第13話 離任教師

 溺れかけ~、爺いとおなじ、お手々しわしわ

 妙な句が浮かぶほど長い時間、水面に浮かび意識を失っていた。


 リウトはロザロの地下迷宮から更に深い地下の湖に落ち、遠く離れたセレース川へと流れついた。右肩の傷はまだ乾いておらず、縫うか焼かないかぎり回復の余地はなかった。


 ほっておいたらばい菌が入って破傷風になると確信した。自分はどうかしている、それどころか死んでいても不思議じゃなかった。


 ベルファーレの峠に続く断層、あるいはその副断層は東から西南西方向に走っており、その破砕帯に地下水脈があるのは知っていた。


 そこから湧出しているのが療養効果の高い温泉だったのは幸運だった。上手くすれば一攫千金の儲け話になるが、今は命すら危うい状況だ。

 魔法のマジックフロート位はこんな自分でも作れる。伊達に大学は出ていないと言いたいところだが、この魔法は初級中の初級だ。


 右腕は痛みをこらえれば多少何とかなった。足を使い、無造作に川辺に這い上がった。

 そこは、どの〝鬼〟からも死角になるルートだ。少し身体が温まると朦朧とした意識の中でただ、真っ直ぐ空を見上げた。

 月は鉛色の雲に隠され、何も見えなかった。

 真っ暗な草むらは、まるで今も迷宮の奥深くにいるような錯覚を起こさせる。


 ながいこと虫の音と、木々の擦れ合う音しかしなかった。


 ―――アネス。

 あの凍るような目つきは、俺の知っている彼女じゃない。

 とっさにトリックハンドの呪文を唱えたおかげで、何とか左手は無事だったが。 

 朝のとばりが降りると、冷たい空気がリウトの服や肌にしみ込んだ。


 麻痺状態――まるで血液が流れるのをやめたかのような。

 やっと上体を起こし道に這いでると、遠くにレンガと土で作られた家が何件か見えた。白く塗られた木の柵が立ててある。

 リウトは自分の左手が無事か再度確認をすると、仰向けになって倒れこみ意識を失った。

 

         ※



 その娘は花の刺繍の付いたベストに裾の広がったスカートを穿いていた。

 ブロンドの髪を後ろで三つ編みに結い、まだ幼さの残る華奢な体つきのわりにテキパキと仕事をした。

 ベッドの上で三日たっていた。


「今日は顔色が大分いいわね」

「ありがとう、君のおかげだよ」

「うふっ……毎日のように御礼なんて言わなくていいのよ。あとは口内炎と結膜炎ね」


「もしかして、もう起きた方がいいかな?」

「ふふっ。冗談よ、精霊魔法フェアリーエイドで傷は塞がっているけど、完璧とは言えないわ。実際のところ、回復が早すぎるくらいよ。すごいわ」


「今のうちに謝っておくけど、俺が完璧に治ることがなくっても、君のせいじゃない」

「ふふふっ。明日には近くの広場に散歩に行きましょうか。ボールとフリスビーを持って」


「あ、ああ。遊んでくれるの!? ハッ……ハッ……ベッドの外でもすごい所見せなきゃ」犬のように手を丸めて舌を出す。

「プッ、アハハハハ! バカねえっ」

 

 彼は見知らぬ谷のちいさな村で傷の手当てを受けていた。寝室で花瓶の水を替えている娘は村長の孫娘マリッサ。


 彼女の笑顔は完璧だった。

 もとから美人であることは疑いようもなかったが、彼女が笑うと見とれずにはいられなかった。正確なシンメトリーで笑顔を作れる女性は希少だ。そして最近では珍しい純真無垢な人間だった。


「ケーシーの馬車で通りかかったときは、死体だと思ったわ。でも、彼があなたを見て言ったのよ。この子は僕の、もと教え子だって」

「……いい教え子じゃ、なかった。君は魔法を使うのかい?」


「ええ、少しだけ」

 そう言って微笑むマリッサを見ると、自然とこちらも笑顔になる。

「この村はマンサ谷に面して孤立しているからケーシーは熱心に魔法を教えてくれるわ。それに人生が豊かになるもの」

「君はいい生徒だね。働き者だし、優しくしてくれる」

「ふふふ……人の役に立ちたいって思うのは自然なことよ」


 彼女のような考え方をみなが持っていたら、争い事や不幸なんか無くなると思った。村の学校の魔法使いはレンギル魔法大学での元教師、ケーシーだった。


 人口は約三百人。生徒は見たところマリッサを合わせても十人程しかいない小さな村だった。ケーシーは無垢な彼女を世間知らずにしないよう見守っているように思えた。


 ドアの入り口は暗闇に近かったがリウトには誰だか分かった。

「先生、大分よくなったよ。もう、歩けると思う。ありがとう」

「御礼なら、マリッサに言ってくれ」

 魔法使いの白いローブを着た背の高い痩せた男だった。


「俺が入学して、たしか一年もたたないうちに先生は教師を辞めたろ。でも、俺のことを覚えていてくれた。だから、こうして看病してくれたんだろう?」

「君が誰であろうとマリッサは看病したよ。もう先生はやめてくれ、君は立派に卒業したんだ。ケーシーと呼んでくれ」


 ケーシー・シュタイナーが大学の教師を辞め、自分の育ったマンサ谷の村へ帰ったのは有名な話だ。

 

 優秀な教師は、戦場に駆り出される事が多かった。それは生徒を従えて実地訓練をすることが目的でもあった。


 ある日、ケーシーは三人の生徒を連れて戦場に行った。そして生徒だけが帰ってこなかった。黒騎士との戦闘で死んだのだ。大学側は彼の辞表をすんなりと受け入れた。

 別段、珍しい話ではない。

 退職した魔法の教職者は、聖職者と同じような役割を持っているので、どこの村や町に行っても、ケーシーのような魔法使いは重宝されるのだ。

 最後に見たときと比べて、彼はいきいきとしていた。戦場から戻り大学の中央棟にあるドームで戦死者の報告をする彼の姿は、ひどく痛々しいものだった。

 

 ステンドグラスに照らされた祭壇のもとで、リウトが彼のなかに見たものは、疲れ果てて敗北のなか良心の呵責に追い込まれた病んだ男でしかなかった。


 しかし、今は村での生活が彼に平穏を与えたのが分かる。帰る場所があり、愛するべき人たちがいる――この村こそが、彼に残った唯一の慰めだった。

 リウトは折を見て、ケーシーに聞いた。直接的な出来事には触れずに。


「アネスを、覚えているかい」

「確か……べルツァーノ家の末っ娘だったか。穏やかで、戦闘向きでは無い性格の子だった。今の私もそうかもしれないが」


 魔法使いには、二種類のタイプがいるそうだ。一つには迅速かつ攻撃的に、敵を駆除していくタイプ。

 乱暴な殴り合いのような訓練を繰り返し、瞬発力と破壊力を高めていく。強力な魔法で直接的に敵をねじ伏せていくには、もってこいのタイプ。いわば打撃系だ。 

 戦場では、ほとんどの魔法使いがこちらに属する。

 結果、マジックアローとアローグラスだけがメジャーな魔法となって、複雑なエレメントを使う魔法使いを見ることは少なくなってしまった。


 二つ目は、柔術や合気道に類似したタイプ。柔軟に魔法を駆使して、攻撃をかわしながら弱点をつく。

 なによりも自分とチームの身を守ることに重点を置く。合理的に魔力を使い、少ない魔力で強大な敵に抵抗できるのも、大きな強みだ。


 アネスは、あきらかに後者のイメージだとケーシーは言った。

 だが、地下迷宮で会った彼女は仲間を全滅させ、スケルトンには過剰な魔力を使って攻撃を仕掛けていた。


「いまは、まるで別人だよ。特殊部隊シビラの隊長をやってる」

「ほ、ほう、信じられないな。克服できたのか」

「うん? 何をだい」

「魔法使いにはスピードが大事な要素だが、彼女は気が弱いせいか敵に目を背けることがあった。一流の魔法使いは戦闘中に、まばたきすらしない。そういう要素は、なかなか治せるものじゃない。だから戦闘向きじゃないと言ったんだ」


 足音が聞こえた。

 二人が入口のドアに目を向けると、そこにはマリッサが立っていた。


「ごめんなさい。盗み聞きするつもりじゃなかったんだけど、食器を……」

「いや、大丈夫だよ」ケーシーは優しくうなずいた。

「いまの話、どちらのタイプが強いのかしら。やっぱり攻撃重視になっちゃうの?」

「はは、私も以前はそう思っていた。大学の考えもそうだった。だが柔軟なタイプのほうをお勧めするね」

「ケーシーなら、そう言うと思ったわ」


「まして彼のように白騎士になったのなら、遅かれ早かれ自分より強い敵に出会うことになる。乱暴な攻撃魔法ばかり重視して、強さだけを求めていると簡単に心が折れてしまう」

「柔軟な魔法をたくさん持っていれば、どんな敵にも勝てるのね?」

「ははは、そう簡単にはいかないけどね。もう一つ、魔法使いに限らず、違ったタイプが存在する。私の授業を覚えているかな?」

 

 タロットカードに例えられる二十二の資質スキル。彼の専門分野だ。


 生まれつき『愚者』のスキルを持っている者には、魔法攻撃は効果がない。

『魔術師』のスキルを持っていれば、得られる魔力は桁外れに大きい。

『女教皇』の持つ直観力は、戦況を大きく左右する……と言われている。その他もろもろ。


「と、ところで解封師には、どんな資質が求められるんだい?」

「解封印の資質は『悪魔』のにある。生まれつきの才能というよりは、訓練と学習で身に付く能力だろう。職人技の部類だよ」


 資質スキルを持っている人間がそうそういる訳もないのだが、気にせずにはいられなかった。ローズほどの若さで、たぐいまれな解封術を持っているなら、何か生来の資質があると思った。


 しかし、それが『悪魔』とは考えられない。

 

 ――『悪魔』のカードの能力は封印術と拘束力。

 ローズにはあてはまらない。

 逆に、封印術に長けた魔法使いが使いそうな資質スキルだ。


 正直にいうと、こういう目に見えない学問は、重く受け止める必要がないとリウトは考えていた。

 後付けでいくらでも説明できるし、実際の戦場では頼りにならないからだ。

 

 ケーシーにとっては専門分野かもしれないが、具体的な成果が見えない学問は、どうも苦手だった。哲学や心理学と似ている。

 どの教師も自分の専門分野だけが、もっとも重要な学問だと言い張るのも考え物だった。



         ※



 日没後に、村を見回りするのはケーシーの日課である。リウトは彼に直接、相談する機会を探していた。アネス・ベルツァーノは別人だと確信していた。そして一刻も早く何とかしなければロザロの街が、ローズが危険だと感じていた。


 二人は月明りに照らされ歩いた。

「僕も教師を退職する前に、君とはゆっくり話したかった」

 谷に差し掛かったところで、リウトは腹を決めた。雷光の指輪を出し、元教師にすべてを話そうと思った。


 本題に差し掛かったころだった。

 ケーシーは彼の前に手をかざして止めた。

「黙って……あそこを見ろ。こ、こんな辺境の村にまで」

「……黒騎士ヴィネイスか!」


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