第16話 縛られた心


 その晩、村長の家の前庭に二十人ばかりの村人が集まっていた。沢山のランプの灯の他に、たいまつの炎も揺らいでいた。何個かの椅子が無造作に並べられていたが、座っているのは老人ばかりだった。


 白髪で頭の薄くなった村長は中庭にいる村人に向けて演説するように話した。優しい物腰で、知的な印象の持ち主だ。


「みな、聞いてくれ。今夜、川の向こうに黒騎士の部隊が現われた。このマンサ谷の村は丘になった林とセレーヌ川に挟まれた小さな村だ……」

 

 村人たちはどよめき立った。

 議題は、川に架かった吊り橋を落とし森へと避難するか。あるいは、ここに留まり黒騎士を迎え撃つ算段をとるか……。


 ケーシーは手際よく吊り橋に術式トラップを仕掛け、川からの守りを固めた。谷の高みから森を横切って流れている川の水面に、月明りがわずかに反射していた。


「この場所を見張っていれば、三か所ある吊り橋を、すべて抑えられる」

 だみ声をあげる村の荒くれ者たちはケーシーと、細かい討論を繰り広げていた。ボートやいかだを使って来られた場合は何処で戦うか、といった内容だ。


 リウトは思った。問題は吊り橋にはない。どんな攻撃も避ける自信のある自分だから、はっきりと分かる。橋から攻め込まれる可能性など皆目ない。

 連中は逃げ道を塞いでもらうために、わざわざ川の向こうに姿を現したのだ。


「ケーシー、ただ木の柵で覆っただけの林側から、敵がくると思わないのか?」

「薄暗い月明りだが、ここからでも見えるだろ。林の先には切り立った丘がある。風の吹きすさぶ丘と、岩だらけの野原だ。丸見えで足場の悪い丘を越えてくるほどの価値が、あると思うか?」

「………あると思うけど」


「だったら、見てきてくれ」

「あ、ああ」

 もし丘の上へ回り込まれれば、この村は丸裸も同然だった。


        ※



 リウトはひとり空を仰ぎ見た。月はまた隠れ、谷の向こうから黒ずんだ雲が流れるように続いている。腕や肩に受けた怪我は完治していたが、剣を握ることはままならなかった。


 どの道、自分に剣の腕を期待するヤツはどこにもいない。偵察に持っていくのは硬い革鎧ボイルドレザーと雷光の指輪だけでいい。


 坂道はじりじりと上がっていた。すぐに足の筋肉がパンパンに張った。リウトは永遠とも思えるほど続く坂道を登り続けなければならなかった。

 なぜ、俺はこんなことをしているのだろうか? と自分を疑りだすには充分な時間があった。自分で思いついた心配事で、勝手に自分を苦しめているだけのような……。こんな気苦労はさっさとやめて、部屋でゆっくりとしたい。


 やがて林を抜けて、立ち並ぶ岩だらけの上へ出た。道は尚も、急になっており振りかえると、既に村と吊り橋が一望できる場所にきていた。

 遠い村を見てふと、帰りたいと思った。マリッサのいる村に。


「!!」

 その時、コロコロと砂利が落ちていった。



 彼は別に身を忍ばせて丘を登ってきたわけではない。だから、黒騎士も気付いていたはずだ。だが、連中は気付いていなかった。


 彼は黒騎士が切り立った岩の影で集まっているのをながめていた。あちこち、二十人以上の騎士がリウトを、囲むように立っている。


 悔しくて叫び出したい気持ちになった――誰にも気づかれず、こんな場所で死ぬのかと思うと。

 俺が最期にとんでもないバカをして、わずかな希望もかなわないとは。マリッサに、ここから逃げろと伝えることも出来ないで。


 俺は、これほど短期間に沢山のバカを犯した……ダリルを置き去りにし、ローズを父親に届けられず、アネスに騙され、助けてくれたマリッサも救えない。ケーシーの期待も裏切ってしまった。


 岩の反対側からくぐもった声が聞こえた。驚いたことに、すぐそばの黒騎士は俺を無視して会話を始めた……。誰も、俺に気付いていないように。


「おい、もう五人位は捕虜にしたらしいぞ」

「交渉を持ちかけている間は、殺さないのか?」

「ほとんどは殺すんじゃないか。そういうトラップなんだから」

「ステイトを絶滅させなきゃ戦争は終わらない。赤ん坊だって容赦するかよ」


 俺は目の前の黒騎士を殺してやりたい衝動に駆られた。はっきりとした殺意を持っていた。恐怖という感情を隠してしまおうと思った。悲しみや苦しみという感情も隠してしまおうと思った。


 感情はいらなかった。

 感情は邪魔だった。


 ただ、機械的にやるだけだ。ゆっくりと黒騎士の剣を掴んで、一方の手で黒騎士を押し倒す。

 自然に剣は抜きとられ、男の喉元を掻き切り、隠蔽術かくれんぼで岩陰の仲間の背後にまわり、脳天に剣を突き刺す。その後、どうなろうと攻撃はすべて武術舞踊パコダンスでかわしてやる。


 俺はゆっくりと騎士の腰にあった剣に手を伸ばした。最初はゆっくりと、落ち着いた呼吸で。力は込めず、掴んだ剣を引き抜いた。

 軽くではない、力強く。一方の手で黒騎士を倒そうと、押していた。力強くどころじゃなく、目いっぱいの力で押し込めるように。

 

 黒騎士はビクともしなかった……次の瞬間、俺は黒騎士に体当たりをしていた。俺は跳ね上がり、尻もちをついた。すぐに立ち上がろうとしたが、足がもつれて、顔から地面に突っ伏した。頭がズキズキとして、吐き気がした。


《駄目! 起きて、リウト》

 賢者の石が砕け散った時と同じ感覚

《戻ってこられないよ!》

 ローズの声に呼び戻された日と、まったく同じ感覚


 今回ばかりは頬を引っ叩いてくれる相手はここに居なかった。俺はまさぐるように、息を吸い込み、目の焦点を合わせることに集中した。

 

 黒騎士は……まだそこに居た。俺は、はっきりと見た。

 月夜、岩場、雷光の指輪、武器の無い状況、殺意と殺意。

 敵は見えなかった、俺の見えない魔法との相互作用? 

