第38話 死神と悪魔の鎖

 烏城キャッスルクロウには魔術研究部門があった。ノアはクラトフと名のり、この城の臣下として自由に出入りが許されていた。客室として与えられた塔の一室からは、城下の集落が見渡せた。

 ひとりでは広すぎる部屋には雑然と本が積まれ、テーブルと椅子を占拠している。ベッドと床には散乱した書類とインク壺が転がっていた。

 ヴィネイスの城内にこうまで、堂々と潜入した諜報員スパイは過去に類を見なかった。


 はじめは歴史学者や魔法研究家を拘束して情報を仕入れた。まだ野心も欲もなかった。ただ、娘を安全に育てたいという感情だけが先に立った。ひと気のない丘の家に移ったのは、この頃だった。


『お父さん、お仕事がんばってね。いってらっしゃい』

 ノアは、この敵地にあるヴィネイスの塔の窓から、空に散らばっている星を見上げた。

 ローズの暮らす遠く離れた丘に思いを巡らせる。ひとり残してきた愛娘が気掛かりだった。


 彼女の母親が目に焼き付いて消えない。あの美しい死体である。生きているうちに彼女に会いたかった。そして何をしようとしていたのか直接聞いてみたかった。ローズは成長するにつれ氷の魔女に似て来た。

 

 そしてノアはヴィネイスの持つ情報から少しずつ、この謎に近づいていく。つまり、氷の魔女はある能力を持ったの赤子を抱いて〝魔力の源〟に触れたのだ。


『お父さん、大好き。お父さんに、誕生日プレゼントよ』

 何をしようとしていたのかは、分からない。

 極寒の冬を終わらせようとしたのか、ステイトを滅ぼそうとしたのか。全ての魔力を独占しようとしたのか。

 

 或いは――魔力の源、そのものを封印しようとしたのか。この世界の人間は魔力という未知の能力に操られている。操作されているからだ。

 

 女教皇の命令に背くことになるが、ヴィネイスの何人かを拘束した。

 黒騎士たちにディバイザーと呼ばれるトラップを仕掛けていく専門家がいるのは知っていた。

 

 ひも解いてみれば『吊られた男』のタロット・スキルを持った男だ。何かに縛られている人間にとって、ノアの能力は絶大な支配力を見せた。相性というものだ。

 マジシャンが愚者に敵わないように、吊るされた男の罠は悪魔に通用しない。

 

 拘束を受けた黒騎士の一人〝ジラートフ〟(後にミルコと名乗り、白騎士の隊長を演じる男)はノアを、こう呼んだ――救世主と。


 ノアは鎧戸を閉じて振り返った。部屋のなかに花束を持った痩せた男が立っている。死神と呼ばれる男だった。

 

「……ベイン卿。君は何処にでも現れるんだな。でも配達員には見えないぞ」

「ははは、死の宣告を届ける意味では配達員といえますかな」


「わたしのショックを和らげるために、花束まで配達してくれたのかい? すまないね」

「クラトフ殿、お別れを告げに来ました。しばらくわたしのやり方で世界を、変える方法を模索したくなりましてね」


 魔力の研究について、ベインはノアの良き協力者となったが、それもヴィネイスであればこそだった。ジラートフや城の衛兵と違い、彼のこころだけは読めなかった。


「貴方のような人間は珍しい。我々ヴィネイスは……抑圧的で、差別的で野蛮だと言える。それが、強さだと信じている。だが、貴方は違う」


 死神はノアが諜報員だと見抜いているのかもしれない。ベインの笑みには冷酷さと残忍さが滲みでている。


「知っていたのか?」

「ええ、ヴィネイスなら貴方のような慎みある性格は弱さだと受けとる。すまない等と、謝ったりはしない」


 部屋にはロープが張り巡らされていたが、彼に拘束術の効果はなかった。その厚い精神力の下には何があるのだろうか。

 

 だがノアはもう迷わなかった。十年も前に自分の中の風見鶏は封印していた。


「……見解の相違だな。強さは、恐怖の裏返しだ。君はよく知っているはずだ。恐怖心や抑圧に、魔力が深く影響していることを」

「なるほど。我々に、全力でその本能に逆らえとおっしゃるつもりかな」


 扉があき、二人の衛兵が入ってくる。抜き身の剣は真っ直ぐと、ノアの喉に向けられた。ベインの肩にも半月刀がかかっている。逃げ場はない。


「まったく、ジラートフはまともではない。救世主が現れた……ついに、戦争を終わらせる絶対的な魔力を持った人間が現れたと、わたしに言うのです」

「まともって言葉の意味は知ってるのか、ベイン卿。君に目的を見失ってほしくなかったよ」


「……!!」 

 血が吹き出し、目の前が真っ赤に染まった。


 その日、死神のベインはノアの左右に構えている騎士の頭を半月刀の一振りで同時に切り落とした。仲間であるはずの黒騎士を躊躇なく殺したのだ。

 彼はヴィネイスではなく、ノアを選んだ。


「……この戦争を終わらせてくれますか」

「あ、ああ。こ、こんなことは、終わらせるべきだ。わたしは、わたしは、その為にきた」


「わたしの家族が死んだとき、わたしは孤独でした。頼れる友人も、世話をしてくれる知人すら周りにはいなかった。でも、貴方は違う」


 


 ベインは、ノアのテーブルに花束を置いて烏城を去っていった。彼が去った後の城には無数に張り巡らされた鎖が残っていた。死神のスキルで隠していたが、初めからノアの協力者だったのだ。



    ※   ※   ※



 その日から、ノアはただのスパイでは居られなくなった。ジラートフの女たちは、黒魔術で顔と名前を変えるとステイトの領域にまで平気で入り込み、ノアを護衛するようになった。


 民族の壁を越えて命を投げだす目的は、本当の意味での〝解放〟だったのだ。つまり、魔力を人間の手から放棄させる術が必要だった。


「我々をお救いください。我々は、そのためであれば、誰でも殺します。解封師の技術と記憶が必要ですか。連中が使うアクセサリーをかき集める策があります」


 初めは実験の延長だった。勿論このスキルを使って一刻も早く戦争が終わることを願ってはいた。

 

 彼らを狂信者と思うかもしれない。カルト集団とも呼べるであろう。何故なら彼らは魔力以外の拘束によって初めて解放されたのだから……それこそ悪魔の力によって。


「剛健と窮追を倒しました。これからも名のある騎士は排除していきます。命令してください。貴方は絶対的な存在……神だ」


 見せかけの能力で手にするものは、見せかけのものだけだ。富も名誉も女だろうが、簡単に手に入るものに尊厳はなかった。


 そして悪魔の能力はノア自身の精神をも混乱させ、蝕んでいった。少しずつ……少しずつ。


 氷の魔女が死んでいた理由は、魔力の根源に干渉しようとして失敗したためだ。ノアの前に避けていた現実が立ちはだかる。


 失敗したのは、我が子の命を利用することをためらったか、幼すぎた子供が言うとおりに動かなかったか。あるいは、その両方か。


 この子が宝物かもしれない……と言った日が懐かしかった。


 何故……何故。

 何故、ローズは死なない。


 ローズは死ななかった。理由などわかるものか。ただ、初めから私は知っていた。


 ローズは死なない。魔力の根源に触れれば、決して戻っては来れないのに。


 ローズは死なず……魔力の源を封印することが出来る、たった一人の存在。あるいは魔力の流れを変化させ、絶対的な力を手に入れることを可能とする存在。


 滑稽だった――愛する娘を生贄にすれば、世界を変えることが出来るとは。肉体が滅んだとしても、ローズはその中で永遠に生きるであろう。

 人間の肉体は百年と持たないが、〝魔力の源〟は恒久的に在り続ける。そして世界を、思い通りに導く存在と融合し、〝神〟とも呼べる存在の一部になる。


「あなたは……あなたこそ……本物の救世主様なのですね」

 本物の救世主など、どこにもいない。だが方法はある。これはあまりいい考えとは言えない。まるで深海の闇の中へ、我が子を放り込むようなものだ。


 永遠に苦しみ続ける。両手両足を失い、目も見えず耳も聞こえず、血の通わない記憶だけの存在になって。それは生きていると言えるのだろうか。


 意識だけの存在が、はたして永遠の魂と呼べるのだろうか。

 存在し続けるのだ――この世界から戦争や憎しみをなくすために。


 そこは無限の牢獄。地獄である。そこに送り出すノアも苦しみ続けるだろうが、それはあと三十年もすれば終わる話だ。苦しみは、死によって解放されるのだから。

 

 だがローズが〝魔力の源〟に触れてしまえば、死ぬことは無い。死は許されない。想像するだけで、吐きそうになった。

 はらわたが千切れそうになった。死刑よりはるかに恐ろしい残虐な行為を前に、平常心は失われていった。


 救世主と呼ばれた気の小さい男は、何を成すべきなのか分からなくなった。


 ――その時、いつか自らに課した鎖がノアの首を締めつけた。正しいこととは何だ? 戦争を無くすことではなかったか。このスキルは正しいことにしか使わないと誓った鎖が、ノア自らの命を締め付けていった。


 恐怖が心を蝕んでいくのが分かった。だが、問題は恐怖を完全に失くしてしまうべきかどうかだった。ノアの命を現生に繋いでいるものは、もはや恐怖心しかなかったのだから。


 そんなものにすがって、しがみついて生きることに意味があるのだろうか? 急流の中で必死に丸太を掴み、生きることはずっと続けられはしない。


 疲れてしまうのだ、何もかもに。ノア・ジョードの人生は狂ってしまった。いつの日か、こう思うようになった。


 神はローズを選んだ。私は神でも救世主でもない、その手助けをする使徒に過ぎない。


 我が愛しき娘、ローズ・ジョードは神と一体となって、魔力に終焉をもたらす存在なのだと。


『お父さんは魔力の何を知っているの?』 



     ※   ※   ※


 

 渦巻く雲が吹き飛び、空に浮いた二人に上下の感覚はなかった。

 稲妻の轟音と閃光が、ノアとリウトの雄叫びをかき消した。


「ううううおおおおおおおおおおおおおおおっ―――――――……」




  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます