湯浴みⅠ アルセラ初めての共同浴場

 よほど疲れていたのだろう、アルセラはそのまま夕暮れ時まで眠りこけていた。

 その間にノリアさんはいったん本邸へと戻るとアルセラの着替えを持ってきてくれる。

 そういえばそろそろ夕食の時間だ。さて今日はどうするか――

 その時、私の脳裏に思い浮かんだのはあの共同浴場のことだった。


「そうかあれがあったわね」


 政務館の中で姿を見かけてノリアさんに問いかける。


「アルセラと私の食事はちょっと待っててくれない?」

「はい? よろしいですけど」

「食事より前にお風呂に行こうと思って」


 この村には温泉がある。いつでも気軽に入れるお風呂だ。


「それはいいかもしれませんね。私もお供いたします」

「それじゃあ準備もお願いね」

「はい承知いたしました」


 私の意図を理解してくれたノリアさんに内心感謝しつつ私はアルセラの元へと向かった。

 そして仮寝室の中ですでに目を覚ましていたアルセラへと告げる。


「ね、村の共同浴場に行かない?」

「え? いいですけど。どうしてですか?」


 私の唐突な問いかけにアルセラは驚いているようだった。それもそのはず先日の祝勝会での入浴は私とアルセラそれぞれに一人で入ったのだ。

 おそらく彼女には他人と一緒に入浴すると言う感覚自体がないのだ。私は努めて声を弾ませながら誘った。


「ふふふ、私とアルセラとで一緒に入るの。どう? 入る?」


 私の誘いにアルセラが見る見る顔を赤くしていくのがわかる。


「え? 一緒にですか?」


 恥ずかしがっているというより、自分の理解の外なのことなので戸惑っているというほうが正しいだろう。これはもう少しわかりやすく伝えた方がいいかもしれない。


「ほら、私、昔は軍学校で寄宿生活してたでしょ? そういう所ってお風呂って大人数で一緒に入るのよ」

「そ、そうなんですか?」

「ええ、そういうのってお互いの気心とかよく分かるから仲良くなれるのよ。同性だからそんなに恥ずかしくないしね」


 そして私はベッドの端に腰掛けたままのアルセラの手を掴んで引っ張った。


「さ、いらっしゃい! ノリアさんももう準備してくれてるから」

「えっ? あっはい」


 事ここに至ると後は強引に話を運んだほうが早い。男の人と一緒に入るのではないのだからなんとかなるだろう。

 私に手を引かれてとまどいながらもアルセラは立ち上がった。そして私と一緒に政務館のエントランスへと降りてくる。


「お嬢様、準備できてますわよ」


 ノリアさんももちろん一緒に入る。専用風呂での身支度の時にはノリアさんがつきっきりだったから、こういう場合も彼女に一緒についてきてもらった方がアルセラも安心するだろう。

 準備まで終わってると言われてしまえばアルセラも逃げようがなかった。


「わかりました。ご一緒します」


 そう言いながらアルセラは私の右手を握った。私たちのすぐ後ろにノリアさんがついてくる。そしてそのまま村の共同浴場へと向かう。入り口から右手の方の女性用の浴場へと進んでいく。

 木製の両開きの扉がありそこを過ぎると脱衣場になる。脱衣場は、いくつかの衝立の仕切りで区切られていて、脱ぎ着する時だけは他人の目を遮ることができる。できるだけ周囲に人のいない場所を選んでアルセラと一緒の場所で着替えをする。


 私は自分で着衣を脱げたが、さすがに普段から侍女の人たちの手を借りているアルセラはそうはいかない。

 ノリアさんは体に巻く大判のタオルを準備しておいて、アルセラの脱衣を促した。着衣を上から順番に脱がして行き最後に体に大型のタオルを巻く。同じ女性なのだから別にこうもしなくて良いのだが、不慣れなアルセラのことを考えれば同じようにしてあげるのが無難だろう。小さなスツール椅子にアルセラを腰掛けさせて、ノリアさんも遅れて手早くタオル姿に着替えた。

 脱衣場の片隅には針時計がある。時刻はおおよそ夕方6時半くらいだ。これくらいの時間なら普通の家庭は夕食時だからそんなに混んでいないだろう。

 髪の長いノリアさんが髪を後頭部で結い上げるのを待って、私たちは浴場へと向かった。戸惑い、オロオロしているアルセラの手を私はそっと握り手を引いた。


「アルセラ」

「はい、お姉さま」


 簡単な言葉のやり取りの後にお互いの顔を見つめ合わせればそこには顔どころか首筋まで真っ赤でしたアルセラの姿があった。

 人影もまだまばらな脱衣場を抜けると湯の温かさを逃さないための分厚い引き戸がある。それに手をかけて開けるとその先が温泉の湯気の立ち込める浴場だった。 

 その手を引いて湯船へと歩み寄ると、湯船の縁に腰掛けて足元からそっと入って行く。

 お湯の色は無色透明、ほんのかすかに薬品のような香りが漂っている。まずは膝から下を温めて体お湯に馴染ませる。

 体から汗がにじんでくるのを待ちながら私たちは言葉を交わした。

 まずはノリアさんが言う。


「ここの土地の温泉は切り傷に良いと言われています。女性には美肌に効果があるとか」

「へぇ」


 私は感心するように相槌を打つ。


「それでなのね女の人たちが美人が多いのは」


 私の呟きに二人が視線を向けてきた。


「ここって農村でしょ? 畑仕事・野良仕事は多いし、土や藁にまみれることもあるでしょうけど、その割には身綺麗で肌荒れしている女の人もほとんど見かけないしなぜだろうと思っていたのよ」


 その呟きにアルセラが答える。

 

「ええ、私や村長さんのような大きめの館に住んでる人は家まで温泉をひいていますし、そうでない人たちはここのような共同浴場を使います」

「だからなのね」

「はい、鉱山に働きに来た人達も一仕事終えた後には必ず湯を浴びるそうです」


 湯の熱さに体が馴染み始まった私とノリアさんはゆっくりと身体を湯船の中へと沈めていく。それにならってアルセラも湯の中へと入っていく。


「痛っ」

「どうしました?」

「え? 今回の戦いで少しだけ怪我をしてるのよ。ほらここ」


 そう言いながら見せたのは片側の二の腕のところに受けた傷だった。夜襲を受けた時に襲撃者が自爆をして撒き散らした金属片のひとつを食らったものだ。

 傷を受けてすぐにパックさんに治療してもらったがさすがにまだ治りきってはいなかった。


「敵の爆薬で鉛の破片をくらったのよ。すぐに治療してもらったけどね」


 傷口はほぼ塞がりかかっていたがやはりまだお湯は染みる。


「これくらいは職業傭兵をやってると傷のうちに入らないけどね」


 そう告げる私の腕をアルセラは手を触れながらしげしげと眺めている。


「お姉さまの肌って綺麗」

「そう?」

「ええ、お仕事の割には傷跡もありませんし肌もスベスベで綺麗」


 にこやかに微笑むアルセラの肩を私はなで返した。


「そういうアルセラも綺麗な肌してるでしょ」


 そう言いながら彼女の肩から首筋にかけて手を触れて撫でさする。


「ちょっと面白いこと教えてあげるわね」

「はい」

「候族の奥様方って多かれ少なかれみんな見栄っ張りなのよ」

「そうなんですか?」

「うん、特に一番気を使うのは着ているものや装飾品や小物もそうだけど、やっぱりお化粧や肌の綺麗さなんかも自慢の種になるのよ」

「へぇ」

「余計な手入れはしていませんみたいなふうに素知らぬ顔をしていても、裏ではみんないろんな美容法を試したりしてるのよ。そういう人たちから見れば、こういう温泉を備えたお屋敷って羨望を集めることになると思うわよ」

「あ、やっぱりそうだったんですね」


 アルセラが少し困った風に言う。


「実は今回の祝勝会にお見えになられた候族の女性の方の中にはワルアイユの温泉のことを気にしてらっしゃる方が意外と多かったんです」

「ここの温泉って意外と知れ渡ってるのかもしれないわね」


 私はお湯を手ですくうと自分の首や肩にかけながらお湯の温かさを楽しんだ。湯の温かさは体をほぐし心をほぐしてくれる。普段は口にできないような心の中に秘めた言葉も思わず言葉にできる。

 アルセラがしみじみとした口調で言った。


「私が幼い頃に亡くなられたお母様も肌の綺麗な美人だったと評判だったそうです」

「そうね、アルセラを見ているとあなたのお母様のお姿がなんとなく想像できるわ」

「ありがとうございます」


 アルセラは少し沈んだ表情で昔話を始めた。


「本当の気持ちを言うとお母様にはもっと長生きして欲しかったんです」

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