領主拝命式Ⅰ ―出立―

 日々は流れる。

 全身美容と儀典礼装の準備が進み、一点の曇りもないくらいに着るものと自分自身の支度が完了していく。

 そしていよいよだ。


 その日は訪れたのだ。


 某年4月11日快晴、

 天の全てがアルセラを祝福しているかのような、素晴らしいまでに晴れ渡った空だった。


 その日、執り行われるのは、


――ワルアイユ領領主拝命式――


 アルセラが正式にワルアイユ領の新たな領主として認められる日が来たのだ。


 

 その日、朝日が昇るのと同時に私は目を覚ました。

 目を覚ましてすぐメイラさんをはじめとする侍女たちが集まってくる。起床直後の湯浴みを行うためだ。

 体がいったん清められ、あがるとすぐにガウンを着て略式の朝食をとる。その後に再び湯浴みをして、たっぷり汗を流す。

 そしていよいよ全身に至るお手入れと化粧が施されるのだ。

 専用寝台の上に寝かせられ、四人がかりで全身のお手入れ。汚れやムダ毛のひとつも許さない勢いだ。顔に最初の下地の化粧を施す。次に髪をハサミで切り揃えて整える。髪型を作り上げるのは衣装を身につけてからのことだ。

 日常用の下着と簡素なシュミーズドレスをつけて、執事のセルテスなどから、今日の予定や手筈についてレクチャーを受ける。その頃には今回の主賓であるアルセラも、最初の湯浴みと体のお手入れは終わっていた。


 説明では、アルセラの領主拝命式は今日午後1時から執り行われる。ここモーデンハイムの本邸から出立するのは11時頃になる。それまでの午前いっぱいは下準備と衣装の着付けで費やされることになった。

 少しの休息を経て8時から準備の本番が始まる。

 日数をかけて入念に香油が全身に刷り込まれたわけだが、その仕上げとしてより香りを良くするための薬湯に浸かる。体の芯まで温めたら、温浴乾燥室で体が自然に乾くのを待つ。

 そののちにまずはフェーアハゥトを身につける。

 フェーアハゥトの下にはなにも身につけないのが基本だ。内部に下着を着けると下着の形のラインがはっきりと浮かび上がってしまうのだ。

 そのため素肌の上に直にフェーアハゥトを着用するのだが、足のつま先と指先から始まり、身体全体を通すのにたっぷり1時間以上はかかる。細部の一つ一つを順序よく身につけていかなければならない。無理をすれば破けることすらあるからだ。

 だからこの時の私は作業が終わるまでひたすらじっと立っていなければならない。それに耐えるのもこの衣装を着るために必要なことなのだ。

 そしてフェーアハゥトを着終えると股間を覆う程度の小さなパンタレットを着用する。全身を覆うフェーアハゥトだが、排泄の用途のために股間の部分だけが大きく開けられている。それを覆うためのものだ。

 次はドレスの着付けだ。

 腰から下にパニエを重ね、その上にドレスを着る。焦らず無理をせず、一箇所一箇所を丁寧かつ確実に進めていく。ドレスを着て背中の合わせ目をしっかりと縛る。さらに着崩れたところがないか一つ一つ確かめて、鏡の前で何度も細部を確認して着こなしの位置を整える。

 ドレスの着付けが終わるとやっと髪型と顔の化粧だ。

 丸椅子に座って、まずは理髪師により櫛と鋏と焼きごてを使って丹念に少しずつ髪型が作られていく。普段はナチュラルに髪を下ろしているが身につけるヘッドドレスの形を意識して、焼きごてで華麗な流れるような巻き髪を作っていくのだ。

 髪型ができたら今度は化粧だ。まるで油絵の細密画描くように、筆や刷毛を使い私の顔に〝美〟を描いていくのだ。それが終わるのが朝食後の支度を始めて2時間が経過した頃だった。


 髪型と化粧が終わったところでメイラさんが話しかけてくる。


「お嬢様、私は一旦これで失礼いたします」

「メイラ?」

「申し訳ありません、私もご同行する準備がありますので」

「分かったわ」


 メイラはノリアさんともども、私たちの小間使い役だった。彼女たちも本礼装のドレスを身につけて私たちに同行することになる。迂闊な服装はできないので彼女たちに用意された本礼装のドレスを別室で他の侍女たちの手を借りて身に付けることになるのだ。


 髪の毛とお化粧が終われば、あとはヘッドドレスとアクセサリーだ。

 ヘッドドレスは理髪師の方が髪型を崩さないように丁寧につけてくれた。そしてイヤリングとペンダントと続く。手袋をつけるのは一番最後になる。

 こうして衣装の着付けは3時間以上時間をかけて終わることとなった。

 侍女の一人が言う。


「ご衣装、お召し付け、完了でございます」


 その言葉に促されて、全身を見ることができる姿見鏡で自らの姿を確かめる。一点の曇りもないその見事な仕上がりに私は感嘆していた。


「お見事ね。よろしくてよ」


 私がその言葉を放てば侍女たちは満足気に笑みを深めて軽く会釈していた。

 時計を見れば出立するにはちょうどいい頃合いの時間だ。そう思った時、ドレッサールームの扉が開いた。


「お待たせいたしました」


 そう言いながら入ってきたのは本礼装の見事なエンパイアドレス姿にお召し替えしたメイラさんの姿だった。淡いベージュ色でまとめられたエンパイアドレスの上にゆったりめに作られたスペンサージャケットを重ねていた。当然腰から下にはオーバースカートが重ねられている。

 これに幾分小さめのサイズのヴェールとヘッドドレス、そしてシルクのショートグローブを身に付けていた。


「お嬢様、ご準備はよろしいでしょうか?」

「ええ、完璧に仕上がっているわ」

「素晴らしいです。皆様も既にご準備を終えてお待ち申しています」

「分かったわ。参りましょう」

「はい」


 そんな会話を交わした後で私達は歩いて行く。向かったのは正面入り口脇の出発用の控えの間だ。

 そこに入れば、私以外の全ての人たちが準備を終えて待っていた。

 男性陣の3人はルタンゴトコート姿で、女性陣のお母様やノリアさんは、メイラさん同様にエンパイアドレス姿だった。

 そしてアルセラは私と同じようにフェーアハゥトを見事に着こなしていた。

 お爺様が言う。


「では参ろうか」


 その一言で皆が動き出した。私たちは領主拝命式の執り行われる会場へと向かう。都合、3台の馬車に分乗して私たちはモーデンハイム本家の邸宅を後にする。

 私たちが乗ったのは金色に飾り立てられた4頭立てのクラレンス馬車だ。


 私とメイラさんとプロアとお爺様、

 アルセラとノリアさんとセルテス、

 お母様とお付きの侍女2名、


――と言う割り振りだった。

 正面入り口玄関を出るとその両サイドに侍女たちが並んで見送ってくれている。恭しく頭を垂れながら、彼女たちは一糸乱れぬタイミングで挨拶を述べた。


「行ってらっしゃいませ!」


 その言葉に背中を押されるかのように、私たちは3台の馬車に分乗して本邸を後にしたのだった。

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