよ! カイ様。こちらの料理を食べて下さい!」

「あー、ボクも持ってきました。どうぞ、カイ様!」

「私も!」「あたしも!」「あたいも!」「これを!」「それも!」「そっちも!」


 カイは多くの鳥人間ハーピーに囲まれながら何とか対応していた。一方、もう一人の男であるルーアはというと。


「うんうん。うめー! うめー!」

「はい! ルーア様。これもどうぞ!」

「うん? おう! もらうぜ!」

「こちらもどうぞ!」

「おう!」


 一心不乱に料理を貪り食べるルーアに対しても鳥人間ハーピーは誘惑を試みていた。


「どうですかー? ルーア様ー? 美味しいですかー?」

「おう! うめー! おかわりくれ!」

「はい。どうぞー。……ところでー、ルーア様ー。今日の夜なんですが……私がルーア様の寝室へお邪魔してもよろしいですかー?」

「断る! 次! おかわり!」

「あーん! ルーア様のいけずー。でも、ワイルドで素敵ですー!」

「いいから! メシをよこせ!」

「はーい!」


 ルーアはどこまでいってもルーアであった。そんな二人とは対照的にリディアはフウと静かに話をしている。


「どうじゃ? リディア殿。我らの料理は? 口に合うかのう?」

「あぁ、美味しい。……だが、カイの料理程ではないな」

「ほぅ。カイ殿はそんなに料理が得意なのか?」


 フウの問いにリディアは少し目を閉じて考える


「……いや、そうではないと思う。単純な味だけで言うなら、お前達が出してくれている料理の方が美味しいのだろう。……だが、カイの料理は味の満足感や腹を満たすだけではなく私の心を満たしてくれるのだ。だから私はカイの料理が一番好きだ……」


 リディアの感想を聞いたフウは「なるほどのぅ」と呟き微笑む。


「リディア殿。お主は幸せか?」

「あぁ、幸せだ。カイがいるからな」


 フウの質問にリディアは一切の迷いなく即答する。リディアの答えにフウは満足したように空を見上げて呟く。


「うむ、今日はとても綺麗な夜空じゃ」


 こうして、鳥人間ハーピーの宴は大盛況で幕を閉じた。


 ◇


 宴が終わり静寂に包まれる……これは起こるべくして起こった。全員が寝静まる真夜中にカイの寝室へ近づく一つの怪しい影があった。それは――。


 プリムだ。


 プリムは周囲に気を配り足音と羽音を殺しながらゆっくりとカイの寝室へ近づいていく。


(うふふ。カイ様は駄目って言ったけど、あれはきっと照れているのよ。だって、カイ様。私と気が合うって認めて下さったもの!)


 勝手な思い込みと解釈をしたプリムは意気揚々とカイの部屋へ進んでいく。部屋の前まで到着するとプリムは踊り出したい嬉しさを押さえこみ慎重にカイの部屋へ入ろうとする。だが、部屋へ入る前に予想外の邪魔が入る。


「何をしている? プリム」

「――ッ!」


 突如として声をかけられたプリムは大声を上げそうになるが、何とか声を出さずにゆっくりと声の方へ身体を向ける。プリムの視線の先にはフォルネが目を三角にしている。


「貴様。何故、このような時間にカイ様の寝室へ来ている?」

「えーっと。それは……。あっ! わ、私はカイ様のお付きですから! どんな時もカイ様から離れるわけにはいきません!」

「既にカイ様はお休みになっておられるのにか?」

「うっ! そ、それは……」


 フォルネの的確な指摘にプリムは言い返すことができなくなる。しかし、プリムも不可思議なことを認識する。


「……あれ? でも、何でフォルネ様はこちらへいらっしゃるのですか? フォルネ様のお住まいはもっと上のはずでは……?」


 そう、実はフォルネの寝室も全く違う区画なのだ。つまり、フォルネも用事がない限りはこの場所にいるはずがないのだ。プリムの指摘に対してフォルネをあからさまに動揺する。


