第12話 節制の女神

 ベナール教会の聖堂。

 大理石の説教台に立った神父は背が高く見えた。中央に祀られているのは教会のシンボルである樹輪の宝珠である。

 アネスは彼のテリトリーで風貌も発言も威厳が増しているように感じていたが、天が何かを見ているとは思わなかった。


「ロザロから少し北にある、森の娼館。答えはそこに住むある女性が教えてくれると思います」

「バカを言うんじゃない。神父が娼婦を紹介してどうする?」


「今一度、同じ返答を繰り返さねばならないのでしょうか。アネス・ベルツァーノ」

「ふん。そこに占い師か、物探しの達人でもいるというのか 。専門家がいる場所とは思えないが」

 喋りながらアネスはラルフ神父の顔を見つめた。


 小さな男だ。

 声は高く、抑揚のない平坦なしゃべり方がまったく感情を読ませない。


 どこにでも出入りする情報通であり、ミルコの参謀役から王都のゴシップ、前線で働く兵士の家族の情報まで扱う食わせものである。


 神父は無表情のまま、落ち着き払った態度を保ち、指を組み合わせて話し出した。


「あなたは抜け目のない方だ。ミルコ隊長からの依頼でなければ、余計な親切はしないつもりでしたが、ひとつ……」

 勿体ぶった話に苛立ちをおぼえる。


「占い師、ギャンブラー、預言者、山師、呼び方は自由でしょうが、一番美しい呼び名でいうなら、彼女は〝節制せっせい女神めがみ〟。そう呼ばれております。そして、当たる占い師というのは本当にいます。ただし、当てられて困ることや、詮索されて苦しむことが他にあるなら、会うのはお薦めは出来かねます」


「どういう意味だ。私に裏があるとでも?」

「誰しも、裏はあります。あなたを愚弄ぐろうするつもりなど微塵みじんもございません。少し違うのは、節制の女神というのはバランスをもたらす暗示。一方的な利益や強さを求めて、欲望を満たそうとしても女神は微笑みません。こちら側に、倫理にもとる行為があれば、やっかいごとを招くだけという可能性がございます」

 ハッキリ言ったらどうだ? 

 ……とは言わなかった。


 アネスには存在そのものに裏があった。リウトが疑っていたとおり名前と姿を偽り、この部隊に所属しているからだ。あらかじめ、大学の情報を仕入れさせたおかげで場はしのいだが。


 しかし、この秘密を占い師や神父に嗅ぎ付けられるのは、かえって事態を悪化させるだけだ。特にこのラルフという男は信用ならない。

教誨師きょうかいし〟として独房棟にまで出入りし、死刑を間近にした囚人からも情報を得る裏社会の住人。


 地下の密室で告白を聞く……と言ってはあらゆる拷問具を取りそろえ尋問していたという噂話を聞く。


 そうやって得た情報をもとに何処にでも潜入し、上層部に食い込む。あちこちの街に顔が効き、浮浪者の情報屋を何百人と飼っているのだ。

 

 数日前――アネスは取り押さえた浮浪者に、神父と何を話していたのか白状させた。ラルフが崇拝しているのは、王都サン・ベナールの女教皇アリシア、大都市ロザロ白騎士隊長ミルコ、そしてベナール教会である。


 この男の真の奉公先は一体、どちらだ? それとも自らが浮浪者共の王にでもなるつもりか。 


 浮浪者は無言だった。

 身を震わせながら祈るばかりで、何の情報もでない。


 そこにラルフが現われ、言う。

「お許しください、彼は口がきけないんですよ。手前はありとあらゆる人間を愛しているのでございます。彼らの多くは生活していくすべを失い、長き闇の淵に立たされています。少しばかり、付き合いにくい人間がいるのも確かです。盗みや、暴行をしてその日、その日を生きているような輩でございます。誰からも救いの手や、僅かな施しが得られないとなれば、そのような輩も増えてしまいます。ですから、手前はなるべく定期的に彼らに声を掛けているのです」


 アネスは飄々と説教を語る小さい男に疑念を向けた。

「いつか、手前がこの行為を怠って、彼らのような貧しき者が群れをなし街や王都に危害が加えられてしまうような悲劇が起きるのではないか。そのとこを考えると気が気ではございません」

 神父は楽しんでいた――絶対に楽しんでいた。


「ジレンマがお顔に出ておりますな」

「いや、そいつに会うだけだ。いちいち感情に振り回されるのは十四歳の娘だけで十分だろう。わたしが悩む必要はない」


「さりとて、依頼人は貴方です」

「ふん。探して欲しいのは迷宮に残してきたリウトという騎士だ。聞いてはいるのだろう?」

「あの娘の大事なかたでございますね。さぞ、ご心配でしょう」


 広々とした教会の長椅子には、ひとりしか座っていない。静かに、悲しみにくれた少女。

 ローズは焦点の合わない目を見開いたまま、宙を見ていた。帰らぬ父を探す旅で、ずっと守ってくれた老騎士と別れ、ずっと一緒に助けあってきた青年とも離れてしまった。


「ずっとあの調子ですか。身近な人間が次々と消息不明になってしまっては、 当然の反応でしょう。まだ若い。無理もないことです」

 神父は、アネスの 顔色を伺った。


「指輪は手に入ったのでしょう。抜かりなく」

「もし顛末を知っていて聞いているのなら、貴様はとんだタヌキだな」


は三つの指輪を舐めるように眺めた。黄色く輝く指輪を見て、手を止めるとしばらく目を瞑り、顔を拭った。


「これは雷光の指輪ではない。これではダメだ。これでは、たどり着けない」

 リウトは偽物のアクセサリーを指にはめていたのだ。

 

