第15話 神父の決意


 あの日――モリスンはロザロの地下迷宮をさまよっていた。

 ミノタウロスに追い回されたあげく、部隊はちりぢりになった。アネスは役目を放棄して、自分だけ迷宮最深部へと足を進めた。モリスンたち部下を見捨てて。

 

 以前から不信感を持っていた彼だけが、アネスを追った。

 カタコンベの入り口通路で、彼女はこちらに気付く。


「趣味が悪いな、モリスン。黙って追ってくるとは」

「どうして、自分だけで先へ進む。仲間は暗闇の中で猛牛に追われているんだぞ」


「事情があるのさ」魔女は腰に手をあて、こちらへ歩み寄った。妖艶な指先で、彼の髭をそっと撫でた。

「別の命令を受けているもんでね」

 長く艶のある黒髪を耳に掛ける仕草。

「この状況で、戦力を割くのほど大事な命令があるのか……まさかステイト以外の!?」

 アネスは赤い爪を立てて、彼の口をふさいだ。

「それ以上は、言うな。命にかかわる危険な発言だ」


「……あんたは一線を超えた。仲間を見殺しにするのは、隊長として犯してはならない行為だ」

 モリスンはアネスの手を跳ねのけると同時に、一方の手に仕込んだナイフを脇腹へ押し込んだ。だが、ナイフの刃は魔女の肌の一インチ前で止まっていた。

 

 既に魔女の術中に嵌っていたようだ。蛇のような冷たい眼差しだった。美しい瞳の奥には残虐な悪意が写っていた。


「黙って従っていればよかったのに。死ぬ前に教えてやろう、わたしはスパイさ」

 魔女は耳元で囁いた。


「…………」口を開くことすらできなかったが、歯の間からは息が漏れた。擦れるような小声で彼は訊いた。


「誰の……差し金……だ」

「吊られた男、とってもセクシーだと思わない?」


 魔女の手が煌めいたと思った瞬間、頭にガツンと衝撃がはしり、モリスンは吹き飛ばされた。しばらくは気を失っていたが、彼は生きていた。

 

 ちょうどその時、後続隊がミノタウロスと格闘を始めたときだった。猛牛の雄叫びが地下迷宮に鳴り響いていた。


 アネスは一つだけミスを犯した。モリスンのような魔法効果を軽減する能力者がいることを知りもしなかったことだ。〝愚者のスキル〟によって彼は奇跡的に致命傷を避けられた。

 

 だが、たったひとり負傷した体で地下迷宮から脱出するのは決して楽ではなかった。何体ものスケルトンと戦い、命からがら、ロザロの周辺までたどり着いたというわけだ。


         ※



 モリスンは、話終えるとくたくたになったという顔をしていた。

「お寝なさい。睡眠は一番の治療薬です」

「あ、ありがとう。あんたの次に頼りになる治療薬に頼るとするよ」

「………粋なジョークがお好きのようで」


 ラルフ神父は振り返り、ローラに突っ掛かるように聞いた。

「アネス・ベルツァーノはヴィネイスのスパイ……。手前にその情報をどうしろとおっしゃるのですか?」


「騎士兵舎のミルコ隊長か、あなたの使えている方に直接報告してください」

「貴殿ほどのお方でも状況がお分かりになっていないようですね。ミルコ様とて信用はできないのです。そもそもロザロの兵舎には、もはや完全に信用出来るものなどおりませぬ」

「なっ……何ですって?」


「この情報は扱い方によって、手前も、貴殿も、危険な立場に追いやられる可能性がございます」

「ミ、ミルコ隊長まで、信用できない……ですって? だったら貴方が仕えている王都の女教皇に直接、報告するのはどうかしら」


「アリシア様は、自分等の利益にならない行動には決して出ないでしょう。それと、先ほどから誤解されているようですが、手前が仕えているのはどなたでもございません。手前が仕えているのは――神と信仰のみでございます」


「見くびらないでくださいっ! 詭弁なんて聞きたくないわっ……なら、貴方は何のために兵舎や、他の街に出入りして、隊長や、有力者たちや、団長や、貴族に取り入ったりしているのかしら! 自分の地位や名声のためではなくって!?」


「………」

「何とか言ったらどう?」

「し、信じては頂けないでしょう。手前が博愛と献身の精神を説いても、悪い冗談にしか聞こえないのではありませんか。貴殿もまた、信じる心を失われているようです。手前が権力者に取り入っているのは、それが必要であるから。今――市民は困窮し、戦争は絶えず、世界は混沌として崩壊を待っています。手前のような無力な小男が、それをどうして止めることができましょう。手前は決してドラゴンに対峙する英雄にはなれません。手前には、このやり方しか無いのでございます」