「そ、それは……。わ、私はここでは女王様を除けば最年長の鳥人間ハーピーだ。大恩人であるリディア様の愛弟子であるカイ様に何かあっては心配だから来ただけだ!」

「……フォルネ様……。まさかとは思いますけど、フォルネ様もカイ様を狙いに来たんじゃないんですか?」

「なっ!? 何を言う! 狙うなどとは人聞きの悪い。私はただカイ様に良い思い出を作って差し上げようと――」

「あー! やっぱりー! 汚いです! フォルネ様!」

「汚いとはなんだ! 大体カイ様のような有望な方の子を身籠るならば若い鳥人間ハーピーなどではなく。私のように五十年以上の経験を持つ鳥人間ハーピーこそ相応しいのだ!」

「そうやって上の方が身籠ってしまっては集落に危険が及ぶと思います。ここは若い私に経験を積ませるという意味でも譲るべきではないでしょうか!」


 部屋の前でフォルネとプリムによる不毛な言い争いが開始される。しかし、争いの最中にまた予想外の人物が出現する。


「お前達! いい加減にするのじゃ!」


 突然の凛とした声を聞きフォルネとプリムは身を震わせる。なぜなら、響いてきた声の主に聞き覚えがあった……いや、間違うはずがない。フォルネとプリムが振り向いた先にいたのは、ハーピーツーリーにいる全ての鳥人間ハーピーを束ねる存在――鳥人間ハーピー女王クイーンのフウだ。


「じょ、女王様!」

「な、なぜ、こちらへ……」

「ふむ。カイ殿と添い寝をしに来た」


『……はい?』


 即答された発言の真意を読み取ることができなかったフォルネとプリムは、本来女王に対してとるべきでない態度を無意識にとってしまう。だが、少し時間を置いて発言の真意を理解したフォルネとプリムはフウへ猛抗議する。


「女王様! 何を仰っているんですか? 今の女王様では、子を身籠ることはできないと仰っていたじゃありませんか!」

「そうです! そもそも、このような時間に女王様が護衛も付けずにおられるのは危険が大き過ぎです。プリム! お前が女王様を寝室まで護衛して差し上げろ!」

「あー! フォルネ様! それはずるいです! 大体、本来護衛でしたらフォルネ様が行うべきじゃないですか! 女王様を守護する鳥人間ハーピーはフォルネ様のはずです!」


 フォルネとプリムの両者は一歩も引くことなく言い争っていると、フウが「まぁまぁ」と言いながら二人へ落ち着くように諭す。


「まぁ、落ち着くのじゃ。妾はここへカイ殿の子を身籠りに来たわけではない。それは今の姿では不可能だと昼間に言った通りじゃ」


 しみじみと語るフウにフォルネとプリムも言い争いを止めて注目する。


「じゃが、昼間にも言った通りカイ殿はいい男じゃ。妾のタイプにも、どストライクなのじゃ。そこで妾はカイ殿と添い寝をすると同時にカイ殿へ感謝の気持ちを込めて極上の快楽を与えて差し――」

「それは駄目ですー! 私だってカイ様と一夜を共にしたいんですー!」

「子を身籠れない女王様はお引き取り下さい! 今回は不肖このフォルネがカイ様に極上の快楽を提供いたします!」

「何を言うか! この青二才どもが! 妾のテクニックに勝てると思うとるのか!」


 こうして、不毛な三人の鳥人間ハーピーによる争いが勃発する。


「ここは若い私に――」

「若さではカイ様が満足せん! ここは私が――」

「満足させるのならば、妾が一番に――」


 終わることのない争いに終止符が打たれることになる。


 そう、争いの最中で扉が開かれ始めた。扉が開いてきたことに気がついたフウ、フォルネ、プリムはカイが出てくると確信する。すると、早い者勝ちだとカイが出てきた瞬間に飛びかかろうと三人は決心していた。しかし、寝室から出てきたのはカイではなく――リディアだった。


