第6話 牢獄の少女

 脱走兵は絞首刑に値する。


         ※

 

 ローズが目を覚ましたのは、薄暗い牢屋の中だった。

 身体が自由に動かせない。

 ろうそくの灯りがゆらゆらと石壁を照らしている。喉はカラカラに乾いていたが壁を流れる水は、排泄物の匂いがしてとても飲む気にはならなかった。深呼吸をしてから、慎重に体を起こし、目を細めて周りを見た。


 板張りの粗末なベッドの下にはブロック状の石が敷き詰めてあり、黒くよどんだ水たまりがいくつかあるだけだった。


 手元は鉄製の手錠、足には重い石の塊が南京錠でぶら下げてある。錆びた鉄格子のドア。どうして自分が、こんな目にあうのか皆目見当がつかなかった。


「ここは、どこかしら」

 だが、取り乱して恨みや不満を叫んでも意味がないことをローズは知っていた。

 この手の拘束に、なんの意味もないことも知っている。

 解封師である父と、あらゆる錠前を開ける練習をしてきた。その中には拘束具もあった。足の指や歯と舌を使って開錠する技術も学んでいた。

 たいていの拘束具は単純な仕掛けだということを知るための訓練だった。


 解封師は相手の仕掛けに、決して乗ってはならない。気の持ちよう――怖がらせるだけの単純な心理誘導には乗らない。


 こういう不当な仕打ちを受ければ、犠牲者はあらゆる物事を正当化してしまう。聞かされた言葉をすっかり信じてしまう。少しでも間違っている考えは〝悪〟となる。恐怖や怒りは一番ハマりやすい罠のひとつ。

 自分を見失ったら、鎖は二度と外れなくなる。


        ※

 

《拘束されたとしても慌てないことだ》

 まだ、十歳のころだったろうか。ベッドの脇にはろうそくが灯っていた。


 話し上手ではない父だったが、寝室ですわって夢中で聞き、もっと話してくれるのを待っていた。父、ノア・ジョードは一枚のカードをめくって見せた。中央に山羊の頭を持った悪魔が座っており、首に鎖を掛けられた二人の人間が前に立っている絵だった。


 それは十五番目のタロットカード『悪魔』だった。

「きゃ!」

 幼いローズは慌てて目を背けた。人間と獣の入り混じった生き物『悪魔』の挿絵を本能的に恐れた。鎖につながれている男女には小さな角が生えていたが、人間に違いなかった。

 あまりにも人道に外れた挿絵である。


「こわい」

《ははは、怖がることは無いよ。見た目の恐ろしさは、人を試しているだけなんだよ》


「え? なんでそんなことするの。嘘よ! だって鎖で人を繋いでるよ! 食べられちゃうよ」

 半獣人の前で肌をあらわにしている人間はあまりに弱々しく見えた。


《よく見てごらん。怖い顔をしているけど、山羊は草食だし鎖をクビに掛けられてはいるが、ふふっ。ゆるゆるだ》

「あっ! 本当だ。ゆるゆるだぁ。これなら直ぐに逃げられるね」


《可笑しいだろ? 殺す気も、食べる気もないのに何で捕まえているんだろう。しかも、こんなゆるゆるの鎖で。何かこの子たちに気付いて欲しいって思ってるみたいだ。ほら、自分の頭で考えてごらんって。意外と、いいヤツかもしれないね》

 父はそのカードが気に入っているようだった。

「やっぱり、悪いヤツよ! 悪戯にしては度が過ぎてるもの!」


《たしかに、そうだね。でも落ち着いて、ローズ。慌てていたら、実は簡単に逃げられることにも気が付かないし、悪魔が何の目的で拘束しているのかも分からないよ》

 もし人間に生えている小さな角が大きくなったら――この人たちが怒りや恐怖で自分を見失ってしまったら、小さな角は大きな角に育ってしまう。


 角は不安や怒りを食べて成長する。

 そうなれば、この鎖は二度と外れなくなる。そのことを教えている――そう、父は言った。


「でも、悪魔はやっぱり悪者だわ。だってイブをそそのかして知恵の実を食べさせたのよ」

《ははは、よく知っているね。さては学校で創世記の授業をやったんだね》


 ローズは父との会話を思い出して可笑しくなった。あの時は気付かなかったが、知恵の実を食べた人間は、前よりずっと成長している。見方によっては、『悪魔』は人間にとって救世主なのかもしれない。


        ※


 

「自分の頭で考えるの」

 誰にも聞こえないほどの小声で口に出す。そして、冷静に対処することを自分に言い聞かせた。

 錠については、誰よりも詳しいという自負があった。この手錠も見たことがある。丈夫なだけで単純な構造だ。


 足にかけてある南京錠もたいした構造ではない。鍵でボルトを直接動かす形式の錠は、必ず鍵穴とボルトの間に隙間が生じるから、勘のいい錠破りならだれでも簡単にこじ開けることが出来る。


 問題は牢の鉄格子に付いているレバー式の大きな仕掛け扉だろう。こういった大掛かりな仕掛け扉は日々、高度に成長し続けていて都市部の鍛冶屋の収入源になっている。


 ポーチからピックを取り出そうと、もぞもぞと体を動かした。だがポーチもダガーもベルトすら奪われていた。指輪もなくなっていたが、幸いこの牢屋には呪文を使った封印術は施されていない様子だ。


 直ぐにロングブーツに仕込んである簡易ピックを探した。靴底の針金ごと抜かれている。

 小さくため息をつくが、何か代用になるものが無いとは限らない。

 ローズが辺りを見回すと鉄格子の前にブーツが見えた。


「!!」

 ゆっくりと頭をあげると、気配もなく恰幅のいい長髪の男が鉄格子の前に立っていた。

 動物にたとえるならライオンのような、威厳のある風貌。太い首に肩まで伸びた黒髪、野獣めいた顔つきだが醜くはない。


 鉄格子に小さな逆十字のシルバーアクセサリーがあしらわれた白騎士のショートソードが掛けられている。


「目を覚ましたかい。お嬢ちゃん」

 ローズは、ドキリとして身をのけ反った。いつからこの男がここに立っていたのかも分からなかったが、実際に声をかけられて、その男の存在感の大きさに改めて驚かされた。少し飛び出た灰色の目が、まっすぐ、冷ややかにこちらを見ている。彼女は頭をふって、ひとつため息をついてから、その騎士を見上げた。


「……」

 ポンと、見覚えのあるブロンズピックを牢の中に放り投げた。


「……テストだ」

 その男はしゃがみこんでローズの顔を見た。

「食事が終わったら、また見に来る。それまでに手錠を外して見せろ。足枷あしかせもだ」


「ま、待って。ここはどこ? 私と一緒にいた騎士たちは何処にいるの」

「テストが終わったらだ」


「リウトは? ダリルは」

「ここは地下牢。そいつらは知らん」

 長髪の騎士は肩をすくめた。うんざりしたように口を閉じたまま、ウインクをして立ち去っていった。


 中央独房棟から兵舎へ行くまでに、左右から騎士たちが詰め寄る。

「前線の部隊から、ベルファーレ攻略のため兵を五百手配するとの伝令です。ひとまず、安心ですな」

「敵を軽んじるな。格上のシャドウナイト相手に同じ頭数でどうする。部隊はひとまず、このロザロへ向かうよう指示しろ」


「も、申し訳ありません。直接、峠の野営地では?」

「敵はどこからでも入り込んでくるものだ。そんなことだから喉元の峠を奪われたのだ」

 かなり低い声で粗野な感じだった。


「それにベルファーレで戦うのは我々ロザロ騎士団に課せられた任務だぞ。前線から疲弊しきった部隊を送ってどうなる」

「か、かしこまりました。隊長殿」


「シャドウナイトとて、個体でみれば恐れる相手ではない。貴様は休暇が欲しいのか」

「お、お許しください。直ちに部隊を整えてまいります」


「よかろう。そちらはラルフ神父か?」

 小柄な神父は男に声をかけられ足早に左へと付いた。男は足を止めないため、走って付いていく。


「は、はい。王都ではベルファーレ攻略に公爵を立てようとの動きがあります。女教皇アリシア様は、まだいかようにも出来るとおっしゃいましたが……」

「たかが峠の小競り合いに、船頭は不要と伝えろ。ただし解封師はまったく足りていない」


「すぐに手配致します」

「分隊長はいるか」

「ここに」

「うむ。百人隊の欠員にリウトとダリルという男はいるか」


「すっ、少しお待ちを」

 分隊長は慌てながら台帳を捲った。

「ダリルは四番隊の荷物運び、二つ名では『臆病者のダリル』と呼ばれている老騎士です。戦力にならないから、僻地のガサ入れと解封師探しに廻したとあります」


「ふん、臆病者には用がないな」

「もう一人も似たような二つ名です。『運び屋のリウト』ですな。こいつは七番隊に属していますが、実際どこの部隊かはっきりしません。あちこち荷物を届けさせていて、帰ってきても戦力にはならない。ダリルと解封師探しに廻したとあります」


「ふっ。面白い二つ名だな。運び屋としての実力は?」

「逃げ足だけは一人前以上、全体の士気が下がるというのが本当の理由かと」

「あっはっはっは。臆病者と逃げ足か、まあいい。そいつの資料をよこせ」



 そこから十五分か二十分後――その騎士はナイフをいれたステーキを口に入れようとした姿勢のまま動きを止めた。


「驚いた。どうやって、あの最新式のタンブラー錠をあけた?」

「あれは開けようがないわ」


 ローズは場所柄もわきまえずグラスを取り上げて一口飲んでから言った。


「鉄格子を一本外しただけで出られた。体が小さくてよかったわ」

 ヒュウと口笛を鳴らす。


 あの悪臭漂う中央独房棟から、この兵舎の指令室まで迷わず真っすぐにきたというのか。磨き上げられた白騎士の甲冑を着た男たちの間を縫って、平服の小娘がこの部屋まで、あっさりと。


「解封師に不可欠な冷静さと観察力を併せ持っているということか」

「なんですって?」

「ウオッホン……いや、何でもない」


 衛兵は少なくとも五人はいたはずだ。部屋の隅にローブと水差しが置かれている。変装に使ったなら、完璧な選択だ。


 偶然ともいえるが、逆さ十字と食事をしに戻るという僅かな情報を活かしたことになる。回復魔法を専門とした聖職者のローブを着た人間は、最も頻繁に兵舎を出入りしているので目につかない。水差しを持った給仕をドアで止める理由もない。

 つまり、この娘の潜在能力は認めざるを得ない。


「若い解封師は大歓迎だが、どこで技術を覚えた」

「父よ。解封師ノア・ジョードが私の父よ」


「ノアの娘だって?」

 男は驚いた顔を見せたが、まるで陳腐でわざとらしい。肩をすぼめて微笑んでいた。初めから分かっていたのだろう。


「父を知っているのね」

「ああ、知っているさ、ローズ・ジョード。指輪に名前が彫ってあったから君の名前も知っている。残念ながら父君は、行方不明だ。ああ、私のことはミルコと呼んでくれ」


 白騎士はステーキを口に入れながら言った。自分の事を当然知っているだろうという口調だった。


「テストに合格したご褒美は?」

「……やはり何かの間違いで投獄になったのか」

「そうよ。一緒にいた二人は無事なの?」


「リウト・ランド。そいつは脱走兵だ」

 ローズは、ミルコが切ったばかりの肉をつまみあげて自分の口に放り込んだ。

「ひがうわ……んっぐ。違うわっ!」

 飲み込んで続けた。


「彼は私をロザロまで連れてきてくれた、立派な白騎士よ」

 少女はテーブルを軽く叩いた。ミルコはわざとらしく驚いた表情を浮かべ、手の甲で頬を拭った。


「いや、残念だが、彼の経歴は立派とはいえない」

「彼は無実よ、脱走兵なんてとんでもないわ。彼を解放して」


「誤解しているのは君のほうだと思うがな……少し調べただけで暴行、盗難、覗きに横領。今まで、よく世間がヤツに目を瞑ってきたのか不思議だとしか言いようがない。はっきり言わせてもらうと、あいつはロクな人間じゃない。牢屋の中がお似合いのクズだ」


「なっ……?」

 ローズは眼をおおきく見開いた。

「違う……誰も、真剣に彼を見ようとしなかったじゃない!」


 周りがリウトを見ようとしなかった。彼はずっと、努力してきたのに誰もこっちを向いて話してくれなかったと、リウトは言っていた。優れた能力だというのに、誰も彼の本質を見抜けなかった。


 それを妨げていたのは、彼自身の性格が影響していたのかもしれないが。

「ほお。面白い」

 ナイフを置いて、皿を押し出しながら続ける。腹が減っているなら好きなだけ食べろと彼女に差し出す仕草だった。


「ベルファーレの峠に黒騎士が集まっているんだ。何時いつ、このロザロの街が戦場になってもおかしくない状況だ」

「…………」 


「君の父親は峠で消息不明になった。そして解封師が足りていない。協力してくれるね」

 ミルコの問いにためらいながらもローズは、声を低めて返した。


「ダリルは?」

「ふむ。その騎士は残念だが坑道で、ゴブリンに襲われたようだ。我々の部隊が偵察に入ったときにはもう姿は無かった」

 ミルコはローズの目の前に指を立てて言った。


「さっそくだが、明日の早朝に我々の部隊に加わってもらおう。ダリルもノアも、生きている可能性があるなら、皆、このロザロの街に来るだろう。ここが安全なうちはね。彼らが見つかれば、すぐに君に連絡が入るように手配しよう」

「……わかったわ。でも条件がある。彼を、リウトを無実だって認めて下さい」


「ああ、その脱走兵は絞首刑にするつもりだったが」

 ミルコは指を鳴らした。

「ちょうどいい。運び屋にチャンスをやろう、今は一人でも多く騎士が必要だからね」


 部下が二人、部屋へと入って来た。

「リウト・ランドの死刑は取り消しだ。明日までにここへ連れてこい」

「おおせのとおりに」


 ローズは胸に閉じ込められていた息を解き放った。けっして顔には出さなかったが、リウトを救えたことに心から安堵していた。無防備な十四歳の少女のこころは揺れ、崩れ、怯えていたことを知られまいと葛藤していた。


 解封師は相手の仕掛けに、決して乗ってはならない。気の持ちよう――怖がらせるだけの単純な心理誘導には絶対に乗らない。


『お父さん、私ここまで来たよ。ロザロの街まで』


「目を離さないでね」

 ローズは二人の部下の顔を見上げて言った。

「もし彼が逃げたら、二度と見つけられないんだから」


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