第39話 償いの剣

 ベルファーレの小高い丘からは、飛び散る土が浴びせられ、騎士たちが次々と転げ落ちていく。膝を付き、赤土の匂いを目一杯吸わされた黒騎士は互いに顔を見合い、何が起きているのか分からないという顔をしていた。落伍兵の数は絶えまなく増えていった。


 ダリルはたった一人で黒騎士と闘っていた。ただのショート・ソードを振り回しながら〝殺さず〟に戦っていた。

 誰に何を言われようと自分の決めたやり方を悔いてはいなかった。眼下に続く峠道は黒騎士で埋め尽くされている。

 

 騎士たちは、ジリジリとダリルを追い詰めていた。人間が弾き飛ぶほどの剣圧を振るいながらも、その動きは決して速くはない。老騎士は決まったタイミングで隙を作るため、リズムにハマってしまうのだ。ときおり無気力な表情を見せ深く吸った息を、ゆっくり吐いた。

  ヴィネイスの連隊長ロフタスが雄叫びを上げる。


「ええい! 隙だらけではないか、さっさと殺せ!」

 老騎士ひとりを前に二百の兵が行軍出来ないなど聞いた事がない。副官は大声で返事をした。


「そ、それが駄目です。な、何故か攻撃が……剣が、簡単に受け流されます」

「なんだって?」


 ダリル特有の剣技だからこそ、何時までも敵の剣を捌き続ける事が可能となる。黒騎士達は彼の恐ろしく正確で、計算された剣技に畏怖の念を抱いた。白騎士の軍では〝臆病者〟と呼ばれていた彼を、恥さらしと罵られていた騎士を――戦っている黒騎士達は誰よりも恐れていた。


 剣を交えた者にしか分からない――この男は常に隙を見せつける。

「なさけないのぉ。ほれ、打ってこい」

「くっそおぉ!」

 

 余裕を見せつける。その隙に剣を撃ちこめば、それはダリルの思うつぼだった。手首を打ち付けられ、黒騎士の剣は宙に跳ね上げられた。すると、とどめを刺す代わりに黒騎士の集団に蹴り飛ばされる。

 

 また一人、坂を転げ落ち列をなした黒騎士たちの足元に倒れた。脇を抱えられ立ち上がると黒騎士は言った。


「歯がたたないだと? どうしてだ! あんなノロマに……だ、誰か、あの騎士を倒せるものはいないのか」

「ま、マジックアローも効果がありません」


 まるで殺す価値もない、さっさと出直して来い――と言わんばかりの行為だった。黒騎士は誰一人として、この騎士を臆病者とは思わなかった。真逆である。


「ええい! どけ。わしが行く。続け!」額にしわを寄せた大男が、仲間の騎士を押し除け前へ出る。

「オオオ!」

 尚も黒騎士たちの剣は雨のように彼に降り注いだ。かわした剣は地面に叩きつけられ土を舞い上がらせた。老騎士は剣と、土の両方の雨を浴びせられた。


 緊張感が途切れることはなかった。汗ばむ手でグリップを握り直し、時にはゆっくり、時には素早く剣を捌いていった。化け物のように勇敢な騎士にしか出来ない技術だった。彼にしか出来ないものだった。

 

 ――死はとっくに覚悟していた。


        ※


 ダリルが十二歳の時だった。漁村の学校から家に帰ると母親が死んでいた。酒浸りの父親が殴りつけた勢いで、あっさりクビの骨を折ったのだ。

 

 今朝まで笑顔でダリルの事を抱きしめてくれた優しい母は、ただの人形のようにピクリともしなかった。圧倒的な恐怖と絶望。それは息をする気力さえ失うほどの絶望だった。

 

 父親は言った――黒騎士がやったと。まだ幼かったダリルは本当に黒騎士がやったと信じたかった。だが、ダリルが騙されることは無かった。父親を殺してやりたかった。大好きな酒瓶で頭を叩き付けてやろうか毎晩考えた。そして村の連中にこう言ってみよう――黒騎士がやったと。

 

 ダリルは毎晩のように悪夢を見るようになった。殺すことばかり考えていたからだ。そして、母のことを思い出すと大粒の涙がこぼれ、幼いダリルのえらのはった頬をつたった。

 

 村中の人間から――母を殺した黒騎士を殺すために白騎士になるように勧められた。殺して来い、一人でも多く殺して来いと期待された。

 

 ダリルは丁重に断った。あの背筋を貫くような恐怖と悲しみを知っていたからだ。父親は臆病で疑り深いダリルの厄介払いができると思ったに違いない。母親のかたきが討てないならば、この家から出て行けと言った。

 

 その日、荷造りをしたダリルは、家を出た。そして白騎士となった。

 

 白騎士になっても、ヴィネイスを殺す理由が見つからなかった。ヴィネイスを見つけたら、女だろうが子供だろうが殺せと言われた。

 

 そして目の前に、縛り付けられた黒騎士を斬れと言われたことがあった。

 


        ※     


 まだ十六か、十七の時だった。


 オレリノ渓谷には雨が降っていた。一か月に及ぶ戦闘が終わり、後退する敵軍の怪我人が道端にあふれていた。

 ダリルのいた小隊は、敗残兵を殺しながら防衛線をはっていた。彼らは嫌な仕事だと言い張っていたが、それは詭弁であり、殺しを楽しんでいるように見えた。彼らは殺すときに躊躇も警告もしなかった。

