第35話 五つの指輪

 城塞は喧騒に包まれていた。何十匹もいたゴブリンは危険を察知したかのように森へと散っていった。動けるものはわずかにしか居なかった。一度は峠の中腹まで避難していた娼館の女中たちは引き返し、傷ついた白騎士たちを手当てしていた。

 ローズはうなだれたまま砦門の前で倒れていた。女中姿のローラはそっと彼女を抱きしめ、馬車の荷台に寝かせた。


「……大丈夫? ねえ、ローズさん」 

「おこしてはなりません、ローラ殿。意識は、リウト様と共にあるのでございます。彼女にとっては修羅場のような事実を見ることとなりましょうが、手前どもが水を差すべきではないでしょう」


「ら、ラルフ神父。貴方こそ起きて平気なのですか?」

「正念場といいましょうか。ここが落ちれば、誰も助かりませぬ。まして修道師がいなければ、助かる者も助かりません」

 

 彼の周囲にはベナール教会の修道師たちが続いていた。すかさず信徒に指示をだす。

「ロセニア、フロウ、ウォルドにチコリ。精霊魔法フェアリーエイドで生きている者を救いなさい」

 

 修道女シスターロセニアはモリスンや浪人部隊を優先して救おうと思った。もがいて、苦しんでいる黒騎士を素通りしようとした。

「手前は、生きている者すべてと言いました」

「はい……おおせのままに」


 教会の僧侶クレリック修道女シスターは、騎士たちの魔法治療にあたった。ラルフの言う通り、黒騎士も白騎士も区別なく。

 

 封印術師は生涯をかけて、特別な解封師を育て上げた。ローズに開けられない封印は、もはやこの世界に無いと言えるほどに。彼女を操り、ユグドラシルに干渉することが可能となれば、この『世界』は大きな変革を迎えるに違いない。

 

 その命運は、ひとりの魔法使いが握っている。彼と時間跳躍タイムリープで過ごした教会での数日は、ラルフにとっても充実した時間だった。

 

 魔術の探求だけではない。彼の資質、考え方、生き方も興味深かった。隠者とは本来、真理を求める探求者でなければならない。


 だが、彼は未来を予知する能力を自ら封印し、幼少期を過ごしてきた。役に立たない能力と決めつけ、その資質を無視して生きてきたのだ。彼を馬鹿と決めつけるのは容易いだろう。


 だが、もし百パーセント当てることの出来るギャンブラーから、その能力が失われたら、どうなるだろう。そのギャンブラーの人生も同時に失われるだろう。他の選択肢は育たない。


 僅かにでも未来が見えれば、他のことを学ぼうとは思えない。秘められた探求心に蓋をしてしまう行為ともいえる。

 

 隠者のカードは探求力を暗示しているのだから、選択肢が見えなくなるという弊害を持った能力を放棄しようと考えるのは、ごく自然なことだったのかもしれない。


 あのまま予知の能力に頼って生きていれば、広大な世界は狭い世界にしか見えず、長く伸びた地平線は短くなり人生は味気ないものになってしまっただろう。


 美しく輝いた世界や人々の愛情ですら、ただの記号に成り下がっていただろう。真実を求める努力や好奇心に蓋をする行為は、彼の性質に合わなかったのだ。


 ラルフは笑みをもらした。それでこそ『隠者』ではないか。能力を隠し、孤独に生きながら大学の書物すべてを読み漁った青年。それこそが本来あるべき隠者の姿ではないのか。

 ここに来て、この戦いの行く末を見なければ、自分を一生許せないだろうと思った。


 モリスンに治療を続けながら、神父は顔を上げた。どんよりとした雲が空を覆い、空気が湿っている。

「はじまったようで」

「バカのリウトに世界の行く末がかかってるとは、笑えるな」

「……笑えるのは精霊魔法いたみどめが効いているからでしょうか」

「そうかもしれねぇな。俺とダリルが坑道に寄り道している間に、何があった?」

 モリスンは神父の手を遮った。これ以上、神父に無理をさせたくなかった。


 はじめにリウトは、何もない空間から樹輪の宝珠を二つ取り出した。これによって、時間跳躍はラルフと二人で行うことが可能になった。


 彼は魔術師としての訓練をはじめた。その大部分は瞑想に費やされていたが、ラルフにもやるべきことがあった。樹輪の宝珠を精霊魔法によって指輪へと加工する。

 二人の肉体以外の時間跳躍は出来ないため、増殖した武器や宝珠は、最後の最後に手元に残す形にしなければならない。

 リウトの装備は何度も確認した。パコ村のリングピアス、伝説の剣アンサラー、竜鱗の腕輪、恋人たちの指輪、そして自然界の魔力を集めることを可能とする樹輪の指輪。


 浪人騎士や、治療に加わる者を想定し装備を増殖するのは最後の作業だ。危険性の高いアイテムを余分に生み出すのは避け必要最低限にとどめた。


「彼には、充分な休養も取ってもらいました。全ての準備は完璧に終わったのでございます。そう、考えうる……完璧……の」


 ふらつく神父を修道女シスターサマーがささえた。ここへ来るまで、ずっとラルフの身の回りの世話をしていたようだ。


「少し横になってください」

「さようで。手前はもとより、指示だけのつもりでここへ来ました。それより、サマー。かがむとシャツの中が見えますよ」


「……それでしたら、完璧です」

「はてさて」

「それで、完璧だと言っているんです」



    ※    ※    ※


    

