第2話 廃墟村

 ルファーク湖周辺の森はマツやトウヒの枝が鬱然と垂れ下がり、袖を振っているようにうごめいていた。

 

 三人を乗せた馬車は、不気味な森を通って小さな村にたどり着いた。老騎士ダリルは食料と装備を調達しようと考えていた。


 老騎士は失敗だったかもしれんと言い、首を振って見せた。湖畔の村は焼き払われ、どこにも食料は無かった。

 夕暮れの薄暗い広場には死体が積み上げられ燃やされた痕があった。他の何者とも似ていない特別な異臭が漂っている。


 ダリルはその異臭について語ろうとはしなかった。若い二人は黒く焦げた痕がどんな理由のものか知りもしなかった。


「いやな臭いだわ」ローズが言う。

 焦げ跡の先を見てリウトが指を刺す。異臭はそちらから流れてくるようだ。


「何だか知らないけど大きい薪や、小さい薪が適当に積んであるみたいだな」

「真っ黒で、気持ち悪いわね」


「ありゃ大人と子供じゃ」ダリルが言った。

「…………ウゲッゲゲゲ」リウトは馬車の脇に顔を向けて唸り声を上げた。


「ふぉっふぉっ」吐き気をもよおした若い騎士を見てダリルは笑った。


「何か悪い物でも食ったかの」

「くっそ! もう、二日も食ってないから何もでねぇよ」

「まったく、酷いことをするもんじゃわい」

「ヴィネイスの黒騎士かしら……」

 

 空気は重くのしかかってくるようで、息苦しささえ感じられた。

「ああ」馬車を降りてダリルが言った。「あてが外れたな。リウト」

「腹ペコで死にそうだ。金貨なら幾らだってあるってのに」


「きっと村人がどこかにいるよ」少女も馬車を降りて言った。「隠れているのよ」


「隠れているのは黒騎士ヴィネイスか山賊かもしれないじゃないか」


 リウトはポカンと口を開けたまま、やる気のない表情を見せた。ローズはリウトの口に小さなトマトを放り込んだ。


「うんぐっ……ゴク。うまい」

「日が暮れる前に、どこかの家を拝借しよう」


 どこを見回しても、人の姿はおろか気配すら無かった。赤い家が五件くらい立ち並んでいるが、どの家のドアも破られた跡があった。


「廃墟だな」

「うん、こんな空しい景色は初めて見たわ」


         ※



 三人は村で一番大きな領主の屋敷の二階にいた。荒らされていたが、運よく火はかけられていなかった。リウトは全くラッキーだと言ったが、一時間もしないうちにその運は尽きたと訂正した。


 すでに一階にヴィネイスの騎士の姿が見えた。黒く染められた革の軽装備を着た男たち。

 明かりを消して窓から庭を見下ろすと、四人の騎士が馬車を確認していた。完全に日が暮れてしっかりと確認出来ない。倍の人数がいる可能性もある。ここが見つかるのは時間の問題だった。


 リウトの目の前には魔法陣で冷凍保管された大きな白い宝箱が構えている。この宝箱には食料、飲料が入っている。箱を見ただけでヨダレがでそうになっていたが、黒騎士ヴィネイスに囲まれている状況では、宝箱を開けている暇は無かった。

 

 何より逃げることが最優先だった。ダリルとリウトの二人は階段側のドアの前に立ち剣を抜いた。


「ローズ」ダリルが言った。「初めて組んだパーティーがわしらみたいな弱い騎士ですまんかったの。お前さんまで死なす訳にはいかん。リウトとわしが敵を抑える」


「ああ、その間に逃げろ。俺たちを待つ必要はないからな」


 リウトがローズを振り返ると、食料箱に取り付けられた大きな南京錠をピッキングしている姿が見えた。


「な! 何しているんだバカ、解錠している時間はない」

「うるさいわ、黙って」


 ローズはピックと指輪を使って白い宝箱を開けようとしている。事態の緊急性を理解させようにも混乱を招くばかりだ。

 

 まるで聞き分けの無い子供。リウトは、ただ泣きわめいたりするより、よっぽどマシだと思ったが、この少女の扱いかたはさっぱり解らなかった。


「ダリル、あんたが偉そうに仕事をさせるなんて言ったからだぞ。あいつ俺達がへっぽこ騎士だって知らないんだ。自分の仕事をしようなんて考えているぜ。これじゃ、俺達も逃げきれないぞ」

「しぃ。静かに」


 ギイイ……ギイイ……

 黒騎士が階段を上ってくる足音だった。


「ゴク……リウト、不意打ちでやる。上がってくるのは一人だ」

 ダリルは剣を上段に構えた――ドアを見つめる表情は強張っている。


 リウトの胃は、恐怖によって野兎が跳ね回るようにうねっていた。喉はカラカラに乾いて、上手く唾も飲み込めなかった。しかも空腹。剣を握る手は震えている。


「ぬおおおおっ!」

 ドアが開くと同時にダリルが黒騎士に切りかかった。

 リウトの位置からは、闇に紛れてよく見えなかったが黒騎士の頭部を叩き付ける大きな音が響き渡った。そのまま、ダリルは黒騎士の腹部へ前蹴りを入れた。


 その黒騎士はゆっくりと後ろ倒しになり階段を転げ落ちていった。鎧のガシャガシャとした音が闇の中に響き渡った。


「こっちだ、こっちにいるぞ」下から黒騎士の怒声が響いた。

「やられた」

「上だ、二階にいるぞ、火をかけろ」足音はどんどん増えていった。「魔法使いにマジックアローの準備をさせろ」何人もの黒騎士が屋敷を取り囲んでいる。

「全員ここに集めろ!」


「あちゃあ……まだ、来るのかよ。一体何人いるんだ」

 リウトは深呼吸をしてみたが恐怖は消えなかった。 

「すまん。せっかく黒騎士を倒したが、状況は何一つ良くなっておらん」

「悪くなってるよ」

 

 窓から階下を覗き込んでみる。黒いローブをまとった男が杖を持って、こちらに構えている。

「マズいのぉ、狙われとる。屋根にも上がれんぞ」

「…………」

 老騎士ダリルは黒騎士を殺したことが一度もない。十四歳から騎士になって、幾度となく戦争に駆り出されてきたにもかかわらず、敵の命を奪うことを避けてきたのだ。


「さっきの黒騎士、殺したのか?」リウトが小声で聞いた。

「まさか、気絶させただけだ。わしがなんて呼ばれているか知っているだろ。臆病者のダリルだぞ」


「殺さなきゃ、殺されるんだぞ。このクソじ爺い!」

「分かっているわい、だが今まで出来なかった事が今になって出来るとは思わんわい。それより、お前が魔法を使ってくれれば助かるんじゃがね、魔法使い」


「そっ……それ」リウトは驚いた。「ずっと、知っていたのか?」

「ちゃんと魔法大学を出ているのは知っているぞ。どうして剣士の格好をしている。アローグラスくらいは使えるんじゃろ?」


 アローグラスとは、一般的な魔法使いが使う半透明の防御壁である。

 魔法は主に中・長距離の攻撃で使用する弓や、投石器の代用という役割以外に、盾などの防御という重要な役割を担っている。


「……期待しているのか。俺の何を知ってるっていうんだ?」

「ああ、期待して悪いか? 同行する人間の経歴くらい見るさ。今こそ、魔法で切り抜ける場面じゃろう」


「魔法は使えない」

「何だって」ダリルは聞いた。


「……大学じゃ、ずっと立たされていたんだ。教室の一番後ろで。まともに座って授業を受けたことなんて一度もないんだ。四年間で一度もね」


「なんで、また。あの大学に入れるだけでも大した物なのに」

「バカなんだ、俺は。一芸を見込まれて大学まで入れて貰えたけど、頭が無けりゃ魔法は使えない。簡単な数式ですら、俺には組めない。だから魔法は使えないんだ」


「バカなのか? 一発芸って」

「……言ったろ? バカなんだ、俺は。ってか、一芸だよっ」

「本物のバカだったのか」

「何度も言わないでくれ。心に刺さる」


「じゃあ、じゃあ」ダリルは目を丸くして言った。「ここにいるのは戦闘力ゼロの解封師と、殺せずの老騎士と、魔法を使えない魔法使いってことになるな。こんなインチキパーティーは初めて見たわい」


「……そして外にいるのは、本物の黒騎士だ」


「二人共、来て」ローズが呼んでいる。「この宝箱を一階に放り出せる?」

「何やっている……お前は逃げる事だけ考えてりゃいいんだよ」リウトが言う。


「考えがあるの」少女は自信ありげに言った。「この宝箱のトラップを連中にお見舞いしようっていうのよ」

「ほう……」ダリルがゆっくりとリウトの肩に手を掛ける。やがて意を決したように言った。「面白そうだ」


 三人が窓から見下ろすと、剣や槍を装備した八人の騎士が前庭に集まっていた。

 たいまつを持った指揮官の男が他の騎士に指示を出している。先ほど階段から蹴り落とされた騎士が、二人の騎士に支えられ指揮官の前に連れられて来ていた。


 リウトはローズを見た。

 正直に言うと……女というのは、お高くとまって能力をひけらかす割にストレスにはめっぽう弱く、些細な事でパニックになるもんだと思っていた。


 この少女は違った。難関があれば立ち向かっていくタイプの女もいるのだ。そこに頼りに出来る〝仲間〟がいるような気がした。


 黒騎士たちは一か所に集まり、作戦を立てている様子だった。と、いうより怒鳴り合っているようだった。連中も、こちらが何人いるのか分かっていない。

 敵はこちら以上に警戒し興奮している。窓をあけると湖畔から湿った冷たい風が吹いている。


 白く大きな四角い箱を担ぎ上げると、ブーンという共鳴音が聞こえた。リウトの左耳には唯一のアクセサリーである小さなリングピアスがあった。


「いつでも、いいぞ。リウト、指示をだしてくれ」

 ダリルは怪力で、軽々と箱の後部を持ち上げ、じっとしている。

「駄目だわ……あの魔法使いがこっちを見ている」


「大丈夫、タイミングは一回しかない。あいつは怪我人の背中をみる」

 ローズはダリルの顔をじっと見た。


「信じていいの?」

「信じていい」ダリルがうなずいて言った。

 年のいったローブを着た男のもとに、先ほど転げ落ちた騎士が腹を抱えられたまま運ばれた。何か話したあと、男はリウトの言った通り膝をついて騎士の背中に目を向ける。


 そこに――真上から大きな白い箱が空中に放り出され、地面に叩き付けられるように落下した。


 カミナリが落ちたような爆発音がした。

 箱の蓋が弾け飛ぶと、一瞬の間をおいてパチパチと電気を帯びた蒸気のような煙が一気に広がっていく。たいまつと、周りに掛けられたランプの火が同時に消え去った。


「うわ、何だ……こ」

「隊長、にげ……」

「…………」

「……」


 黒騎士たちは、身構えたまま凍り付いたように固まったままだった。


「やった! フリーズトラップ。大成功だっ」リウトは指を鳴らした。

「よし、今のうちに逃げるぞい」


 三人は、屋敷の庭に駆け下りると凍り付いた黒騎士を避けながら、ゆっくりと馬車に向かって進んだ。リウトは固まったまま動かない指揮官を鞘でつついた。


 騎士はびくりともしなかった。たいまつは消えていたが、まだ煙が出ていた。

 ダリルは白い箱から野菜や果物、ウサギや鶏の肉が飛び出しているのを見つけた。

 

 おもむろに麻の袋を取り出すと、せっせと食料を詰め始めた。


「手伝え、リウト」

「ああ、いそごう」


「バカっ!」ローズが叫んだ。「フリーズトラップなんて、直ぐに溶けるのよ。何やっているのよ」


「だから、急いで持っていくんだよ」

 リウトとダリルはせっせと食料を麻袋に放り込んでいた。

「そんなことやっている場合じゃないわよ、はやくったら、はやく!」


 二人の騎士は慌てていなかった。ローズは震える声で、まくし立てるように言った。


「命より食料が大事だっていうの?」

 少女の恐怖心は広がり、パニックに近い状態だった。だが、それとは裏腹にリウトとダリルはおぼつかない足取りで食料を回収している。


「落ち着け、ローズ。まず……」ダリルが言った。「ここの黒騎士は八人いるだろ」

「う、うん」


「もう、この八人から、わしたちは確実に逃げられる」

「はあ? 何でよ」

「うーん、説明するのが難しいな。こやつの特技は」ダリルはリウトのほうを見て顎をしゃくった。


「ああ、俺の一芸っていうヤツさ。ただの『かくれんぼ』なんだけどさ。そろそろ馬車に乗ろう。北の岩場で少し待って――西の小道を行けば見つからない」


「…………」ローズはクビを傾げて聞いた。「魔法なの?」

「いいや。俺にもよくわからない」リウトは麻袋を担いで馬車に放り込んだ。


「ただ――この八人以外の黒騎士が現れたら、簡単に見つかるということも言っておく」

 ローズは驚いて聞いた。

「ほんとに?」

 リウトは冷ややかに微笑んだ。

「まあな」


         ※



 朝焼けが空を茜色に染めていた。

 三人の乗った馬車はリウトの言った通り、黒騎士に追われることなく峠に近づいていた。


 夜通し馬車を走らせたダリルは眠気と闘いながら、なんとかタズナを握ってはいたものの限界寸前といった表情をしていた。


「ダリル、ここまで来れば安心だよ」リウトが言った。

「ああ、馬を休ませなきゃな。そのへんでキャンプしよう」


 小川のほとりに馬車を止めると、リウトは手際よく食材と薪を用意して、食事の準備をはじめた。ダリルは水を汲み、火を起こすとどっかりと木の根に腰かけパイプをふかしはじめた。


「おい、あの娘は怒っているのか?」ダリルは馬車の脇で座っているローズのほうにパイプを向けて言った。


「機嫌が悪いのは間違いないね」野菜を鍋に放り込んでリウトが言う。


「初めてみたステイトの騎士の戦いが、あれじゃあ仕方ない。食材を泥棒して逃げただけだ」

「白騎士にも、いろんなヤツがいる。それでいいじゃないか」


「ローズに言えよ。俺だって前線の軍隊には申し訳ないと思うけど、反省はしていない」

 ダリルは重い腰をあげるとローズの前に立った。


「飯にしよう、ローズ。わし達を見てガッカリさせたのはすまなかったな。あんたの鍵開けの技は大したものだった。ロザロの街に着いたら、本物の白騎士を紹介するさ」


 ローズはじっと座ったまま聞いていた。うつむいたまま右手の指輪をもてあそんでいる。


「ダリル……私は怒っているわけじゃないわ。むしろ、スゴイって思っている」

「わしがか? 臆病者のダリルがか」


「うん。昨晩、あなたは一発で黒騎士を気絶させ、一蹴りで黒騎士を五メートル先の階下へ突き落していたわ」

「はっはっは。殺さなければ騎士は失格なんだ」


 ダリルは少女の目が輝いているのを見た。そんな目で――まるで尊敬する戦士を見るような瞳を向けられたことは今まで一度もなかった。


「どうして、殺せないの?」

「お、臆病者だからさ」

「……確かな腕を持っているわ」


「とどめを刺すことを考えると、冷静でいられなくなるんじゃ。だが殺さないと決めてから、わしは剣の腕がみるみるうちに上達した。ああいう場面でも、落ち着いて戦える。だが、殺すつもりで立ち向かったとたんに――もう、手は震えて喉は枯れ、足は鉛のように動かなくなるんじゃ」


「そういうのを、世間じゃ臆病者っていうんだ」リウトの声だった。「さあ、飯ができたぜ」


 スープには大きな野菜とウサギの肉がたっぷりと入っていた。ローズはスープから立ち上る美味しそうな匂いに喉を鳴らした。


「ほら、食べな」

「ありがとう。リウト、すごく美味しそう」

「へへへ、料理は任せてくれ」


「火を起こすのに五分も掛かるインチキ魔法使いのくせに」ダリルが言った。

「食わなくてもいいんだぜ、クソじじい」

「ほっほっほ。大学の話を聞かせてくれ、リウト。そろそろ話してくれてもいい頃合いだろ」


 リウトは、目を見開いて露骨に老騎士を睨み付けた。

「私も聞きたい。どうして黒騎士から簡単に逃げられたのかも」


「……ふーっ。大学のことは思い出したくもない」リウトは頭を掻きむしるようにしてイライラとした態度を見せたが、黙って待っている二人を見ると諦めて口を開いた。


「俺の村では、昔からバカバカしい『かくれんぼ大会』みたいな、お祭りがあるんだ」

「ど田舎の、独特な祭りってヤツか?」ダリルが聞いた。


「そうだよ。そこでは、そこでだけは俺は英雄扱いされるほど有名な神童さ」

「あっはっはは! かくれんぼの名人だっていうのか」


「ああ、可笑しいだろ。本当に負け知らずだった。その名は白騎士の幹部にまで轟いたってわけだ。奨学金で大学までしっかり用意してくれた。うちには親父がいなかったから、喜んで進学したよ」


「レンギル魔法大学、超一流の大学だ」ダリルはローズに説明を加えた。

「だけど、母ちゃんには悲しい思いをさせちゃったな」


「そこでバカが発覚したからか?」

「ダリル」リウトはため息をついた。「真面目に聞く気は、なさそうだな」


「いや、すまなかった。続けてくれ」

 ダリルはスープを啜りながら、上目づかいでこちらを見た。

「あんたの言う通りさ、教師にはっきり言われたよ。かくれんぼだと! 子供の遊びじゃないか、貴様はかくれんぼが得意だという理由でここにいるのか? 正気とは思えない、さっさと荷物をまとめて田舎に帰れとね」


「ひどい、そんなこと言う権利はその教師には無いわ」

 リウトは驚いた。大学では、どんなに容姿の綺麗な女だろうと、心のやさしそうな女でさえも魔法を上手に使えないリウトのことは、目の前に居ても見えないほどガン無視の対象だった。

 学生はすべてライバルとして教育されていたのだから、それは仕方のないことであったが。


「ありがとう、ローズ。おかげで周りに友達は一人もできなかった。まあ、実際バカだったんだけどね俺は。全然、魔法なんて使えないんだから。ただ――卒業式の日だけはトラウマになったよ。母親が大学に来たんだ。田舎から高い旅費をかけてね」

「つらいな」


「ああ、あいつらは俺の母親までバカにしやがった。卒業式で教師が何て言ったと思う?」

「想像もつかん」


「親の顔が見たいと思っていただってよ。リウト・ランドがこの大学を卒業できるのは、これ以上奨学金を無駄にさせないためであって、大学始まって以来の特例中の特例だってな」


 リウトは食べ終わったスープ皿を投げ出し、肩を丸めて座りなおした。


「は、母親はどうした。勿論怒ったんだろ」

「式場は大笑いだったんだ……うつむいて――泣いていたよ。それ以外なにが出来るって言うんだ」


 あの時、卒業式でリウトの母親は身体を小さくして部屋の真ん中に座っていた。耳を真っ赤にして、ハンカチを口に当てていた。


 周りにいた学生や、親たちの笑い声と侮辱の込められた視線に晒されると、唇を震わせてうなだれた――母が泣いていた。母にとってリウトはたった一人の自慢の息子だった。


 努力は惜しまなかった。惜しんでいれば、まだ救われた。入学から全ての時間は大学に所蔵されている魔法に関する書物を読み漁った。


 卒業のわずか三日前に、所蔵本の全てに目を通し終えた。その数、一万冊――教師ですら、その全てを読んではいない。だが魔法使いの本には、魔法が使えない人間の為のレクチャーなど全く書いていなかった。


 出来るようになったのは、お宝の鑑定くらいのものだ。


 諦めるな――努力するんだ。バカな人間は他人の何十倍、何百倍も勉強するしかない。そう思って、そう自分に言い聞かせて孤独に耐え、死ぬ気で学び続けた。

 

 全て、四年間の全ての努力は、無駄に終わった。リウト・ランドの大学生活は終わった。報われない努力ほど、むなしい物があるだろうか。


 笑み。ゲラゲラと同輩や教師達の笑い声が響いていた。母のたった一つの名誉を守れなかった。ただリウトはそんな自分を恥じらい、もじもじとしながら周りの評価にあわせ……調子にあわせ、何も言わずに笑っていた――泣いていた母を。


「一緒になって笑っていたんだ。俺は、俺は……本物のバカだ」


 リウトは、その記憶を振り払うように手のひらで顔を擦った。


「あきれた教師だ。いやな話を思い出させちまったようだ」

 ダリルはささやくような声で言った。


 ローズはリウトの肩にそっと手を置いた。

「魔力の……」ローズは眉をひそめて言った。「ベクトルが極端に防御むきなのかもしれない」


「魔力なんてねぇんだよ」

「ううん、あんなに的確に黒騎士の動きが読めた。私も魔法は使えないけど解封師だから分かるわ。魔力はある」


「でも、呪文の数列はまったく組めないんだぜ」

「時間をかけて、立ち止まってなら魔法は使えるのよね?」リウトの顔の近くに身を乗り出す。

「部分的に組めないのじゃないかしら」


「どういうことだ、ローズ」ダリルが言う。「わしにも分かるように説明してくれ」


「えっと……防御魔法っていうのはダメージを減らす方法と、全くダメージを受けないようにする魔法の二種類あるっていうのは分かる?」

「ああ」


「リウトのやっていることは、ダメージを受けないようにする魔法なの」

「回避魔法ってやつだな」


「うん。回避魔法の究極系は未来を予知する能力よ」

「おいおい、こいつは呪文もアクセサリーも使っていないんだぞ。わしにだってその話がおかしいことは分かるぞ」


「聞いて――予知能力を使いながらだと、時間や空間に密接な関係のある呪文数列を計算して組むなんて出来ないのよ」

「じゃあ、何か? ずっと魔法を使いっぱなしってことか。産まれてこのかた」


 ローズは断固とした口調で言った。

「あなたは素晴らしく優秀な大魔法使いかもしれないわ」

 口を開けたまま、呆然としたリウトの顔を覗き込んだ。


 リウトの頬にはうっすらと涙がにじんでいた。ローズは無意識にリウトの頬をつたう涙を、自分の細い親指で拭った。


「うそうそうそ! お、おれ……泣いちゃっていた?」言ってからリウトは自嘲するように笑った。


「ぷっ」ローズはいくつか年上のリウトが、可愛いと感じて笑いが漏れた。

「泣きたくなかったのに――強くならなきゃと思って白騎士になったのに」


「私も泣けてきちゃった」

「おもいきり泣け」ダリルが言った。


「……う、うえ―――ん。ごめんよ、ごめんよ、母ちゃん。俺、俺……バカじゃなかったかもしれないぜ。うええええええん」


 直ぐには答えず、ダリルはローズの顔を見て言った。

「本当に泣くとは思ってなかったよな。情緒のやばいヤツだったんじゃな」


「うん。素直で可愛いわ」

「ええっ!?」

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