チークとエスコート

 そして私は彼に甘えるようにこう言った。


「ねえ」

「なんだ?」

「お酒を飲みに行きたい」

「え? 俺とお前とでか?」

「うん」


 少しばかりの沈黙、彼の中の迷いが私の背中を抱きしめる彼の手の動きに表れていた。一瞬、ゆるむと再び私をしっかりと抱きしめてくれた。


「いいぜ。ただしルプロア・バーカックではなく、デルプロア・ガルム・バーゼラルとしてだけどな」


 彼は分かっていた。今の私の身分では一人きりでは外出すらままならないということを。

 それが、今の彼なら旧名だとは言え、候族の身分で振る舞うことができる。もちろん私のエスコート役を兼ねるには十分すぎるほど条件を満たしていた。

 彼なら私をこの屋敷から連れ出すことが可能だ。


「いいわそれで」

「ああ」


 彼の胸から体を起こすと彼の顔をじっと見つめる。

 彼は言う。


「ルスト」

「プロア」


 こんな気分初めてだった。そして、懐かしい感覚だった。

 私が顔をそっと差し出せば、彼も顔を差し出してきて私の右頬と彼の右頬とを触れ合う。そしてすぐに反対側の左頬と左頬とで触れ合う。

 いわゆる〝チーク〟と言う親愛の情を表す仕草だ。


 それ以上のことをしなかったのは、彼にも私にも常識的な理性が働いている証拠だった。


「まってて、今着替えてくるから」

「ああ」


 そして私はテーブルの上に置かれている呼び鈴としての小さなハンドベルを鳴らした。

 すると1分もしないうちにメイラが姿を現した。 


「お呼びでしょうか?」

「ええ、彼と外出するわ。外出用のドレスに着替えさせてちょうだい」

「承知しました。馬車はどういたしましょうか?」

「セルテスに頼んで二人用のハンサムキャブを用意させて」

「はい。承知いたしました。ではドレッサールームへ」

「ええ」


 メイラとそんなやり取りをした後に私はプロアに言う。


「着替えてくるわね」

「ああ」


 そう答える彼の言葉を耳にしながら応接室を後にする。ドレッサールームに移動し、メイラの指示と見立てでドレスを別なものへと着替えた。


「こちらはいかがでしょうか?」

「いいわね。これにするわ」


 彼女が見立ててくれたのは、青いシルク地のエンパイアスタイルのシュミーズドレス。その上に甘い女らしいデザインの白のフレンチジャケットを重ねるやり方だ。もちろん腰から下の上にはジャケットと同色のオーバースカートを重ねる。さらには防寒用の大きいサイズのストールを肩にかけるようにと用意してくれていた。


「いかがでしょうか?」


 彼女の確認の言葉に私は答えた。


「よろしくてよ」

「ではさっそく」


 私がそう答えればメイラさんの合図でドレッサールームに居合わせた侍女たちが一斉に集まってきて私の着替えを始めてくれた。

 そして5分もしないうちに着替えが終わる。姿見の鏡で自分の姿を改めて確認する。


「よろしくてよ」


 その時メイラが私に言い含めるようにこう告げる。


「お嬢様、私は同行いたしませんがくれぐれも間違いは起こしませんようにお願い致します」


 彼女が何を気がかりに思っているのか、わかるような気がした。


「もちろんよ。過ちは犯さないわ。安心してちょうだい」

「はい」


 彼女は少し困ったふうに微笑んでくれた。

 彼女を伴って応接室へと戻れば、そこにはミライルお母様とセルテスがプロアと話し込んでいるところだった。


「お待たせ――、お母様?」

「あら、着替えてきたのね」

「はい。デルプロア様と外出しようと思いまして」


 私がそう答えればプロアは説明してくれる。


「今、君のお母上君と話していたところだ。君と酒盃を交わしに出かけるとね」


 その言葉に続けてお母様は言う。


「本当なら、たしなめるところでしょうけれど、彼とでしたら申し分ありませんわね。いいわよ行ってらっしゃい」

「ありがとうございます」


 でもそこでお母様は私に釘をさすことを忘れなかった。


「エライア、くれぐれもいかがわしい所に行ったり、過ちを犯すような事は謹んで頂戴」

「はい、承知いたしております」

「ええ。それで結構よ」


 まあここで、お母様が何を心配してるのがよく分かる。大丈夫、私もプロアにそこまでは望んでいない。

 外出の準備が調うのと同時に、彼は左腕をさりげなく差し出してくる。私はその左腕にすがるように自らの右腕を彼と組んだ。ワルアイユでも何度も頼りにしてきたその左腕だった。

 ちょうどその時、セルテスが私たちに言う。


「二人乗り用の馬車をご用意させていただきました」

「ありがとう」

「お屋敷の裏手の方に別玄関がございます。そちらの方からお出になられてください」


 セルテスは私たちの外出が人目につかないようにと配慮してくれたのだ。


「承知したわ」


 私がそう答えればプロアはお母様に言う。


「お嬢様をお借りいたします」

「ええ、よろしく」


 そして私もお母様に言った。


「では行って参ります」

「気をつけてね」

「はい」


 そして私はプロアにエスコートされながら本邸をあとにする。


「プロア」

「ああ」


 そう短く言葉を交わしあい私たちは歩いて行く。

 今この時だけ、上級候族のご令嬢と言う立場を忘れられる。そんな気がする。

 そして私たちは夜の街へと繰り出して行ったのだった。

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