 姿を消す、感情を消す、事実を、未来を?


 何がどう作用したのかは、分からない。あるいは俺は、マリッサの家のベッドで夢を見ているだけなのか。色々な可能性を探っても、答えは出なかった。


 俺は、ただの一歩も動いてはいなかった。


 ――回避能力の究極系は未来を予知する能力

 ローズの言葉が蘇ったが、俺が見たのは未来ですらなかった。


 俺は、動けないままだった。黒騎士たちは、いつの間にか、岩場から引き揚げて行った。それを、何もせず、ただ……眺めていただけだった。俺は、じりじりと雷光の指輪を外した。胸に抑え込んでいた空気が一気に解放されたように、呼吸が楽になった。


 

     ※   ※   ※



「みんな聞いてくれ」重苦しい声で村長は言った。

「村は包囲されたが、ある条件を満たした者には手を出さないと黒騎士のリーダーは言っている」

 日が昇ると、村長はできる限りの人を集め、同じ場所で演説を始めた。


「つまり――黒騎士は諜報員や補給係りとして使えるような、優秀な人間には食事と安全を約束すると言っているんだ」

 村中の男達がザワザワと話しだした。村長の孫娘マリッサもいる。村長が咳払いをすると、村人たちは黙って目を向けた。


「……難しい条件ではない」

 その条件とは『簡単な魔法数列が理解できるもの』だった。ケーシーはマリッサに言った。


「魔法数列だったら、僕が教えたよね?」

 すでにこの村の半数はケーシーの野外授業によって呪文数列を理解していた。


 丘から降りてきたばかりのリウトは、手を揚げる。

 まだ、息がきれていた。

「黒騎士に連れ去られて戻った人間はいない」


「君は……」村長はリウトを見て言った。

「この村の人間じゃない。口出しは無用じゃ」


「いや、言わせてくれ。これでも俺は白騎士だ。たった一年半だけど、それくらいは分かるつもりだ」

 村長は眉を寄せた。「では白騎士の意見を聞こう」


「今すぐ吊り橋を渡って逃げるんです。なりふり構わず」

「はあ!? なんだって」


 今度はケーシーの長い腕が伸び、遮った。

「ふざけるな。村人は三百人以上いるんだぞ、逃げるって何処に逃げるんだ」

「ケーシー、あなたが居れば少しは戦えるだろ?」

「たっ……戦うだって?」遮っていたケーシーの腕は、わずかに震えている。


「いや、戦いながら逃げる。俺は逃げたり隠れたりするのは得意なんだ」

「駄目だ。僕は村人を危険な目に合わせる訳にはいかない」

「生徒たちもアローグラス位は作れるだろう?」


 マリッサと何人かの心ある生徒たちが顔を見合わせて、ひそひそと話している。

「連中の本隊は丘の上にいる。何らかの方法で、ここからは見えないけど、実際に行って見てきたから事実だ」


「待てよ。待て待て、ウソをついてる」ケーシーはゆっくりと首を振った。

 確かに目くらましの魔法や部隊をカモフラージュする魔法はある。だが、実際にその場にいって本隊と出くわさなければ、その魔法の存在は証明しようがない。


「半数近くは数列を解けるんだ。僕が教えてきたから」

「俺も、あなたの授業を受けられれば良かったよ。だが黒騎士はあなた達を殺すことにかわりない」


「現実的になれ!」ケーシーはピシャリと言った。

「我々は生き残って援軍の助けを待つべきだ」

「そうだ、そうだ!」村人たちはケーシーを信頼していた。リウトへ口々に挑発的な言葉が飛んでくる。

「よそ者は出て行け!」


「誰も君のことを信用しない。信じられない。君の大学時代を知っていれば尚更」

 出来の悪い生徒をあざ笑うような、冷たい言い方だった。

「考え直してくれ、あの時の俺じゃない。俺より黒騎士を信じるのか?」

「君は自分が魔法数列を解けないから逃げたいだけだ」


「違う……違うんだ。どうして俺が命の恩人のあなたを騙すなんて考える」

 ケーシーは地面に向けていた目を上げると、黙ってこの場を離れようとした。


「話は終わってない」

「――君は村の住人じゃない。勝手に逃げて生き延びればいい。誰も止めはしない」

 リウトは小さくため息をついて言った。


「もう、生徒を死なせたくないのは分かる」

「……なっ」ケーシーの悲痛な目が向けられた。〝その話は絶対にするな〟と、その目は言っていた。村人たちは足を止め、張り詰めた空気で二人を見つめた。


「……言いたくなかったが、そこまで言うなら、はっきり言おう」

 ケーシーは怒りで顔を赤らめていた。首筋に青い血管が浮き出し、甲高い声を上げた。


「君の忠告は、聞かない。その理由は、お前がバカだから。お前は大学の恥さらしだ。ここへ来たのだって、とんでもないバカをやらかしたからに決まっている。誰だって、こう思うのじゃないかね。お前の考えに従うほどバカじゃないと」

「…………」

 リウトは返す言葉を失った。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます