第10話 ミノタウロス

 ローズは慌ててベルトからグラスダガーを一本抜いた。暗闇に身長二メートルはある大きなモンスターが迫っている。ローズの心臓は恐怖で跳ね上がり、髪が逆立った。


「お前は、隠れていろ!」

 走りながらローズは黒いシルエットを見た――四つ足の猛獣が巨大な二本の角を携えていた。ミノタウロスはリウト目がけて突進してきた。


《パコダンス》

 リウトの独特な足さばきを見たものは、皆が腹を抱え体をくの字に曲げて笑った。生まれ育ったパコ村では当たり前のように、この足さばきを覚える。実際は二人一組の舞踊であったため、妹にせがまれ、嫌というほど踊ったことを思い出す。


 リウトは寸前で角をかわし、クルリと剣をまわした。

「ハハッ! 当たるもんかっ」

 リウトの中で何かがリンクした。

 賢者の石によって開花した回避能力とダンスのような足さばきである。


 ローズは地下の迷宮で感じる地鳴りと反響する雄叫びに混乱した。

「こっちだ!」

 リウトは器用にぎりぎりで身をひるがえす。同時に剣をまわしミノタウロスの後頭部に攻撃を加える。


「よ、避け専のはずの俺が攻撃までしてるっ?」

 怒り狂った猛牛は角を振り回し、次の攻撃の隙を与えない。

「駄目だわ。致命傷ダメージになってない……」


 足元に岩ネズミが這っていたが、数は少なかった。先発隊が、通路へ引き返しネズミを片付けてくれた結果であろう。それでも、硬い表皮につまずけばバランスを崩すのは簡単だ。

 手練れが三人も殺られているのは当然と言えた。古来よりネズミと牛の組み合わせは神殿に祭られるほどの最強のコンビなのだ。


 だが、リウトは流れる舞踊のように動きを止めず、これをかわし続けた。


 ただのダンスではない、ローズはそう思った。本人は認識していないようだが、おそらくもとが戦闘用に組み立てられた武術舞踊なのであろう。


 だが、あまりにも個体差が大きい……このままでは彼が危ないと思った。

 地鳴りの間に、角と剣がぶつかる音が響く。

 ゴブリンの槍を交わした時の感覚が残っていた。

 二本の槍と、二本の角。

 動きと大きさの違いはあるが、平行に突進してくる角をかわす方が難易度は低い。くらえば一撃アウトではあるが、不思議と恐怖心は無かった。


 感覚を研ぎ澄ませば、猛牛の単純な攻撃は簡単に感知できた。

 あの回避の感覚とパコ村のダンスが、まるでパズルを組み合わせたように一致したような不思議な感覚だった。

 最小限の回避と最大限の攻撃が繰り返される。

 

 単純な強さでは圧倒的に不利な戦いに見えるが、勝敗の基準はそこにはない。

 左右に振り回される角を器用にかわしながら、細かく剣を刺していく。

 狙うのは耳にある三半規管だ。


 するどい角が空を切るたびに胃が持ち上がるような戦慄が広がる。逃げることは出来ない。リウトは粘り強く、緻密な攻撃を続けていく。

 戦いは、どちらかが死ぬまで続く。


「ふうっ。誰かさんが、最後に勝つのは集中力を切らさない臆病者だって言ってたな。こういうことかよ」

 少しずつ、互いの動きが鈍くなってきたように思えた。

「どうだ、効いてるのか!」

 

 ブモモモモオオオ――――……

「そ、そうでも、ないようだ」

 彼は肩で息をしていた。戦いは膠着していた。

 そのとき何かが暗闇を走る音がした――するとローズの目の前を赤い光が通過しミノタウロスを包み込んだ。

「ま、魔法?」

 