『……えっ!!!』


「り、リディア様!」

「な、なぜ、リディア様が!?」

「およ? ここは、リディア殿の寝室であったか?」


 三人の疑問にリディアは大きなため息を吐いた後で呆れながら口を開く。


「違う。この部屋は本来ならカイの部屋だ。しかし、どうせこうなるだろうと思っていたのでカイに説明して部屋を交換したのだ……」


 説明を終えたリディアは、眼光鋭く前方の三人を睨み声を張り上げる。


「貴様ら、いい加減にしろ!」


 リディアの怒声に三人は身を小さくするとすぐに謝罪をする。


「す、すみません! リディア様ー!」

「し、失礼いたしました。お許しを!」

「こ、ここは、妾の顔に免じて許して欲しい」


 三人の謝罪を聞いてもリディアの表情は厳しい。三人はもう一度謝罪しようとするが、その前にリディアから衝撃的な発言が飛ぶ。


「お前達の謝罪は受け取った。……それで? 残りのお前らはどうなのだ!」


『……えっ?』


 フウ、フォルネ、プリムが驚きの声を出したと同時に、天井、柱の影、窓の外など、ありとあらゆる場所から鳥人間ハーピーが姿を現す。そう、カイを狙っていた鳥人間ハーピーは三人だけではなかった。百人近い鳥人間ハーピーがカイの寝室へ近づいていた。しかし、リディアの指摘を受けて百人近い鳥人間ハーピーが一斉に騒ぎ出す。


「もう、ばれちゃったー!」「あんたが押すからよ!」「何で一緒に隠れたのよ!」

「しょうがないでしょう!」「あー、あー。大失敗……」「もぅー、あと少しだったのにー!」


 口々に不満を訴える鳥人間ハーピーだが、嫌気のさしたリディアは怒気を孕んで一喝する。


「全員出ていけー!」


 怒りを露わにするリディアの怒声を受けて鳥人間ハーピー達は蜘蛛の子を散らすように退散していく。こうして、ハーピーツーリーの一日目の夜は過ぎていった。


 その翌日、リディアより言明が下る。


『今後、私(リディア)に無断でカイの部屋へ入ろうとする者は私(リディア)が問答無用で一刀両断にする! 覚悟せよ!』


 リディアからの宣言に全ての鳥人間ハーピーは恐怖した。そのため、二度とカイの部屋へ無断で入ろうとする命知らずな鳥人間ハーピーはいなくなる。


 ◇


 修行のために、カイ、リディア、ルーアの三人とプリムを含んだ鳥人間ハーピーの一団がライネス山の頂上付近へ来ていた。この場所は、かつてライネス山を力で支配していた雷竜ボルクが根城にしていた場所だ。そのため周囲には岩石が散在する殺風景な風景が広がる。随行していた鳥人間ハーピーの一団は、リディア達を守護するように周囲の警戒をするため離れた位置で待機する。リディアは必要ないと言ったが、フウとフォルネから「念のためじゃよ」「用心のためです」と提案される。そのため、修行場所にはカイ、リディア、ルーア、プリムの四人となる。


「よし! では、修行を開始する。カイ。体調に変化はないか?」

「えーっと。……なんとなくですけど、少し寒いような気がします」

「少しか……」


 リディアは思案してカイを値踏みするように見てある指示を出す。


「カイ。ドランが作成した鎖帷子チェインメイルを脱いで、ミスリルの鎖帷子チェインメイルへ着替えてくれ」

「えっ? はい、わかりました」


 リディアの指示する意図は理解できないカイだが素直に従う。しかし、カイが上着を脱ぎ、ドランの鎖帷子チェインメイルを脱いだ瞬間に理解することになる。


「えっ! さ、寒い! な、何で? さっきまで、こんなに寒くなかったのに……」

「それはそうだ。君が装備しているドラン作成の鎖帷子チェインメイルは特別製だ。炎と冷気に対する耐性を備えている。冷気に耐性があるのだから、必要以上の寒さは自動的に防いでくれる。そして、前回破損したことを恥と思ったドランは鎖帷子チェインメイルの鎖と鎖の隙間へさらに網目状の金属を追加した。そのおかげで防刃機能はさらに強化されている」


 説明は耳に入っているがカイに余裕はない。凍てつくような寒さによる震えを我慢しながらカイはミスリルの鎖帷子チェインメイルへ着替える。しかし、ミスリルの鎖帷子チェインメイルを装備しても寒さに変化はない。銅や鉄よりも頑丈で軽いミスリルだが冷気に対する耐性は持っていない。


