91.おつかれさま

 その戦いは一秒にも満たなかった。

 一回瞬きをして、次に瞼を開いたときには終わっていた。

 そして彼は理解した。

 コンマ数秒の交錯、刹那の思考で理解した。


 この男には絶対に勝てない。


 かつて世界を恐怖のどん底まで叩き落した存在。

 魔神という絶対的な力、さらにその三重ですら歯が立たなかった。

 勝てるという算段だったのだ。

 浮かんでいた勝利のビジョンが、ガラスのように砕け散ったような感覚を思い知った。


「っ――」


 だから彼は逃げ出した。

 一心不乱にその場を去った。

 転移魔術が使えたのは奇跡だろう。

 そして逃げ果せた直後に気付く。


「はぁ……はぁ……」


 まるで何秒も呼吸を止めた後のような苦しさだった。

 それほどの威圧感、絶望感に襲われていたことに気付かされた。


「あれは勝てませんね……少なくとも今は」


◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇◇


「……逃げられたか」


 振り返ったときにはもういなかった。

 初めての魔神化で、他に注意を向ける余裕はなかった。


「うっ……」


 気が抜けたら急に――


 全身の力が一気に抜けてしまった。

 魔神化が解けると、崩れるように落下した。


「クロト!」


 そんな俺をユノアが支えてくれた。

 彼女に抱きかかえられながら、ゆっくりと地上に降り立った。

 地面についた足が、まだ浮いているような感覚異常が残っているようだ。

 しばらくはまっすぐ歩けそうにない。


「無茶しすぎだよ、もう」


「悪い」


「魔神化……本当にできたんだね」


「まぁな。ぶっつけだったけど上手くいったよ」


 魔神化の可能性については、以前にユノアにも話していた。

 そのときはハッキリとした条件もわかってなくて、ただ漠然と可能かもしれないというだけだった。


「だけどまだ不完全だったよ。あの状態じゃ眼が使えないし、コントロールが難しくて一分も保たない」


「それでも十分だよ。あれだけ強いんだから」


「いいや足りない。あいつは知っちゃったからな。俺と戦うためには、もっと戦力が必要だってことを」


 まず間違いなく、次に戦うときには大量の魔神を生み出しているだろう。

 数体ならともかく、何十何百、最悪何千もいたら終わりだ。


「そのときはボクも――」


「駄目だ。魔神の力の制御は、この眼がなくちゃできない。お前だってわかってるだろ」


「そうだけど……クロトばっかり苦しい想いをするなんて……嫌だよ」


「ごめんな心配かけて。でも大丈夫だから。ちゃんと制御してみせるよ」


 次に戦うときまでには必ず。

 そうでなければ守れない。

 生徒たちも、国も、ユノアのことも守れない。


「さっ、そろそろ帰るか。いろいろ報告しないとだしな――っと」


 地面から立ち上がろうとした俺は、支えられずにふらついた。

 ふらついた先に彼女の胸があってもたれ掛かった。


「もう少し休んでからいいよ。ボクが見てるから」


「……ごめん。ありがとう」


「うん。おつかれさま」


 彼女の胸でほんの少しだけ眠った。

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