 ――あの手も偽物だったか?

 トリックハンド。握手する際に子供が遊びで使うような低級な魔法。だが、彼は自らの腕から流れた血を利用し、うまく私を騙した。


 墓場より地下に落ちたリウトが生きているのか。雷光の指輪は回収可能なのか、確かめるすべなどないと思っていた。


「それが判るというのだな」

「さようで」

 アネスは考えた。雷光の指輪という王家の秘宝を求めれば、その見返りは限りなく大きくなるだろう。それだけリスクも高くなる。だが依頼人をローズにしてリウトを求めれば、こちらにリスクはない。


「わかった。案内しろ」

「それは出来かねます。教会が売春を目的とした不特定多数の女性を組織しているなどという噂がたっては堪りません」


「では、幕のはった馬車を用意しよう。この娘と貴様が二人だけでいけ。次いでに老人探しも出来よう」

 神父は目をしばたたき、言った。


「貴方にとっては好都合の提案ですね。ですが、それも出来かねます。手前のような中年期の大人が、あの場に出入りすれば児童性愛者ペドフィロだと思われてしまいましょう。聖職者にとって、それは芳しくない」

「ふざけているのか?」


よしなき非難を受けたくないだけにございます。 一度植え付けられた疑いは拭えない。逆らうのは至難の技です。私に世間の疑いを消すことができない。わたしは神に仕える身ですので」

 教会のラルフと節制の女神、二つは対極の存在のようだ。掲げているものは同じ綺麗ごとだとしても、裏社会では対立的な構造になっている。


 この小男は、節制を恐れる裏のある人間だと、自分で言いたくないだけだ。


「私を貶めようとしても、無駄だぞ」

「めっそうもない」神父は言葉をもてあそぶように続けた。

「あなたのように立派な地位も名声もある特殊部隊のリーダーを、 名の知れた魔女を、そのような方を、手前のような一介の神父がどうやって貶めることができましょう」


「ええい、もう説教は聞き飽きたわ」

「せ、説教とは……とんでも、ございません。手前は何も勝手に決めては失礼にあたると思い、相談したいと思っているのです。そもそも説教というのは……」

「やめてくれ、説教についてまで説教するつもりか?」


「……分かりました。では、こうしましょう。あの娘、ローズ・ジョードは独りで森の娼館のあるじである〝節制の女神〟と会う。手前どもは、席を外して遠くで彼女を見守りましょう」

「いつになる?」


「たった今でございます」

 教会の裏手に馬車が止まった。

「……とんだタヌキだな」


 ステンドグラスから漏れる薄明りの中、誰かがゆっくりと部屋を訪れたようだ。何列か並んでいる長椅子の中にローズはいた。


 じっと座って、どうすればリウトを助けられるか考えていた。ミルコ隊長のついた嘘を問い詰めて調査隊を用意してもらうか。


 あるいは、単独でもう一度ロザロの迷宮をさまようか。

 まだ亡霊の騎士は地下でひしめいているのだろうか。

 アネスは、墓場カタコンベも古井戸も崩れてしまったと言った。

 

 誰かが彼女の隣に腰かけたが、興味は無かった。放心状態の彼女は、どこか遠くから話しかけられていると思った。


 小さな体つきでローズと同じような体型の人。


『こんにちは』

「………」


『占い師や予言者の中には、相談者の心理を読み、相談者が聞きたいことを言うようにして、利益を出す商売人がたくさんいるわ』

「………」


 せめて装備を整えて行こうと思っていた。兵舎に潜り込んで解封師の仕事をしなければならない。そこで武器や食料をいっぱい持って、もう一度迷宮に行こう。


『でも私は違う。そのことをまず初めに言いたくて。だから事実だけを言うね』

「………」


 でも、もし……もし、リウトが死んでしまったら。

 死んでしまっていたら!

 

「生きているよ」


 聞きたいのは、たった一言だった。

 その一言を聞いて、ローズはふっと目をさましたように顔を上げた。


 ローズの目から、いっぱいの涙が溢れた。

「あっ、あなたは?」

 そこには、ローズと同じ年付きの少女が座っていた。


 ひとつに纏めた金髪ブロンドと、吊り上がった眼が特徴的な美しい少女だった。

「ふふっ。お帰りなさい、ローラよ」

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