礼儀作法の個人教授 ~ルスト、枝鞭を振るう~

 それから少しの間、ワルアイユの本邸にて私は待った。

 館の玄関には鍵がかけられており、鍵を持っている者が現れるまで待機する。

 夕暮れの秋空は肌寒さを増している。それを堪えながら待っていればワルアイユ家の馬車が慌ただしくやってきた。


「来たわね」


 一人呟けば、馬車が館の玄関の前に横付けされ馭者が降りてきてタラップを広げる。そして馬車の扉を開けて降車を促す。

 

「どうぞ」


 馭者の言葉を受けて中から現れたのは普段着姿のアルセラと侍女長のノリアさんだった。

 サマイアス候に急ぐようにと言い含められていたのだろう。挨拶もそこそこに馬車から降りてくる。そして玄関下で待っていた私に駆け寄ってきたのだ。

 馬車の中には男性使用人が二人、荷物持ちとして待機していた。馬車の後ろに積まれていた衣装箱を二人がかりでおろすとこちらへと持ってくる。あの中に明日の祝勝会で着るドレス一式が入っているはずだ。

 険しい表情で待っている私にアルセラが言う。


「申し訳ありません遅くなりました」


 ノリアさんも言う。


「ただいま玄関をお開けします」


 そう告げて腰に下げていた小物入れ袋の中から大柄で頑丈な鍵を取り出して玄関を開ける。

 そして中へと入るなりノリアさんに言う。


「会食場を使います。速やかに準備してください」

「はい!」


 ノリアさんが答えれば、男性使用人が率先して家の中の明かりを灯していく。大体の事情は察しているのだろう家全体を煌々と照らすようなことはせず、玄関と廊下の一部、そして使用する会食場のみに明かりを灯した。

 私はノリアさんを手伝いながら衣装箱を会食場へと運ぶ。

 そこはいわゆる〝ディナールーム〟で、晩餐会や催し物が行われる場所だった。

 本来ならばテーブルなどが並べられているのだが、今は村の政務館に拠点を移しているために、テーブルなど一式は壁側に追いやられている。室内が広く使えるので礼儀作法を教えるには都合が良かった。

 私は自分の手荷物を部屋の片隅に降ろしながら。


「急いで着替えてください。個人教授に使う時間はできるだけ長く使いたい」


 その問いにノリアさんが答えた。


「承知しました。今すぐに」


 そしてノリアさんからアルセラに声がかけられた。


「お嬢様、お召し物を変えさせていただきます」

「はい。よろしくお願いします」


 そして部屋の入り口で待機していた男性使用人達にも告げる。


「申し訳ありませんが、馬車にて待機していてください」


 ノリアさんのその言葉に使用人達は頷くと不満を現さずに去っていった。

 後に残されたのは私とアルセラと侍女であるノリアさんの三人。

 私は柳の枝鞭を手に佇んでいる。

 私が見守る中でアルセラが着替え始めた。


 着ているものを全て脱ぎ、ズロースとシュミーズだけになる。ロングソックスを履かせてリボンで膝上で留める。

 コルセットを装着させると、ペチコートを履かせ、さらにその上にパニエを重ねる。その上にドレスのスカート部分のカーブを形作るためにリネン製のペチコートを重ねる。

 そしてその上にドレス本体であるローブ・ア・ラングレース風のドレスを着させる。

 襟元に肩に巻くようにシルクのフィシューを重ねさせ、ドレスの後ろ身頃の締め紐を締め上げて細部を整えれば完成だ。

 足下にはエスパドリーユが履かせられている。

 衣装が仕上がったことを視認して私は告げた。


「できたわね?」

「はい」


 アルセラは自ら答えた。


「部屋の端に立って。まずは歩き方から始めるわよ」

「はい」


 大体の事情はサマイアス候から教えられているのだろう。私の発する言葉に彼女は一切の疑問を差し挟まない。その表情からは自らの置かれている立場が分かっているかのようだった。


「いい? 床に敷かれているこの絨毯、ちょうどおあつらえ向きにまっすぐな縦模様があるけど、この上を端から端までゆっくり歩いて往復して」

「はい」


 さらに私は言い含める。


「いいこと? 祝勝会のような公的な場で、注目されて立ち振る舞うこと意識しながら歩くのよ? 背筋を曲げずまっすぐにして落ち着いて正面を見据えるの」

「はい。お姉さま」


 私に促されるままにアルセラは部屋の端へと移動すると、私が指定した絨毯の模様を頼りに彼女なりに考えて歩き始めた。

 私に見られている、指導される。その状況が彼女を緊張させているのははっきりとわかる。

 ぎこちない動きで一歩一歩足元を確かめながら前へと進み、部屋の端へとたどり着くと彼女なりに考えて、きびすを返して戻ってくる。

 戻ってくる時は動きに慣れたせいもあるのだろう、多少なりとも余裕のある歩みで歩いてくる。

 そして一度戻った彼女を、再びもう一度部屋の端まで向かわせて戻らせる。

 一通りの動作を終えた彼女を見聞し終えて、私は評定を下す。


「全然ダメね」


 それは少し残酷とも言える指摘だった。

 私は包み隠さず冷徹に指摘した。ここで彼女を気遣うような言葉を投げかけても何の意味もないからだ。


「私言ったわよね? 『注目されることを意識して歩きなさい』って?」


 私の指摘にアルセラはうつむいて答えない。指摘されて当然であるということを分かっているからだ。

 私は遠慮なく言葉を続ける。枝鞭を手にしたままアルセラに歩み寄って言った。


「まず背筋」


 枝鞭でアルセラの背筋を軽く叩きながら言う。


「背中に一本の棒が入ったように姿勢を崩さないようにして歩くのが基本よ? 体の中心の軸を意識して決してぶれさせないように歩くの」


 そして次に首筋を後ろから軽く叩く。


「次に首、犬みたいに前に顔を出さない。普段から前かがみになる癖が残っているのね。まず最初は背筋と首筋、これをまっすぐにして決して揺らさないように」


 そしてアルセラの手を引いて歩き始めの位置に連れてくると私自らの手で姿勢の基本を叩き込む。


「背筋、首筋、それと顔! 無意識のうちに俯きがちになるのは一番やってはいけないことよ! それと手の位置。ドレスを着ている時は手に何も持たない場合、両手の指をお腹の前あたりで軽く重なるようにするの。これは特別意識しないで無意識のうちに自分で持ってくるようにするのが基本よ?」


 姿勢と手の位置を私自身の手で矯正すると、再びアルセラから離れて彼女を見守った。


「もう一度歩いて」

「はい!」


 元気のいい返事が返ってくるが、その声のニュアンスには苛立ちと戸惑いがはっきりと入り混じっている。矢継ぎ早に出されるダメ出しが彼女をイラつかせているのだ。

 それでも、軽く深呼吸をして気持ちを整え直すとアルセラは指示した通りに歩こうとする。ゆっくりと凛とした姿勢を維持するように心がけながら、一定のペースで歩こうとする。

 一見するとうまくできているように見える。しかし――


「やっぱり背筋が曲がるわね。あなた猫背なのね。私なんて言った? 背筋をまっすぐにって言ったわよね?」

「―――」


 私のキツイ指摘にアルセラはとうとう黙り込んでしまった。でも遠慮はできない。明日の朝までと言う依頼だったが、実質的には今日の夜アルセラが就寝する前までの短い時間で全てを叩き込まればならないのだ。悠長なことは言ってられなかった。


「どうするの? 諦めるの? あなたがそれでいいのなら別に構わないわよ?」


 彼女の視界の片隅で私はわざと腕を組んで見せた。腕を組むとは相手を拒絶する意思表示だ。その意図はアルセラにもしっかりと伝わっていた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る