1-15.初デート(?)のハプニング②
「で……何故かボウリング場に来たわけだけど」
久々にボウリング場に来て、あまりの懐かしさに、ちょっと感慨深くなる。高校に入ってからは、確か一度だけ信と来た。いきなり昼飯を賭けた勝負を持ちかけられたと思ったら、あの野郎、予想外にボウリングは上手くて、足元にも及ばなかったのだ。それ以降、信とボウリングに行くのはやめた。
「なんでボウリングなわけ?」
レンタルシューズに履き換えて、一緒にボールを選びつつ、疑問に思っていた事を訊いてみた。
麻宮さんのご機嫌はすぐに直ってくれたので大事にはならなかったのだが(結局なぜ怒っていたのか理由はわからなかった)、ボウリングについては結局撤回されなかった。
「この前彰吾が誘ってくれた時に行けなかったじゃない? だから、その時の分」
麻宮さんはボールを持ち比べて重さを確認しながら、どこか満足げに言った。『その時の分』が何の分なのかわからないけれど、ボウリングをしたかったのだろうか?
「ボウリング、あまり好きじゃないって言ってなかったっけ?」
「言ってないよー。腕が痛くなるからあんまりやりたくない、とは言ったけど」
「それは、好きじゃない、ってのとは違うのか?」
「全然違うよ。もう腕は痛くなっても平気だから」
麻宮さんはどこか寂しげな表情で、眉根を寄せて笑った。
それからいくつかボールを持ち比べて、自分に合う重さのボールを見つけると、「これにする!」と嬉しそうにレーンに戻っていった。
もう痛くなっても平気って、どういう事だろうか。彼女の発言の真意がわからなかったが、俺も適当にボールを選んで、麻宮さんの後を追った。なんだか重い方が男らしく思われるかと思って、つい十六ポンドにしてしまうあたり、アホだなぁと思う俺であった。重い。
「麻宮さんは上手いの? ボウリング。さっき、中学の時からやってないって言ってたけど」
麻宮さんがパネルをいじって名前を入力していたので、覗き込んで訊いてみた。
そういえば、この手の操作はいつも誰かがやってくれていて、自分でやった事ってなかったなとふと思ったが、全部任せたのが間違いだった。名前がマサキ、イオリという順で登録されており、俺から投げる事にされていたのだ。
「ううん、中学の時に一回やったきり。ガターばかりで全然点数入らなかったの。次の日筋肉痛で腕に力入らなくなっちゃうし、もう最悪」
面白そうに笑って応える。それ、絶対に良い思い出ないだろ、ボウリングに。何でボウリング選んだんだよ。
「麻生君は?」
「俺も下手だよ。スコア一〇〇とか一回しか行った事ないし。基本は七〇くらい」
「え、それ十分凄くない⁉」
「いや、全然凄くないんだけど」
どういう基準なんだ、この子のボウリングのスコアは。
「はい、じゃあ麻生先生から、どうぞ」
俺の名前が点滅されているのを見て、麻宮さんが促してくる。
っていうか、女の子とボウリングに来る事自体初めてなのに、しかもそれが麻宮さんで、先に投げさせられるって……緊張してまともに投げられる気がしないんだけども。
なんだか無駄にワクワクしている麻宮さんの視線を感じながら、アプローチに立って構える。めちゃくちゃ緊張するな、これ。
第一投目……エイムパッドの真ん中をめがけて、ゆっくりと投げた──つもりが、おもっきり指に引っかかって、ボールはすぐ真横のガターにすぽっと入った。
思わず止まる時間、コロコロと切なげにガターを転がっていくボール……はっとして後ろを見ると、目が点になっている麻宮さんがいた。
「えっと、麻生先生。これは……?」
「だから、下手だって言っただろ!」
ボールが戻ってくるのを待っている間、そう叫んで、ガターを睨みつける。顔が熱い。恥ずかしくて死にそうだ。
そんな俺を見て、麻宮さんがぷっと噴き出した。
「冗談だよ。これで麻生君が上手かったら、私だけ凄く残念な気持ちになるから、ちょっと安心しちゃった」
「くそ、二投目見てろよ! 全部倒してスペアにしてやるから!」
「うん、頑張ってね」
そんな負け惜しみを言っている俺を、優しく応援してくれる麻宮さんは、天使か何かだと思う。ちなみに、二投目もボールはガターに吸い込まれるように入っていき、俺は崩れ落ちた。麻宮さんが慰めてくれたが、その慰めが更に俺を惨めにさせたのは、言うまでもない。
その後五フレームほどやると、少しずつ感覚を思い出せて、何とかスペアを取れたので、心の中で大きくガッツポーズをする。
「え、麻生君凄いっ!」
麻宮さんの前でようやく少しは格好をつけれたので、一応は面目躍如といったところだ。さすがに一ゲームやって一度もストライクどころかスペアも取れなかったら恥ずかしくて死ぬところだった。
麻宮さんは一フレーム目こそガターだったが、二フレーム目から徐々にコツを掴んできたのか、ポコポコと倒すようになっていた。そして……
「やったっ。ストライク!」
五フレーム目に、俺のスペアの喜びを見事に掻き消すストライクをお取りになられた。俺の立場は一体……?
心の中で大号泣していると、麻宮さんが俺の前まで来て、恥ずかしそうに手のひらを広げた。手のひらはこちらに向けられている。
「え?」
「えっと、ハイタッチ……ストライク取ったら、するんでしょ?」
隣のレーンでストライクを取ったら、大袈裟にハイタッチをしまくってウェーイとアホみたいに叫んでいる大学生集団を見やって、麻宮さんが遠慮がちに言った。
「あ、ああ、そういう事……」
意図を察して、手のひらを彼女に向けると──隣の大学生集団の豪快なハイタッチとは全く別物の──ぴとっと遠慮がちに優しく触れるだけの、全くハイじゃないハイタッチがされた。初めて触れた彼女の手は、たった一瞬だったけども、とても温かくて、柔らかくて、儚かった。
変に意識して中途半端にしてしまったのがダメだったのだろう。お互い、顔から火が噴き出した。
「つ、次! 麻生君の番だよっ」
「あ、えっと、俺もストライク取るから!」
「……うん!」
そんなよくわからない会話をしつつ、もう一度ハイタッチをしたい想いで、俺はご褒美を手に入れる為の戦場へと向かった。
ハイタッチを意識し過ぎたあまり、思いっきり力んで投げられたボールは、見事にガターに吸い込まれた。その場に崩れ落ちて、目の前が真っ暗になった。
七フレーム目に入った頃だ。
麻宮さんが一投目を投げて、少し顔を顰めたかと思うと、指を見ていた。
「どうした?」
「あ、えっと……爪に引っ掛かって少し割れちゃったみたい。爪伸ばしてたの忘れちゃってて」
右手を見せて、遠慮がちに言った。
幸い割れたのは爪先だけで、根本には問題無さそうだった。ただ、彼女の綺麗な指から生えた爪が割れているのを見て、少し動揺してしまう。なんだか、俺なんかとボウリングに行ったせいで彼女の爪が割れてしまった事に、変な罪悪感を感じてしまったのだ。
「爪切り借りてくるから、ちょっと待ってて」
「え、そんな……大した事ないから大丈夫だよ」
「大丈夫じゃないだろ。もしこのまま続けて根本まで割れたらどうすんだよ。いいから待ってろ」
「あっ」
戸惑う麻宮さんを置いて、受付まで行って爪切りを借りた。
その時にスタッフさんから教えてもらったが、どうやらボウリング場にはネイル保護用のキャップやボールなどもあるらしい。生憎とボウリング慣れしていない俺達がそんな情報を知っているはずがなかったのだが、今度からは参考にしよう。二度としない気がするけども。
レーンに戻ると、麻宮さんがなんだか惚けたように突っ立っていた。
「何してんの? いいから座って」
「え⁉ は、はいっ」
なんだかいきなり麻宮さんが敬語になったが、気にせず椅子に座らせて彼女の前に俺も片膝を着いた。そのまま彼女の右手を取って、割れた人差し指の爪を丁寧にパチパチと切っていく。
──あれ? そこで、麻宮さんの手が若干震えている事に気付いた。そして、そんな彼女の震える手に俺の左手が優しく添えられている事にも気付いてしまった。
──って、ちょっと待て。おもいっきり麻宮さんの手を握ってしまっている。どういう事だよ、どういう状況でこうなっているんだよ。いや、俺が握ってしまったのだけれど。っていうか、何で俺麻宮さんの爪切ってるの⁉ なんか変な義務感に駆られて切ってたけど、爪って自分で切るもんだよな⁉
おそるおそる見上げて見ると……ゆでだこのように顔をまっかっかにした麻宮伊織さんが、そこにいた。
「う、うわぁっ! ご、ごめん! なんか俺、とんでもない事を……」
慌てて飛びのいた。何をどこぞの気障な白人みたいに片膝ついて彼女の手を取って爪切りしてるんだよ。アホか、俺は!
「ち、違うの! ごめんなさい。私も心の準備できてなかったから、恥ずかしくなっちゃって……」
「いや、どう考えても俺が悪いよ。知り合って間もない男から爪切られたらキモイよな。ほんと、ごめん」
「そんな事ない! そんな事ないよ。びっくりしちゃったけど、その、嬉しかった、から」
「う、嬉しい⁉ 嬉しいって……」
お互い顔を真っ赤にしながら、ちらちらと相手の顔を盗み見るようにして、表情を確認し合う。麻宮さんの手はまだ差し出されたままだった。
「その……麻生君さえ、嫌じゃなければ」
「え⁉」
「他の爪も、切って下さい……人差し指だけ短くても、あれだし」
彼女は、視線を逸らして左手で口元を隠しつつ、そして相変わらず顔をまっかっかにしながら、おずおずと言った。
「わかりました……」
そんな風に言われて断れるほど、俺は度胸がある人間ではない。
深呼吸をしてからもう一度片膝を着いて、彼女の手を取ると……パチパチと爪を切り始めた。隣のレーンのウェーイ大学生達から舌打ちをされている気がするが、今はそれどころではない。彼女の手を傷つけないように、優しく切る事に意識を集中させていた。
「なんだか……こうして誰かに爪を切ってもらうのって、凄く久しぶり」
唐突に麻宮さんが話し出した。
「お母さんとか?」
「うん。昔はよく、お母さんに爪切ってもらってた」
「まあ、高校生になって人から爪切られるってないよな」
「……うん」
爪を切る音とボールがピンを倒す音、楽しそうな人々の声の中に彼女の声が埋もれてしまわないように、彼女の優しい声を聞き逃さないように、耳を澄ませた。彼女は今どんな表情をしているのだろうか。確認してみたい気もするけれど、恥ずかしすぎて、俺が顔を上げられない。
「私ね、ずっとピアノやってて。それで、爪短いのが当たり前だったから……」
最近伸ばしてたの忘れちゃってたんだ、と付け加えて、くしゅっと笑った。
「前にボウリングやった時も、次の日腕が筋肉痛になって全然弾けなかったから、先生に凄く叱られたの。それで怪我したらどうするんだーって。ボウリングにほとんど行った事がない理由は、それ」
なるほど。さっき〝もう腕は痛くなっても平気〟と言った意味が、そこでようやくわかった。おそらく、この言葉から察するに……彼女は、ピアノを辞めたのだ。
「ピアノは、もう弾かないのか?」
パチパチと彼女の小指の爪を丁寧に切りながら、訊いてみた。
「うん……もう弾かないと思う」
静かな声だけれど、そこには断固とした決意があるように感じた。
そっか、とだけ返して、そのまま爪やすりで爪先を整えてやる。どうして辞めたんだろうかと気になったけども、その空気感から、今の俺が聞いてもいい事ではないような気がした。
「ありがとう。左手は自分でやるね」
やすりで爪を磨き終えると、麻宮さんが俺から爪切りを取って、続けた。
「なんだか麻生君、王子様みたいだった」
そんな事を麻宮さんが顔を真っ赤にして言うものだから、俺も顔から死ぬほど火が出て、ボウリングのレーンに飛び込んでしまいたくなった。
彼女のこの発言のせいで完全に正気を失った俺は、その後ガターを連発しまくって、過去最低スコアをたたき出したのは、言うまでもない。
二ゲーム目を終えたところで、俺達はボウリング場を後にした。腕も痛くなってきたし、三ゲーム目をやると翌日腕が上がらなくなるのは目に見えているからだ。
二ゲーム目には俺の精神もやや落ち着いてきたので、スコアも尻上がりで伸びてきた。麻宮さんはその後、なんだか調子がよくなったのかコツを掴んだのかわからないが、二ゲーム目は九〇までスコアを伸ばしていた。
ちなみに、俺は二ゲーム目で八十八と、見事に彼女に負けた。これ以上続けると、もっとスコアに差がつきそうだったので、ちょうどよかった。
時刻は夕方四時を回ったところだ。よく考えれば、買い物からそのままボウリング場に来たので、何も食べていない。
「お腹空いてない? どっかで飯食おうかなって思うんだけど」
「実は私も……お腹空いたなって」
麻宮さんが、困ったように笑って言った。運動もしたし、ちょうど良い頃合いなのかもしれない。
「この近くに行きつけのカフェがあるんだけど、行く? イタリアン系の料理もあるし、安いんだけど」
「うん! そこがいい」
行きつけ、という言葉に彼女興味を示した様だった。
一応はさっきのよくわからない爪切りから、互いに平常心を戻したので、今では普通に話せるようになっている。少し残念ではあるけれど……また、彼女の手を握る事があるのだろうか。あればいいな、と心の中で思って、行きつけのカフェに向かった。
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