第37話 十五番目のカード

 吹雪がやんだ時を見計らって騎士たちとノアは氷の城を引き払った。良質の毛皮を山のように重ねて乗せたソリには、補強のためのワンドが括り付けてある。


 引いて歩くには時間が掛かった。

 雪は深く、一歩踏み出すたびに膝が埋まった。出発して五分もたたないうちから、ノアは疲労困憊していた。赤ん坊を抱えていたせいでもある。


 白騎士達はそんなノアに合わせ、歩きを遅らせた。誰も口を開かず、一歩一歩と黙々と歩き続けた。こんな場所で足でも挫こうものなら終わりだった。誰も他人を助ける余裕などない。

 

 みな内心では、自分というお荷物に腹を立てているのではないか。あのジョシュアがはっきり言ったように。だが、自分は何としてでも生きて帰り、この子を守らなければならない。

 それは、自分しかいない。若き解封師はそう決心していた。

 

 ノアは樺林の奥から何かの遠吠えを耳にした。「……い、犬かな」

 不安そうな顔を見て、騎士ライナスが言った。


「馬鹿か? ホワイトウルフに決まってんだろ。まだ、だいぶ遠いさ。行こう」

 しばらくして、また遠吠えが聞こえる。「ち、近づいてくる。ぼくたちを狙ってる」



「連中だって飢えているんだ。来るぞ、剣を抜け」

 樺林から、猛スピードでオオカミが飛び出してくるのが見えた。引き綱から解き放たれたような勢いで、一斉に襲い掛かって来る。


 二十匹以上いるように見えた。オオカミの黒い唇が捲れ上がると、ノコギリのような鋭い牙が剥きだしになり、赤い舌から糸を引いた唾液がしたたり落ちていた。


 グルルッ! ウガルルッ! 


 ネイサンはソリを横倒しにして壁を作った。せっかく積んだ毛皮は雪崩のように散らばり括り付けてあったロープが、大きな輪っかになって広がった。


「……ノア、毛皮をかぶっていろ。直ぐに終わる」

 

 真っ先に駆け込んできたホワイトウルフの頭は半分になって、飛んで行った。降りぬいた剣が雪に、深く抉り込む。騎士はお互いに叫びあって連携をとった。ライナスは雪に足を取られ、バランスを崩した。


「しゃがめ!」

 そのまま頭を下げると、すかさずネイサンがロングソードを横一文字に振り抜いた。ホワイトウルフがたじろいだ隙に、雪に埋まったライナスを引きずりあげる。

 

 魔術師のローガンは、背後に防御用の呪文、アローグラスを展開した。

 ノアに向かって大きな口を開けた猛獣が飛びかかってくる。半透明のアローグラスに顔面を激突させた狼は、唾液を飛び散らせながらバタバタと前足の爪を掻いた。


「ひ、ひいいぃ!」

 目の前で見るホワイトウルフは、やせ細り骨だけのように見えた。


「くっそっ、まとめてかかってきやがれ」

「ライナス、無駄に振り回すな。雪に体力を奪われるぞ」 


 ノアは慌てて、赤ん坊と共にソリの影に隠れた。毛皮をひっぱり壁にしようとしたが、上質の毛皮はするすると足元に滑り落ちた。円を囲むように、行き来するオオカミに、なすすべもなくガタガタと震えていた。

 

 ローガンのマジックアローは牽制にしかならなかった。痙攣する足をかばい、狙いが定まらないようだ。ホワイトウルフは、群れでの攻撃方法を知っていた。少しずつ、騎士たちの体力を奪っていく方法を。


「攻撃に時間をおかれると、乾いた汗で凍っちまいそうだ。火球ファイアボールをだしてくれ」

「アローグラスだけで手いっぱいだ。せめてジョシュアがいれば」

「ふん……すぐに会えるかもな」


 ほんの数分か、十五分程度の事だと思う。ノアは恐怖で一瞬気を失っていた。太陽は雲に隠れ、薄暗く猛獣が有利だった。

 灰色の雪には真っ赤な血が飛び散っていた。ライナスの足からは血が滴り落ちている。


 恐怖心は消えなかったが、頭はすっきりしていた。また赤ん坊が、後ろ髪を引っ張っている。ノアはオオカミたちの歩く道筋にロープが埋まっていることに気付く。雪の上にあったロープは避けて通っていたが、時間と共に雪に埋まったロープの上は気にならないようだ。

 ほとんど無意識にノアはロープを掴んでいた。そして感じていた。


 ――輪っかに入ったオオカミを封印術で、拘束できるかもしれない。これは……鎖だ。そう念じてロープを握り締めていた。


 次々と頭を垂れて戦意を失ったオオカミを、ネイサンとライナスは斬りつけていった。動きの鈍くなったホワイトウルフにはローガンのマジックアローも効果を見せた。

 

 ネイサンは最後のホワイトウルフを斬り殺した。二十匹いると思ったオオカミは、実際に数えると十七匹しかいなかった。

 ハラワタが飛び出し舌を出してボロキレのように死んでいる。鋭い牙の周りには赤黒い色の泡が付着していた。


「ふーっ……どういう訳か途中から、敵の動きが鈍ったな」

「ああ、まるで恐怖心を植え付けられたようにビクついていた」


 ネイサンはモーガンに水筒をまわした。魔法使いは口をすすぐように味わい、白い息を吐いていた。


 赤ん坊はオオカミ共のエサにはならずに済んだ。厳しい言葉とは逆に、白騎士達は赤ん坊を庇ったのだ。身を挺して守りさえした。


 