「カイ。寒いだろう。だが、それは君の肉体が感じている本来の寒さだ。ドランの鎖帷子チェインメイルを装備すれば、その寒さは防げるが……。今回は剣の技術だけでなく身体能力も可能な限り鍛えたい。だから、この環境に順応できるように、あえてこのままで修行をする。いいな?」


 身を縮こまらせながらも修行のためと心を奮い立たせてカイは気合いを入れ直す。


「はい! お願いします!」

「よし。では、まずはウォーミングアップだ。いつもと同じ走り込みや剣の素振りを行え」

「はい!」


 指示に従いカイはウォーミングアップを開始する。一方、やることのないルーアは近くにある岩の上で横になると欠伸をしながらカイを眺める。プリムは修行というものを初めて見るので興味津津という様子でカイへ熱い視線を送る。いつも通りに走り込みをするカイだが突如として異常が発生する。突然カイに異様な疲労が襲い、呼吸も苦しくなり息も乱れてしまう。激しい疲労と呼吸困難に襲われたカイは我慢できずに片膝をついてしまう。苦しむカイに気がついたルーアとプリムが焦って駆け寄る。


「おい! カイ! どうしたんだよ! もしかして、どっか調子悪いのか?」

「か、カイ様! しっかりして下さい。今、私が魔法で――」

「二人とも落ち着け!」


 ルーアとプリムが動揺する中、リディアが二人を一喝するとある説明をする。


「カイが疲労を感じていることに問題もない。問題はカイではなく。この環境だ」


 説明を受けたルーアとプリムだが意味を理解できず首を傾げる。理解できないのはカイも同様だが、疲労と呼吸困難の影響で動くことはおろか声を出すことも難しい。


「ふむ。まぁ、お前達二人には実感できないだろうが詳しく説明しよう。カイもそのまま呼吸を整えながらでいいから聞いてくれ。このライネス山は標高六千メートルだ。悪魔や魔物であるルーアとプリムには関係ないが、人間にとって標高が上がるということは大きな問題が生じる。一つは気温の変化だ。標高が高くなればなるほど気温は下がる。そして、もう一つ気圧の変化と酸素濃度の低下だ。酸素濃度が低下することによって酸素を上手く取り込めず、結果的に呼吸をすることが困難になる。……現在、カイの身に起こっているようにな」


 リディアからの説明を耳にしたカイは理解する。この異様な疲労と息切れは呼吸が上手く出来ていないからだと。そのためカイは意識して呼吸をゆっくりと行う。すると徐々に身体が楽になっていく。カイが呼吸を整えているとルーアが不機嫌そうにリディアへ噛みつく。


「おい! リディア! 理屈はよくわかんねぇーけど、こうなるってわかってたんならカイに教えれば良かっただろうが!」

「馬鹿者! それでは修行にならん! 言ったはずだ! 今回は剣だけでなく、カイの身体能力を鍛えることも修行だと。事前に対策をするのではなく。この環境に慣れる。もしくは乗り越えて欲しいのだ」

「あ、あのー、そのー、私は頭があまり良くないので、リディア様の仰っていることはよく理解できないのですが……。カイ様が苦しんでいるので、私が魔法で回復させてもよろしいでしょうか?」


 プリムがカイを心配してリディアへ提案するが、その提案を即座に却下される。


「プリム。お前のカイを心配してくれる気持ちは嬉しい。しかし、今はまだその時ではない。回復をさせて欲しいときは私が声をかける。だから、それまでは手を出さないでくれ」

「は、はい……。わかりました」


 リディアに諭され渋々と引き下がるプリムだが納得はできずカイへ心配そうな視線を送る。リディアは疲労の色濃く片膝をつくカイを見降ろす。


「では、カイ。呼吸が整ったら本格的な修行を始めるが……、問題はないな?」

「は、はい……。よろしく、お願いします……」


 いつもとは違う雰囲気のリディアとカイ、二人の様子をルーアとプリムは心配そうに眺める。


 ある程度の時間を置くとカイの状態もようやく落ち着く。すると間髪入れずにリディアは説明を始める。


「では、次の修行について説明をする。三ヵ月後の剣闘士大会へ出るため君には圧倒的に不足しているものがある。わかるか? カイ」


 唐突に振られたカイは思わず考え込み首を捻る。


「……体力や剣の腕でしょうか?」

「確かに、それらも不足しているとは思うが、それ以上に不足しているものがある。それは経験だ」

「経験……?」

「そうだ。君は魔物や魔獣との戦闘経験はかなり積んでいるが人間との戦闘経験はほとんどない。恐らくアルベインと戦ったぐらいだろう?」


 指摘を受けたカイは自分の今まで戦った相手を思い返す。


(えーっと。粘液怪物スライムブラックウルフ爪熊ベアークロー骸骨スケルトン砂蚯蚓サンドワーム……。確かに人間とはほとんど戦った経験がないな……)


 カイには多くの戦闘経験はあったが、人間を相手にしたことは全くなかった。唯一の経験がアルベインとの模擬戦だ。リディアはそのことを誰よりも理解していた。


「理解したな。だから、今後は対人戦闘の訓練を中心に行っていく」

「はい! お願いします!」

「よし。では、これを使え」


 説明が終了するとリディアは模擬剣を取り出しカイへ手渡す。リディアから渡された剣をカイは不思議そうに眺める。


「これって模擬剣ですよね? いつの間に……」

「ドランの店に寄った時だ。君の鎖帷子チェインメイルを受け取るついでに模擬剣も買っておいた」

「あー。なるほ……ど……?」


 説明に対してカイは相槌を打っていたが、リディアがもう一本の模擬剣を取り出し素振りをしている姿を見て驚愕する。


「し、師匠……。ま、まさか、俺の相手って……」

「私だ。ここに私と君以外の人間がいるのか?」


 驚愕の事実を聞かされたカイは寒さも呼吸のしづらさも一瞬忘れ目を見開く。だが、すぐに我に返ると悲鳴にも近い声を上げる。


「いや! 師匠! いくらなんでも師匠と戦うなんてまだ早い気が――」

「心配するな。私に勝てとは言わん。だが、私に一撃も当てられないようなら剣闘士大会への参加は認めん。カイ。君の覚悟を見せてもらうぞ!」


 真剣な視線でカイを見つめるディアに何も言えなくなる。覚悟を決めたカイは不安を抱えながらも精一杯の気持ちを込めて返答する。


「……はい。わかりました……」

「よし。では、始めよう。……あと、忠告するぞ? この修業は実戦だと思え。そして、……私を殺す気でかかってこい!」

「はい。お願いします。師匠!」


 敬愛する師であるリディアへカイはいつも通り丁寧に返事をする。だが、カイの返答を鼻で笑うとリディアの姿が掻き消える。次にリディアが姿を現すとカイの眼前に迫り無言で腹部へ拳を叩き込む。


「おえっ!」


 リディアから容赦のない拳がカイの腹部に叩き込まれる。全くの無防備だったカイは膝を折り四つん這いになる。自分の意思ではどうすることもできず苦悶の表情を浮かべ胃からは朝食などが逆流して嘔吐する。そんな衝撃的な光景を傍から見ていたルーアとプリムは声にならない驚きをする。また、不意打ちのような攻撃をしたリディアへ非難めいた視線を飛ばす。しかし、二人からの視線を全く気にせずリディアはカイに冷徹な口調で吐き捨てる。


は、私を舐めているのか? これは実戦形式の対人訓練! そして、私を殺す気でこいと言ったはずだ! なのに……『お願いします』だと? ふざけるのも大概にしろ! 相手を殺す際に、そんな悠長なことを言うのか? いいか! 実戦なら貴様は死んでいた! その程度ですんで良かったと感謝しろ! ……では、立て! それから、今一度言う。私を殺す気でかかってこい!」


 一方的なリディアの宣言にカイは自分の間抜けさを痛感していた。


(……そ、そうだ。これは……、実戦だって師匠は言っていた……。なのに、いつまでも甘い考えでいた。……師匠は……、俺のために心を鬼にしてくれている。だったら、……俺も、その師匠の想いに応えなきゃあ!)


 カイは苦痛を押し殺して立ち上がり剣を構えるとリディアへ向かい吠える。


「あなたを、……倒します!」

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