後幕:謀略者たちの夜

地方査察審議部

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―精霊邂逅歴3260年8月5日夜―

―フェンデリオル国、中央首都オルレア―


 その国家正規軍の中央軍本部に付属の外郭施設に『地方査察審議部』と言う部門がある。

 北方本部、南方本部、西方本部と言った各方面部隊本部との連携や管理監督と言った業務のほか、辺境の大小の各領地の状況調査や内偵や査察と言った職務を総括する部門だ。

 いわば、フェンデリオル正規軍の目や耳となり国家の平穏と危険を常に見張っているべき場だった。

 

 その地方査察審議部の官舎である建物、その2階の一角に査察審議部部長の執務室がある。

 時に時刻は7時を回っていた。

 


 †     †     †

 

 

――モルカッツ・ユフ・アルガルド――


 それがその執務室の主の名だった。地方査察審議部部長で階級は准将――

 切れ者であり才知は回るが人望はない。

 猫背で細面で中背のヤセ型、赤毛の髪をポマードで丁寧になでつけて身だしなみには人一倍気をつかっている。だが――

 

――ドブネズミ――


 その陰口が示すとおり、好感度を与える結果にはつながって居ない。

 そのモルカッツのオフィスである執務室に彼は居た。

 

 手広い執務室オフィスの中には、左右にサイドチェストの張り出した大柄な執務机がある。

 その傍らには応接セットとしてのテーブルと革張りソファがあり、その他には秘書官の使用する事務机や書類棚や本棚が据えられている。

 モルカッツの姿はその応接セットのソファの一つにあった。

 テーブルの上に夕餉の食事を広げてくつろいでいる。

 

 ただその食事の内容は明らかに場違いだった。

 

 肉料理を中心として豪勢な品が並んでいる。贅の限りを尽くしたそれはどこぞリストランテのディナーかと疑うばかりのものだった。

 それらの料理を口にしているモルカッツだったが、テーブルの上のグラスが空になっていることに気づいて声を上げた。

 

「おい」


 モルカッツが声を上げる。声を掛ける相手は執務室内の傍らで待機している女性秘書官の一人だ。

 その表情は暗く嫌悪と苦痛を押し隠していた。モルカッツからの呼びかけを受けてうなずくと静かに歩み寄り、ワインの入ったボトルを手にする。

 モルカッツはそれを視認すると、手にしたグラスを差し出し酌を要求している。

 それは軍本部の執務室と言う場ではありえない光景だった。

 だがモルカッツの厭味ったらしい声が漏れる。

 

「どうした不服か?」


 女性秘書官は慌てて否定する。


「いえ、そう言う事は」

「ふん、口ではどうとでも言える。いいか? 忘れるな?」


 グラスにワインが注がれたの確認してモルカッツは言葉を続けた。

 

「俺の采配一つでお前らの処遇はどうとでも決まるという事を忘れるなよ? 人跡通わぬ秘境警護や最前線の維持兵にはされたく有るまい?」

「はい、申し訳ありません」


 女性秘書官はまだうら若いと言っていい年頃だった。軍学校での厳しい訓練に耐え、実績を積み上げて軍本部に任官したはずだった。だが彼女たちが不幸だったのは、上官がこの男だったという事だ。

 

「判ればいい」


 そしてグラスに口をつけ傾けながら吐き捨てた。

 

「お前たちの生殺与奪は、査察審議部部長である俺の胸三寸なのだからな」


 それは明らかに公権力の本来の意味を履き違えている。だが、そうだったとしても女性秘書官たちには逃げる場所すらなかったのだから。

 女性秘書官は1人ではない。全てで5人いるが、誰一人として笑顔は浮かんでいない。ひたすらにモルカッツを恐れているのだ。そんな彼女たちの怯えを知ってかモルカッツは吐き捨てる。

 

「ふん、俺の事など信用しておらぬくせに」


 そうなっている理由が自分自身にあることなど、理解していないモルカッツだった。

 その時だった。

 

――ガチャッ――


 執務室の扉がノックもなしに開く。樫の木の固く重い扉を開けて一人の人影が現れる。

 

「だれだ?」


 警戒心を匂わせて問いかければ、返ってきたのは妙齢の女性の抑揚のある艶っぽい声だった。

 

「誰とは、ご挨拶ね」


 声のある方を振り向けばそこに佇んでいたのは頭からフード付きロングショールを羽織った黒衣の女性だった。


「黒猫?」


 その名を呼ばれて、黒衣の女は嬉しげに口元を歪ませた。


「お久しぶり、元気してた?」


 彼女が現れた瞬間、場の空気が変わった。

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