 いつになく、ラルフはけげんな顔を向けた。

「手前には、夢がございます。この世界を変え、平和をもたらしたい。そして誰もが幸せに暮らしていける世界を見てみたい。それを真剣に考えておりますれば」


 ローラは間抜けのように口を開けたまま、じっと神父を見た。


 詭弁ではなかった。それが本心だと分かるのは、ローラには彼の本質を見る能力があるからだった。


 資質がなければ、決して信じられなかっただろう。

 彼のような小さな男が、本気で世界を救う英雄になりたいと考えていることを。

 誰もが信じず、笑い、蔑むだろう。誰が、この小さな男が戦っていると思うだろうか。


 魔法使いや騎士が、モンスターや黒騎士と戦っているのと同じように、この神父は命知らずの英雄のように戦っていたのだ。


 ずっと一人で。

 少しずつでも世界を、市民を守る為に。


「申し訳ありません……見くびっていたのは私の方だったようです」

 

 ローラは立ったまま、両手の指を合わせ尖った塔の形を作った。眼を閉じ、祈るように塔を眼前にあげると、ゆっくりと息を吐いた。

「………少し、考えさせてください」


 物事の全体を見て、バランスをとっているように見える。まだ幼さの残る十五歳ほどの生娘である。


 ラルフは何年か前、彼のネットワークを使い、この少女の生い立ちを調べさせた。ローラがこの〝森の娼館〟で給仕の仕事に就いたのは四年も前になる。


 貴族のパーティーで傷害事件を起こした彼女は、とある村を追放になり世間に向けて自分の道を切り開くことになった。


 彼女には、特別な能力があった。一言でいえば当てる能力。幼い時から回避能力の高い兄妹と育ったのが影響したといううわさである。

 

 そうでもなければ、年端もゆかない少女が傷害事件を起こすなど……よほど。ナイフの腕でもない限り不可能に違いない。


 ただ、物理的に攻撃が当たるという能力では収まらない。

 彼女には賭博師の才能もあった。


 不思議なことに一発で大勝ちすることはなく、賭博場で勝ち越している人間だけから、バランスよく勝ち続けることが出来た。逆に負け越している人間や、借金の膨れ上がっている人間からは、どうやっても勝てなかった。


 余裕のある貴族や、偶然にも大きく当てた人間からは容易く勝ち分を奪い取れた。勝ってよい相手に勝つ賭け方とは――『節制せっせい』の資質スキルである。この判断力こそが、このスキルの真の価値だ。

 

 どんな状況だろうが欲張らず、行き過ぎず。時には妥協することも負けることも必要だった。コツコツと確実に勝ちを拾うことで、賭博試合の連中は十四歳の田舎娘に気前よく負けを払った。


 どんな危険な面子との試合でも、ローラは儲けることが出来た。名のある賭博師や貴族たち。闇の武器商人から、海賊船の船長までが、彼女に一目を置いた。


 そして四年という月日をかけて、この〝森の娼館〟の主人にまでのぼりつめた。トラブルもなく調和のとれた雰囲気と安定した経営状態を保っているのも、このためだ。


 自分の村を捨て、一人で生きていくことに不安を抱えていた時代。初めてここで働いた二年か三年は本当に惨めだったそうだ。


 手には水ぶくれができ、過労によって肌は色あせた。ケチな女中たちは何一つローラには与えないくせに、ムチだけはふんだんに与えた。


 だれかれ構わずに彼女は罵られ、給仕の仕事は幾度となく邪魔をされた。物をはこべば、お客の見ていないところで小突かれ、売り物を汚せば、またムチを打たれた。


 まだ排尿以外の男性器の機能は知らなかった。汚らしい恰好のローラに声を掛ける物珍しい男は、何人もいた。だが、そういう輩はたいてい彼女をゴミ同然に扱い、抵抗する彼女を殴りつけ、暴行した。

 

 他の娼婦も、彼女に味方はしなかった。機嫌の悪い日に、客を取られたと言っては彼女を呼びつけ何人かで蹴り続けた。そんな生活が二年も、三年も続いたという。


 童顔で釣り目の彼女は成長してから急激に容姿が良くなり、自分の得意なこと、出来ないこと、好機をつかむことを学んだ。

 

 すべてが良い方向へと進んでいった。これも、苦難を知ってこそのバランスと言えた。

 

 一番大きな苦しみは――大好きだった兄妹と別々の生活を強いられてしまったことだった。兄と別れてから彼女のスキルが、真価を発揮したのがその証拠だった。

 

 いつからかロザロの街や王都サン・ベナールでも、森の娼館の主人の名は広く知られるまでになった。


『節制の女神は勇者に味方する』という語り文句と共に。


 しばらくするとローラは口を開いた。

「モリスンのことは誰にも言わなくていいです。彼の回復を待って、私は彼とここを離れます」


 ラルフ神父は彼女の判断を信じようと思った。そして自分を信じてくれた少女を、守りたいと思った。






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