 

 警告すれば、もがいて仕事がしにくくなるうえ、見苦しくのたうちまわり騒がしくなるという理由だった。彼らの仕事は手際よく、苦痛も恐怖も最小限に抑えているかのように見えた。

 

 それを情けだと思い込み、奇妙なうぬぼれに酔っていた。ただ一人、若きダリルだけが、恐怖と絶望に戸惑っていた。彼が敵の騎士にとどめを指している姿を見たものは居なかった。

 小隊長は、怯えたダリルをひっぱりだして、大声を上げた。


「貴様、何故一人も殺しておらん! 殺せ!」

「わ、私には無理です」

 息が苦しくなって手が震えだした。まわりで騎士たちが自分を見ている。


「殺すんだ。これは命令だぞ!」

「……いやです……いやです」

 沈黙が襲った。長い、沈黙に押しつぶされそうになる。何かしゃべろうとしても、唇が震えるだけだった。白騎士になっても、あの家に居ても同じだった。

 酒浸りだった父親の言っている事と何が違うのだろうと思った。全部、敵の黒騎士のせいにしているだけじゃないのか。


 吐き気がする。目の前の人間の人生を終わらせろと叫ぶ人間と、死を前に怯えた表情を見せる黒騎士。

 なにより、ここにいる自分にただ、吐き気がした。この沈黙から解放されるのであれば、自分はどんな捌きでも受けよう。殴られても構わないと思った。


 命令に従えないダリルは幾度となく、小隊長や仲間であるはずの騎士たちからリンチにあった。顔の形が変わってしまうほど殴られた日もあった。気を失って、戦地に置き去りにされたこともあった。


 やがて騎士たちは、呆れ果て殴るのをやめた。

 若き日のダリルは叫び続けたからだ。小さな子供のようにみじめで情けなく、何度も「ごめんなさい、ごめんなさい」と叫び続けた。


 はじめは、小声で何か歌っているのかと思われ、周りの白騎士を笑わせた。だが、その声は、あまりにも惨めすぎて、あまりにも切なすぎた。こんな臆病者を相手にすることは、仲間の中でも恥でしかなかった。


 結局、黒騎士を一人も殺していないというのがダリルの代名詞になっていた。いつしか、臆病者と呼ばれることで過去の償いをしているような感覚になった。

 


《ダリル坊や、おっきな蛾を追い払ってくれたのね? ありがとう》

 うん、言われた通り殺さなかったよ。窓の外に追いやったんだ。でも、どうして母さんはそんなに優しいのに、あんな乱暴な親父と結婚したの?


《あの人は乱暴だけど、いざとなったら私たちを守ってくれると思ったからよ》

 ぼくが、守ってあげるから大丈夫だよ。母さんが、あの親父を信じてるなら、ぼくも信じるけど、あいつは酒ばっかり飲んでてすぐに殴るんだ。


 だから、嫌いだよ。母さんのことも殴ったの、ぼくは知ってるんだ。あいつの血が流れていると思うとゾッとすることがあるんだ。ぼくも、あいつみたいに誰かに乱暴するんじゃないかって心配になるんだ。

 

 今度、母さんに手をだしたら、ぼくは親父を許さないよ。殺してしまうかもしれない……ぼくは自分が怖くなるんだ。怖くて怖くて、しかたないんだ。


《臆病でいいのよ、ダリル坊や。だって臆病な人間じゃなければ勇気は産まれないもの。優しさは産まれないもの。何も怖くないっていう人がいたら、その人はきっと手の付けられない乱暴者の怪物だわ。あなたを、そんな思いにさせてしまって本当にごめんね。弱くて情けない母さんを許してね》


 許しを請うのはいつも自分のほうだった。

 償うべき意志は、この剣に宿った――殺さずの剣に。


 母を救えなかったつぐない。

 父を信じられなかった償い。

 黒騎士のせいにした償い。

 白騎士になった償い。

 リリィを守れなかった償い。

 死んでいった者への償い。

 産まれてくる者への償い。

 ……きりがなかった。


 そして、神に許しを請えば請うほど、ダリルの剣技は上達していった。剣技が認められさえすれば、百人隊にも居場所はあった。

 大きな部隊ともなれば、有能な人間も必要だが、不満のはけ口や軽蔑の対象になる人間も必要だったからだ。四番隊の百人隊長は、それをよく分かっていた。


 もう殺さんでいい。それ以外の仕事は山ほどある、お前のバカ力は捨てるには惜しい。そう言われたとき、ダリルは天国にも行けるような気がした。

 

 もう誰も殺さないと決めた。だからといって何かがかわるとは思えなかったが、そう決めたのだ。そして誰かを救うために死ねばいい。簡単な決め事のはずだった。


 たったそれだけの決め事でダリルは悪夢を見なくなった。


         ※


『力』のスキル――相手の攻撃をコントロールする能力。真の強者とは敵を作らない者だと云う。モンスターをも味方に引き入れる誠実な魂。強い信念と深い思いやりがなければ、決して宿ることのない能力。

 

 この騎士が誰一人として殺す事を拒み続けたのは真の『力』の資質を持っていたからである。彼は、何も力任せにはしてこなかった。

 

 怒りに身を任せることはしなかった。だが何度打ちひしがれても、失意の底に落ちようとも、立ち上がる力を持っていた。

 

 これこそが『力』のカードの真価であった。

 


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