1-4.舞い降りた天使

「えー、早く席についてください。皆に報告があります」


 担任が、ファイルをトントンと教壇に打ち付け、静粛にするように訴えかけた。

 報告とは、変な言い方だ。他の生徒の視線も、担任に集まっていた。


「こんな時期ではありますが、皆に転校生を紹介します」


 途端に、クラスがざわめく。普通こういった話は、なんとなく誰かから伝わってきたりするものである。それが今の今まで誰も知らなかったのであるから、これまた驚きだ。

 高校二年時のど真ん中に転校生、しかも普通科じゃなくて外国語科に。不思議な話だった。ただ、外国語科は定員が割れていたし、留学して居なくなってしまった生徒もいる。穴埋めという意味でも、転校生を受け入れやすかったのかもしれない。


「よぉ信、知ってたか?」


 彼が俺の元に戻ってきたので、訊いてみた。


「いや、今回の件に関してはこの俺もさっぱりだな」


 穂谷信はこの高校では情報通な方なのだが、その彼でも知らないとなると、緊急の転入だったのだろうか。或いはテスト期間中という事もあって、教師達がうまく隠蔽していたのかもしれない。


「男子女子どっちっすか?」


 信が質問する。そこが気になるのは最もだが、担任の答えは更に俺達を驚かせるものだった。


「どっちもだな」

「どっちもって事は二人⁉ まじかよ!」


 さらに教室がざわつく。担任は喧しくなったクラスの連中に着席して静粛にするように求めているが、あまり効果がない。

 二学期の中間に二人の転校生……どう考えても訳ありとしか思えなかった。虐めにより転校を余儀なくされたか、物凄い札付きのワルを二人同時に転校させたか、きっとろくな連中じゃないだろう。


「それでは二人、入って」


 ようやく生徒が指示に従い、静かになったのを確認すると、担任は教室の外にいた転校生に入るよう指示した。二人の転校生が入ってきた途端──教室が歓声に満ちる。

 それも仕方がない。俺も思わずぽかんと口を開けてしまうほど、予想が外れたのだ。何というか、女の子の方がめちゃくちゃ可愛かった。背中まであるサラサラの黒髪ロングに、スレンダーで清楚系な女の子。すっきりと通った鼻筋、長い睫毛、控え目な口元……それに、ぱっちりとした大きくて優しそうな目は、何かを夢見ているように潤んでいる。化粧っ気がないのに、テレビに出ているアイドルなんかよりよっぽど華々しい顔立ちだった。きっと、街で歩いていたら誰もが振り向く美少女。完全に俺の好みにドンピシャだった。

 男の方はスポーツ刈りで、スポーツか何かやってそう。しかも、なかなかのイケメン君だ。女子達に手を振り返している辺り、ノリの良さを表している。

 なんだか予想に反してはいたが、俺は尚更この二人を疑ってしまった。一体どんな事情でこんな時期に転校してきたのだろうか。


「では、麻宮さんから自己紹介を」


 担任に促された清楚系な女の子は、少し前へ出て自己紹介を始めた。


「えっと……大阪の藤坂高校から来ました麻宮伊織といいます。変な時期になりましたけど、皆さんどうかよろしくお願いします」


 麻宮伊織は手短に自己紹介してぺこりと頭を下げた。

 大阪から転校してきたのに標準語なのかと一瞬不思議に思ったが、あまり気にならなかった。声も綺麗で優しそうだ。彼女のイメージからすると、標準語の方が似合っていた。

 信が大喜びして口笛などを吹き、担任に厳しい視線を飛ばされている。彼女は照れた笑みを信に見せ、会釈した。


「くぅ~、生きてて良かったぁっ!」


 信のその言葉にクラスが爆笑した。しかし、俺にはもはや信の事などどうでもよく、ただ彼女に見惚れていた。もう転校してきた理由などどうでもいいとさえ思っていた。

 じーっと見ていたからか、彼女とふと目が合った。


「あっ……」


 まるで時が止まったように彼女の瞳に吸い込まれた。彼女も目を逸らさず、俺を見つめていた。お互い瞬きすらしなかった。

 ──あれ? なんだろう……とても懐かしい感じがする。

 彼女と会うのはもちろんはじめてのはずだが、なんだか初めて会った気がしない。どこかで会った事があるのだろうか? これほど可愛い子だったら覚えてるはずなのだが。

 俺の中では何分か見つめあっていた気分だったのだが、現実ではそうでもなかったらしく、彼女は少しだけ会釈して微笑んでくれたので、ぎこちない笑みを返す。

 胸の高鳴りが治まらぬまま、男の方の自己紹介が始まった。


「俺も同じく藤坂から来た泉堂彰吾や。彰吾って気安く呼んでくれてええで。皆さんよろしゅうや」


 こっちは関西弁だ。しかもバリバリの。


「先に言うとくけど、俺は伊織のナイトやさかいな! 手ぇ出したらしばくで」

「え……? 付き合ってんのー⁉」


 クラス全員から驚きの声が舞う。

 マジかよ……僅か一分たらずで失恋。恐らく他の男子も同じ気分だろう。しかし、どうやら違う様子で麻宮さんが慌てて抗議の声をあげた。


「ちょ、ちょっと……いつ私が彰吾の彼女になったの?」

「え? 付き合ってたんと違たんか⁉」

「やめてよ。ただの幼馴染みじゃない」

「うわっ、真顔でそれはきっついなぁ~」


 と言って凹む泉堂。クラス全員が再び爆笑する。夫婦漫才? というか、この泉堂という男、ノリが信と似ている。もし信と泉堂がタッグを組んだのなら、この教室は一気に騒がしくなるだろう。

 担任も笑いを堪えながら、二人の事情を説明した。二人は関西の方で暮らしていたのだが、突如両親が同時に仕事の都合でこちらに移らなければならなくなったらしい。

 思っていたより普通の理由だった。そんな偶然もあるのか、と納得せざるを得ない。

 苗字が〝あさみや〟って事は、出席番号が一つずれるのだろうか。だとしたら、大変嬉しい事である。今年の春から出席番号一番だった相原という子が海外留学をした為、二番であった俺が繰上で実質一番になってしまったのだ。まだ相原の机は撤去していないので、俺の前にぽつんと置いてある。すると、担任からちょうど席の説明が入って、俺の前に麻宮さんが座るようだ。俺はめでたく出席番号二番に戻るという事だ。

 泉堂彰吾もさ行の列に無理矢理組み込まれ、以降はまた一つ番号がずれる事になっていた。俺は変わらないけれど、出席番号が変わるのは少しだけ面倒そうだ。


「えー、時間も押しているので皆の自己紹介は各自で行いなさい。では二人共、席について」


 麻宮さんは席に鞄をかけ、困ったように眉を寄せて、少し恥ずかしそうに微笑みかけてきた。


「いきなりですけど、よろしくお願いします」

「え……」


 まさかいきなり声を掛けられると思っていなかったので、思わず息が詰まってしまった。

 近くで見る彼女は驚くほど綺麗で、こんな女の子が世の中にいるのかと驚いてしまう。それなのに、彼女とこうして目を合わせるのは、初めてではないように思えた。こんな可愛い子と出会っていれば、絶対に覚えているはずなのに。しかし、会った記憶はない。


「どうかしましたか?」

「あ、いや、なんでもない。よろしく。それと、ありがとう」

「……? 何がですか?」


 彼女は怪訝そうに少し首を傾げた。


「出席番号一番になってくれて」


 半分は本気なのだが、冗談っぽく言ってやると、彼女はくすっと笑って「どういたしまして」と答えてから席に着いた。ふわりと舞った髪から、良い匂いが後ろの席まで降りかかってくる。

 驚くほどの美少女といきなり会話ができてしまい、ホームルームの時間など完璧無視で一人心の中で喜んでいた。

 ホームルームが終わると、クラスの大半が前の席──即ち麻宮伊織のところに集まってきた。信は出遅れたらしく、間に入れずに俺の肩をとんとんと叩いてこっちに来いという合図をした。

 来いと言われたところで、俺も簡単には出れない。麻宮さんの周りにできた人だかりは、俺の席をも侵食する勢いだった。しかし、ここにいても周囲がうるさいだけなので、俺は溜め息を吐いてから、人だかりを掻き分けて出る事にした。その時にふと麻宮さんと目が合い、不覚にも胸の高鳴りを感じてしまう。


「出遅れちまったぜ……」

「大変だな。あれはなかなか解放してもらえそうにねぇや」


 可哀想に。転校して初日なんて、さぞ緊張しているだろうに。


「麻生、そういやお前さっき何か喋ってただろ!」


 信がいきなりくわっと食いついてきそうな勢いで言った。

 こいつは何でそんなところまでしっかりと見ているんだ? あんな一瞬のやりとりを。


「あれか? あれは、その……よろしくって向こうが言ったから、俺もよろしくって言っただけだよ」

「それだけか?」

「それだけ」


 ちょっとだけ嘘を吐いた。少し会話をしただのなんだのと言ったら、こいつは絶対やかましいのだ。それはわかりきっている。


「それより、あの泉堂って奴も可哀相だな。男に群がられてんぜ」


 俺が言うと、信も苦笑してそちらを見た。外国語学科では数少ないたった八人の男子中俺達を除く六人が泉堂の周りにいた。

 しかもその男子連中も本当は麻宮さんのところに行きたいに違いない。普通科なら多分泉堂の方にも女の子は行っただろうが、何せこの外国語科は、環境が少し特殊だ。女子は男子に寄りつかないような環境になっているのだ。

 信も同じ憐れみを抱いていたらしく、「泉堂んとこ行ってやろうぜ」と言って、泉堂彰吾の席へと向かった。


「ここの女子ってえらい冷たないか?」


 開口一番、泉堂彰吾は女子の態度に不服そうだった。

 信がその理由を説明しているが、泉堂はあまり納得できてない様子だ。まあそれもそうだろう。理由については話せば長くなるので、またの機会にするが……外国語科女子は、男子との仲が良くない。俺が白河莉緒に振られた理由もそのあたりが少し関係している。ただ、あの振り方から考えても、俺の場合は本気で嫌われていたのだと思うけれど。


「それにしても、のっけからナイス漫才だったぞ!」


 信がからかう口調で泉堂に言った。


「ちゃうわ! 俺は本気やっちゅーねん」

「じゃあ見事にフラれたわけだ?」

「それもちゃーう! あれは伊織が照れとるだけや!」


 とてもそんな風には見えなかったのだが、そういうポジティブ思考でいられたら傷つく事は少ないだろうなと感心した。俺も泉堂を見習うべきところがあるかもしれない。


「あ、これから皆でカラオケでも行くか」


 信の提案に俺以外の男子は賛成した。奴の作戦は麻宮さんも一緒に連れて行く気だったのだろうが、見事にその作戦は失敗していた。彼女は女子に捕まっていて、放課後になっても解放してもらえそうになかったのだ。

 ちなみに、俺が彼等に同行しなかった理由は──信以外の男子とは仲が良くないという理由もあるが──女子がハイエナのように集っている麻宮さんの一つ後ろの席に、俺の財布入りの鞄が取り残されたままだからだ。信に金を借りると後々面倒だし 、さすがに財布を放置したまま帰りたくはない。どこかで時間を潰すしかなさそうだった。

 信や泉堂達を見送り、自販機に向かった。その後は図書室で時間を潰していたが、その間にうとうとしてしまい、気付けば二時間が経過していた。

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