 ブモモモモオオオ――――……

 真っ赤な光に雄叫びを上げたミノタウロスはリウトに向かって怒声を上げた。狂ったように突進を始めるが、様子がおかしい。


 巨大な角は大きく傾き、物凄い勢いで壁にぶつかっていった。牛頭の三半規管はリウトの攻撃と、平衡感覚を狂わす何者かの補助魔法によって完全に麻痺したようだった。


 すかさず、リウトはミノタウロスに飛びつき、鋭い剣をこめかみに差し込んだ。

「ハア……ハア……ハア……か、勝っちまった」


 リウトはゆっくりと立ち上がった。

 ローズがたいまつを掲げると、女の白く長い素脚がこちらに近づいてくるのが分かった。


「あ、あなたは……あの時の魔法使い?」

 以前、自分とリウトを脱走犯と決めつけた妖艶な目つきの魔女だった。


「あの時の解封師か」

 たいまつが消える寸前に、魔女の手からランタンの光のような薄暗い光が灯った。部屋の全体が薄っすらと浮かび上がり何匹かの岩ネズミがそそくさと、引き上げていくのが見えた。


「もうひとつ」

 大きめの発光体がもう一つ宙に舞った。


「アネス・ベルツァーノ。あんたなのか?」

「ああ、そうだ。お前は……本当に騎士になったのか。貴様がこの子を連れてくるとは」

 リウトは他に仲間がいないのか見回した。


「ああ……見てのとおり私ひとり、全滅だ」

特殊部隊シビラが全滅とは、聞いて呆れるな」

 命令しなれた立場にいれば、人間はどんな状況でも自信を持った態度でいられるのだろうか、と思った。魔女はツンと尖った胸のふくらみをリウトに向かって突き出した。


「初めから腕のたつ騎士がいれば助かったかもしれん」

「頭の切れるリーダーが、だろ?」

「ふん。助けられても悪態をつくか」

 リウトは顔をそらして剣を収めた。ローズが傍らにいなければ、この胸に視線を吸い寄せられていたかもしれない。魔女のとりこになってのぼせ上っていたかもしれない。


 さっきだって自分だけなら確実に逃げていた。あんな猛獣に向かっていけたのは、賢者の石が回避能力を開花させたからだけではない。

バカのレッテルを剥がしてくれた少女を守りたいと、本気で感じていたからだ。


「で? この先はどうなっているんだ」

「貴族どもの墓、カタコンベだ。山ほどの死体が安置されているだけだった」


「お宝は無かったのか」

「待って」ローズが言った。

「ミノタウロスの首に鍵が掛けてある」

 ローズはチェーンの付いた小さなウォード錠を持ち上げ、二人に見せた。


「……何かを守っていた」

「ハッハッハ。そう来ると思ったぜ!」

 リウトは鍵を受け取った。

「墓荒らしと行こう」


         ※



 三人は、整然とした本棚のように積み上げられたミイラの脇をすり抜けるように進んで行った。そのミイラは古代王国の長達や貴族の亡骸であり、何百体もあった。


 ローズは急激に気温がさがって、吐く息が白くなるのを感じた。奥歯がカチカチとなった。

 部屋を通るたびに衛兵のように立ち尽くしたミイラがおり、ローズはそれらが動き出すのではないかとハラハラした。


 彼らはみなボロボロになった法衣や武具、錆び付いた武器や宝石、金貨、アクセサリーを持っていた。だが、すべてが簡単には奪えないよう魔法封印がなされている。


 ローズは仕事に取りかかる時がきたと思った。

「お目当てのお宝はどこ? 見た感じ、どれもかなりのお宝だと思うけど」

「いや、本命はここにはない。まだそのツイングラスダガーのほうがマシだ」

 自分用のダガーを誉められ、いい気分だった。まだ使い方も魔法付加も知らないが。


「歴史的価値は認めるが、わざわざ解封印しても持ち帰るすべがないしな」

「ふうん。全部封印さているなんて、本当に用心深いのね」


「うむ」リウトが会話にはいる。

「魔法使いの歴史は封印術の歴史だからな」

「どうして?」

「例えばマグネティアっていう魔法。中性子の超速自転を利用して強烈な磁場を作る。 爆発的なエネルギーを放出して心臓を動かしている神経の電気信号を破壊する。ま、そんな魔法は封印しなきゃ全生命が滅亡する」


「ふ、封印術を発展させなかったら魔法は人間が使える代物じゃない。そういうことなのね」

「ああ、もっとも正確なことは誰も解らない。魔法は矛盾だらけだから」


 リウトは眉をひそめ魔女アネスを見た。

「昔、ある大魔法使いが五千の難民の腹をたった五つのパンと魚を使って満たしたって話、知ってるか」

「聖書か何かで読んだ気がするわ」

 ローズには言ってない。

 アネスは口をずっと閉ざしたまま、ゆっくりと歩いている。


「説明してくれよ、アネス」

「……」

 死んだ者に対する敬意ともとれる沈黙。同じ大学で学んでいれば答えられる質問だった。

「解らないのか?」

「失われた魔法になど興味はない」


 解らないはずはない。

 リウトはカマをかけたのだ。

 その論文はアネス本人が提出し、物議をかもしだした問題作だったからだ。答えられないなら、アネスの名を語る別の存在に入れかわっているとしか思えない。


 ――スパイなのか

「答えろ。アネス」


「ふん。固定保全魔法こていほぜんまほうから時空歪曲じくうわいきょくループ、パンを受け取った前の時間から、もう一度パンを受け取り、更にそれを繰り返す。無限にパンを受け取るという寸法だ。確かに矛盾だらけだ」


「なっ、なんで解るんだ? 待てよ。何か抜けてる気がする」

 アネスは細い眉を吊り上げて睨み付けた。


「抜けてるのは貴様の頭だ。無駄話は終わりにしろ」

 アーチの門をくぐり抜けると見通しのいい広間ホールへ着く。


「もっと明かりを」アネスが呪文を唱える。また、小さな薄暗い発光体が――今度は四つ同時に浮かび上がると、連なって部屋の上に飛んで行った。


「王家の部屋だわ」アネスは部屋の中央に備えられた小箱に、指をさした。

「ローズ」リウトが肩を叩いて言った。「お前の出番はないな」


 リウトはミノタウロスの鍵を取り出すと、中央の小箱に向かって駆け出した。

「可愛い小箱だ」


 リウトの持った鍵はピッタリと箱に収まった。アネスとローズは、両脇から小さな箱を見守った。鍵がゆっくりと回る。

 カチャ――……箱が開いた。

「指輪だ……三つの指輪か」

「綺麗……赤、青、黄色だわ」

「火炎、氷晶、雷光の指輪だ」


 アネスが手を伸ばすとリウトが言った。

「待て、ここは一人一つずつ持っていこうじゃないか」

「はん?」アネスは小声で毒づいた。「どうして貴様が決める? 私は特殊部隊シビラのリーダーだぞ」


「部隊は全滅した。俺は誰も信用しない。もちろん魔女は一番信用できない、黄色を貰おう」

「ちぃ……騎士宿舎のミルコが何と言うだろうな。青だ」

「ローズ」にやりと笑って言う。

「お前は赤を持って行け。なくすんじゃないぞ」


 ズズズズズズズ………ズズ。

 指輪を取り出すと同時に部屋中で何かが蠢く音がした。

 武器を構える鋭い音も。


 ずっと昔から知っているような加齢臭と、ツンと鼻を刺す初めて嗅ぐ異臭が四方から彼らを包んだ。三人は身を固くすると、膝をまげて腰を浮かした姿勢をとった。


 おびただしい数の足音。

 ローズは悪夢を見ているのかと思った。冷や汗が吹き出すより早く体が勝手にグラスダガーを抜いていた。白骨化した死者の亡霊が目を覚まし、ゆっくりと三人をとり囲んでいた。

 

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