第41話 英雄へ

 大きな光が世界を包んだ。その光は、段々と消えていき小さな点になった。

 暗雲は晴れ、静かな風が吹いていた。雲の間から光がもれている。ノアは、心地よい風に乗るように、ゆっくりと地上へと降りていった。



     ※   ※   ※



 気が付くと両軍の騎士は、みな武器を手放していた。魔力によって召喚されていたゴブリンの集団が、いつの間に一匹残らず姿を消している。

 慌てて足元の武器を拾おうと、手を出した騎士の一人が言った。


「……武器が掴めない」

 スカッ、スカッと見えているはずの武器が指先をかすめるだけだった。手袋を取って土のこびり付いた手を伸ばしても、結果は同じだった。


「ハッ……ハハ、何だ、こりゃあ。剣が掴めないぜ。回避魔法か何かか? だ、誰か俺に武器をくれっ」

「こ、こっちも一緒だ。武器が拾えない」


 足元には剣や槍が転がっていた。すべての騎士たちは、無意識に剣や槍を手から離してしまっていた。地面に張り付いた武器は、どうやっても触れることすら出来なかった。皆が指を開いたり閉じたりして地面をまさぐった。すぐに剣が必要だという恐怖に捕らわれた騎士たちは、こぶしを地面に叩きつけた。

 

「武器を拾え! 命令に背けば厳罰だぞ」

 連隊長ロフタスは声を張り上げて、戦闘態勢の号令となる魔笛を鳴らそうとした。「……何も鳴らないだと? 魔力が失われているのか」


 両手を見つめて、ある騎士が言った。「……まったく魔法が使えない。だれか、魔法を使えるヤツはいるか?」



 誰ひとりとして魔法が使えないことに、峠のどこかしこでパニックのような叫び声がしていた。罵倒や、殴り合いをはじめる騎士たちもいた。もともと魔法を使えない人間にとっても、どうでもよい話では無い。

 世界から魔法が消えてしまうことは、今まで築いてきた文化、文明が何百年も後退するほどの、大問題だ。


「落ち着け。危険はない……むしろこれで、良かったんだ」誰かが言った。

「何だって? 武器も持たずに戦地にいることの何処がいいんだ」

「相手も、誰も武器を持ってないんだぞ。危険はないんだ。お前の脇の下から湧き上がる匂い以外はな……」


「はっ、あはははは」

「ひーっ、ひーっ!! その匂いなら、慣れっこだ。死にゃしない」

 騎士たちは腹を抱えて笑いあった。身体をくの字にまげて転げまわる者までいる始末だった。


 強力な魔法で遠距離から脳みそをぶちまけられる心配も、火炎で生きたまま焼かれる恐怖も、トラップでミンチになって即死する地獄も無くなった。

 世界に魔法が無くなり武器を手にしている人間も居ない。あわてる必要なんかない。戦況を遠くから見張っていた得体のしれない誰かの魔法だって、無くなっている。


 ――何もかも捨ててやり直すことは出来ないだろうか。武器を捨てることは、そんなにも難しいことなのか。

 騎士たちは、こんな当たり前のことに、いままでどうして気が付かなかったのだろうかと考えた。どうして戦争は終わらないのか。どうして騎士になったのか。どうして、あの美しい自分の土地から離れて、ここにいるのか。


 理由なんて無かった。誰もが、ただ生きるために、人を殺し始めただけだった。

 なんだ……魔法なんて必要ないじゃないか――武器と魔力を失った人々は不思議とすっきりとした心地よい気分を味わっていた。

 誰も魔法が使えないとなれば、慌てふためく必要など毛頭ないのだから。


「酒でも飲まなきゃやってられねぇ!」

「そうだ、戦争なんてもう終わりだ。さっさと酒持ってこい」

「俺の下着も持ってきてくれ。興奮して漏らしちまった」

「……ぐわっはっはっはは」

 騎士たちは腕を振り上げ、喜びに紅潮した表情を浮かべ叫び、笑いあった。



「ふざけるな! 命令に背けば……」ヴィネイスの副官が混乱を沈めようと駆け寄るが、騎士たちはきっぱりと言った。

「命令? 命令なんか魔力を介した通信が無けりゃ出来っこない。厳罰だって出来ない。捕獲魔法も拘束魔法も無いんだぞ」

「なんだと? じゃあ、法や規律はどうなるんだ! 軍が無くなれば秩序も平和も無くなるんだぞ」


「………」

 馬のいななきが聞こえ、騎士たちは丘を見上げた。白馬にまたがった死神ベインは、漆黒のマントをひるがえし頭上高くそびえていた。


「ヴィネイスよ、道をあけよ」

 騎士たちは道を開けて彼を通し、まっすぐに連隊長のもとに彼を誘導した。

 バカ騒ぎをしていた男たちも、ていねいに頭を下げ、ベインを見守った。

「戦争は終わった。隠者は魔力の根源と共にあり、魔法は無くなった」


 ロスタフは苦笑いを浮かべた。連隊長は、今更のこのこと現れたベインに対する騎士たちの態度が気に入らなかった。


「どういうことだ? ベイン卿」

「……ロフタス様ですね」

 いつの間にか白馬の足元には、若い娘が一人たっていた。軽装を外した娘が、馬を降りるベインの横から話しかけてくる。

 

 共に来た娘とはローズだった。彼女は無防備ないでたちでヴィネイスの騎士たちの中を歩いてきたのだった。騎士たちがきょとんとした目を向けて道をあけると、ローズは少し悲しそうに微笑みかけ、話し始めた。


「戦争の原因は魔力を多く得ようという王家の諍いが発端です。魔力が無くなった今、争う理由はありません。さっさと国に帰ったほうがいいでしょう。少なくとも自国の法と秩序を守ることは出来ます」


 ロフタスは周囲の目にさらされ、額と首筋に汗がにじみ出ていた。なにか言おうとしたが、なにも言い出せなかった。察したベインが、ささやく。

「この方はヴィネイス王家の血筋、氷の城の女王ラデュレの娘。我らの姫だ」


「何だって? 魔力に終焉をもたらすと云われる、あのお方なのか」

「そうだ、控えろ」

 騎士達は一瞬凍りついたように静まり、どよめきたった。


「世のほころびを繕い、運命を紡ぐという氷解の魔法使クリオマンサーいの末裔だ。もっともステイトでは、解封師と呼んでいるが」


 ロフタスはベインの胸ぐらをつかむと顔を近づけ、ほとんど叫ぶように聞いた。「終わると思うのか!? 本当に魔力がなくなれば、争いは終わるのか!」

 ベインも叫び返す。「ああ、思うとも。王家の諍いに付き合うことは、ないだろう?」

「そ、そんなことが信じられるか!」

 

 突き飛ばされたベインを庇うように、ローズは背中を抑えて言った。

「お互いの魔力を奪い合い封印し合い、殺しあう。宝箱とトラップには事欠かないけど結果はどうかしら。終わることがあると思うの?」


「な、なんだと。ああ?」ロフタスが叫ぶと、騎士たちはささやき合うように口をひらいた。


「……終わりだ。終わりにするんだ」

 連隊長の顔はひきつって歪み、口元はぶるぶると震えていた。

「こ、こんなにもあっさりと魔力に終焉がもたらされるのか……」


「そうだ、終わったんだ」ベインが顎をさすって言う。「急いで帰ったほうが賢明だ、宝箱の封印も解けているだろう」


 死神ベインは騎士たちの中央で声を張り上げ、笑った。

「あっはっはっは! 急いで、お宝を掘り出しに行った方がよさそうだな!」騎士のケツを叩いて続ける。「魔物の封印も解けているかも知れないから、気をつけろよ」


 ぞろぞろと引き上げていく騎士たちを見送るベインとロフタスは、お互いの健闘をたたえ合うように、目を見合わせ肩を叩き合った。


「おかしいと思わんか……人間同士で殺し合う必要はなくなったなんて。しかし多くの過ちが許されるはずなんてない。魔力がなくなったとしても、罪や憎しみまでは消えないぞ。決して」

 

 ある意味、こんな想像を超えた状況になれば、有能な人間ほど底抜けのバカに見えてしまうとベインは思った。元老院やら民主制議会やらで、質疑応答でもしなければ、当たり前のことも決められない。


「……紙一重だな。あの魔法使いと」

「なんだ?」

「いや、何でもない。罪は、民を守ることで償えばいい。傷だらけで、たったひとりで、この峠の争いをくい止めた老騎士を見ろ。この騎士が戦争はやめろと言い、誰もが武器を捨てた。ここで、きっぱり終わりにするのが、連隊長の役目じゃないのか?」

 

 ヴィネイスの連隊長ロフタスは、やっとの思いで意志を固め、辺りを見渡した。すぐに、このことを民衆に知らせるべきだと思った。


「さあ! 国に帰るぞ!」 

 地鳴りのような歓声が沸き上がった。

 いま、この瞬間に世界は変わったのだ。さらに叫び声が大きくなる。ますます歓声は広がり、ベルファーレの峠に響き渡った。



「お待ちください」女中姿のローラとサマーは砦を指して言った。ベインとロスタフは、お互いを見合った。「祝宴の用意があります」

 


 文明は、また築けばいいという意見が支配していた。人間は、いったん武器を捨て立ち止まってでも、自分たちで考えるべきだと誰もが理解していた。文明は何度でも築くことができるが、脅威を取り除くことは、勇気ある決断が必要だ。


 その勇気ある決断をくだした英雄達をたたえる歓声が響き渡った。

 もとより魔力とは、人間のものではなかった。民衆は、すでに膨大な魔力にたいして危機感をもっていたのだ……とても敏感に。

 

 魔力に頼らないで生きることを、不便で辛いと感じる人間は多かったが、生物としてどちらが正しいかといえば、答えは明白であった。


 人間にとって、それはあるべき姿だったのかもしれない。魔力を封印された人々は悲観的ではなかった。強い確信とゆるぎない自信を持って、これからの未来に希望を見たのだ。


 この偉業は、国家間の停戦協定の礎となり、両国の歴史に刻まれることとなる。後日、王都サン・ベナールにはヴィネイス皇帝の臣下を迎え入れ、魔力の無くなった世界をどうまとめて行くかという共同議会が発足することとなる。



 変化の暗示、死神のベイン。前進の暗示、戦車のロスタフ。そして調和の暗示、節制のローラ。彼らの名前は、国中に響き渡った。


 ――だが、真の英雄の名が語られることは無かった。


 




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