第29話 孤独な花嫁亭

 修道女シスターチコリが酒場の用心棒らしき男たちを連れて、駆け込んできていた。

 女中たちもほうきやオタマを持って騒いでいる。

 アナグマたちは、反抗するでもなく縛りつけられ店の外へ放り出された。


 真夜中に、二人は静まり返った酒場で目を覚ました。あのまま寝込んでしまったようだ。


「どうして、最初からやり返さなかったんじゃ? 大魔法使いなんだろ。せめて回避したらええじゃろうが」

 顔中アザだらけのダリルが言った。


「俺だって白騎士だぜ。今は仲間同士で戦っている場合じゃないと思って」

「冗談じゃろ?」ダリルは言った。

「わしはてっきり魔法じゃ手加減できず殺しちまうからとか、そういうのを期待しとったわい。やっぱり、お前はバカじゃったか……」


「なんだと……訂正しろ、クソ爺い。あんたこそ、なんで反撃しなかった?」

 ダリルは腰を上げて言った。


「怒りで、本当に殺しちまうかと思った。殺しちまうと思ったら、やっぱり恐ろしくて何も出来んかった」


「ぷっ、ハハハ。そういうのを世間じゃ臆病者って言うんだ」

「なんじゃと……訂正せい。はっはっはっはっは」

「アハハハハハ。いてて」

 

 本気で戦ってもよかったかもしれない。だが、二人はお互いの言葉が嬉しかった。いちいち嬉しかったので喧嘩なんかしていられなかった。何度殴られても構わなかった。言葉で救われてしまったのだから。バカじゃない、臆病者じゃないという言葉だけで。


「もし、俺にもう少し知恵があって……もっとはやく魔法に目覚めていたら、マンサ谷の人たちは死なずにすんでた。考えてもみてくれ、あの時もし……」


「やめるんじゃ」

 ダリルの声は低く、心地よかった。

「……そんなことは、考えるな。もしもなんてもんは、無いんじゃ。お前は……お前らしくやったじゃないか。それで……それで何が悪い?」


 横になったままリウトは右腕を目にあてていた。泣いているのかもしれないとダリルは思った。


 こいつはいつも急に泣いたり笑ったりする。感情を見せていいと言われれば、素直にそうする。無鉄砲だが優しく、バカだが正直だ。

 恥知らずと思ったこともあるが、世の中の規範に収まらないのは優先すべき真理を求める人間にとっては一種の才能ともいえる。


 悔やんで苦しむ必要なんてない。すべてを知る全能の神がいたら、すべてを許すと言うだろうと思った。それでも正しいことをしようともがく、リウト特有のエゴイズムをここちよく感じていた。


「そうして自分を責めるなら、今度はわしが手を貸すさ。お前の盾になってやるわい」


 よっぱらいに殴られた二人の寝覚めは、みじめなものではなかった。二人の友情を感じさせる、もっとも尊い時間だった。二人の人生で、最も優しい時の流れた空間だった。


「ご無事でしたか?」しばらくして個室のドアが開くと、エプロン姿の女中と共に酒場の女主人が入ってきた。修道女シスターチコリも一緒にいる。

「騒ぎの事は、よく覚えていない様子ね」

 女中の娘が言った。

「酒場に居合わせた男たちが、あの連中を追い出してくれたのよ」


「すまんかった」ダリルが言った。

「憲兵も呼ばず、傷の手当てまでしてもらって、何て礼を言ってええのか」

「いいえ。あなたが臆病者のダリルだと聞いたら、誰も咎めはしないわ」


「……」

「ここに来たのは何年ぶりだい?」


「二十五年位かの。まだ、ただの花嫁亭じゃった」

「リリィは死んだよ。二年前に、流行り病でね」

「……そうじゃったか」


「彼女の名誉の為に言うけど、あんたが臆病者で部隊の恥さらしだからって、別れたわけじゃない」

「……ああ、風の噂で聞いたよ。リリィは再婚して、幸せに暮らしていたんじゃろ」


「たしかに裕福な暮らしは出来たわね。そう見えたし、実際に新しい旦那は金持ちだった。あんたはバカだね。何も知らずに」

「何が言いたいんじゃ」


「こんな酒場で女中なんかやってるとさ、昨日みたいな連中に無理矢理、抱かれちまうこともあるんだよ」

「な、なんじゃと? そんなはずはない。だったら、リリィは、わしに言うはずじゃ。わしらに隠し事は無かった」


「さあね。リリィに手を出した連中には、あんたの部隊のやつらもいた。上官なんかもね。だからもう一緒には居られないと思ったんだろう」

「………」


 リリィは言った。臆病者と一緒に暮らしていくのはウンザリだと。そうしてすぐ、酒場を経営するやさ男と再婚してしまった。

 ダリルは、以前から彼女が浮気をしていたと考えるしかなかった。彼女は美しく、明るい娘だった。まるで野に咲く花のようだった。


 ただ、風に吹かれそよいでいた彼女を責めるつもりはなかった。力まかせに、花を引き抜くようなまねは決してしないと自分に言い聞かせた。臆病だったのだ。


 命を奪えないのと同じように、彼女の人生を奪うことが恐ろしかった。そしてもしリリィが凌辱された事実を知ってしまったら。

 

