第40話 決断の時

 空高く、悪魔と隠者の暗示を持った二人の魔術師は、組み合ったまま明滅する光に包まれていた。投影魔法によって解封師の少女は、じっと遠くからその姿を見つめる。

 皮一枚、ゼロ距離での攻防は均衡を保っているようにも見えるが、父の目は大きく見開かれ、額には網のような血管が浮き出ていた。


 リウトの顔は……歪みながらも、まるで笑っているようだった。この位置からは見えないがローズはそれを感じ取っていた。

 

 彼がこんなにも色々なものを背負って成長を遂げたことを、誰が信じるだろうか。あの日、老騎士に石を投げつけることしか出来なかった青年。優秀な大魔法使いだと聞いて、一筋の涙を流した青年。そのあと大泣きしていたのは別だけど、すぐに父に会えるよって勇気付けてくれた青年。

 

 苦しんで、負け続けたからこそ強く成長した。ローズは、彼が笑っている理由が分かるような気がした。こうやって戦えるのが嬉しいのだ。そして封印術師が、予想を遥かに超える強さを持っていたのがまた、嬉しいのだ。

 彼は心のどこかで……自分と同じように苦難を糧に魔術師の到達点へと登り詰めた男と、闘ってみたいと感じていたのかもしれない。



 少しでも気を抜いたり、尻込みすればどちらかの肉体は一瞬にして塵と化す。

 魔術をかけては封印され、攻撃に転じれば解除され、衝撃の魔術は薄膜の防御壁を何百、何千と二人の身体を行き来していた。


 狂気の沙汰だった。ローズの全身には戦慄が走り、狼狽した。この鳥かごのような状況から逃げ出したくなった。

  

 ――いえ、わたしが見届けなくてどうするというの。




    ※    ※    ※



 既に全身のあちこちから血がしたたり落ちていた。乾いた血の上に、更に血が流れ、黒い塊が体中にこびり付いていた。たった一人の老騎士を撃つのに、常に黒騎士が五、六人で切りかかっているのだ。



 ついにダリルの左肩に黒騎士の剣が振り下ろされた。血しぶきが飛び散り剣を握る手が滑った。飛びのくと、ふくらはぎをスッパリと切られた。


「ぐわっ!」

 今の攻撃は見事だったと内心で黒騎士を褒めたが、着地の寸前に膝を着くはめになった。


 バランスを崩したダリルは、剣を地面に付かなければならなかった。すぐさま剣を握ろうとしたが、遅かった。握るにも指が二本、無くなっていた。


「すまん、リウト。ここまでだ」

 続けざまに何本もの黒騎士の剣がダリルに降りかかった。


「お前はバカじゃなかった、リウト。死ぬ前に訂正しなきゃあ……」


 わしは人間として失格だったから言いはしなかった。お前はバカなんかじゃない。他の人間がお前をバカだと言ったとき、わしは許せなかった。本当に殺してしまうかと思ったんじゃ。


 わしは、いつの間にかお前を誇りに思っていた。お前と親子になりたいとさえ思っていた。まるで息子のように感じておった。


 そんな資格は無かったけども……。


 キイイイ―――……キイイイ―――……


 ダリルの意識は朦朧としていた。目の前に多くのゴブリンの仲間が集結しているのを信じられなかった。最期の夢を見ていると思った。


 老騎士は意識を失った。

 

 


 黒騎士たちは、進軍を止めた。

 突っ伏したダリルの前にゴブリンが陣取っていたからだ。かつてはゴブリンのような知能の低いモンスターを自在に操った人間もいた。だが、意識を失った人間をモンスターが庇うことなどありはしなかった――ただの一度たりとも。

 

 黒騎士の一人が口を開いた。「魔獣ビースト使テイマーいだ」

 他の黒騎士は乱れた。目の前の不可解な事態に手を止めつぶやいた。

「ゴブリンどもは、あの騎士を命がけで救うのか」


「……待て。俺達は一人も殺されていないぞ、殺す気がないんだ」

「そんな白騎士は初めてだ」


「俺たちはゴブリンを退治に来たんじゃない」

 敵ながら、ヴィネイスの騎士たちには信頼にも似た敬意が芽生えていた。もし、この勇気ある騎士が自分の軍にいたら、ゴブリンと同じように喜んで盾になったのではないか。この騎士の部下になれば、必ず正しいほうへ導いてくれるのではないか。


 城門には、スタン・トラップや怪我から解放された白騎士が駆け出してきていた。戦場は、未だ膠着していた。前倒しに倒れている老騎士を中心に。たった一人の、動きもしない薄汚れた老騎士が、なおも戦闘を食い止めているようだった。