 白の指輪と黒の指輪。


 通称、天地の指輪。魔力を無限に生み出すアクセサリー。ノアは右手を開いて若き魔法使いに見せた。五つの指輪が五つの指に収まっている。


 天――雷――氷――火――地。


 雷雲が立ち込めていた。ピリピリと霞みがかった雲が現れ、イカズチが鳴り響いた。のしかかってくる空気にリウトは息苦しさを感じていた。湿気を帯びた封印術師のローブは、どす黒く輝いているように見えた。


「……ローズが私に与えてくれた」ノアは指輪から目を離さない。

「お前は奪っただけだ」


「いや、運命だな」ノアは落ち着こうと自分に言い聞かせるように言った。

「それが運命だと言うなら、俺はローズを奪う」


「よせ……馬鹿な真似はするな」

 ノアの呼吸が早く、浅くなっていくのが分かった。

「ええい! 色恋ごときで、全てが徒労に終わることなどさせんぞ」


 閃光の槍――マジックアローがリウトめがけて解き放たれた。それは全く違う魔法といってよかった。閃光の槍は数十、数百と無数に放たれていた。発射されてから、更にスピードが加速していく。

 

 リウトは初めて目の前でマジックアローが音速の壁を超える瞬間を経験した。この閃光弾は衝撃波だけで、非接触であろうと負傷する。

 地鳴りのような破裂音が少し遅れてやってくる。

 

 リウトが右手を掲げると、無数の槍は右手の中に吸い込まれていった。

「無駄だあああっ、ノア!」取り漏れた閃光の槍の細い隙間を、リウトはすり抜けて飛んだ。


「当たらないだと? 回避魔法を併用しているのか」

 槍は生き物のようにリウトを追いかけた。獲物を見つけたオオカミの群れのようだった。とっさに体の向きを変え、円を描くように宙を舞うと閃光の槍は目標を見失い、引き離されていった。


「くっそおおおっ」封印術師は怒声を上げた。「ならば、実体化した弓ならどうだ」

 千本の矢がリウトの頭上から豪雨のごとく降り注いだ。リウトは器用に飛び回りながら身をよじって弓をかわし、両手を振り下ろした。


 弓は向きを変え、ノアに向かって飛んで行った。金属どうしが高速で、ぶつかり合う甲高い音が響いた。ノアが指輪をかざすと無数の弓は、うねる大蛇のようにひと塊になって脇に逸れて行った。


「こい、ノア!」リウトは叫んだ。「お前の魔力を全て俺にぶつけてこい」

 雷鳴が響きわたる。急激な冷気が周りを包むと、冷え切った腹の底から恐怖が湧き上がってくる。空中にいるにも関わらず地鳴り、土砂崩れのような爆音。


「神のイカズチを喰らえ!」ノアは怒りに陶酔していた。

 強すぎる魔力を吸収し、我を忘れている。上空には巨大な黒い雲が浮いていた。その雲に飲み込まれていく様は、まるで真っ黒な深海に、沈むような感覚だった。


 ノアは大きな拳を振り上げた。その両手は避雷針となって大気の中から電気を集めた。リウトとノアのあいだでは無限とも思われる量の氷晶と稲妻が飛び交っていた。リウトは一気に距離を詰めてノアの両腕を掴んだ。


 二人の魔術師は稲光に包まれながらガッシリと組み合った。


「……………!!!」

 樹輪の指輪をしていたからだろうか……それとも竜鱗の腕輪をしていたからであろうか。リウトの目には、ノアの記憶が流れ込んできた。時間にすれば、ほんの一瞬だった。だが、それは遥かな記憶であった。まるで、そこに自分が居合わせたような体験だった。



   ※    ※    ※



 北部にある、ヴィネイスの城だった――凍てつくような寒さを感じる。ずぶ濡れになり、寒さに凍えていた。腹も空かせていたし、氷を溶かした濁った水を飲んだせいで腹の調子も悪かった。

 

 目の前にいたローブの男と、似ても似つかない背中の丸まった解封師……それは若き日のノアだった。

 

 毛皮にくるまれた赤子が抱き上げられ、三人のたくましい白騎士と一人の魔法使い、そして解封師が囲み見ている。旧式の革鎧が月明りに青白く映り、吐く息は白かった。

 

 一方には女の死体。母親にしては若い様子だ。真っ白なブーケ以外は一糸纏わぬ姿で、折りたたまれるように棺のような箱に収まっていた。すでにノアは二つの指輪を回収していたので、その女が魔法使いであるのは疑りようがない。

 

 その箱は玉座のすぐ近くにある。つまり、名のある魔法使い。魔術師モーガンはその死体を〝氷の魔法使い〟と名付けた。


「あー……あー……」

 赤子が、小さな声を上げた。生きようと必死に両手で宙をつかもうとする仕草だった。若きノアは触れたら壊れてしまいそうな小さな命に興味を持ったが、扱い方が分からなかった。小隊長のネイサンは、赤子をノアに預けた。


「……その指輪と赤子は、お前が管理しろ」

「ええっ!? ぼ、ぼくが」

「ひゃはっはは。今度は子守に転職だな、錠前破り」

 ライナスとジョシュアは声を合わせて笑った。

 

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