 自分は誰かを殺したかもしれなかった。

 やさ男を殺していたかもしれなかった。

 白騎士の連中を皆殺しにしたかも……。


 彼女は凌辱され、ダリルにそれを知られるのを恐れた。だから自らを捨て、自らの人生をかけて、その事を隠す道を選んだのだ。


《私の愛する旦那さまは、平気で人を殺めるような人間じゃないわ。ねえ、約束して。悪いことはしないって》

「……だからか」


《わたしはね、あなたの優しいところが大好きなのよ》

「もし……」

「やめろよ。もし、はないんだろ」

 リウトは言った。


「あんたは、何も悪くない。あんたと彼女は愛し、愛された。それの何が悪い?」


「そうじゃな。もしはない。だが、ひとつ言わせてくれ、リウト。わしとお前は、こんな人生で、こんな境遇で出会った。だから、いつもいがみ合ってきた。それが、もし違った出会い方をしていたら……わしたちは」


「ああ……やっぱりいがみ合っていたよ」

「ぶふぉ! そうじゃな。いがみ合って、暴れ散らかしとったな」


「ぷっ……プハハハハ」

「ふぉっふぉっふぉっ」


 女中の娘はダリルに駆け寄り、手を出した。

「これ、貴方のよ」

「なんじゃ。動いてるのか?」

 いつか見たリリィの指輪だった。宝珠は紫色に息ずくように輝いていた。


 リウトはマリッサの腕輪にアクセスして指輪を見た。レンギルの図書館にある宝珠の棚に手を伸ばす。


 紫色の宝珠――使用効果は、感覚の一致。つながっている感覚。これによって他者の資格スキルを一時的に使用可能にする。

 三回ほどの使用で効果は薄れる。別名、恋人たちの指輪。類目、スキル泥棒の指輪。

 

「恋人たちの指輪……六番目の暗示か。ずっと愛する人に祈り続けなけりゃ、こんな綺麗な結晶は出来ない。あんたは愛されてた」


 ダリルはふと目の前に立つ女中を見た。そこにははっきりと若き日のリリィの面影が見えた。もしや、自分の娘か……とは言わなかった。

 もしは無い。あったとしても、育てた父親は別にいるのだ。


「……これは、貰えない。わしに貰う権利はない。お前さんが持っておれ」

「ううん、母さんはずっと持っていたの。何年も何年も。それは貴方に渡すためよ」

「形見なんじゃろ」

「わたし、この指輪をあなたに渡すのが夢だったの。ずっと夢だったの」


 ――本当のお父さんに

 彼女はそう言いたかったのかもしれないと、リウトは思った。


「さあ、そろそろ行かないと……」

 修道女シスターチコリが時計を気にしていた。


「その前に、もうちょっとだけ用事、済ませてきていいか?」

「ええっ!? いい加減にしてくださいっ! 私が怒られますよ」

「ほんの、ちょっと。なあ、先に教会にいっててくれよ」

 


     ※    ※    ※



 リウトは、ひとり南に歩いていく。何軒かの酒屋を覗きながら白騎士の兵舎に向かった。衛兵が二人、篝火が炊かれている場所を確認し、高い塀を飛び上がる。

 この空中散歩は、初めてにしてはなかなかの出来だった。仕掛けは簡単、アローグラスを足の裏に貼って、マジックアローと同じ要領で飛ばす術式だ。


 たしかに複数個の魔法を同時に使いこなすのには、コツがいった。おそらく、ほんの少し先が見える能力を持った人間――つまり自分なわけだが、この特有の能力が無ければ上手く出来ないのではないかと思う。あるいは血のにじむような訓練をへて。

 

(皮肉だな。こいつのために俺は今まで、術式が組めなかったのに……今でも腕輪がなきゃ組めねぇけど)


 暗闇に紛れ込み、宿舎へ向かうと、一番みすぼらしい兵舎にアナグマたちの声が聞こえた。浪人兵は十人に増えていた。

 腕輪を使って、人探しの魔法を探せば、もっとはやく来れたかもしれない。


「くそっ! あの野郎、絶対にゆるせねえ!」

「闇討ちするしかねぇ。なんなら、女どもを人質にとって……!!」


 アナグマはハッキリと見た。二階の窓枠に〝あの野郎〟が座ってこちらを見ているのを。口を開けたまま叫ぶと、その声は悲鳴のように響いた。


「はぁ……はぁああん!?」

「どっ、どうしたんですか、アナグマの旦那」

「なっ! なんでヤツがここにいるんだ!」

 

 魔法使いはニヤニヤと笑って言った。

「指を返しにきた。俺と手を組むならね」







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