「ちくしょう!」

 オオカミに尻を噛まれたライナスだけはノアにむかって声を荒立てた。


 ソリの椅子に座ると赤黒い血のシミが広がっていく。冷たい気温のなか、ライナスは大汗をかいていた。ローガンがすぐに精霊魔法フェアリーエイドを唱えたが、痛みは引かない様子だった。


「だ、大丈夫、心配ないよ。傷はふさがってる」

 ノアが傷口が開かないように手当てをしながら言った。

「心配ないだと?」ライナスは、ノアの頭を叩いた。

「怪我をしているのは、この俺だぞ。もっと心配しろ。このクソ野郎」


「ご、ごめんよ。でも血は止まったから、大丈夫って言おうと思って」

「……ちっ。まったく……運が良かったな」


「え? 運が悪かった。だろ?」

「その赤ん坊さ。怪我をしたのが俺で良かったろ」

「あ、ああ。ありがとう」


「……ふっ、構うもんか。こちとら高山育ちよ」ライナスはノアの肩をポンと叩いて言った。ひとつ危険が去って、騎士たちは平穏な顔を見せた。いままで張り詰めていた緊張がとけ、希望が見えてきた。

 

 雲がはれ、太陽がのぞくと空は真っ青に広がっていた。

「君たちは素晴らしい騎士だよ。本当に」ノアは、泣きそうになって呟いた。

「本当に強くて、勇気があってカッコいいよ。僕なんかと違って」


「おいおい。だから、さっきから俺のケツを触っていやがるのか」

「ぷっ……ぷはははっ。僕が面倒をみるよ。この子はぼくの手で育てる」


「ああ、そう言うと思っていた」

 ライナスの横から小隊長であるネイサンが言った。

「賭けはノアのひとり勝ちだったな。その指輪も持っていけ」


「!? い、いいんですか」

「ああ、お前が助けてくれたんだろ。俺たちには、分かった。そのかわり赤ん坊、大事にしてやれよ」



     ※   ※   ※



 あの女は天地の指輪と、赤子を使って何をしようとしていたのか――ノア・ジョードは赤子を国に連れ帰り、解封師として育てた。


『だあ……だあぁ……』

 ヤギのミルクを欲しがる赤ん坊を優しく抱き上げる。夜中に何べん起こされるか分かったものではない。子育てとはなかなか思い通りにならないものだ。

 ノアは自分が見てやれない時には、少ない給与をやり繰りして女中を雇った。


 名前はローズと決めた。この赤ん坊はとても、とてもいい匂いがしたからだ。バラの匂いに似ていた。いばらの将来を見越していたわけではない。


『パァパっ……パァパっ』

 少しずつ言葉を覚え始めた。この子を寝かしつけるのはなかなか難儀なようだ。女房の居ないノアのような男がいきなり娘を育てる事は簡単ではない。


 だが、ノアは自分が子育てに向いているのではないかと思っていた。少しも苦痛では無かったからだ。この娘と指輪を手にしてから以前のような疲労感はなくなっていた。


『パパぁ、おやすみの前にお話してぇ』

 愛を持って彼女を育てた。彼女は何時もノアの腕にしがみついて眠りついた。規則正しい生活をして、毎日風呂にも入れた。

 櫛や髪留めを買っては彼女に与え、部屋も清潔にするよう心掛けた。ノアにとってもそれはいい影響だった。ただ、どんな作業だろうが一時として指輪を外そうとは思わなかった。


『お父しゃま。勉強が終わったら遊んでくれるぅ?』

 厳しさを持って彼女を育てた。むしろノア自身が教わる事も多かった。


 五年がたち、何時の間にか仕事でも名をはせるようになったノアは威厳のある父親として娘と接した。

 数ある文献に目を通し、氷の城で何が起きていたのか調べる余裕がでてきたのは、その頃だった。


 研ぎ澄まされた解封師の能力から、その資質スキルは生まれた。

 それを自覚した頃からノアの生活に変化が起きる。文献によれば、この資質は相手を混乱させ、拘束する力があるという。そして黒魔術とも呼ばれる独自の〝封印術〟にたどり着く。


 その拘束には鎖も錠前も必要なかった。

 簡単な紙紐で造った輪っかを掛けただけでも相手は混乱して、どうか逃がしてほしいとノアに懇願するのだ。


 天地の指輪から得られる無尽蔵の魔力により実験は繰り返された。横柄だった女中に麻紐を掛けると彼女は衣服を脱ぎ捨て、反抗する意志はないと訴えながらノアをベッドに誘った。


 雑用を押し付けるギルドの役人は借金を帳消しにして態度を改めると誓った。

 このスキルさえあれば恐れるものは無かった。ロープを張り巡らせれば、街全体を混乱に陥れることさえできる。だがこの能力を安易に頼り間違いを犯す気はなかった。


 ――これは属にいう十五番目のカード『悪魔』のスキルだ。決して悪に染まってはならない、この娘のためにも。


 ノアは自らの能力で自らに鎖を掛けた。このスキルは、正しいことにだけ使うという誓いの鎖だった。

 

『あ、新しい錠前ね。やってみていい?』

 成長していく愛おしい娘の姿――ノアは優しさと厳しさは同じ意味だと知った。


 ローズは手先が器用だった。

 おもちゃの代わりに幾つかの仕事道具を与えると、みるみるうちに解錠を覚えていった。封印術師の使うアクセサリーも幾つかあったので、ローズに課題を与えた。

 

 どういうことか魔法数列を直感で解いていくことが自然と身についている――この子は……特別な才能を持っている。


 サン・ベナールの女教皇アリシアは、ヴィネイスへの諜報活動の命令を与えた。敵の城へスパイとして潜入しろとのお達しだ。


 すでに危険な仕事には慣れていたので、仕事には何の感情もなかった。持っていくものは、手でも簡単に千切れる細いロープと天地の指輪だけでよかった。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます