第四話 少女の事情

 しばらくののち、中庭。

 赤茶けた石畳の上を、奥へ奥へと進んでいく明たちの姿があった。

 二人は入り口から離れた場所にちょうどいい木陰を見つけると、近くのベンチに腰を下ろした。


「なんだかんだで放課後まで引っ張ってしまったな……」


 あの後、騒ぎを聞きつけた教師たちがやってきたことで、二人はその応対と、経緯の説明に時間を費やすことになった。

 そうこうしているうちに五時限目の予鈴が鳴り、彼らが再び話す機会を得られたのは、ホームルームが終了した後だった。

 「ままならんな」と独りごちて、後ろに体重を預ける。シルバーフレームの背板が、汗でにじんだ体を適度に冷やしていく。

 あたりには音が満ちていた。

 廊下の喧騒。数多の靴音。屋上から聞こえてくるのはブラスバンドだろうか。

 遠方に意識を向けると、金属バットの快音が澄んだ空気を震わせていた。

 ただ、中庭で生み出される音はごくわずかだ。

 この時間、ほとんどの生徒は下校しているか、ないしは部活に精を出している。

 夕刻になれば一部の熱愛カップルがこぞってご利用あそばされるのだろうが、現時点では数人の園芸委員が花壇の世話をしているだけだ。

 中途半端な時間帯、学園の中心にぽっかりと開いたエアポケット。密談にはうってつけの場所だ。


「お昼は色々あったけど、ここならきっと邪魔は入らない、はず」


「そう願う」


「……ちょっと怒ってる?」


「多少やきもきしていたことは認めるが、君の責任ではない。それよりも、だ」


 背もたれから体を起こし、望美と向かい合う。

 繰り出す言葉は彼女の本質を問うものだ。


金谷城かなやぎ望美のぞみ……君は、何者だ?」


 望美は表情を変えずに一時停止。ややあってから聞き返した。


「えっと……漠然としすぎてて、答えにくいんだけど」


「簡単なことだ。君の種族あるいは所属を教えてくれればいい」


「? ……つまり?」


「闇組織のエージェントとか、米軍の実験によって生み出された生体兵器とか、由緒正しき陰陽師の末裔とか、つまりはそういう……こら、なぜ笑う」


 望美は爆笑していた。


「ぷっ……! ご、ごめ、ふふっ、ふふふっ……!」


「まったく、こちらは至極真面目な話をしているというのに」


「だ、だって……いきなり闇組織って……く、くくっ」


 き込むように笑い続け、肺の空気をほぼ出し尽くしてから、満足げに息を吸った。


「ごめん。去年のクラスメートに、そんなことばかり口にしてる人がいたから。UFOとか、CIAの陰謀とか」


「その友達とは可及的速やかに距離を取るべきだな。まっとうな人間はそのようなオカルティックワードを口にしない。……ん? なんだその顔は」


「なんでもない。夜渚よなぎくんは面白い人だと思う」


 そう言って口元に拳を当てると、熱の名残を微笑に変えて吐き出した。心なしか表情が柔らかくなったような気がする。


(受けを狙ったつもりは無かったんだが……。女子の笑いのツボはよく分からんな)


 納得のいかない部分もあるが、望美の警戒心を解くことができたのは紛れもない事実。前向きに考えるとしよう。

 明は自身の評価を社交性B+からA-に引き上げつつ、彼女の返答を待った。


「……何者、って聞かれても、ただの一般人。少なくとも、私はそのつもり」


 数秒の沈黙を経て、望美が口を開いた。

 その言葉は明に対してというより、彼女自身に問いかけているかのような、そんな響きが含まれていた。


「そうは言うが、まるきり全部が普通の枠に収まってはいないだろう。あの時見せた"力"は、一般的な常識の埒外らちがいにあった」


「これのこと?」


 望美が指をひるがえす。素早く虚空を撫で上げる様は、マッチ棒を擦る動きに似ていた。

 その瞬間、奇妙な感覚が明を襲った。


「おお……?」


 不可視の力が服の胸元を引っ張っていた。続いてボタンが手品のように外れていく。

 ひとりでに。何の仕掛けも無く。

 加えて、ピン留めされた学生バッジが襟から抜け落ち、宙を漂い始める。

 念のため周囲を確認してみるが、糸や磁石の類は見つからない。

 望美が軽く手を引くと、バッジは彼女の方にまっすぐ吸い寄せられていった。


「これは……念動力というやつか? こうして目にするのは二度目だが、にわかには信じがたいな」


 念動力。PK、サイコキネシスとも呼ばれる超能力の一種だ。

 離れた場所にあるものを、触れることなく操作する。または、力を加えて破壊してしまう。

 スプーン曲げや人体浮遊など、名前の通り"念じて動かす"ことを主眼に置いたその力は、既存の物理法則を超越した奇跡を可能にする……と、一部では信じられている。


(もっとも、テレビに出てくるような自称超能力者は大半がインチキだと思うがな。誰も彼もが宇宙の決まりを無視していたら、アインシュタインもおちおち眠っていられないだろうに)


 明は超常現象なるものを信用していない。彼の身に宿る力も、いずれ何らかの形で理屈付けができるものだと考えている。

 半面、"超常"と名のつく概念を取り入れれば、いくつかの物事に合点がいくことも確かだ。

 あの怪人が持つ身体能力は、明らかに常人を凌駕していた。

 そして望美は、今朝だけでも複数の怪人を相手取り、そのうえで勝利している。超能力の一つや二つ持ち合わせていなければ、あんな輩に太刀打ちできないだろう。

 また、念動力で鍵穴の内部機構を操作すれば、施錠された屋上に侵入することも難しくない。


「まだ信じられないのなら、もうちょっと脱がしてみてもいいけど」


「結構だ。公共の場でストリップショーを披露する気は無い」


「それ、セクハラ発言。イエローカードだよ」


「脱がす方が悪いんだ。俺は悪くない」


 互いに横目でにらみ合う。

 十秒後。二人は不毛な意地の張り合いをやめると、何事も無かったかのように話を戻した。


「その念動力は、生まれついてのものか?」


「ううん、今年の春頃から。ある時たまたま『遠くのものを取りたいな』って思ったら、突然できるようになった」


「何か、力に目覚めるきっかけのようなものは?」


「これといって心当たりは……。でも、"彼ら"に襲われるようになったのは、きっとこの力のせい」


 望美は視線を落とし、手元に浮かせた学生バッジを指で弾いた。

 バッジは十センチほど飛び上がった後、見えないバネに繋がれているかのような上下動を繰り返す。


「夏休みが始まる前、だったかな。今朝みたいに変な霧が出て、白づくめの人たちがやってきた。それからも何度か、似たようなことが起きた」


「連中の素性や目的は分からなかったのか?」


「話しかけても答えないし、彼らに理性があるのかどうかも、私には分からない。ただ、目的だけは分かる」


「殺人、か」


 明は怪人の眼差しを思い出していた。確固とした殺意を内包した瞳の輝きを。


「うん。私を捕まえたり、そういう、いやらしい何かをしようとしてる感じじゃなかった」


「殺すこと自体が目的なのか? 考えようによっては、死体の方に用があるのかもしれん」


「かもしれないけど、殺された後のことを気にしても仕方無いと思う」


 そっけなく言って目を閉じる。学生バッジが浮力を失い、彼女の手中に転がり落ちた。

 もう、不思議な力の作用は感じられなかった。


「……だから、ごめんなさい。今日はそれを言いに来たの」


「なぜ謝る? 俺には君から謝罪を受ける理由が無い」


「だって、夜渚くんが危険な目に遭ったのは私のせいだから。彼らの狙いは私で、君は偶然巻き込まれただけ」


「……それは」


「あんなことがあるから、私とはあまり関わらない方がいいと思う。……これ、返しておくね」


 望美は話を打ち切ると、こちらにバッジを突き返した。

 白枝のような指。手のひらの大きさも、明のものよりずっと小さい。

 明はその手を見つめながら「ふむ」と一息。


(頼らず嘆かず、己が身ひとつで危険を背負い込むか。気丈なものだ)


 状況に流されるだけの人間とは違う。分からないなりに情報を整理し、被害を最小限に抑えようとしている。

 そのストイックな姿勢は、素直に賞賛すべきものだ。

 しかし、彼女は決定的な思い違いをしていた。

 夜渚明は、この事件に巻き込まれることをこそ、望んでいるのだ。

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