      ※   ※   ※



「ダリルとかいう騎士の声が聞こえたか?」

 リウトと組み合ったままノアが言った。

「貴様と親子になりたいとは、随分と笑わせてくれる」

「うっ……く、どの口が言うんだ? 自ら父親になった貴様がそれを笑うとは皮肉だな。でも、やっと決心がついたよ」


「ほう」

「あんたの考えているような方法じゃ到底、戦争は無くならない。ローズは渡さない、世界を敵にまわそうとも」


「なんだと」ノアは眉を吊り上げた。

「俺がやる。俺が全部持っていってやる。お前の後悔、お前の呪い、お前の思い、お前の未来、お前の希望、見ろ! ノア。全部俺が! 全部俺が持っていってやる!」


「や、やめろ。何をする気だ!」

「こうするんだよ。うおおおおおおおおおおおおおお――……」ノアの右手を若き魔法使いが引き寄せる。伝説の五つの指輪が音をたて順に砕け散っていく。

 

 天――雷――氷――火――地。

 リウトは封印術師の全ての魔力を吸い出して、雄叫びを上げた。


 髪は逆立ち、奥歯が割れそうになった。リウトの全身はブルブルと痙攣し、まばゆい光に包まれていく。リウトの身体から炎が立ちのぼった。喉が焼け付きリウトの声が霞んでいく。


 頭上の空間にはいくつもの光が差し込み、リウトの頭の中を掻きむしるように、きらめき漂った。熱狂から静寂へ。爆発から収束へ。




〝魔力の源〟へとたどり着く。そこで待っているものは……リウトは両手、両足をもがれ、何も感じることの無い永遠の牢獄へと送られる。


 魔力の源の一部となって永遠に生き続ける運命を選ぶのだ。初めて、この方法を思いついたときから、リウトはずっと気がふれるほどの恐怖を感じていた。ダリルの声を聴くまでは、それにも増して怖かった。


 仲間の声によって、やっと正気を取り戻すことが出来るほどの恐怖――それが現実というものだ。


 だが後悔はしていなかった。この世界では誰もが心に傷を負っていた。不安、憂鬱、ストレス、焦り、恐怖、無気力、逃避、自責、屈辱、裏切り、失敗、後悔、悲しみ。誰もが苦しみを抱えていた。同じ人生を繰り返したいとは誰も思わない歪んだ世界。


 リウト自身も大きなトラウマを抱えてきた。それが全部終わるのだから。

 

 ……最高の気分だ。


「!?」

 目の前でノアは茫然としていた。

 悲しい気分だったかも知れないし、大声で笑い出す寸前だったかも知れない。目の前で、自分の娘を奪おうとした男が電気イスにかけられているいるように見えたかもしれない。


 あるいは、感謝と尊敬、畏怖の念を抱いたのかもしれない。

 何か言いたそうな顔をしていたが、さすがに状況を見て察したようだ。


『何も言わなくて大丈夫です。最後まで手を握っていてくれるだけで感謝しています』

 リウトは、そう伝えたくなり、そんな自分が可笑しくなった。あなたと戦えたことは、俺にとって最高の時間でした。

 

 まさか、あの速さであらゆる魔術を使いこなし、時には封印術と解封印までも繰り出せるなんて……常識じゃ考えられいほど強かったです。こっちは、腕輪に指輪に山ほど助けられてるっていうのに。

 

「……―――――――――――――――――おおおおおおおっ」

 



   ※    ※    ※




 ローズ、そこにいる?


 うん、ここにいるよ


 君の父さんの力を拝借するよ


 うん。でも封印術や解封術を使っても魔力の源を消すことは出来ないんでしょ?

 そうだ、だから隠すことにしようと思ったんだ


 隠す? ですって

 俺の能力なら出来るかもしれないって思ったんだ

 どういうこと?


 へへへ、『かくれんぼ』さ


 この世界から魔法は消せやしないわ


 魔力の存在を隠すことは出来る


 この世界から争いは消えないわ


 武器を隠しちまうか


 隠しただけじゃ、根本的な解決にはならないんじゃないかしら


 そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない


 そんな事に命を投げ出すの?


 俺の能力で、少しでも誰かが救われるなら


 やさしいね。私は……私は傷つくよ。とっても、とっても


 ああ、すまない。ローズ、君は俺が好きだったから


 うん、知っている。リウトも私のことが好きだったから


 はは……知ってたか。でも、お別れだ


 ううん、いや。私もリウトの力になれるのよ


 ああ、もちろん君の力も借りるよ


 ありがとう。じゃ一緒に連れていってくれるのね?


 いや、連れてはいけないんだ


 二人は幻影の中で手を合わせ――抱きしめ合った。ローズの大きな瞳に、ぽろぽろと涙が溢れだした。


「バカぁ! バカぁああっ! リウトの……バカっ!!」



 ――おいおい。俺がバカなのは、俺が一番よく知っているぜ。


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